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作品名:からっぽ 作者:涸井一京

最終回   1
 彼女は朝から不機嫌である。三日前に会う約束をして、彼女は待ち合わせ場所にやって来た。そこまで不機嫌になるくらいなら、断ればいいのにと思う。が、言葉にも顔にも出さない。
 俺は、待ち合わせ時間の三十分前に着いた。いつも通り、彼女は遅刻した。しかし、俺に対して遅刻したとなじる。俺が、「約束時間より早く来た」と言うと、「待ち合わせ場所を間違えたでしょ」珍妙な言い訳である。というより、決して自分の非を認めないのが、彼女流である。
 話して、理解した。二人の間の「駅前」の解釈の違いがある。が、車で迎えに行くのは知っているのだし、駅前の車の停められる場所で、俺が待っているのは当然だ。彼女は改札を出たところで、二時間待っていたという。嘘である。彼女は二分も待たない。俺が改札にいなかったことで、遅刻をごまかす物語を紡いだ。
 とりあえず聞き流し、車を流す。昼飯のため、繁華街近くの駐車場に停め、歩く。一応女連れ。一人が楽しい以外の人間にそれなりの優越感。それは背が低い男に対する優越感と似ている。背が低い男と並んだ時、相手が劣等感を抱いている空気が伝わる。単独では感じなのだが、その時点で優越感が湧く。優越感も劣等感も、背は高い方がいいという世間の風潮に由来する。それが良いという具体的な理由は無い。
 酒の空瓶の横で地面に倒れるように寝ている男がいる。昼間から酔っ払っている男。奴に休みは無い。平日も同じ生活だから。寝ていられて楽だ。俺も昼間から寝たいと思った。しかし男が羨ましくはない。汚らしいからではない。目覚めた後の悪すぎる現実に耐えられない。俺は想像できる。
 映画を見て、喫茶店に入る。家で一人ダラダラするのと同じ。それぞれ携帯をいじる。二人でいる意味は無い。時々、会話するのであるのかもしれない。
 飽きて、店を出て、散歩した。時間が余り、また携帯をいじる。
 無為な時間に耐えきれず、まだ夕方だが、食事のため店に入る。そこは、事前の調査も虚しくひどく狭かった。座り心地が悪い。味はそれなりなのだが、更に不機嫌になった彼女には無力である。居心地が悪いはずにも関わらず、彼女は長居した。座り心地が悪く、食べるのに時間がかかったという。
 俺は常に後悔する。なぜ会う約束をした。彼女はひどい不美人である。性格は悪い。一緒にいて、楽しくないし、癒やされることもない。時間が余り、暇なわけではない。一人が淋しい人に対する優越感だけある。
 食い終わり、また後悔する。後ろに心配事があるわけでもない。
 味は悪くないと感じた。胃に流し込む作業のような、慌てた食べ方をして、味が分からなかったとか、そんな事はないのだ。彼女の不機嫌については、壁を作り遮断する術を知っている。おいしいものを食べる楽しい時間のはずだが、楽しめない。早く終わらないかと落ち着かない。終わりがくると、安心と味あわなかった後悔がない交ぜとなり、襲って来る。
 会計を終える。
 土曜日の夜である。一緒に朝までいる気でいた。不機嫌な彼女を見ても、まだその気でいた。しかし、
「七時五分に乗るわ」
「ああ、そう」
 声に残念な気持ちが出ていたら、恥ずかしい。損した気分の反面、何かほっとしている。終わりが近い。
「七時五分に乗らなければならないの」
 電車は十五分毎にある。
 他の男と会うのだ。そう直感した。昼間の暇つぶしに、俺と会ったのだ。
嫉妬は無い。敷居が低いのは、モテる要素の一つ。敷居が低く、惜しくない。
 子供の頃、長靴を買ってもらった。「これで水たまりも平気」と言われ、水たまりに入らなければならない、と解釈した。いやそれは曲解である。やむを得ず、入ってしまっても大丈夫という意味であることは分かってはいた。が、水たまりにジャブジャブ入るのが、かっこいいと感じた。バカな事をしていると感じ、バレて怒られる前にやめようと考えた。すると急に、告げ口されないかとハラハラし、自分がひどく愚かに感じた。そして長靴とはいえ、水が染み込み靴下が濡れた。手遅れであった。
 いくつになっても後悔する。進歩が無いのか。人間とはそうしたものなのか。
 電車に間に合う時刻ではない。不機嫌な彼女とこれ以上いたくない。利害は一致。嫌な汗が流れる速度で走る。視界に、その場所にいてはいけない車を発見。それは無論こちらの主観。相手は交通規則通り走っている。こすった。多分。ぶつかったと呼ぶのかもしれない。
 こすった相手は気付いてない。主観では。
 何事もなく行ってしまった。遠くなる。気付かなかったと、言い逃れできそう。今日、初めての幸運だ。速度を上げる。彼女が、ぼそっと「当たったね」彼女は、七時五分にしか興味がない。間に合えば、俺の事はどうでもいいようだ。
 相手が去ったのではなく、こちらが動いて、相手が去ったように感じたのかもしれない。普通の心理ではでは有り得ない感覚。
 あるいは相手に急用があり、軽い事故にかまけてられないのかもしれない。被害者が逃げても罪にはならない。こちらは、警察に通報の義務がある。
 この手の新聞記事は山のように読んできた。
 なぜ逃げる。どうせばれる。事態は悪化する。と、新聞を読むと思っていたのに、まさか自分が同じ事するとは。みんなそれぞれ理由が有ったのだろう。言い訳を笑っていたが。俺の場合、同乗の彼女が原因であるのは間違いない。他人のせいにするというか、実際、一人でいたなら、起こり得ない。すなわち罪悪感が無い。後ろめたさがない。何かに当たったようだが、人とは思わなかった。こんな言い訳は、見え透いた嘘だと思っていたが、実際こんな状態ならあり得ると実感中。
 駅に着いた。「じゃあ」初めて「また」と言わなかった。お互いに。
 そして休みは終わる。休みなど無事に終わるに決まっている。それなのに安心がある。要するに、休んでいる間、正体不明な不安がある。安心と後悔がない交ぜとなり、先週と同じようにやりきれない感情が襲って来る。
 先週と同じ月曜が来るわけではないのに、相変わらず安心もある。
 あれとこれをやったのだと思い返し、楽しかったのだと必死に反芻する。いつものかりそめの後悔でなく、本当にしなければならない後悔。今のところ実害が無い。ここの反芻は重く、苦しい。と、何もせず、何の引っかかりもなく、通り過ぎて行く。
 自首も頭をよぎる。しかししない。それは、先週もしてないからだ。
 明日からも先週と同じ一週間を過ごす。それはひどい幸運であり、ひどく虚しい。しかし、おそらくそれはない。
 仮に被害者を亡き者にすれば、通報される心配はなくなり、問題は解決する。しかしより厄介になる。交通事故を、あまりにも深刻にとらえれば、より厄介になる事に気がいかず、実行するのかもしれない。自殺とはそういう事かもしれない。抱えてる問題と自分の命を秤にかけ、どちらが重いかなんて考えるまでもない。つるくがあってない。思い詰めるとはそういう事。
 俺は思い詰めてない。そもそも恐れも心配もさほと無い。先週もその前も無かったからだ。いつもの同じ不快感しかない。
 いやこの不快感が思考停止状態にしているようだ。それは良いことなのか、悪いことなのか分からない。


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