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作品名:交差 作者:涸井一京

最終回   1
 夕方まで時間がある。電気の力によって明るい工場内。牛乳瓶の底の様なレンズの眼鏡の男が作業の手を止める。作業場所から一番近い窓からは、空が見えない。が、空の様子は容易に想像できる。限界まで太った雨雲が、水を漏らさぬ可能性は無い。帰るまでには底が抜ける。帰る頃かもしれない。
 早いところ、降り出せよ。土砂降り希望だ。水分が空になるまで一気に降れ。そして俺が屋外に出る時刻に止め。俺に起こる幸運なんて、その程度のものだろう。だからせめてくれよ。幸運を。今日に。
 何度目かの解雇。いや、雇い止めと言うのか。慣れて、図太くなったのか、前向きなのか。自由な時間が楽しみである。しかし今はまだ失業していない。実際そうなると、不安が襲って来るのだ。永久にこのままという可能性もある。行くべき所は職業安定所しかない。情けない気分になる。早くこの状態から抜け出したいと思ってしまう。ぶらぶらと遊んでいられる身分。この状態が永遠に続けばいいとも思う。永遠に続くのなら。
 次が決まれば、もっとこの自由な時間を楽しめば良かったと後悔するはずだ。不安と怠惰の綱引きの結果、不安が勝つのだろう。そして次もまた、働くべき年齢より早く終わりが来る。

 元暴走族の男と、牛乳瓶の底眼鏡。暴走族は、速度超過と法規無視の結果を世間に知らせる役目を果たす。大通りでも法廷速度を守る牛乳瓶の底眼鏡は、その危険な走行で、微々たる速度違反を気にする小市民を安心させる。
 二人が思い描いた通りの人生を歩んでいれば、その道は交わる事は無かった。無論、暴走族に描いた将来など、あるはずもないのだが。学生時代、暴走族は、この男をいじめることはあっても、仲良く話す事など考えられない。階級が違うのだ。そして社会人となると、逆転して地位が違うはずなのだが。
 薄暗い工場の休憩室。暴走族は、学生時代なら、本来ならと考える余裕もなく、すがるように話しかける。元来気が弱い。心細くなる。全く通用しない工場の仕事。自信を失い、虚勢を張る気力もない。眼鏡は、同じく仕事ができない同類と思われている。
「あんた等はいつクビになるの」
 が、意外にも牛乳瓶の底は、気が強く、うまく渡っていた。ただ非正規のため、仕事がなくなって使い捨て。退職までの残りの数日を、ほんの少し仕事のある、この部署に同僚と二人送られた。応援という名目だ。暴走族はほんの少し先輩。
 中学で出会っていたなら、いじめたであろう、もう一つの道を想像して仕返ししようとは思わない。休憩時間の邪魔とも思わない。変に友情を感じた。優位を感じたせいだ。
「来週の木曜日」
「中途半端だなぁ」
「締め日から有給を逆算して」
「ああ、なるほど。まだ有給が残ってるのか」
 眼鏡は、先の事を、次々と想像できる。危機に対処した。いつクビになってもいいように、計画的に消化していた。一ヶ月程度、前もって告げられると踏んでいた。ギリギリだが、消化し切れる。残す義理の無い非正規。
「あんたは」
 眼鏡の同僚の、漫画好きの小太りは答える。
「俺は締め日まで。結構休んだし」
「だるいよね」
 雨が降ったら、休む。そんな事はしていない。お前とは違う。眼鏡は心の中でつぶやく。偉いのではない。二人は何事も習慣になる。ここに来る事も習慣になった。ただそれだけだ。
 暴走族は、有給休暇を使い切るほど、いや、それ以上に仕事をしたくない日がある。天気が良いと、どこかに出かけたくなり、雨が降ると、外に出たくなくなる。それは自然だ。曜日に囚われる方が生物として不自然だ。
「まあ、とにかく最後まで一人にならずにすみそうだ」暴走族は独りごちた。

 眼鏡は、残りの日々を指折り数えて待つ必要は無い。ここの仕事は、そんなに苦痛ではない。終わりまで、いつもと変わらぬ日常を送る。小さな終わりをいくつか経験して、人生最大の終わりに備えるのだろう。
 「今日、発売日だ。買いに行かねば」と小太り。
「いつも週刊誌で読んでるやつでしょ。単行本でも読むんですね」
「いや、読まないよ。集めて、並べるだけ。何冊、週刊誌を読んでると思ってるの。時間無いよ」
 小太りは、遊ぶのに義務を果たしたと言い訳がいる。そろそろ休んで良いと、自分の中でお許しが出る。その頃、読むべきものも溜まっている。うまく計算され、有給休暇は消化される。そして、他人に非難される事なく、人生を楽しむ。
 眼鏡はと言えば、映画鑑賞が趣味だ。いや、聞かれれば、そう答えるだけだ。
 子供の頃、短波ラジオ、ステレオ、カメラ、鉄道模型、ラジコン、色々憧れた。全ては、雑誌と入門書で見ただけだ。あれこれ想像を膨らませた。それらに囲まれ、操作し楽しむ自分を想像した。それだけだ。しかし、哀しくはない。今、それらの古本を目にしても、あの頃の楽しい時間が蘇る。
 映画は違う。何本も見た。見ている、この時間に永遠浸っていたいという感情。何か仕出かさなければという衝動が確かにあった。それらの回数は年々減り、今はもう無い。いつからかは不明だ。見終わったら、達成感がある。何本見た、なんていう価値観が過去にあったせいだ。しかし今、その過程は楽しくないどころか苦痛でしかない。これをなくすと、何もかも失うので、無理矢理見る。こんな時間の潰し方は、現役暴走族より不健全だ。
 有給休暇の消化は、会社に対して復讐する気分にはなる。が、自由な時間を楽しめる訳ではない。小太りの様に漫画三昧で楽しめる事はない。
 軽蔑と羨ましさが混じり、二人に友情を感じた眼鏡は、この時間が永遠に続いても良いと感じた。
 しかし、まあ数日の付き合いだ。それが良いのかもしれない。

 休日が来た。眼鏡は困る。やりたい事が無い。もうすぐ毎日が休日になるため、休日の価値は著しく落ちた。普通休日というものは、平日に出来ない事をやるものだが、平日に出来ない事が無い。
 そう言えば、プラモデルは作ったな。あまり上手ではなかったし、いい思い出ではないが。でも買うのは、いや選ぶのは楽しかったな。あの店はまだあるのか。今の日常にはない道にある模型屋。どうせ暇だし行ってみるか、という気分ではない。ようよう見つけたやる事だ。
 すっかり変わった道を歩く。捜し物は、あっさり見つかる。少しは迷いたかったのだが。
 歩道の街路樹に自転車が止めてある。懐かしい風景だ。以前は何台も止まり、歩行者の邪魔をしていた。一台だけのそれは、数十年前の子供用だ。ボロなんてものではない。これに乗るのは、勇気ではなく無謀だ。
 模型屋は何も変わっていない。陳列棚には、主人が作った、帆船、戦車、スポーツカーがそのままだ。時が止まっている。いや、改造車の模型がある。眼鏡が中学生の時、流行りだしたものだ。あの後、あのおじさんは亡くなっなのだ、と悟った。もし息子がいて、店を継いでいたのなら、更新されているはずだ。おそらく、おばさんが継いでいる。もうおばあちゃんだろうが。模型に興味は無いが、旦那の残した店は残したかった。いや、ただ食うためかもしれない。いまだに続いているのは、死ぬまで働こうと思ったから。
 二台目の迷惑駐輪を作り、戸を開ける。届かない高さの模型の壁。一番上の数万円の模型。人がすれ違う事も出来ない、一人しか通れない通路。模型屋はこうでなくてはならない。
 店の奥は住居居間である。靴は脱がず腰掛けている小太りの中年男が、さっきの自転車の持ち主だろう。
 おばあさんと親しげに話す。最近の大型店に馴染めない元少年の願いを叶えている。量販店に売ってない逸品を仕入れる術は客から教わる。客と持ちつ持たれつの関係。小太りは、ずっとこれが楽しくて続けたのか。他にやる事、または出来る事が無かっただけなのか。
 俺は客でなく、異物の様な存在。模型好きの空気を出しつつ去る。
 奴は、免許を取る前は、思いを馳せて模型を改造し、免許を取れば、本物の車を改造した。ここに連れてくると、金銭面、時間的に出来なかった無念を晴らすため、再び模型を改造するのかもしれない。

 休憩室で、元暴走族はボソボソ何か言った。眼鏡は、休日の話をする機会を逃した。
「今朝、早いつもりが、着いたら、一分前だった」無言で頷く。
「ぞっとしたよ」
「まあ、あるよね」
「で、どこで時間がかかったのか考えたんだ」
 遅刻を気にするのだ、と漠然と思った。
「信号待ちが重なったくらいしか思いつかないのだよ。昔なら、守らなかった。あれ待つと結構時間食うよね」くわえ煙草がカッコ良い時代は去った。我々に対し、悪ぶる必要は無い。上位を取る必要は無い。聞いていられる。
「信号待ちはイライラした方が良いな。でもしなかったおかげで、安全運転、事故もなかった。遅刻もしなかったし、まっ、いいかって感じだ」
 人は、物を語る。聞いてる方は、本人と違い些細な事。でも、うんうんと聞く。これが友情だ。全ての物語は他人の人生の覗き見だ。総じて覗き見は楽しいものだが、興味の無い物も少なくない。
 暴走族は仕事中は優越感をくれる。一足先に眼鏡は消える。もめるほど深い付き合いは無い。いやこの数日の付き合いだけで、一生の付き合いになるのかもしれない。弱味を握りあったのだから。いや見せ合ったのか。眼鏡とて、こんな所で働いているのを知られたくない。
 新旧同僚と連絡先の交換はしない。旧には断られた。縁があれば、何処かで会う。それが理由だ。小太りにとっては、二人はここ限定の付き合い。将来、今の期間は消したい過去となる。その場所での知り合いは、切り捨てるべきなのだ。
 新には求めていない。厄介事に巻き込まれるかもしれない。いい奴と認識していても。金に困る事もあるだろうし、こちらの予想もしない事もあるだろう。世間は冷徹だ。綺麗な思い出と共に消える。  
 暴走族は、不器用で盗みは上手でない。それより意外に悪に染まらない。年寄りを騙そうという仲間の誘いを断った。うまい話に乗らない利口さがある。裏切り者と罵られた。 
 生涯、無職、無収入で生きて行けるわけもないのは理解していた。ここの求人広告を目にした時、何となく戻れる最後の機会だと感じた。
 奴は、定職につきさえすれば、あらゆる問題が解決すると思っていた。それは始まりに過ぎないと知るのに時間はかからなかった。それでも何とかなったと感じていたが、評価は厳しかった。学生時代なら真っ当に生きると決意しただけで、教師や親から褒められた。実社会は結果を出す必要がある。苦労して手に入れた職。こんな目に合うくらいなら、いっそ、とも思う。
 再就職する自分の姿を、想像すら出来ない。知った後の方が無知より悪い。根拠の無い自信は、根拠のある劣等感に変わった。死の恐怖さえ感じ、深刻に悩み、恐れる。
 眼鏡は、それについて助言しない。危機感は良い事だと考える。良いバネとなる。
 眼鏡自身は、底辺くらいなら、またあると考える。落ちようがないし、気楽。あわよくば正社員、なんて事も考える。そんなのが夢として成立しうる世界にいる。
  
 最後の出勤日、二人はいなかった。挨拶らしきものも考えてはいたが、無駄になった。小太りは風邪気味ではあった。事務所に連絡しただろうが、事務所から非正規に連絡は無い。小太りの連絡先は知らないし、本当のところは不明だ。あるいは嫌われていたのか。無理をして、会いに来る人間でない事は確かだが。
 暴走族は、同類が減る事に耐えられなかったのか。逃げたのかもしれない。連絡先を教えなかったので、もう必要の無い人間と切られただけかもしれない。
 大した感慨も無いまま一日が過ぎる。帰りのいつもの挨拶に、「お世話になりました」とだけ付け加えた。


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