私が家の外に出ようと決心したのは、世界が間違いなく終わってしまうのだろという考えが世間のコモンセンスになり始めたころだった。 そうなる前の私はといえば毎日毎日見知らぬ人間たちと一緒にいなければいけないことが耐えられず、自分の部屋に引きこもりがちだった。そんな私が積極的に外に出て行こうなんて思えるのだから、世界は本当に変わったに違いない。ただ、そういった外の世界に対する興味とは別に外に出かけなければならない切羽詰まった理由もあった。 私は自分のこけた頬を撫でながらため息をついた。鏡を見れば自分の不健康そうな顔をよく見られたかもしれないけれど、家のなかにある鏡は引きこもることを決めたその日に全部叩き割ってしまった。今は鏡と呼べるようなものはひとつも残っていない。 まあ、どちらにしたって私は自分の健康状態がどうであるかなんてこと別に知りたくは無かった。 ただ、数ヶ月前までぷっくりとして魅力的だったほっぺたが乾燥肉を貼り付けただけのげっそりとしたものに成り下がってしまったのはなんとなく悲しかった。もし手に入るのなら上等な肉を食べて肌のつやだけでも取り戻したいと思った。新鮮な肉なんて手に入れられる当てがないけれど。 出かける前に風呂場に行きシャワーを浴びた。体を少しでもきれいにして私はまだまだかわいい部類に入るぞと自分に言い聞かせる。と、二十代のOLみたいな自己暗示をしないといけないほどに自分の体も心も疲れているのだということに気づいた。ついでにまだ自分が疲れているということに気づけるくらいには頭が働いていると考えて自分のプライドを慰めた。 それでも、石鹸とシャンプーの匂いを立てながら脱衣所に立ってみると自分の体がまだまだ若々しい力に満ちていることがわかった。 胸を触ってみればほかの部分と同様に肉は落ちているけれど、それでも女として自慢できる程度の膨らみがまだあった。両手で揉んでみれば張りがあって心地いい。 はあ、と息を吐く。濡れた体から出る湯気が私の体温を奪って脱衣所に満ちていくのを感じた。急に醒めた気分になった。 私は醒めた気分が憂鬱に変わらないうちに次の行動に移ったほうがいいと思い、タオルですばやく体を拭き始めた。 全身をくまなく拭き終わったところで腹がくーと鳴くのが聞こえた。はあっと自然にため息が出る。私の体は空腹だった。 脱衣所を出て台所へと向かう。自分の体をきれいにしてみると、今度は部屋の汚さがよくわかった。かつてキャンバスや制作物を置かれていた広々とした空間は、その隙間を埋めるようにごみやら脱ぎ散らかした服やらが転がっていた。 台所に行くと冷蔵庫を開いて中になにもないことを確認した。一昨日の夜から繰り返しているこの無駄な動きをエネルギーに換算すれば一体どれくらいのカロリーになるのだろうか。栄養士でも生体学者でもない私には見当もつかなかった。ただ、理屈に合っていない不必要で非生産的な動きであるということはよくわかっていた。 わかっているのにも関わらず私はもう一度だけ冷蔵庫の扉を開けた。そこになにかがあるだなんて神の奇跡を祈るような気持ちは少しもない。願いだとか、希望だとか、そんなものを望むようなら私は部屋に引き籠ったりしなかった。私はただ毎日を堅実で確かに生きたかったのだ。私が部屋に引き籠ったのはそういう理由からだった。冷蔵庫を開けたのは単にくせになってしまった行動を最後にもう一度だけやっておきたかったからだ。 こんな無駄なことでもやっていなければ空腹の私は時間を潰すことも出来なかった。昨日はこれを繰り返すことでなんとかその日を凌いだ。でも、今日はもう駄目だ。人間としての本能というかもっとメカニカルな原理が私の限界が近いことを教えていた。 私はリビングに入り床に散らかっているあらゆるものの中から適当に服を見つくろって身にまとった。下着だけは昨日洗濯したものを選び、後のものは手が届く範囲で動きやすそうなものにした。 麻でできた少し厚手のパンツを履き、黄色生地にペンキ散らしたTシャツを着た。黄色のTシャツは去年の夏に私が手作りしたものだ。暑さ中のちょうどいい具合にTシャツが汚れるまで刷毛を振り回してペンキを飛ばした私の傑作だった。 私はそのTシャツを着て懐かしい気持ちになった。1年前とは私も世界も大きく変わってしまっていた。私と世界を比べてどちらのほうが大きな変化を経験したのか、それは私にはわからなかった。ただ、あの頃の私はまだ誰かに見られることを意識して暮らしていたし、世界のほうには私を見てくれるだけの余裕があった。 リビングを見渡してリュックを探す。確か高校に通っていたころに使っていたものがあったと思うのだが見つからなかった。ほかの部屋を探してみても見当たらない。しょうがないから代わりの物を捜してみるがちょうどいいのがなかった。みんな革製の手提げバッグであまり物を詰め込むことは出来なそうなものばかりだった。その中にはもらいもののブランドバッグもあったが、役立たずなくせに自己主張ばかり激しいそれを私は蹴って壁際に飛ばしてやった。 大体において私はブランド物全般が好きではなかったが、特にバッグと財布は特別に嫌いだった。その理由はバッグや財布の表面には必ずそのブランドのロゴがべたべたと並んでいるからだ。もしそれを人間に置きなおしてみるならその人は自分の体に自分の名前を隙間なく貼り付けているということになるわけだ。 私はそんなことをするは変だと思うし、生理的嫌悪も感じた。昔、その話を知り合いにしたら、やっぱり芸術家さんの感性は人とちがうって優れているのねと言われたことがあった。彼女は嫌味を言うようなタイプではなかったのでたぶん誉めてくれたのだと思う。けれど、彼女は私についてなにも理解はしてくれてはいなかったのだろう。まず私は芸術家ではないし、感性がひとよりも優れていることもなかった。私が上手だったのは人に見られることを意識することだけだった。 バッグを探して押入れを引っ掻き回していると旅行用のボストンバッグを見つけた。高校の修学旅行で使ったもので、私にとっては家族以外の人たちと初めて旅行したときに使ったものだった。 中学の修学旅行のとき、私は熱を出して旅行に行くことができなかった。絶妙なタイミングで失敗をしてしまった悔しさと、一人だけ置いてきぼりになった寂しさで、私は布団のなかで泣いた記憶がある。 その反動なのか私は高校の修学旅行をとても楽しみにしていた。学校のイベントのほぼすべてに興味を示さなかった私には珍しかったからなのか親はそんな私に新しい旅行バッグを買ってくれた。 Tommy Hilfigerのロゴが入った大き目のボストンバッグを持ってみる。派手すぎず、おしゃれに気を使っているように見えて、さらに実用性もある。ついでに高校生の定番と言ってもいいこのタイプのバッグは当時私にとって最高のものだった。だが、結局これを使ったのは修学旅行のときの一回きりだった。楽しかったあの旅行以来私は遠くに出かけるようなことはしていない。あれは三年前、私が一七歳のことだった。 バッグの大きさはちょうどよかった。肩掛け用の帯もついていて食料を詰め込んでも持ち運びできそうだった。一回しか使われていないバッグは傷みもほとんど無い。こいつは今の私にとって最適なものだった。 私は空のバッグだけを持って玄関に立ち、靴を履いてドアノブを回した。
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