近年、新聞を熟読するようになった。それがしたいわけでなく、やれることがこれぐらいしかない。桜便りを毎日熱心に見る。蕾に希望を持つ。心が弾み、期待に胸を膨らませる。これから咲くという期間は良い。満開を告げる便りは、 自分だけが最善の時を知っているという気になり、優越感を覚える。誰かに教えると、ひどく感謝される。その妄想世界から抜け出さない方が良いように思える。自分も見に行きたいけれど、行けそうにない。行こうと思えば行ける学生時代には、全く興味がなかった。花など時期が来れば咲くのが当たり前。何を大騒ぎしているのかと、冷めた視線を送っていた。できなくなると、自分も行きたいと思うようになった。散り初めに切ない気分になる。今年も行けなかった。また手遅れだ。毎年、これを繰り返す。
人との接触が極力少ない工場で、機械相手に仕事をしたいという希望。運転免許を持ってないので自転車で通える範囲。初心者歓迎。誰にでもできる簡単な仕事。募集の年齢を見て、まだ大丈夫と安心する。ここはもうだめだと分かっても、他があると言い聞かせる。 と、求人広告から工場自体が消えてしまった。焦る。この焦りが良かった。 次の週、完全に合うところを見つけてしまった。逃げられないと悟った。条件以外に、親切丁寧な指導もついている。チラシの片隅にある社長の名前を目にした時、縁があると直感した。ここで働くのだと思った。応募する以外にない。 決死の思いで受話器に手をかけた。電話なので、顔も知らない者同士が話すだけなのに。名乗らず、いや名乗ったとしても、切ってしまえばそれきりなのに。 頭で理解していても、決死の思いだった。 電話に出たのは、予想に反し、年配の女性。若い女性と知り合えるなんて夢想していた。「新聞の折込み広告を見ました」と何度も言ったが、「何の雑誌」。何度も同じやり取りを繰り返した。次にいくつか雑誌名を具体的に挙げ出した。根負けした。最後に口にした名前について、「それです」と答えた。
その場所を目的に自転車を漕いでいたのに、看板にその会社名を認めると、絶望的な気分になった。まだどこかで逃げる気持ちがあったのだ。見つけられなかっただけと自分に言い訳ができる。 呼び鈴を押す。選択肢は他に無い。その場合比較的すんなり行動できる。親しい友人を招き入れるように、上がり框から手を伸ばして、中から扉を開け、男が顔を出した。三十くらいに見える。「はい」と一言、迎え入れた。中はまるっきりの民家だった。民家によくあるような応接室に通された。少し待つと、社長を名乗る六十くらいの男が出てきた。さっきの男が隣に座った。課長だと紹介した。若いのに立派とはならず、ままごとと簡単に見抜く。 面接が始まる。優位の立場を利用して、いじめを楽しんでる。ハキが無いだのケチをつけては優越感に浸っている。社長は課長に、な、そうだろうという感じでしきり同意を促す。課長もゴマすりに余念が無い。 何もかも見透かしてる大物気取りのつもりだが、目の前の相手は己等の想像も出来ない人生を歩んで来た。何しろ見ろ。面接に普段着だ。履歴書の写真も。 採用は難しい。そんなことをしきりに繰り返した。なのに、結婚はしているのかと聞いた。興味本位だと思ったが、雇う会社にも責任があると、まともなことを言い出す。 強い予感があったが、働くという直感は外れたようだ。それは単なる面接までの縁だった。 帰り道、一歩前進という満足感はあった。まあ、ぼちぼちだ。
返事をするという金曜日、電話が鳴る度ドキリとした。しかし違うだろうという予感があった。何度目かで、異なる予感があった。受話器を取る。予感通りの相手だった。そして結果は、予想に反していた。しかし動揺は無かった。上履きがいるという。いつから来られるかと聞かれ、月曜からと返事。一刻も早くと思う。それはただの就職ではない。社会復帰である。相手は戸惑う。そこで気付く。 一応家業を手伝っていることになっている。無職でない限り、前職の都合がある。履歴書の嘘がばれたと思った。しかし 相手は意外にもやる気があると取った。 至急買いに行く。最後の日、一日中、家にいられるように。 日曜日の朝、起きることはできなかった。というか、できるわけがないと思っていた。予定通り、昼に起きた。自分に期待はしない。親はどう思ってたか知らない。いつもと違うのは、夜、早くに寝床に就く事だ。 全く寝付けなかった。意味があったのか、なかったのか、それは分からない。まあ心構えだ。
次の日は早朝に起きる。 目覚めたのだから、知らぬ間に眠りについていたのだ。 職場の上司を紹介された。相手は 丁寧に挨拶した。何かおかしかった。目の前の人間は、まともな経歴を持つ人間ではない。とりあえず見学と言われた。できることでよかったと安心した。 外に出るに当たり、一つだけ楽しみというか、期待していたことがあった。それは、外で昼飯を食べる事だ。映画の主人公みたいに、とてもおしゃれな店か、うまいと評判のラーメン屋で。現実は厳しかった。上司にうまくて安い店があると定食屋に連れて行かれた。安くはない。そして美味しくもない。こんな店に 毎日、毎日金を払い続けるのかと思うとうんざりした。 午後より簡単な作業。上司の表情を読むと、全く期待にそえてない。しかし、きついことは言わない。いい人だ。自分としては日々をかわすだけ。 初日、入った情報が多すぎた。処理しきれずに、眠りにつけたのは、深夜二時だった。 社会の扉をこじ開けるのが、第一であった。中に入った後など想像できない。誰にでもできる簡単な仕事は入口には適している。が、誰にでもできる簡単な仕事は、実に退屈で嫌でも自分の位置を思い知る。続けるのは辛い。自分の社会的無能さを思い知る。 社長とままごと係長が深刻ぶった表情を作って話し合う。問題ある社員の処遇に困り、対策を考えているつもり。そういう話し合いが、自分たちの価値を高める仕事だと考える。元々社員に問題などない。昇給のない社員を求めるのが問題だ。常に安い新人が欲しい。何しろ誰にでもできる簡単な仕事だ。自分たちでは合理的だと本気で考えている。自分たちの利益のためなら、世間から大目に見てもらえると考える、おめでたい頭の持ち主なら、自覚がある分まだマシだ。自分達が得をするのだから、悪かろうはずがないと本気で考えている。 指示待ち人間を批判する人間は、指示ができない上司だ。問題は自らの足元にこそある。 機械相手だと人との関わりは、ほぼ無いと考えていたが、人間関係とは休憩時間にこそある。機械相手であろうが、客商売であろうが社会に出る以上、人との関わり合いを断つことができない。 求人に重きを置いていたが、これは所詮広告なのだ。給料は六十時間の残業代を含めた額。時々土曜日が休みになる週休二日制。完璧な教育とは、先輩のやっているのを見て盗む事。広告は誇大が普通である。求人広告も人を欺くためにある。 出勤。人並みだ。自分は何か特別な存在であると感じ、人並みであることを拒否していた。しかし、人並みになるのに大変な努力を要した。四苦八苦の末、ようやく到達したところが人並みだった。 朝日を見られる幸せをしみじみ味わう。照らし出される町。イチョウの輝く黄色の葉。これ以上の幸せはない。この世の中には。 美しいと感じた。なぜ今まで感じなかったのか、不思議なくらい。 そんなに不思議ではない。見られる状態の時は若すぎたし、それを感じる事のできる年代は、家から一歩も外に出ていない。
上司が残業できるか、一人一人の従業員に聞いて回っている。強制ではないと言う。俺は、その言葉を真に受けて断る。毎日、この時間が煩わしい。上司は上司で言いにくそうに、あれこれ回りくどくど説明する。「全然疲れてませんね」部下を働かすというより、けなして気分をすっきりさせたい模様。要するに、断らないのが当然だと。上司の俺に対する態度を見ると、非社会人であるにも関わらず、最低の社会人とみなされている 。望外である。求人広告の採用年齢の上限を見ながら、まだ大丈夫だと思っていたが、上の方は経験を積んでいるのが前提だと知った。 ただ嫌だからという理由で断ることはない。若いならともかく。 何日か通い、給料が出た。目的は、劣等感の払拭であり、金が入ることは全く想像できていなかった。何か不思議な気がした。それでも数字を見ると、絶望的な気分になる。自分の知識ではこの額はありえないぐらい低い。
仕事に慣れ、そこそこ当てにされるようになった。居心地の悪さは相変わらずだ。後ろ暗い過去のせいだ。 そして自分の金銭感覚がずれてる事に気付いた。定食屋の昼食は、あれでも外食であり、自分の収入では身分不相応である。月一回許される贅沢なのだ。毎日の昼食とは逐一感動するものではない。あの味で感動しなければならず、毎日の昼食はそれ以下でなくてはならない。そういう収入、身分なのだ。 ここの女性は、皆非正規だ。主婦であったり、若く未婚だったり。八時間働き、残業までする。税金がかからないように時間を調整する人もいる。「遅く来て、はよ帰る」。それは普通たが、自分は朝早く来ている。自尊心は他人を貶すことで保たれる。他人を貶なす事が出来るよう早起きする。それは嫉妬でもある。幸せな結婚。捕まえた男の圧倒的な差。小遣いと生活費の違い。第三者の目で見れば、それはやむを得ない。美人とブス。 十九歳の女子が仕事を辞める。「辞めてどうするの」「お母さんに小遣いもらう」「今の子はわからんわ」。 結婚が決まって辞める人には羨望を。相手の男の値踏みは忘れない。 美人が何気無く声をかけてきた。「前職は」。暇つぶしで、全くの無意識だろうが、ドキリとした。 絶望的な気分になりながらも、何とか平静を装った。「家の仕事を」。 課長はゲームに大金をつぎ込む。と言うか、止めることができない。いくらつぎ込んだか自慢気に話す。恥と分からない様子。仕事は、入社当時、作業を分割してやらされた。逐一中断。確認して次に進む。それが恥か自慢話かもわからない。懐かしそうに語る。 上司は、大学を出て営業。ダメだった理由はよくわかる。作業の要領があまりにも悪い。 社長がやってきて演説を始めた。 作業の邪魔だが、まあ休憩だ。社会情勢について、慣れない言葉にしどろもどろ。初めから言わなければいいのに、賢く見せたい感情が抑えられない。 優越感に浸る時間。他人を軽蔑する時間。いずれにしても、俺が俺自身を嫌いになる時間のようだ。出来栄えに不満足ながらも、従業員を感心させたと勘違いしている社長が出て行く。 「僕、結婚するんですよ」。社会に出ると、 聞きかじっていたことが現実に起こる。仲人は社長という。色々なものが見えてきた。あの社長、人前で話すのが苦手なのだ。それを克服するべく、仲人を数多くこなしたい。感謝もされたい。さらに言うと、他人を信用していない。会社内の人間とのつながりを、こういうものでないと築けない。全くの他人は、全く信用できないということだ。課長さんは、息子の嫁の弟という。俺が採用されたのは独身だからかもしれない。 掃き溜めだ。もしくは自分がいてもいい場所。
毎日残業するようになった。習慣となってしまい、さほど苦ではなくなった。給与明細によると、四十時間もしている。新しい生活が、新しくなくなった。何も考えず、惰性の生活が続く。それでは駄目とは感じるが、楽な方に流れる。そんな時、社員旅行の話が出て来た。俺の日常を荒らすものだ。社員旅行自体は、世間にそういうものがあると知ってはいた。現実は更に煩わしい。あんな連中と旅行など不愉快なだけだ。断ると決める。残業を断ったように。 作業中に社長が寄ってきた。仕事ができないからクビだと。そろそろ社会保険をごまかし切れなくなってきたせいだろう。旅行を断る理由が、いらなくなった。それはそれで良かった。 連れて行きたくなかったのだと、家に帰ってから気付いた。 数日後、上司の知るところとなった。不機嫌だ。彼にしたところで、終わった残業騒ぎの蒸し返しだ。「これは半分仕事。行かない理由を聞かせてもらおう」「クビと言われてまして」あはは、と笑い出した。ムッとした。すぐ人間の能力とはこんなものかと思った。予想外の事にまともな反応はできない。 しばらくすると深刻な顔をして、俺に寄って来た。「初耳ですわ」「直接の上司の自分を差し置いて、それはあり得ない」謝罪も同情も無い。あるのは、ないがしろにされた怒りだ。 翌日社長に、ないがしろにされた抗議をし、自分はクビに反対であると告げた。そしてその旨、俺に連絡した。惰性の生活が続くのと、煩わしい旅行を天秤にかける俺。 「最近は、毎日残業もしてくれるので、あてにしていた」と言った。「最近」に引っかかる。おそらく嫌味ではないだろうが。 攻防はあっけなく終了した。最後は長いものに巻かれ、俺の仕事ぶりを非難しだした。 クビまでの期間、平穏に進む。それも惰性だ。 社長が来て、上司を呼んだ。周りに聞こえる声で、「クビと言うた人間に残業させるな」。 その日から、毎日一人、定時で帰る。 昔と同じだ。違いは、上司が同情の目をくれる事だ。悲劇の主人公は結構気持ち良い。 最後の出勤。何の感慨も無い。いつも通りの一日が過ぎ、いつもと少し違う挨拶があった。 彼は、俺の見立て通りまともな人間だ。不正義が許せない。目にはうっすら涙が滲む。俺の為に泣く事はない。その価値は無い。が、少し嬉しかった。板挟みになり、可哀想だとも思った。 社会的廃人の奇跡の復活。その第一歩としては良い。しきりに採用が難しいと言いながら採用したのは、お情けで取ってやったので、切る権利があるというアホな解釈をしているせいだろう。こちらが利用したのは間違いない。しかし、切り捨てたのはこっちという余裕が無い。少しでも社会を知った分、初めての就職前より苦しい。何も出来ない、何も持っていない自分を知っている。悲劇の主人公気取りは、その先に本物があると、分かっているつもりだが、いざ現実になると恐怖で立ちすくむ。
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