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作品名:雨漏り 作者:涸井一京

最終回   1
 土曜日の午後。大型商業施設の二階。行く所とやるべき事が無い俺の足が、止むを得ず向く場
 老婆が一人、じっとうずくまっている。そう見えたのだが、微妙に動いている。
 年季の入った猫背に腰の曲がりが加わる。腰は前に折れ曲がるだけでなく、左にもよじれている。ずっと俯いていて顔が見えない。地面を見るだけで、移動できる様子。
 年季の入った手押し車に支えられている。ずいぶん前から老婆なのだ。
 蟻の歩みで、手押し車の前方に回った。しばらくして、意図に気付いた。後ろから押して、前土曜日の午後。大型商業施設の二階。行く所とやるべき事が無い俺の足が、止むを得ず向く場。輪の向きを直す力が無い。手押し車の前に来て、手で前輪の向きを変えているのだ。
 慌てていない。何度もこんな事があったのだ。
 後輪のタイヤのゴムがボロボロ崩れている。テープを巻いてゴムの代わりにしている。本人が処置したのか。違うのか。新しいのを買う金が無いのか、まだ使えると考えたのか。金はあるが、減る事に不安があるのか。
 右手を怪我したからと言って、交換しない。治療をする。修繕は治療は同じ意味で、最早、手押し車は、身体の一部になっているのか。あちこちがたが来た物の方が、自分の所有物として、ふさわしく、愛着がわくのかもしれない。
 新しい物に億劫なのか。慣れない物に対する拒絶のせいか。あるいは、新品同様のまま役目を終えるのが耐えられないのか。これを買う時、買い替えるまで、生きているとは思っていなかった。
 いずれにしても、不便の方がましであり、壊れている物を選択している。
 六歳は、何か困っているらしい事は理解した。永遠に来ない未来を見て、学校で教わった親切をするべきと考えた。が、照れくさいと感じているうちに、通り過ぎてしまった。
 十四歳は天下無敵。「早く死ね」と無言で毒づいた。存在しない空気を読んで、「迷惑なんだよ」と理由入りの無言の罵声を浴びせ、言い訳した。そして仲間に奉仕し、社会に貢献したと感じた。
 十七歳は自殺を考えている。この光景を不思議に感じる。なぜ死なないのか。生きる価値のない、死に損ない人間。というよりまるで虫に見える。自分以上に生きる価値が無い。そう感じたために、自殺しづらくなった。順の問題だ。別に、十七歳の自殺についても、自分より若い者が死んでも、老婆の知った事ではないが。
 初老の俺は助けなかった。他の通行人も通り過ぎる。手を出すべき、大きな困り事ではない。自分でやりたがっているように見えた。赤の他人が声をかけると迷惑である。言い訳はいくらでも思いつく。しかし、それが理由ではない。
 俺は、老婆の姿に自分の未来を見たのだ。未来の自分を、誰も助けてはくれない。改ざんすべきではない。そんな気持ちだ。
 何の用で、二階に上がって来たのか分からない。食料の買い物ならまだ分かるのだが。どんな状態になっても生きたいのだ。いや死が怖いのだ。あるいはただの習慣かもしれない。要するに俺の今の想像力はその程度なのだ。
 老婆は、多目的トイレに向かった。無論、それが外出の目的ではないだろう。
 しばらくして、俺は店を出た。重い気分を引きずる。忘れようと思っていたのに、忘れさせてくれない。
 さっきと同じように、固まったように下を向いたまま蟻の速度で手押し車にしがみつくように歩く老婆を見た。追い越し際、顔を見ようと試みた。老婆の視線は地面に釘付けだった。老婆がどのような表情だったら、俺が満足できたのか分からない。
 前方から赤黒い顔をした乞食がヨタヨタ歩いて来る。
 食料を確保できたから、生きている。街をさまよう理由はごみ箱漁り。
 汚れた毛布を筒状にして、身体に巻き付け、両手で掴む。つまづいたら、顔を打ちそうだ。
 この夏に乞食になったのだろう。筒の中は薄着らしく、震えている。彼は、この冬に手に入れた物を、夏になっても手放さないであろう。
 老婆は何をどう着ているのか分からないが、暖かそうだった。おばあちゃんというのは、寒がりなのかもしれない。
 おばあちゃんと言えば、縁側で猫のたまを膝にのせ、うつらうつら。そばにはお盆にのせたお茶。
 母も、光が入る南側の窓際に座り込んで、本を読んでいた。たるんだ頬は少女のそれとは真逆なのに、その様子は幼い頃、
いい子で絵本を読んでいた姿を想像させた。 
 のんびりが好きで、気持ち良いから日向ぼっこしているのだと思っていたが、あれは節約だったのだ。光にしても、熱にしても。
 人はいつまで経っても自分の年齢を自覚しない。同級生を見て、ひどく老けていると思う。自分はより一層他人から老けて見えていたとしても。
 故に、人はいつまで経っても、将来の夢や希望を持ち続ける。
 夕暮れ。古い通り。閉めて、看板だけ残す元店舗。更地。新しい民家。商店が少数派の商店街。主人公である商店が、時代から取り残されたと感じる商店街。
 魚屋のだみ声が響く。威勢良く売るための音は、時代の波に抗い、生き残ったのだと主張する。
 ここで買い物をしたのなら、親切な店員が手押し車に買った物を入れてくれる。一人暮らしの老人の日々の変化にも、気を配ってくれる。
 食べる事は、人にとって、生きるために必要不可欠。だが、現代人はそれだけでは生きない。
 分かりやすい社会的な役目があるうちはいい。生きていて、楽しいと感じる事なんて何も無いのに、生きてる理由だ。
 社会的役目がなくなれば、あるかもしれない、他の何かを求めて生きる。ひたすら生に執着するのが、人間らしい。
 残された時間と残った金。老後の資金が楽しいはずもなく、かと言って、何か楽しくなる買い物も無い。使い道が無い。
 俺にしたところで、古い商店街は郷愁を呼ぶ。残すための協力でも構わないはずだ。普通に買い物をするくらいしか出来ないが。
 買わない。多分、他人との話し方を忘れたせいだ。俺は現代人なのだ。そして老婆も。
 老婆は次の一歩しか見てない。先は見えない。見るべき先は無いと悟っているのかもしれない。


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