20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:カローン・シリーズ 作者:芹沢 忍

第1回   TYPET 残った想い
 現場は騒然としていた。赤いランプが目に痛い。詰めかける野次馬の群れ。慌ただしく張られる立入禁止のテープ。人死《ひとじに》の現場はいつも忙しない。いい加減見慣れた景色に一瞥をくれ、陣内は手袋をしながら事件現場へと足を踏み入れた。
 広がる血溜まりとしゃがみ込んで動かない男が一人。その手や衣服は血で染まり、男が犯人であるのを主張しているように見えた。
 死者は女性だということだから、多分痴情の縺れの末での犯行だろう。そう当たりを付けた陣内は、犯人らしき男の傍にいる部下へと歩み寄った。
 移動している間も陣内は男を見ていた。何処となく違和感を感じる。それが引っかかる。
 陣内に気付いた部下が、複雑な表情で見上げてきた。付き合いの長い部下だが、このような表情は珍しい。
「どうした」
 声を掛けてやると部下の表情が緩み、安堵するように息を吐いた。
「始めは錯乱しているからおかしいのかと思ったのですが――」
 そこまで言ってから部下は血に染まった男の肩を軽く叩いた。男が俯いていた顔を叩かれた肩の方へ向けると、場違いな笑顔を浮かべて言った。
「ああ、ごめん。考えごとをしてたんだ。君が心配するようなことじゃないから安心して」
 突飛な言動に陣内も驚く。それから次に部下が言った言葉にも戸惑った。
「もう、同じことをこれで五回も繰り返しています。再生装置のように、全く同じ動作と台詞です。逃げる様子も全くありませんし、こちらが何かしないと反応すらしません」 
 殺人現場に不自然なことは良くあるが、これは明らかにおかし過ぎる。陣内は呻いた。
「何かこの男の手がかりは無いのか」
「被害者と一緒に写っている写真があります」
 デジタル写真立てを操作していた部下が声をあげる。その部下の表情には困惑が浮かんでいた。
「その男性は被害者のご主人のようですが――」
 語尾が濁る。部下は写真立てを陣内へと差し出した。陣内が写真と男を見比べている間にも報告は続いていた。
「先程被害者の家族構成を調べましたが、ご主人は半年以上前に亡くなっています」
 陣内が弾かれたように部下を見やる。
「被害者の職業は何だ」
「ロボット工学博士です。ご主人は人工海馬の開発スタッフだったようです」
 陣内は改めて男を観察するように見た。先程感じた違和感。頻繁に接している違和感だというのは解かっていた。陣内は自分の感覚を探り、ふと一つの解を得る。

――死体に接した感覚に似ているのだ。

 生きているものには常に僅かながら動きがある。しかし、生命活動を停止したものは微動だにしない。目の前の男に感じる気配は、丁度、死体に対面した際に感じる感覚に等しかった。
「こいつはロボットなのか」
 陣内は深く溜息をつき、参ったと呟いた。すると男が陣内を見上げ言った。
「どうしたの。僕でよければ話を聞くよ」
 心配げな表情とその言葉に、陣内は苦笑するしかなかった。
「証拠品として持ち帰るしかない」
「ロボットって証拠は無いですよ。頭が逝っちゃってるだけかもしれないですし。一応手錠《わっぱ》をかけて護送しますか」
 反応と違和感。それから自分の直感を合わせれば、目の前にいるのは人ではない。人に酷似した何かだ。だが、血を浴びている男を見たら、野次馬共は騒ぎ立てるに違いない。
「そうだな。その方が面倒が無い」
 妥当な判断だろう。マスコミに手錠を掛けないなんて不手際だと嬲られれば、上からも叩かれる。そんなリスクを負いたくはない。
「服も血まみれだしな。取り敢えず、服を何とかしてから手錠かけて車に持ってけ。それから現場をもう一度調べる」
 言う通りに部下達が行動を開始したのを確認すると、陣内は血溜まりを見下ろした。
 うっかり踏み込んだ靴の裏に、ガムが粘り付くような粘った感触。固まり始めて粘度を増した血はかなりの量で、女性は救急車が来る前に失血死をしていただろうことが伺えた。
 陣内は無精鬚に覆われた顎に手を当てる。思案する時の癖だ。頭の中には何故ロボットが助けを呼ばなかったのかという思いが渦巻いていた。
 人の役に立つ道具。陣内の中にあるロボットの定義だ。人を殺すなんてことは無いだろう。それが何故主人を放ったらかしで死なせたのだろうか。陣内にはロボットに欠陥があったとしか思えなかった。
「解らねぇなぁ」
 ガシガシと頭を掻き、陣内はそう呟きながら室内を歩き回る。すると靴先に何かが当たるのを感じた。怪訝に思い目をやると文庫サイズの上製本のようだ。
 拾い上げて何気なくページをめくる。目に入ったのは手書きの文字だった。日記らしい。線は細いが女性にしては硬い印象がする筆跡は、日記の主が研究畑の人間だからだろうか。陣内は、先程、写真立てを自分に手渡した部下を呼び付けた。
「手がかりになりそうだ。先に戻ってお前が読んでおけ」
 そう言って日記を手渡す。部下は思いきり嫌そうな顔をすると、密閉袋に日記を入れて封をした。
「こういうのって、何だか覗き見するみたいで嫌なんですよね」
 部下はブツブツ文句を言いながら陣内に背を向ける。そんな部下に陣内が後ろから首に腕を回し締め上げた。
「事件を調べるのに覗きも何もないだろうがっ」
 部下が陣内の腕を叩き降参の意思表示をしてから、ようやく腕を緩めてやる。解放された部下が息を乱しながら不平を伸べた。
「マジで落ちるかと思った」
 涙目の部下を尻目に陣内は現場検証を再開した。


 陣内が残りの現場検証を手早く済ませ、清掃業者を手配してから署に戻ると、早速戻っていた部下が駆け寄って来た。
「やはり現場にいたのはロボットでした」
 部下が付箋を立てた場所を示す。三か月程前の日付で、起動時の事が綴られているようだ。
 夫が残した人工海馬を移植したこと。ロボットが初めて発した言葉と彼女に見せた笑顔。死んだ夫の姿を移したロボットが動いた時の気持ちが細かく綴られている。ロボットの記録なのか、亡夫である本人に対する気持ちなのか、時折混乱が生じており、不安定な状態が見て取れる。そのどこか壊れたような心の動きに、陣内は嫌な予感を抱いた。
「新婚だったようですね。独り身の自分にはちょっと辛いというか、寂しい気分になるというか――」
「お前の気持ちはどうでもいい」
 陣内が無下に言うと、部下は愚痴聞きをして欲しかったらしく、ぶつぶつと抗議の意を示した。それを小突いて先を急かす。
「ロボットの名前が判りましたよ。ここを見て下さい」
 示されたページ以外にも、日記には、多くの付箋が立てられていた。愚痴を言いたくなるくらい、しっかり仕事をしていたようである。事件が片付いたら飲み屋で労ってやろうと陣内は密かに思った。
 開かれたページには確かに名前が書かれている。それを目にし、昔聞いた物語を思い出した。不吉さに舌打ちをする。
 
――カローンと命名した。ギリシア神話に出てくる冥府の川の渡し守。役割はほとんど同じだろうと思うから。最も相応しい名前のはず――

 生者の世界から死者の世界へとロボットが導く。陣内が思い当ったことを言葉にした。
「自分を殺させるために作ったということなのか」
 もしそうであれば、ロボットが殺人を犯したことは確定する。その場合、扱いは自殺ということになるのだろうか。色々と物議を醸しそうであり、顔が強ばる。
「いいえ。これが書かれた日付は、ご主人がまだ生きていた頃のものです」
 示されたのは一年程前の日付である。
「開発に携わっていたロボットか」
「元々はそうみたいです。本来の用途に関しては発展的な事が書かれていますよ」
 部下は次のページをめくった。覗き込んで付箋の箇所を確認する。

――突然大切な人を失った時、その途方もない喪失感を埋める役に立つ。姿は生前の人物そのままに。記憶はバックアップしたデータを移植する。但し問題点も大きい。亡くした者そのままであれば、亡くなった者の死を非現実だと認識しかねない――

「死者の代替え品か。危ういな」
 問題点の提示もある。具体的な用途が、これを読んだだけでは、まだ、はっきりとは判らない。
「ご主人との共同開発はどうやら医療目的のロボットだったようです」
 部下が次の付箋ヶ所を開く。命名よりも前の日付。企画時の覚え書きのようだ。

――近親者を喪失した際、その喪失感により精神に異常を生じた患者の症状を緩和する為にロボットを用いる。昨今の人々の心身の弱さを考慮すると、今後必ず需要が増えると考えられる――

 どうやらカローンというロボットは、かなり特殊な用途に使う為に開発されたということは判った。しかし、まだ事件に関係性を見い出せない。陣内は腕を組み眉を顰めた。
「あの現場の奴は何であそこにいたんだ。開発中のロボットが自宅に、しかも死んだ旦那の姿ってのは解せないな」
 待ってましたとばかりに部下が日記をめくる。
「ご主人が亡くなった時のものです」

――信じられない、信じられない、信じたくない――

 その後は暫く白紙が続く。次に書かれているのは一番初めに見せられた起動時の日記だ。
「彼女は開発していたロボットを自分の為に用いたようです。研究室にはこの日を境に顔を出していません」
 部下より日付が入った書類を一枚手渡される。何かの購入リストのようだが、特殊なものが多いらしく、陣内には八割方用途が判らない。
「彼女の所属する研究室に確認してもらいました。ロボットの部品です。いやぁ、研究室だけあって不夜城ですね」
 最後の感想は無視して陣内は考え込んだ。
「自宅で作ったのか」
 悲しみのあまり病んでいく一人の女性の姿が、脳裏に浮かんでいた。起動時の日記が病んだ様子を物語る。
「ここ見て下さいよ」
 そうして指差されたページには、冷静な視点での記録が書かれていた。昨日の日付だ。
 人工海馬に記録された記憶に、ロボットがどうのように反応しているか、生前の夫との比較が記されている。記録にある類似行動には反応するが、記録に無い行動には反応しない。現状ではロボットに学習機能を持たせていないため、動きにはかなり不自然な部分が多い等、細かい記述が数ページに渡り書き連ねてあった。文章の端々に失望感が透けて見える。ページをめくると、一緒に覗き込んでいた部下が言った。
「これが今日の日記です」
 部下が暗い顔で再び日記に目を落とした。

――短期の記憶蓄積では引出しが少なすぎる。姿形を移しても、行動には違和感を伴う。本人には程遠い。もう彼は戻らないのだと痛感する日々はもう嫌――

「絶望したんでしょうね。それでも自分を被験者と見て、研究成果は残したかった。それが昨日の日記でしょう」
 部下が呟いた。陣内はそのまま日記を読み進める。

――もし、自分に何かあったら、この擬似物はどういう反応を示すだろうか。目の前で動脈を切ったなら、人を呼べるだろうか。移植した人工海馬の蓄積だけでは助けを呼ぶなんて行動は引き出せないと思う。でも、少し望みをかけてみたい。もし私が助かったら、彼の一部は生きていると信じられる――

 彼女が求めたものは夫の偽物では無かったのだ。自分を愛し、自分の為に全力を尽くす。記録だけで行動するモノではなく、自発的に自分に接する何かだ。陳腐な言葉だとは思うが、彼女は夫の心を欲したのかもしれないと、陣内は思い、静かに目を閉じた。
「自殺か」
 部下が頷く。多分、お互いに同じような遣り切れなさを抱いているだろう。
「彼女を調べた検死官から連絡がありました。腕の動脈を切っていました。傷の位置や角度から、自分で付けた傷だと判断されました。失血し、意識を失うまでにはやや時間がかかる部分です」
 黙るしかなかった。夫の顔をしたロボットに見つめられながら、彼女は眠りに就いた。ロボットは彼女が意識を失うまで、どのような事をしたのだろうか。自分を救わない物体。どんな気持ちで彼女はロボットを見つめたのか、それは誰にも判らない。
「遣り切れない感が強いですね。マスコミも喜んで書き立てそうですし」
 部下が深々と溜息を吐いた。陣内も同様だった。解決は速かったが、何とも後味の悪い事件だ。だが、まだ終了したわけではない。
「――俺は仏さんのところに行ってくるわ。報告書、頼むぞ」
 部下の肩を叩き、書類仕事をさり気無く押しつける。
「え、ちょっと、陣内さん?!」
 背後で騒ぐ部下に、ヒラヒラと手を振り、陣内は遺体が搬送された医療機関へと向かった。


 対面する女性は清められ、霊安室へと移されていた。CTと外傷確認のみだったため、亡骸は生前と殆ど変わりが無く、綺麗なものだろう。
 お焼香を済ませ、被された白布を外すと、予想とは異なった表情が現われた。絶望しきった暗い表情で亡くなったのだろうと思っていたのだが、全く反対に満ち足りたような幸福そうな表情だったのだ。
 自分の命を掛けてまで死者が執着したものは何だったのか。陣内がこうした事件の度に思うことではあったが、今回に関しては尚更それが強い。
――少し望みをかけてみたい――
 彼女はロボットに助けて貰いたかったのか。それとも死んだ夫の元に逝きたかったのか。
 眠っている表情からは、どちらであるのかは伺えない。
「どうしてくれるんだ。マスコミが大喜びする事件じゃないか。あんたのおかげで、これからの対応が大変だ」
 報告とも投げやりとも取れる口調で死者に愚痴ると、陣内は霊安室を後にした。
 外に出ると夜の空気が冷やりと肌を刺した。頭が冷気で一瞬にしてクリアになる。
 彼女の死に顔を思い起こしながら、陣内は煙草を咥え火を点けた。深く吸い込むとその感覚に陶酔する。吐き出した紫煙が弱風に静かにたなびく。

 もしかしたら彼女にも解らなかったのかもしれない。

 薄れ消えて行く紫煙を眺めながら、ふと、そんなことを星空の下で感じた。案外それが真実かもしれないと思い、陣内は署に戻るため、車に乗り込んだ。


次の回 → ■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 1041