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作品名:生きてみた 作者:涸井一京

最終回   1
 十年ぶりに外に出た。道に出て、驚いた。目の前が開けている。遠くまで何も無い。家の中と違い、手を伸ばせば、あるいは数歩を歩いただけでは、何かを手に触れる事が出来ない。別につかまり立ちの必要かある訳でもないのに、ひどく不安になる。倒れそうになる。外の世界をまともに歩けない自分を発見する。幼児のように一歩、一歩ゆっくりこけないように歩く。
 踏切まで来た。これは狂気の沙汰だ。巨大な物体が地響きを立て、高速で走る。人間など簡単に潰せる、巨大な力が、棒を一本挟んだ目の前を走る。
 こんな危険な物が家の近くにあったのだ。子供の頃は危険と感じなかった。
 ほんの気の迷いで足を踏み入れたら、命が消える。恐怖で足がすくむ。そして安心する。結構、簡単に終われるのだ。手段を一つ、手に入れた。
 電車が通り過ぎ、踏切を渡る。回れ右。踏切は開いているのに、立ち止まる。
 他人の目は気にならない。変に思われても構わない。変なのだし。
 待つ事数分、大きな音、地響きが起きる。ふと、横にいる、祖母に抱かれた幼子の存在に気付く。その現象が、人智によるものか、自然なのか分からない年齢である。放心したように巨大な力を眺める。彼は、それは神の力と感じている。そう確信した。神と会える瞬間を楽しみにしている。やがて彼は成長し、電車を魅力的な乗り物と認識する。相変わらず、電車好きだが、意味合いは変わる。乗り物好きな幼児となり、神の手から離れ、人間になって行くのだ。

 社会復帰した。多分、奇跡だ。しかし、劇的な物語は無い。客観的に見れば、ただの就職だ。年齢が怪しいだけで。
 金が入るのを不思議に感じた。目指した社会復帰に付随して金が入るというのは、失念していた。
 嗜好品である酒を買った。自分の金で買ったと言っても、大した感慨はない。嗜好品は重要だ。特に週末のものは、来週働く理由、原動力だ。
 不自由な生活をしていると、憧れる物が、あれこれ出てくる。最たる物は、コンポーネントステレオだった。数ヶ月で買える金がたまった。すぐには買わない。日常のあれこれを買いたい。不自由は嫌だ。
 憧れの電化街へ行く。金を持っていると、店員は親切だ。友達になったような気分になった。無論、幻想だ。家に独りでいる時間が長かった事による。
 家に来た。用意してあった場所に設置。主のいない空間を眺めていた日々が嘘のようだ。夢が次々と実現する。音が出て感動。良い音に更に感動した。
 時間が過ぎると金が入る。金が貯まる。あの感動を味わいたく、何か買う物はないかと探す。が、無い。毎年コンポーネントステレオを買うわけにはいかない。貯金の奴隷になる。

 あれから十年経ったと気付く。末尾の数字が記憶に残っていたせいだ。
 電車に乗れる身分になった。カメラを向ける若い男を確認した。無論、私を撮っているわけではなく、私が乗っている電車の写真を撮っている。大学生だろうか。ぼんやりしながら、外を眺める。次々と変わる景色を楽しむでなく。
 電車の中は、地上より少し高い位置になる。地上の人を見下ろす位置。
 踏切で、年配の女性に抱かれた幼子を見た。放心し、ゆっくり手を動かす。振っているのだと思う。私は、幼い頃、手を振った記憶は無い。が、大人になってから、あの目で眺めた記憶がある。
 十年後の幼児もやはり電車が好きだろう。普遍的魅力の源泉はこれが神のせいだ。
 それに気付いて、高い位置から人間を見下ろしている自分は、神ではくて、虎の威を借る狐。

 私は謝る事が嫌いです。だから私は他人を責めません。誰にも間違いがある。その人も謝る事が嫌いだろうと、考えるからではありません。自分の事です。他人を責める自分が、間違えている可能性を考えるからです。私は、私を騙す事はできず、事実を曲げて、言い逃れる事はできません。
 誰にでも丁寧に挨拶します。上と下で態度を変えると、上にへつらっているようで嫌なのです。
 引きこもりの方が楽しめた気がする。遠い記憶が甘くなるばかりではないようだ。不自由の方が、何かを心の底から、深く楽しめるのは、誰にでもある事のようだ。
 子供の頃の最高の楽しみはテレビだった。いつまでも見ていられるのが、良かったのかもしれない。画面の向こうは、みんなの憧れの世界。出たがる人間は多い。しかし、長らく家を出ず、現実社会と隔絶されると、画面の向こうの世界は、俺を楽しませるだけに存在し、俺は楽しむだけの王様となる。
 妄想の中では、向こうに行き、仲間入りし、賞賛される。
 部屋から出てくる理由は無かったのかもしれない。
 
 あれから二十年経った。
 電車を踏切で見たのも、中から踏切を見たのも、つい昨日の事のように感じる。もうすぐすべては無になる。人生なんて大したことなかった。悩む価値は無い。
 社会復帰は大きな出来事だった。何も無い、から職を得た。だが、だからこそ、手に入れられなかったものが、目立つようになった。
 社会に出続けられた要因は、それが習慣になったためだ。
 習慣を変えられない、昨日と同じ今日を過ごす必要のある自分は、住んでいる街に、家にへばりついて生きるしかない。
 それ故得られないのか、他の理由か。結婚とか家族とかが無かった。
 一人旅が侘しい年齢だ。一人でも佗しくない映画は、自分を楽しませてくれない。
 しかし、日常が映画なのだ。物語は日常の中にある。
 通りにある、何でもない店の看板。照明に照らし出される。店主の意図、個性、感情、何より夢を感じる。他人の感情を共有するのが、物語だ。
 急に雪が降り出した。一気に吹雪になる。いや、大したことないのだ。街灯の灯りが届く三角形だけ雪を視認できる。美しいと感じた。
 だから多分、まだしばらくは生きるのだろう。



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