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作品名:朝が来ない 作者:涸井一京

最終回   1
 新しい物語の始まりに際し、語るべき言葉がある物語は、語るべき価値があるのだろう。物語の出来とは無関係に。それは社会的な意味合いではなく、私個人にとって価値があるという意味だ。私には物語が必要だ。それは癒しではない。記録されなければならない。外部記憶装置として機能しなければならない。感情を浄化し、一時、脳の記憶から消す為に。読み返す事が無くとも、物が残っている事が重要だ。

 武漢肺炎が流行している。人為的失敗か。ただの不衛生かは問題ではない。
 災禍が求めるものは、人類の減少か。ただの戒めか。
 人類は戒めと信じて、新しい生活様式を模索する。
 自分の国から無闇に出るな。 
 老人の暇つぶしの病院通い。それを当てにしていた金儲け。
必要なかった新しい映画。人類の普遍的価値を描いた過去の名作を、見るだけで、人が映画に使える時間が消費される。家で映画上映会をすればいい。
 現場に行くのが良い事という常識の音楽。移動せず、配信音楽会。
 運動はそれぞれがやればいい。見せる理由は無い。
 うまい料理など必要ない。極限まで空腹にすれば、どんな食物でも胃に染みる。
「公の世話にならない」「それより自由だ」と、うそぶいていた連中が、いざとなれば公の保証を欲しがる。
価値の無い人生。別に、それでいいのだと考えていた。それしか選択肢はないし、それが楽なのは間違いないし。しかし、人生そのものに価値が無いのかもしれない。常識は、常に疑うべきだ。
肺炎が流行し、総引きこもり。時代が、純一に向かってきた。純一は、時代の先端を走っていたのだ。今や世間様から推奨される生き方を以前からしていた。無駄を省く、洗練された生き方。
 これは純一の呪い。あるいは、願望の実現。他人から肯定される心地良さは久しぶり。何もしていなくとも、後ろめたさが無い。落ち着く。
 流れる雲を眺め、空の青の違いを楽しむ。雲の高さへは、金を出せば、誰でも飛行機で行ける。しかし、何にも乗らず、何も身につけず、このまま普段着で飛び立ち、雲まで到達出来るのは、自分だけだ。
 泳ぐように雲の間を飛ぶ。それはただの濃い霧。下界で想像する楽しさは無い。
 純一は、窓の外を眺めていても、金は入らない。客の来ない店の従業員である准一は、同じ事をしていても金が振り込まれる。更に世間から、暇を同情されたりもする。
 准一は、あの日の選択は正しかったのか自問する。世間的には正しいのだ。それは分かる。
 脱出したのは偶然。幸運。上から目線で説教をするのは、自己満足。しかし、怒り、憧れ、嫉妬は重い腰を上げるきっかけ、原動力になる。その方が親切かもしれない。准一は、憧れの生活を送っているのは、間違いない。
 でも、ではなぜ毎日の生活に充実感が無い。
 純一は、少し損をした気になる。同じような事をして、給料をもらえる人間の存在を知り。
 物干し台で、空を眺める。月と星と電波を見る。
 以前は、近所の人に見られるのが嫌と言われた。中に入るよう怒鳴られた。が、もう言われない。近所の人は死んでいった。辺りは、空き家だらけで、他人の目が無い。
 ラジオの電源を入れる。他人ではなく、友人であり、恋人の声だ。
 乾電池は、子供の頃の小遣いの残りで買える。店に行く手段が無い。親に買ってきてもらう。
 このラジオが壊れたら、と不安でたまらなかった。今は、その時が寿命と思える。充分生きたというのではない。厭きた。電源を切り、空を眺める。
 幽かな音が聞こえる。遠くで走る自動車の音か。
 何かが肌をかすめる。自然の風の涼しさを知る。
 虫の声を楽しめる。どんな評価の高い音楽よりも。
 そんな能力を得た。
 准一は働くと、映画鑑賞、読書の時間が減ると理解した。わずかな金が入って、色々買えても、楽しむ時間が無い。
 利点は無くとも、そうしなくてはならないのだろう。昔が懐かしく、よく思える。引きこもり時代でさえ例外でないのか。あのままの方が人生を楽しめたのでと思う。
 休日は、自転車に乗る。街散歩と言えば、聞こえはいいか。身体を動かすのは、良い事だという世間の価値観に乗ると楽。いや、外出が出来なかった時代の反動か。
 行くとこが無いのだ。楽しくもない。それは義務だ。新しい習慣で、外出せざるを得ない。
 映画館の前に出た。外から眺めて、内容を想像する。無料放送される日を楽しみに。
 ふと気付いた。
 無職から貧乏人に昇格した。わずかながら、金はある。ここに入れる程度の金はあるのだし、入ればいいのだ。旅行や外食も、すればいいのだ。が、何か億劫。それが日常の中に無いのだ。日常と違う事が、楽しめない。日常も楽しめないのだが。
 子供の頃の楽しみといえば、漫画の再放送。再放送は選ぶのは、私ではなく、放送局だ。私は、好きなのが放送されるのを願うだけだ。
 感覚に進化がなく、時間が止まったままだ。
 純一に週末は無い。いつものように新聞広告の選別をする。裏が白紙で、なるべく上質の紙。小説を書き始める。自分の才能に酔う。世間の賞賛の声が聞こえる。
 一息ついて、広告を見る。新しいゲーム。遊ぶ自分を想像する。
 想像だけでいいのですよ。旅行だって、計画している時が、一番楽しいと言うじゃないですか。
 諦めじゃあ、ありません。そうやって、自分を納得させている訳じゃあ、ありません。それしか選択肢が無いと、本心でそう思えるだけです。
 将来の準備として、受験勉強しますが、生きて行くという本来の目的からずれてます。第一、私は未だに受験勉強をやってます。受験する日は来ませんが。そんな事は、どうだっていいのです。努力が大事なのですから。有意義な時間を過ごせました。
 純一は時間を止めた男。

 准一にとって、出勤日は気楽だ。人並みの生活をしている安心感。拘束され選択肢が無いので、迷いが無い。
 純一は劣等感を抱く。准一に優越感は無い。
 終業。帰路。知った顔を見ない。出歩く数が少ないからではない。それは、皆が出歩いていた時代からである。みんな街を出て行ったのか、顔が変わり分からないのか。
 古本屋に入る。購買意欲どころか、手に取る気も起こらない。時代は自分から離れた。
 店を出た。二十年前の青年が同時に出た。店の袋を持っている。まだ楽しめる物が、この店にあるのだ、と思った。
 男は大きくため息をついた。袋の中から買ったばかりのゲームソフトを取り出し、怒りをぶつけるように包装をやぶいた。
 他にやれる事が無い。二十年前の残滓を追いかけていたのだ。
 みんな不要不急を除けば、何も残らないのだ。
 街に車、人が少ない。感染が怖いのではない。自分は大丈夫。みんな、そう思っている。気が引けて、楽しくないだけ。これも流行。
 食料品売り場は、人でごった返す。感染したわけでなくとも、頭痛がしてくる。条件反射の類だ。
 あっと言う間に時間が過ぎる。予定の無い、恐怖の週末がやって来る。

 図書館の常連。ここしか行く場所が無いので、いつも通りにいる。金はあるのだが、俺もここに来る。
 人生が不要かも、そう感じる人間は、多いはずだ。
 図書館の本を手にせず、携帯端末を取り出す。海水浴をしている人が映し出される。批判的に映しているのだろうか。
 純一は、部屋で羨ましく画面を眺める。可能性が無い。見てるだけで幸せ。どこにも行かなくていい安心感。強迫観念が無い。
 准一の心はざわつく。行くべきなのか。行く事は可能だ。一緒に行ってくれる人はいない。
 あの日で人生は終わっていた。純一は、死んで浮遊し、この世を眺めている気分。うらやましい、そう思えるだけ儲けもの。そういう感情も快感の一つだ。
 準一は、落ち着かない。ただ時間を潰す。無駄と自覚しつつ、手を拱く。
 夕方、帰る時間にほっとする。
 日が暮れ、窓から微風が入る。夜陰には風とも呼べない幽かな冷気が入る。霊気も混じっているような気もする。肌に心地良い。昼間の記憶のせいで、贅沢に感じる。この感性は、冷房が無いからこそのものだ。
 気分が良く、落ち着いた時も要注意なのだ。自分が幸せのはずがない、という思いがあるせいか。
 楽しいことを集中してやる。ふと不安が起こる。こんな事をしていていいのか、と。俺にはこんな楽で楽しいことが似合わない。何かし忘れているのだ、と。
 あるいは、本当のところ、不幸が好きなのかもしれない。不安神経症の発作。乗り越えた時に、元に戻っただけなのに達成感がある。このせいで、この生活は肯定されるべきだ。言い訳できる。
 准一は治ったのではない。社会復帰前と同じように起こる。言い訳の必要の無い准一にとっては時間の浪費。実害だけ。いやそうでもない。復帰したからと言って、世間標準となっているわけではない。やはり言い訳のために必要なのだろう。
 夜になる。引きこもりの一番活動的な時間帯。
 週末の楽しみの酒。ふと気付くと空。飲んだ実感が無い。時間が余る。やれる事がない。仕方がないので寝る。終わってしまった。楽しい感情が残ってない。きっと人生もこうして終わる。
 分かっているのだ。楽しむには、別の事をする必要がある。しかし、普段の違う事を計画すると、不安で落ち着かない。何の不都合がある訳では無い。分かっていながら不安だ。根拠の無い不安は取り除きようがない。非日常を、非日常だからこそ楽しめた、完全に楽しみを満喫できた子供の頃と違う。
 ほんの少しの非日常である、同窓会、忘年会の類。開催されない安心がある。そう、安心なのだ。いい時代なのかもしれない。皆が自分と同じような生活をしている。無為な時間を過ごしている。


 冬の太陽は弱々しい。鈍色の空からぼんやりと出ている。暖かくない光が辺りを照らす。薄い影ができている。
 稲刈り後の田んぼは寂寥感にあふれる。子供が数人現れた。風景と不釣り合いに生命力にあふれた子供のはしゃいだ声。正月を前にして、開放感に溢れている。忙しい大人は、子供時代を思い出す。さして楽しくもない正月をほんの少し魅力的にしてくれる。
 低収入でも、家族が無いと、たまるものだ。預金高に驚く。人生における大きな欠けを実感する。
 金を得ているのだ。埋め合わせのためにも趣味の買い物をしたい。生活費のための買い物は楽しくない。しかし、趣味は無い。
 純一にも趣味は無い。が、憧れがある。金さえあれば、使い道に迷いは無い。同年代が持っている物が欲しい。
 准一は純一の憧れの世界にいる。 学生時代の夢は、大物になり、満員電車に乗らない生活。半分だけ夢がかなった。
 古代、食料を得る手段が狩猟だった頃、狩りの貢献度により食べる量の多少、質の良し悪しが決まった。
人間の価値と報酬は比例した。
 現代は食べる事だけが全てではない。全ての収入を食事に使うわけにはいかない。他に使う事があるというより、胃の受け入れ以上の収入がある。
 余った金は、利用価値のない高額なだけの商品と交換される。買い求める物の価値は理解できず、払う数字しか理解できない。価値の分からぬ阿呆は、自らの地位を示したつもり。内心馬鹿にされても、表面の羨望を信じる。
 少しでも、考える事の出来る人間は、それを眺めながら無駄な努力をした、ハナから苦しまない方が良かったのではないかと後悔する。金儲けが無駄ではなかったとするため、寄付をする。
 純一は度々聞かされた。「そんな事を一々気にしていては、生きて行けない」親切と言うより、優位に立ちたい様子。生きる気がない人間に無意味な言葉。間抜けを晒しながら、悦に入る人間。純一は、自分が許された気分になる。

 准一は歩道を歩く。声を上げた。店に入ろうと歩道に侵入した車に、はねられる寸前だった。影の薄い准一に気付かなかった。運転手が慎重になるべき場面なので、ただの不注意だ。准一は嬉しかった。事故にならなかった幸運についてではない。これで死んだのだ。後は、おまけという気分になれた。
 親が老いる。これはどのような立場の人間にも等しく訪れる問題だ。金で解決しない分、時間的に自由が利く純一の方が対処しやすいかもしれない。世間には、介護退職なるものもあるのだから。
 冷蔵庫を開けて、ゾッとする。乱雑に突っ込まれた中から、賞味期限切れの食料が大量に出てくる。
 自分に課した事を何が何でもやる。怠けているようで、作らずにいられない。「毎日の買い物が大変」「食事作りが大変」それでも余るまで作らずにいられない。準備しないと落ち着かない質で、健康への不安から、買いに行けない可能性を考える。貯蔵されていないと不安。
 自分も家族も年を取り、食べる量が減ったと理解出来ない。毎日、「余った。どうしよう」と、言っている。
 まさに強迫行為。治しようのないのは、同じ穴のむじなとして理解できる。
 嫌な事は、先にやって心を楽にしたい質である。やるべき事を残して楽しめない質である。親が高齢である。世話する必要がある。送る必要がある。独り身の自分にとっては、家族は減る一方。それは望まないが、終わりが見えて、やるべき事が見える。
 高齢の親は終わりを実感した。日常生活での義務をこなしても、先に褒美は無い。旅行、外食は出来ない。ささやかな夢も希望も潰えた。
出来るのは、後悔を口から吐き出すだけだ。
 初めて演じるように、同じ一人芝居を繰り返す。一言一句違わない同じ話。生まれてから、今までの不幸の連続。朝、昼、晩の一日三回公演。連続何ヶ月公演だろうか。あるいは何年か。飽きる事は無い。不満を吐き出さないと死にきれないのか。逃げられない現実を前にして、この世は悪い事だらけだったと思い込みたいのか。とにかく前向きな話は一切無い。
 負の連鎖というのは、暴力に限らない。母親の無念を晴らす手段は、息子の人生に向けられた。良き母は、良き息子を製造する事で、完成される。息子は自己実現の道具。息子は人生を迷走させ、ひたすら繰り言を聞いている。人並みでない息子。まあ、連鎖はここで断ち切られる。
 より恐ろしいのは、自分の番だ。
不満を吐き出すことなく、死にきれるのだろうか。自分の遺体の処理。准一は、金があるので、どこかに依頼すればいい。どこに依頼すればいいのか分からないが。純一は、金が無いので、放置以外の選択肢しか無い。
 行く末はどの道心配なのだ。誰にも等しく。
 人生がうまくいってない。外に原因を求め、そのせいにすると凡人を認める事になる。
 破壊衝動は行動することなく、呆気なく達成された。誰も予想しない新しい世界は、後ろめたい自分の生活を肯定してくれる。
 観光客を公害と呼ばない社会は正常だ。
 しかし楽しめない。楽しむ才能が無いのか。幸せとは、何の心配もない子供時代で終わりなのだろう。いや、子供にも悩みはあった。「子供はいいね。何の悩みもなくて」という大人の言葉を聞きながら、自分はまともな子供ではないのだと思った。小さい身体に不釣り合いな大きな悩みを抱えていた。しかし、それは特別な事ではない。
 二十年前の華やかな野球選手の活躍の映像か流れた。時間を遡れたのかと思ったが、そうではなかった。続いて現在の姿。逮捕されていた。輝きを失った天才の姿は、一般人の焦燥を煽る。時間の経過は自分にも訪れている。更に、その後の悲惨な人生は、凡才の人生を肯定する。あの日感じた羨望の始末をつけてくれる。

予報通りの屋根を叩く豪雨となった。
 准一は真夜中である事に安心する。働いている人には悪いが、明日の朝には、大人しくなっているだろう。自分に害は無い。
純一は他人事。この雨について解説してみせる。
 記憶に残らない平日を過ごして、週末。携帯電話をいじる。世間並み、同じ事をしている。世間は、楽しそうに見える。同じ事をしていても、准一はこんな事しかやる事が無いと落ち込む。純一は想像する。きっと面白い。そして、使用を夢見る。夢は実現すると現実となる。夢は現実に勝ると知っている。
 准一は外出する。なぜ今更戻らなくてはならないのか。やっと、変われたのに。
 純一は皆が自分の領域に入り、居心地が良い。
 楽しい事の無い、侘しい週末は二人の共通。
 准一は、狭い歩道で初老の女性とすれ違う。お互い端に寄って待つ。先に行かせてもらう。会釈する。笑顔を返してくれた。自分が嫌になる。譲ってくれそうと予想しながら、止まった。念のためではあった。しかし、いい人ぶった。
 実用的でない二輪車、四輪車が走って行く。乗る事自体が目的の遊び。上等な趣味だ。准一は、燃料を実用以外で使う気にならない。自分は上等でないと自覚している。人生、終わってると実感するのに、死なない。「楽しくないと生きてちゃダメですか」。
 自転車をこぐ。上り坂。目的も無いので、トロトロ走る。「これは俺の得意分野」という声が背後で聞こえた。電話で話ながら、自転車に乗っているのだと思った。追い抜いた男は、何も持っていない。よく見かける自転車で新聞配達をしている男だ。精神障害かもしれない。一人が長すぎて、独り言が日常となったようでもある。大きなものには負けたが、小さな勝利を重ねる。
 武漢肺炎の新生活は破壊による解決をもたらした。新聞はなくならないだろうし、配達員も必要だ。失業の心配は無い。紙の新聞がなくなるのは、もう少し先だろう。
 人生が充実してない。それは主観でもあるが、客観が大きい。女がいない。一人が好きなのに、劣等感を抱く。
 旅行、飲食店に出入りが出来ない。一人でも。二人でも。女がいても、いなくても。飲食店が閉店していく。安心がある。理由は違えど、
皆行かない。女と行けない自分が目立たない。
 店を構えた優越感などなかったはずだ。これからの苦労が想像が出来るのだし。が、周辺に劣等感はあった。努力が無駄になった。種類は違えど、同じ不幸な状態は、相対的に自分の惨めがましになるような気がする。盛者必衰の理をあらはしても、負け犬が浮上するわけではないのだが。
 法事は面倒だ。面倒でもやらなくてはならない。出来ないと、気に病む人がいる。真っ当に生きてきた人達だ。純一も准一も親戚にも会いたくない。しない言い訳にもなるが、後ろめたさが無い訳でもない。面倒から守られているのは間違いない。
 紙上旅行はしよう。開始時刻に間に合うように、計画を立てるのだ。時刻表で発車時刻を調べる。完璧な乗り継ぎ計画を立てて、到着時刻は少しの余裕。電車に乗っている自分を想像する。通り過ぎる街の写真を眺める。車窓から見える景色が想像できる。それは旅行、そのものだ。かつ、面倒は何も無い。想像もしない暗い未来があった。この新しい価値観が都合の良い自分。そんな自分を肯定するならば、これは明るい未来。推奨された生活をする。俺達の得意分野なのだ。
 秋祭りの太鼓の音や御輿を担ぐ声が聞こえない。今が何時なのか分からなくなってきた。
 突然、何もかも終わりは寂しすぎる。緩やかな終わりかいい。外食、旅行、様々な活動。人間関係。緩やかに薄くなり、最後に消えるのだ。




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