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作品名:十六夜花火 作者:海野ごはん

第7回   第7章 更待月・・・心の隙間
第7章 更待月・・・心の隙間     

「更待月は(ふけまちづき)と呼び、夜も更けてから月が上ってくる月のことを言います。だいたい、午後10時ごろに月の出を迎えます。
夜の男と女は、昼間とは違う顔を誰もが持っています。月の光に似た妖しい女の色気は男の心を惑わし、男の我慢は女の寂しさを引き出し物語が面白くなります。じれったい心が本当は愛を育むなんて当人たちにはわからないから、余計に恋も彩られていきます」






ビジネスホテルの壁1枚隔てた健三と加奈子はお互いベッドの上で天井を向いていた。息さえ聞こえてくるのではないのだろうかという近さは、壁1枚隔てても感じた。
しかし、まだ加奈子と健三には温度差があった。加奈子は健三を好きなのだが、健三はそれほど想ってなかった。

健三の携帯が鳴った。加奈子からだった。
「もう寝てる?」
「いや、まだだ・・・」
ドンドンと隣の加奈子が壁をたたいた。
「なんだよ、うるさいな」
「キャー、ほんとに横にいるんだ。壁1枚離れてるだけだよね」
「まあな、いびきはかくなよ。聞こえるんだから」
「え〜、そんなに薄いのこの壁」
加奈子の甲高い声が電話でなく壁越しに聞こえたようだった。
「ビジネスホテルはどこも薄い」
「10cmぐらいかな〜?」
「もうちょっとはあるだろう・・」
「ねぇ〜なんだかドキドキしない?」
「別に・・・」健三は寝返りを打って壁の方を見た。ただの白い壁が見えた。
「私裸でいるのよ・・ドキドキするでしょ」
「・・・・おばさんの裸なんか遠慮するわ」そう言ったが健三自身の鼓動は少し早打ちしていた。
「あら、そう。美香よりずっとナイスバディだと思うんだけどな。おっぱいは大きいよ」
「・・・・」そういえば美香の裸も随分見てないから思い出せなかった。
「聞いてる?」
「ああ、うるさいから寝てくれないか。明日早いんだ」
「もう〜、照れ屋なのね健ちゃんて・・・」
「・・・・」実際照れていた。言葉のかけ方がわからない。

「健ちゃんいるの?叩いてみて」
健三は受話器を耳に当てたまま片方の手で加奈子側の壁を軽くトントンと叩いてみた。
「キャー、感じる。おっぱいに来ちゃった」
「‥‥馬鹿か。何やってんだ」
「壁の所におっぱい当ててたの」
健三は想像した。裸でこの壁の向こう側で加奈子が胸を当てているのを。
急に下半身が固くなった。
「どう感じた?」加奈子が聞いてきた。
「・・・・ああ、分かった。寝ろよ」ぶっきらぼうにしか言えなかった。
しかし、加奈子ってこんなに大胆な奴だったっけ。昔の加奈子とは全然イメージが重なりあわなかった。今の方が明るくていいじゃないか・・・
健三はすっかり加奈子のペースに振り回されながらも楽しんでいた。
女性とこうやって会話をすること自体がなかったのだ。
戸惑いながらも少し変な気になっていた。

「電話でなく壁越しに話して」
加奈子の声が受話器から聞こえた。健三は携帯を伏せると壁に向かって言った。
「おい変態。もう寝るぞ」
「・・・・」
健三は携帯を取って言った。「聞こえたか」
「・・・・すこ〜し聞こえた・・・冷たいんだから。わかった、寝るわね。もう〜口が悪いんだから」
加奈子はそう言うと携帯を切り、健三側の壁を足で蹴った。
ドンッ!低い衝撃音が健三の部屋に響いた。

急に部屋の中が静かになった。隣の息まで聞こえてきそうだった。寝返りもベッドがきしむ音も全部隣に聞こえそうで健三は寝苦しかった。
いかん、どうも意識してるらしい・・・。
健三は部屋の照明をつけると備え付けの冷蔵庫に保管していたビールを飲んだ。プルトップを開けてパチン、シュワーという音まで加奈子に聞かれてるみたいだった。
そういえば加奈子も離婚したんだと今頃になって思い出した。      
一博と加奈子の間でどんなやり取りがあったんだろうと想像した。
そして美香は今頃どうしているんだろうと思った。
離婚の重たさに気が滅入りそうになり窓に向かって歩きだし、カーテンを開け、すりガラスのアルミの窓を開けた。
海風が部屋に入ってきた。空を見上げると半月に近い月が港を照らしていた。風と波が船を揺らし、船の緩衝材がこすれあう小さなギィーという音が聞こえる。船のどの部分だろうか風に揺らされぶつかり合う音もあちこちから小さいながらも不定期に聞こえた。静かな夜がそこにあった。


金属の窓を開ける音が隣から聞こえた。加奈子だった。
加奈子もまた眠れなくて健三の窓を開ける音を聞いてそばに来たのだ。
健三はまさか裸のままじゃないだろうなと、また興奮してしまった。
「健ちゃん、寝ないの?」
「・・・お前、裸のままか」
加奈子は笑いながら「馬鹿ね、さっきのは冗談に決まってるじゃない」と言った。
それが本当なのか嘘なのか確かめる勇気は健三にはなかった。窓から身を乗り出せば加奈子の姿が見えそうで、窓から半歩ほど部屋の方に後ずさりした。
いつでも健三は女に対して臆病なのだ。

「ねぇ〜健ちゃん、離婚って辛いよね。簡単じゃないよね。別れてよかったと思う反面、寂しくて誰かと話したくなる・・・一人だと泣きたくなるんだよね〜・・・男は違う?」
「・・・・」風の音と外からの声では、はっきりとは聞き取れなかった。
ただ、寂しいと聞こえたので健三は加奈子の心情を察した。
しばらく沈黙した後、窓に近づき少し大きな声で健三は言った。
「明日の夜の花火、近くで見れるように手配してやるよ。先に寝るからな・・・」
健三はサッシの窓を閉めると自分のベッドに潜り込んだ。枕元のスイッチで照明を消すと暗闇と静けさが周りを囲んだ。加奈子はまだ窓を開けているらしい。
窓を閉める音を待ちながら健三は眠った。





「健さん、行きましょうか」翌朝、中井のドアを叩く音が響いた。ドンドンドン・・。
「健さん、遅くなりますよ〜」さらにせかすように中井はドアを叩く。
ガチャリ・・・
「なぁ〜に・・有田さんは隣よ」
加奈子ははだけた浴衣のままドアを開け、中井に言った。
大きな胸がこぼれそうな加奈子の姿を見て驚いた中井は、
「す、す、すいませ〜ん、間違えました〜」と
見てはいけないものを見たように後ずさった。

その時、隣のドアが開き健三が出てきた。
「なんだ朝っぱらからガタガタしやがって・・・早すぎるんだよ、馬鹿が・・・」
健三はそう言いながらドアを閉めようとすると、朝から色気を出し過ぎる隣の加奈子を見つけた。
「な、な・・・おい、おい・・」
健三も見てはいけないものを見てしまったようで慌てた。
「あら、行ってらっしゃ〜い・・・後でね」
そう言うと加奈子はボォーッと立ったまま手を振った。
健三は加奈子に何か言おうとしたが、中井を見て「さっさと行くぞ」と大きな声を出した。
中井は頭をへこへこさせながらにやついてる。
「あっあっ、すいません‥行ってきます」
中井は健三の後を追いかけながら振り返り振り返り、加奈子にお辞儀をして出かけて行った。

エレベーターの中で「すごいっすね〜」と言いながら、中井は自分の胸の前で大きなふくらみがあるようにジェスチャーで手を動かした。
「どんな関係ですか」と聞きたかったが、先輩に張り倒されそうなので自粛した。



その日は8時間ぶっ通しで準備に追われた。真夏の港の堤防は40度に近い温度だったが時折吹いてくれる海風が幾分涼しさを運んできてくれた。
健三は夕方5時にすべての準備を終え、一度大会本部があるテントに顔を出した。
最終打ち合わせと後片付けの確認だった。もうすでにかなりの観客が集まりだしている。すべての準備を終えると健三は加奈子に電話した。
「おう、俺だ。どこにいる?」
「健ちゃんとこの会社のトラックのそば。横に中井さんがいるわよ」
「あ〜そこか、じゃ、そこで待っててくれ、すぐ行く」

健三はヘルメット姿に作業服のつなぎを着て加奈子の前に現れた。手にはもう一つ黄色いヘルメットを持っていた。
「ほらこれ。今日の花火は足場が悪いから。すぐ近くまでは行けない」
と言って、港に浮かぶ堤防を指差し、手に持っていたヘルメットを加奈子に渡した。
「ここならいいから中井と一緒に見ていてくれ。出来ればトラックの中にいたほうがいいぞ」
「えっ、ここも危ないの?」
「関係者以外は立ち入り禁止区域だから、ここからも、ほぼ真上に見える。時々爆発しない花火が落ちてくるから頭に気をつけろよ」
「そんなのが落ちてくるの・・・」
「ああ、だから車の中が安全だ。エアコンも効くし快適だぞ。中井の言う事を聞いてくれ危ないから」

そう言うと健三は中井にいろいろ指示を出し、最後に弁当を取りに行かせた。
中井が
「姉さん、よかったですね。なかなか見れませんよ」と言って調子よく出て行った。

「健ちゃん、邪魔じゃなかった?」と加奈子が聞いた。
「滅多に女は入り込まないが、いいんじゃないか。だけど、気をつけろよ」
「うん、わかった」
「いつ帰るんだ」
「明日」
「・・・・トラックだけど乗って帰るか?」
「いいの?」
「話し相手がいたほうが眠くならねぇ・・・それとも新幹線にするか?」
「ううん、トラックでいい。なんだか知らないことばかりでわくわくしちゃう」
「男ばっかりで汚いし危ないし、加奈子は嫌がるかと思ってた」
健三は汚れたタオルでヘルメットの中の頭を拭いた。夏の巡業のせいで健三の顔は真っ黒だ。作業服の襟も袖口もボロボロに汚れていた。

「健ちゃん、洗濯はどうしてる?」
「いつもまとめて洗ってるさ」
「美香がいなくなったら大変だね。自分でしないんでしょ」
そうだった。今まではそういう家事は全部妻である美香が当たり前のようにやってた。離婚するとしたらこれからは全部自分でやらなければならないのだ。
洗濯機の動かし方さえよくは知らない。当たり前だったことがなくなるというのは寂しい。いかに自分は自分の事しかしてこなかったかというのを身につまされた。
健三は離婚する現実を突き付けられたようだった。




中井が持ってきた弁当を業者も入れ全員で車座で食べた。
男ばかりの集団だが、みんな花火を打ち上げる前だからであろうか機嫌がいい。それはそうだろう、この日の為にみんな努力をしてきたのだ。
花火好きの世渡りが上手くない連中が一丸となって観客の感動を誘う。縁の下の力持ち達の出番がやってきたのだ。誰もが興奮気味でよく笑いあう。
加奈子はそんな男たちの中心にいる健三を見てますます好きになった。泥臭く、パッと見はよくない中年の親父たちが子供のようにはしゃいでいる。加奈子の知らない世界がここにあった。
今迄の知っている男達はどこか女の目を気にして、おしゃれだったり気が利いた会話だったり健三達とは反対の垢抜けた世渡り上手な男達が多かった。

加奈子は健三が心底笑う姿を初めて見た気がした。もっと健三の事を知りたくなった。中学生の時の初恋の相手ではなく、改めて健三という男を知りたくなった。

20時の花火打ち上げ時間にあと1時間となったところで、男たちはそれぞれの持ち場に散って行った。健三もボートに乗り、沖の大型花火を打ち上げる台船に向かった。
最終点検をしてあとは開始時間を待つばかりだ。
無線機からは健三の指示が聞こえてきた。
「おい、中井。お客さん近づけるなよ」
「はい、わかりました」
中井は加奈子の方に来ると
「危ないから、そこからあまり離れないでください」と言った。
お客さんとは私の事だったんだと気が付いた加奈子は、少し緊張した。



港全体に聞こえるようなスピーカーから、花火大会の開催の挨拶が流れてきた。
スポンサーの名前や協力各社の会社名を若いアナウンサーが告げていく。
観客席がある本部の方はかなりの人だかりになっていた。お祭りのざわめきが遠く離れていてもわかる。加奈子は打ち上げ時間が迫ると緊張で心臓が高鳴った。
中井は無線でいろいろやり取りしていた。
「姉さん、そろそろ上がりますから耳抑えといたほうがいいですよ」と言ってきた。

健三の指示が無線から聞こえると沖の堤防からドンという低い音が聞こえた。
空気を裂いて花火が打ちあがる音が空から聞こえる。1拍おいて静かになったかなと思うとパンパンパンと甲高い花火が破裂する音が、まだ青さが少し残る夜空に鳴り渡った。 そして雷鳴のように次々と爆裂音が響いた。三崎町の花火大会の始まりだった。

ヒュ〜と花火が空に向かっていく音がいくつも続く。ドドドドドーンと腹の底に響き渡る。重低音とともに体が振動で震える。すごい迫力だ。天空を見上げると、今までに見たこともないような大きな光り輝く花火が空一面に広がっていた。
まるで空の星たちが一斉に落ちてきたようだ。

 加奈子はあまりの迫力に呆然と立ち尽くすだけだった。首が痛くなるほど真上を見る
と、どこからがどの花火なのかわからなかった。
いくつもの火花の花が重なり合い、いくつもの色に輝く星たちが降ってくる。
そしてもう少しで頭の上に落ちてくるという所で星は急に輝きを失い、夜空に吸い込まれるように消えた。
感動ものだった。男たちが夢中になる筈だ。
耳につんざく音、一瞬で消える光、闇夜に花開き消える花火は短い人生を終える人間の一生の様かもしれない。華やかに輝くものに美しさを感じ、一瞬で消える儚さにまた美しさを感じる感性はどこか燃え上がる恋にも似ていた。
 加奈子はトラックのそばでずっと空を見上げた。動こうにも感動してその場に立ち尽くすだけだった。


 一回目のオープニングの連続花火が終わった。
急に静かになると無線の男たちの声が聞こえてきた。加奈子はそれを聞いてやっと我に戻った。すさまじい音と光の洪水だった。忘れていた息を取り戻した。
 まだ体の中でジンジン振動音が鳴りやまないでいた。鼓動も早い。向こうの観客席から低い地鳴りのような歓声と拍手が沸いた。自分の事のように嬉しかった。
 健三でなくてもはまる訳だ。加奈子は誰に見せるともなく笑顔がこぼれた。楽しい。最高だ。
 アナウンスが流れ、また空気を切り裂く打ち上げ音と共にさっきとは違ったリズムで花火が上がり始めた。加奈子は首が痛くなるのを忘れて、それから1時間、光と音のショーに魅せられた。


 最後に大きな尺玉が打ち上げられ三崎町の花火大会は終了した。沖合から放たれた尺玉は加奈子の頭上で300mの幅の大輪を咲かせ、低い大きな音とともに数百本の流星が降り注いできた。
 まるで光のシャワーの中にいるようだ。ひらひらと火の粉があたりを舞って降りて来る。夏の蛍のようだった。そして最後の淡い光が目の前で消えると、それが最初で最後の花火大会体験の終了だった。
 携帯電話が鳴った。健三からだった。
「どうだった。大丈夫だったか」
「すご〜い、健ちゃん凄〜い。めちゃくちゃ感動したよ。すご〜い」
加奈子は感嘆の言葉しかなかった。
「そうだろ・・・2時間ほどして帰るからホテルで待っててくれ。飲みに行こう」
「わかった」
 加奈子は中井にお礼を言うとヘルメットを返し、会場を後にした。町は人混みで溢れていた。

なんだろうこの気持ちは・・と加奈子は思った。
高揚感・・・ふわふわと体が浮いてるような感じだ。健三を追いかけ色香で口説こうと思ったがそんなことはどうでもよかった。純粋に花火が好きになり健三が好きになった。健三に会いたいと思った。
 別に自分の為に花火を打ち上げてくれたわけではないが、なんだか健三がかかわっているかと思うと、自分の為に打ち上げられた花火大会のような気がした。いつか健三に花火の下で「愛してる」と言って貰いたいと思った。


 ホテルに帰りシャワーを浴びた加奈子は健三の帰りを待った。ベッドの横になり目を閉じると先ほどの花火が浮かんできた。何度思い出しても興奮する。健三側の壁を見てひとりにやついた。それから鏡の前に座ると念入りに化粧をしだした。
今日は気分がいいから大サービスだ。

 健三からの電話は11時を過ぎてかかってきた。今日の片づけは終えたらしい。部屋に帰りシャワーを浴びたら出て行こうと言ってくれた。加奈子は待つことにした。
 健三の部屋のドアが開く音がした。静かなホテルの中で耳を澄ますと健三の部屋から物音が聞こえるようだった。シャワーの音だろうか・・加奈子は想像することで健三を楽しんだ。
 そろそろ終わる頃かと思い、加奈子は1階のロビーで待つことにした。
健三は中井を連れてエレベーターから降りてきた。
「お待たせ。中井も来たいって言うから連れてきた。いいだろ」
「ええ、ぜんぜん・・」ちょっとがっかりして加奈子は笑顔を作った。

 その日の居酒屋の夜は加奈子の感動話で盛り上がった。
健三も中井も大袈裟に褒められると照れたように恥ずかしがった。そのうち中井は健三が花火作りにいかにストイックに打ち込んでいるか、尊敬しているか惚れた女のように加奈子に説明し始めた。
「男が男を好きになるなんてわかりますか」と加奈子に聞いて来るもんだから、加奈子も「私も健ちゃんが好きなのよ」と中井の前で言ってしまった。
 中井は賛同を得たように得意になると何回も乾杯を繰り返し、加奈子に酒を注いだ。 加奈子もまた気分良く受け取った。



 二人でどれだけ飲んだだろう、中井も加奈子も相当酔ってしまったのでホテルに帰ることにした。健三が加奈子に肩を貸し、抱きかかえる様に連れて帰った。
 足元はふらついてるくせに加奈子は中井に喋り続けた。3人でホテルに着いたときは加奈子はフラフラだった。狭いエレベーターで上がり、

「じゃ、明日も8時にな」と言って、健三は中井と部屋の前で別れた。
「健ちゃん、こっちで泊まってく〜」酔った加奈子が健三に言った。
「馬鹿言うな。明日はお昼の3時頃帰るからゆっくり寝てていいぞ」
「え〜、つまんない。意気地なし」
 健三は酔った女は面倒だと思いながら加奈子を加奈子の部屋に入れた。
そして自分は自分の部屋に戻った。急に酔いが回ってきた。健三はベッドに倒れ込んでフゥーと息を吐くと解放感に浸った。

 ドンドン・・加奈子が壁を叩いてきた。
うるさいが無視してると壁を叩く音は小さくなりやがて聞こえなくなった。
そしてそのまま健三も眠りについた。

そして翌日、加奈子は健三のトラックに乗り地元の高田町まで揺られて帰った。
健三との時間はあっという間に過ぎてゆく。
改めて健三の事を知りたくなった加奈子は車の中でいろいろ話を聞いた。
美香とのことや結婚生活の事を。健三はなかなか喋らないが加奈子は知りたがった。好きになることは、すべてを知りたいと興味を持つことだ。そして知れば知るほど、自分の心の隙間に健三というピースを埋めていく事になる。
 地元に着く頃には加奈子の心の隙間は健三で埋め尽くされていた。加奈子は健三をますます好きになっていた。

 健三は加奈子を車を駐車していた駅まで送り、会社で後片付けをして自宅に戻った。

 時間は午後11時を過ぎていた。自宅には美香がいた。




 気のせいか美香の顔は疲れていた。健三は離婚届の用紙に判を押したまま家を出たのを思い出した。仕事から帰り、こうやって美香がいることが当たり前だと思っていたが、いざ離婚を決めたら彼女が家にいるだけでありがたかったのだと思った。
 しかし今は、美香の心も体も一博の方に向いているとあれば、強がりでもしょうがないがプライドを持たないと平気でいられなかった。
今更、今までの感謝の言葉は言えない。だから態度にも現れてしまった。
「まだ、いたのか・・・」自分ながら冷たい言い方だ。
「おかえりなさい。まだいろいろ決めなくちゃいけないのがあるでしょ」
美香の返事もそっけない。
内心は加奈子とどんなことがあったのか聞きたかった。
加奈子の色仕掛けはどんなだったのか興味半分、嫉妬半分聞きたかったのだ。
美香は健三を観察した。いつもの健三だった。

「何を決めるんだ」
「家の事とか子供の事とか・・・お金だってあるじゃない・・・」
「・・・・・好きにしていい」健三は服を脱ぎながらそう言った。
「好きにしていいったって…そういう訳にはいかないでしょ」美香は戸惑い、言った。
「どうしたいんだ?」
健三は美香が作っておいた夕飯を、いつものように当たり前のように箸をつける。
「家はいらないから、貯金を多めに貰いたいの」
「うちに貯金なんかあったのか?」
「少しはね」
「全部持ってっていいぞ。俺は働けばいいから・・・」
「・・・・子供は?」
「今更、親権もないだろ、あいつの勝手にさせとこう。俺から言ってやる・・・他には?」
「・・・・他には・・・他にはないわ・・・なんだか、あっさりね・・・」
 美香はますます加奈子と健三の間に何かあったのか疑った。
しかし、黙々と飯を食べる健三の雰囲気はいつもの健三だった。
本当に離婚を決意したのかと思えるぐらい、いつもの健三だった。
「・・・あっさりした方がいいだろ俺にもよくわからないが離婚ってこんなもんだろ」
「・・・・何かいいことあったの」美香は聞きたいことを聞いてしまった。
「・・・なんでだ?・・・もっと喧嘩した方がいいのか」
「・・・・離婚して嬉しい?」
「嬉しいわけないだろ」
「したくないの?」
「・・・・・一博がいいんだろ・・・」

 長い沈黙が続いた。美香はなんと言えばいいんだろうと思った。
何を言っても今更、修復できないことはわかっている。が、しかし、どこかで健三が「好きだ」と言ってくれる事を待っていた。
 一博と関係がありながら、健三に「好きだ」の言葉を求めるのは厚かましすぎる。
 しかし、女のプライドなのか「いらない」と言われるより「必要だ」と言われて去りたかった。結局、長い沈黙の後に健三が口を開くことはなかった。
 美香は、
「じゃ、明日出ていくから」と言った。
健三は「明日」という言葉を聞いて急に現実的に美香がいなくなるんだと意識した。
「明日なのか・・・早いんだな・・・どこに行くんだ」
「どこかアパートに引っ越すわ」
「荷物は?」
「びっくりしたけど、私の荷物なんてないの。服だけだわ・・・簡単よ」
「・・・・」
「もう寝るわ。最後になるけど・・・なにかある?」
「・・・・・洗濯もの・・・」健三は自分でも何を言ってるんだと思った。
 加奈子は小さく笑って「わかったわ」と言った。
 冗談でなくそれが夫婦としての最後の会話になった。


 



 健三の花火工場はあと3か所の大会予定が残っていた。
あとは他の会社の応援がほとんどで、難しい段取りは残ってなかった。
今年の夏の最後の追い込みだ。工場ではフルにパートや職人が動いていた。
大会用のセッティングをしながら、尺玉や5号玉3号玉も作っていた。保管庫の方の在庫が少なくなってきたからだ。
 健三は中井他、若い従業員に指示を出し忙しく立ち回っていた。
「健さん、お昼どうします」最近、中井と昼飯はいつも一緒だった。
「なんか暑いからスタミナつけねーと、バテそうだな」
健三は真上から照りつける太陽を見て恨めしく言った。
「こんにちわ〜」
工場の入り口の方で女性の呼ぶ声がした。中井が振り返ると加奈子が白い日傘をさして立っていた。
「健さん、この前の姉さんですよ」と中井が言った。中井は走って近寄って行く。
「姉さん、こんにちわ。この前はどうも」汚れたタオルを首から取って会釈した。
「あら〜中井さん、健ちゃんいるかしら?」
「いますよ。奥の方」
「入ってもいい?」
「あっ、ここから先は立ち入り禁止です、なんかあったらいけないんで・・・」
「あら、そうなの・・・差し入れ持ってきたんだけど」と言って、加奈子は重箱を見せた。
「えっ、弁当ですか。やったー」中井は満面の笑顔を浮かべながら
「そこの事務所で待っててもらえますか?すぐ呼んで来ますから」と言った。
 加奈子は中井が指差した事務所の方に歩き出した。
 事務所の中は誰もいなかった。むっとした空気が澱んでいて加奈子は開けたドアをそのままにしておいた。古びた皮の応接セットが中央にどんと据えてある。
その向こうにはどこにでもある事務机が3台並んでいる。小さな事務所だった。

 健三と中井がやって来た。事務所に入るなりドアを閉めてエアコンを入れた。
ブ〜ンという低い音が部屋中に響くと涼しい風が流れてきた。健三はエアコンの風があたる場所に立ち、首のタオルを取って汗をぬぐいだした。中井もそれに続いた。
「これ、差し入れ。お弁当持って来たよ」
加奈子は応接セットのテーブルの上に置いた。
「やあ、うれしいな。いつもこうだと助かるんだけど」健三が言う。
「いいよ、持ってきてあげようか?」加奈子は弁当を広げながら言った。
「・・・冗談だよ。悪いじゃないか・・・」
「今度はどこであるの?」
「近い。川北町。ここから30分。おい中井、お茶、冷蔵庫」
健三はすぐさま食べようとする中井に命令した。
「行ってもいい」
「ああ、好きなのか・・おっ、おいしそうだ。いただきます」健三は箸をつけた。
「夕飯はどうしてるの」
「忙しいからここに出前して貰ってる」
「・・・・ふ〜ん、洗濯は」
「・・・溜まってる・・・」全然気にしない様子で食べる健三。
「洗ってあげようか。不便してるんでしょ」
「別に不便じゃねえよ」
中井は二人の会話をにやにやして聞いていた。

そこに専務が帰ってきた。社長の奥さんだ。
健三は専務に向かって「俺の同級生なんです。弁当貰っちゃって」と場の説明をした。
「あっ、こんにちは。お世話になってます」すぐ加奈子は専務の顔を見ると挨拶した。
「あら、こんな所に差し入れが来るなんて珍しいわね。いいのよ、ゆっくりしてって」
専務は気さくに加奈子に声をかけた。
「男ばっかりでむさ苦しいでしょ」と言って笑った。
「いえいえ、いい男ばっかりで毎日来たいくらいです」加奈子も笑って場を和ませた。
「お前は食べないのか」健三が加奈子に向かって聞いた。
「食べてきたからいいの」
 それから健三と中井はもくもくと大きな重箱の全部の料理を平らげた。
どこに入るのかと思うくらいよく食べる。加奈子は多すぎたかなと思ってたくらいだ。
「いい食べっぷりね。惚れ惚れするわ、あんたたち」加奈子が感心すると、
「遠慮がないのよ」専務が笑って言った。

 中井が食べた後をきれいに片付けた。きっと家でもやっているのだろう。
お茶を飲んだコップも洗って元に戻した。同じ男性でも健三のようにどんと構えていれば、中井のように気が利く男もいる。
加奈子はどちらかというと健三みたいに「俺は男だ」というのが好きだった。
「ごちそうさん。明日も食いたいな」健三が言うと、加奈子は
「いいわよ、喜んで。だって何にもすることなくて退屈なんだもん」と言った。
「あら、ヒマしてるの?だったら手伝わない、うちの仕事」
いきなり専務が加奈子に言う。
「専務、また〜、誰でもいいわけじゃないですからね」と健三が言うと
「だって、今月バタバタ忙しいじゃない。時間がある時だけ手伝ってもらえばいいんじゃないの」
「暑いし、汚れるしで無理ですよ、こんな仕事」と健三はまさかと思いながら言った。
「あら、健ちゃん、私はいいわよ。肉体労働ぐらいできるから、それに楽しそう」
「無理無理、炎天下の中で行ったり来たりするんだぞ。したことないだろきつい仕事」
「だからしたいんじゃない。なんでもやってみることよ。ヒマなんだしさ」
「そうそう、私だってそのくらいの歳じゃバリバリやってたわよ」と専務は勧める。
「ダイエットにもなるし」加奈子が言うと、
中井が「ダイエットですか〜・・・」と言って笑って加奈子を見た。
 全員が笑う。そうこうしてる内に、とんとん拍子で明日から加奈子はパートとして手伝うことになった。実際、工場は猫の手も借りたいほど忙しかったのだ。加奈子は10時から4時まで手伝うことになった。


 事務所を出ると中井はすぐ午後の仕事を始めだした。
「いいのか、あんな事になって・・」健三が加奈子に聞いた。
「いいのよ。面白そうじゃない。私が手伝った花火が上がるとこ見たいし‥大丈夫よ」
「きつかったらやめてもいいんだぞ」
「うん、わかった。ありがとう…そうだ健ちゃん、洗濯ものは?」
「車の中にあるけどいいよ、自分でするから」
「遠慮しなくていいよ。どうせしないで溜まっていくんでしょ・・・」
 健三は加奈子が言うとおりだった。いつまでたってもする気がなかった。多分しないだろう。自分でもどうするんだとほったらかしにしていた部分があった。
「うん、まあ・・・・」
「出しなよ平気だから。パンツでも何でもいいよ。慣れてるし。上品な奥様じゃないんだから」
 加奈子のあっさりとした態度に甘えることにした。
正直、着替える下着も少なくなっていた。トラックの中にある大きなビニール袋を照れくさそうに加奈子に渡し、健三は仕事に戻って行った。

 加奈子は自分の車に積み込むと花火工場の駐車場を出て行き、近くのスーパーに買い物に行った。明日の健三達と食べる弁当の材料を買いに。カートを押しながら鼻歌を歌っていた。
 新しい人生も悪くない。いろいろなことに新鮮で前向きになれる自分に加奈子自身、気分がよかった。別れて後悔の時間を送るより、微かだが健三という希望を手に入れたいためにチャレンジしている自分が愛しかった。
 どこかで、太陽の下で汗を流しながら働いてみたいという願望があったのかもしれない。シャネルやヴィトンを着飾るよりも楽しい気がした。多分、それは知らない世界だからだろう。耳のピアスをジーンズのポケットに入れた。




 


 美香は一博のモールに出店しているお店で手伝っていた。
加奈子に代わる経理とお店の管理をする新人さんという立場であった。スタッフは社長である一博が奥さんである加奈子と別れたのは知っていたが、まさか新しく入ってきた美香がその後釜とは知らなかった。

 部屋は健三の家を出た日にアパートを借りた。
一博がいろいろ手伝ってくれ、引っ越しは1日で簡単に終わった。部屋の家財道具も簡単ながら1日で揃った。落ち着かない部屋で寂しさに襲われると一博に電話した。
 一博自身、自宅にいる意味もなかった。いきなり美香を自宅に住まわせることも出来たが近所の手前、噂が気になる。すぐのすぐでは体裁が悪いのだ。
美香も一博の自宅に行くことは遠慮した。
 一博はさっそく自宅に戻らず美香の部屋で過ごすようになった。
当分は自宅と美香の部屋を往復する通い夫をすることにした。また、その方がよかった。四六時中そばにいればお互い軋轢が出てくるのはわかっている。愛してると言っても覚めるのも早くなりそうな気がする。しばらくはこの状態を楽しみながらの付き合いの方がずっと愛を育めそうだった。

 そして美香も一博も口には出さなかったが、こそこそ隠れて不倫をしている最中は刺激があり燃え上がったものだが、晴れて二人っきりでなんの隠し事もなく付き合いだすと、実に恋愛も平凡なものだと気が付いた。
 愛が覚めるというわけではないが、何か刺激が足りなかった。心の満足感はあるのだが危険なドキドキ感が減ったのだ。
だから、お互い四六時中いることは避けた。
同じ仕事場でいることを回避して恋人気分を保とうとした。通い夫もおもしろい。
 とにかく愛し合ったものの、前回の結婚と同じく、せっかく出会ったのに色褪せたものにはしたくなかった。
 それは2度目3度目の間違いを犯さないという大人の勉強を経験したのだろう、より良い関係を保ちたいためにお互い努力するのは必要な事だと学んでいた。
美香も恋のゲームから卒業して大人の付き合いを、そしていずれ結婚をと考えていた。



 しかし、すんなり行く筈ないのが世の常である。
加奈子が健三の浮気で悩んでいたのは知っていたが、それは一博の寂しさの裏返しだと美香は思いこんでいた。
 実際一博は美香の前で寂しいから誰かを探すんだと言っていた。そして、最近はずっと浮気はしていなくて一人なんだという事も言っていた。一博の寂しさを癒してあげれば浮気はもうしないものだと思い込んでいた。

 浮気な男には2種類の人種がいる。
一博が言ったように寂しさが辛くて誰かに埋めてもらいたいタイプ。
もうひとつは女を口説くことに生きがいを感じるタイプだ。
征服欲というのであろうか、女の心も体も自分の虜にしたいという自惚れと自己顕示欲を表に出したいのだ。
そういう男は口説くためには何でもする。嘘もつく。
一博は残念ながら後者のタイプだった。

美香というターゲットを落とし込んでからは、どこかしら愛に翳りが見えていた。
しかし、今まで自分の港であった加奈子がいなくなった今、今度は美香を母港に乗り換えたのだ。
 一人じゃ寂しすぎるのは嘘じゃない。
いつでもそばに女がいないとダメなのだ。だから、冷たい加奈子より愛してくれる今度の美香は居心地がいい。安心した母港があれば遠くの漁にも出れるのだ。
そして通い婚は一博にとっては都合がよかった。

 もうすでに飽きたというわけじゃない。美香とは幸せに暮らしたいとは考えている。女はこれきりだとも考えている。
 しかし、しかし狩猟本能のような女性を口説く虫が疼くのだ。
 一博自身良くないこととはわかっているが、街行く好みの女性が現れれば声をかけたくなるのだ。
それに実は、すでに美香に嘘をついていた。
誰もいないでなく他にも遊ぶ女がいたのだ。
たまにしか合わないが体の関係は続いていた。美香には言えなかった。
好きな美香を手に入れるためには嘘を言うしかなかったからだ。

 一博は嘘をついても、なんでも手に入れたいタイプなのだ。
加奈子はそれを分かっていたから暮らしていけなかったんだろう。
しかし一博からすると「好きな女は一人に決めなければならない」という概念は持ち合わせていない。「好きなら好きになっていいじゃないか」という一般人とは違う奔放な性格を自分で良しとしていた。
「好きになったらしょうがない」が信条でもあり、悪い癖だった。

 一博の携帯電話が鳴った。たまにしか会わない彼女「久美」からだった。

「私ぃ〜くみぃ〜・・・。久しぶり〜どうしてる?カズ‥ねぇ〜会わない」
「お〜久美か、なんだ久しぶりだな。ホテルのお誘いか」
「だって、最近会ってないんだもん。遊ぼうよ」
 久美はカーショップで知り合った一博より若い女だ。
1年前から時々ホテルに行っている。フレンチキスがうまい彼女は結婚してるが、遊びと割り切った関係で割と長く続いていた。いい女だった。

「う〜ん、どうしようか・・・最近、俺、新しい彼女が出来たんだ・・・」
「カズはいつだって女はいるじゃない。構わないよ。遊ぼうよ、ねぇ〜」
「う〜ん、ちょっと今はなぁ〜・・・・忙しいかな〜」
「あら、珍しい。いつもは飛んでくるくせに。新しい彼女と毎晩やってる訳?」
「・・・・品がないなぁ〜お前は。やってないよ」
一博はこういう品のない女も嫌いでない。笑いながら受け答えた。
「じゃ〜さ会おうよ。ねっお願い。しなくてもいいから・・・」
「酒でも飲むか・・・ほらあそこのバー、『銀河』あそこで待っててくれ」
「何時?」
「う〜ん10時にするか」
「オッケ〜」久美の電話はあっさり切れた。

 一博は美香に仕事があると言って「今日は自宅に帰る」とすまなさそうに嘘の電話をかけた。

「銀河」は細い路地裏にある小さなバーだ。
カウンターの席は8席ぐらいと小さなテーブル席が一つあるだけの隠れ家のような店だ。 一博はこのバーをホームタウンにしていた。
 ひげを蓄えたマスターは一博と似て、いかにも女好きの顔をしている。実際、深夜に来た酔った女に何度も手を出していた。
 常連の一博はこの店がお気に入りだった。とっかえひっかえ新しい女を連れてきても、同じ穴のムジナであるマスターは上手に盛り立ててくれるのだ。
 いくつになっても男は女好きだというのが、ここに集まる男たちの友情の証のようなものだった。
 たばこの煙とウイスキーとビール、暗い照明の中でこそこそ話し合う男たちは、いまだにやんちゃな少年達だった。

 カラカラーンとカウベルをつけた入り口のドアの音がする。
カウンターにいた一博とマスターは入ってきた客を見る。
マスターの彼女の香織だった。相変わらずナイスバディな姿だ。腰も乳もでかい。
最近はベリーダンスにはまってるらしく、時々酔っては客の前で踊って見せる。
そのたびにマスターは「やめろよ」と言うのだが香織は自分の踊りに自分で陶酔して聞かない。仕方なく客たちへのサービスとして彼女のエッチな踊りを披露するしかなかった。マスターは苦笑いして内心はどうなのだか・・・。

「こんばんは〜、あらカズじゃない、最近見なかったわね〜」
「よそで恋愛していた」一博は手をあげて挨拶の代わりに言った。
「ここじゃ、ばれるから?」
「そういうこと」1杯目の酒を飲み、おかわりをマスターに催促する。
「で、どうなったの?」香織は一博と同じ酒を注文しながら聞いた。
「一緒に住むことにした」
「え〜〜っ、珍しく電光石火じゃない」
面白そうだと香織は身を乗り出し煙草に火をつけた。
「で、で、どうなのよ・・・どんな人?」
「同級生で、人の妻だった」ここに来たらなんでも聞かれるのは覚悟していた。
「うっそ〜〜。略奪?・・・一博らしい。でも結婚してたんじゃなかったっけ」
「そのせいで別れた・・」
「ばれたの?」
「うちの嫁も同級生だったんだ。それから彼女の旦那も同級生・・・」一博が照れる。
「うわぁ〜、入り乱れてんじゃん・・・おもしろ〜〜い」
笑う香織の胸の谷間が揺れる。


 カラカラ〜ン、次のベルは一博が呼んだ久美だった。
久美も香織に負けず劣らずいやらしい格好をしている。
久しぶりなのだからか、ここのところ美香を見ていたせいなのか、どこかのキャバレーの女のような格好に見えた。ここに集まる男も男だが女も女だ。
きっと美香が見たら驚くに違いない。
「ひさし〜・・・カズ〜元気だった?」
「ああ」
「なんだか元気すぎて凄いことになってるようよ」香織が言った。
 久美も香織もよく知ってる客同士だった。
もともと久美はここで知り合ったのだが、一博と久美の関係はマスターも香織も常連も知っていた。ここでは隠し事は出来ない。なんでもオープンだ。
 香織は久美に今まで一博が言ったことを手短に説明した。

「うっそ〜〜、それって近親相姦?」久美が大きな声で馬鹿な事を言う。
「まあ、似たようなもんだ」一博は自分の煙草に火をつけた。
自嘲気味に笑うしかない事実だから。
いつものように一博は自分の事をネタに面白おかしく言う。
性格的に寂しい人間はなんでも喋りたがる。心を開くことで相手の心も開いてほしいのだ。一博の口がうまいのは寂しさから生まれる処世術だった。そして、すぐ治せるものじゃなかった。
 男の生き方は健三のように無口で男らしく寡黙に生きる男と、一博のように陽気に喋ることで生きてゆく男と、なんにもしなくて愚痴を言う男のタイプもある。
どの生き方がいいのかは本人が決めるしかない。そして正解はない。

 久美は一博の隣に座りにじり寄ってきた。
右手を一博の二の腕に絡ませている。
一博は別に美香が出来たからといって腕をほどくような無粋な男でない。
それに乗じてお尻を触るという尻軽な男でもない。
久美がしたいようにさせてるだけだ。来るもの拒まずなのだ。
「ねえ、カズ、そんな事いいから、どっか行こうよ」久美のおねだりが始まった。
「う〜〜ん、今日は飲むだけ・・・さっ、飲もう」
「え〜、良心が痛むわけ。その美香さんていう人に・・・?」
「まっ、そんな所だ。久美・・・浮気はいけないぞ」
一博は笑いながら久美をあしらう。
「え〜〜っ、今まで散々遊んだくせに・・・いいなぁ〜、私も誰かいないかな」

 マスターはグラスを拭きながら一博と久美のやり取りを見て笑っていた。
 男と女の肉体関係が神聖なもので、愛する人以外には寝てはいけないという考え方は常識的だ。
しかし常識に縛られて生きるほど暑苦しいことはない。
自分で自分の制約の中に生きればいい。
新しい好きな女が出来て、その女の為に今までの行為はやめる。
やめたいと思ったからやめる。
それでたとえば美香を泣かせないことになるのなら、いくらか美香を愛しているんだろう。一博は久美と寝たいと思う事より美香を泣かせたくないという行動をとっただけだ。少しはまた大人になったのかもしれない。
 
 しかし、久美以外にも実は、そんな関係の女が何人かいた。
しばらくは断りを続けなければならないようだ。
一博は久美の胸が左手に触れるのを感じながら、グラスの氷を回してボォーと先の事を考えた。





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