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作品名:偉人の帳面 作者:涸井一京

第4回   予感
 小学校に入学して、無意識に心掛けた事は、おとなしく、目立たなくする事。何もかもをそつなくこなし、できない同級生を横目に、安心はするが、馬鹿にしたりしない。先生に目をつけられないために。
思惑通りに、特段気に留められる事も無く過ごした。
 ある日、外に出る事になった。なぜだかわからないが、不安にかられた。涼しい顔ができない気がした。これが最初のつまずきだ。教室ではそつなくこなしていたのだが。
理科の授業だった。国語、算数より重要度の劣る教科での躓きだ。余計に腹を立てた。
 朝顔の種をまくという。やり方の説明は教室で受けた。分からなかった訳ではない。教室では、勝てても、外では勝てない気がした。何の勝負かは分からなかった。
 植木鉢の土の中に小指を第一関節まで入れた。その穴の中に種を入れる。土をかけた。わざとそうした訳ではないが、手順に違和感を覚えた。どこで間違い、どう修正していいのか分からない。逃げるようにして、その場を離れた。
 それから毎日、水やりをした。同級生の、芽が出る期待の声を聞きながら、つらい気分になった。種を蒔き忘れた訳ではないが、種の蒔いていない植木鉢に水をやっている気分になった。誰にもその秘密を明かしてはならないような気がしていた。
 他人の植木鉢の土がぷっくりと膨れ始めた。芽が出始めた。大半の児童は、順調に成長して、双葉に育った。僕はただの土に水をまき続けた。僕の蒔いた種は芽が出ないような気がしていた。そして、その通りになった。
 ヤスシの蒔いた種も、芽が出なかった。
 放課後、ヤスシが自分の植木鉢に刺してある、先が三角の名札と、永島君の名札を差し替えるのを目撃した。永島君のは、土が少し盛り上がっていた。差し替えるにはちょうどいい加減だ。さすがのヤスシも何も無いところから、双葉が出るのは、不自然だと感じた。
 ヤスシが僕の視線に気付いた。
「先生に言うたら、どっついだるぞ」
 言われるままに誰にも話さなかった。それが良いと思った。不正を見抜くのは、教師の仕事だ。
 毎日観察しているのだ。土が引っ込む訳が無い。永島君は気付かないはずは無いが、何食わぬ顔で水をやり続けた。ヤスシは、「馬鹿だ」と言った。永島君は大人しい。
諦める日が来た。先生が、「芽の出なかった人は、交換します」と言った。業者が発芽させた教科書に載っているような、正しい形の双葉を受け取るように言われた。友達のよりきれいな双葉。「いいなあ」と言われても、恥ずかしいだけだ。
 一学期が終わり、夏休みの宿題として、朝顔の観察日記を書くように言われた。鉢を持って帰るのは一仕事だ。つるが絡んだ、三つの輪っか付きの支柱は細長く、植木鉢の重心は極端に下にある。ゆらゆらしながら持ちにくい鉢を抱えて、いつもよりのろい足取りで家に帰る。夏休みに入ると花が咲くという。
 その後の手入れは良かったのか、きれいに花が咲いて、褒められた。双葉から毎日水やりをしたのは、確かだが、自分で育てた実感は無い。
 ヤスシは、その後の世話がおろそかだったせいか、うまく育たず、きれいな花が咲かなかった。
 永島君のは、もちろんきれいに咲いた。永島君は、きれいな花が欲しくて黙っていたのだと思った。すぐに、それは僕の心がやましいせいだと感じだ。永島君は、きっと何も疑っていなかったのだ。

ヤスシが得意気だ。速度計、五段変速付きの子供用自転車を買ってもらった。
「乗せてやろうか」触らす気も無いくせに。
「乗せて、乗せて」とはしゃぐ永島君を馬鹿にするように、
「いや」と拒絶して、永島君の反応を楽しんでいる。
 永島君はめげない。
「どうして段が変わるのだろうね」
「それは、お前、ここに機械が詰まっているんだよ」と上管を指さした。
「へええ」
「どのくらい速度が出ているか、教えてやるよ」自信の無いヤスシは話題を変える。
「乗せてくれるの」
「自分の自転車で思い切り走れ。俺は分かってるからな。見て、どのくらい速度が出ているか教えてやる」
 家で商売をしているヤスシの父親が表に出てきた。普通の親なら咎める場面だ。しかし、ヤスシの父親だ。よく似ている。自慢する息子が自慢だ。「貸してやれ」などとは間違っても言わない。
子供用自転車は、速度を知る必要が無い。速度計は大人の乗り物である自動二輪とか自動車についている。大人のまねをするための道具だ。持っていると優越感を覚える。そのための道具であり、実用ではない。
変速機で早く走れる事は無い。もたもた段を変えているうちに、追い抜かれるのがおちだ。上り坂も段を合わせるまでもなく、子供なら、駆け上がる。
 それでも欲しい。いや持っている奴と同じ立場に立ちたい。そして、持っていない奴らを見下したいのだ。
 似たような自転車を買ってもらえた。似て非なる不細工な自転車だ。機能も装備も自慢できない代物だ。それで満足しなければならないのだろう。しかし、値段は変わらないのだ。夢は永久にかなわない。可能性すら消えた。買ってもらえないなら、夢を見られた。父親は、子供の喜ぶ顔を見るのが何より嫌だった。世間にいい顔をするための買い与えたという満足と、喜ばれない選択をした。 

 「包帯って、かっこいいよな」
「うん」気の無い返事をした。一体いつから言い続けているのだ。
 ヤスシは気を良くして、
「骨折がいいぜ。腕をつってるやつ」
「三角巾か」
 お気に入りの名前を、自分が知らずに、他人が知っている事にむっとしつつ、
「俺もしてみてい。サンカクキン」
(片手だと他人を殴りにくいだろうが。馬鹿が)
 次の朝、登校してきたヤスシを見て、児童一同唖然とした。
 ヤスシが右腕に包帯をしている。石膏で固まった腕は人工の作り物の様で、生の感じが無い。何より興味深いのは、あれだけ憧れていた包帯をしているのに、全く嬉しそうではない。
 わざと折って、きまりが悪いのか。ヤスシならやりかねない。あるいは、伊達メガネの如きものかもしれない。「折れた」と言い張り、駄々をこねた。困った医者が仕方なく石膏で固めたのかもしれない。
皆に同情されて、やさしくされる。話題の中心にいる。はずだった。が、それが無い。何しろ、不審で不気味で、その事に誰も触れたくない。
仮にあったとしても、そんな対価に見合わない不便と耐えがたい傷み。そんなものに想像は及ばない。自分の馬鹿さ加減に気が付いたのか。
馬鹿の包帯が取れるまで、一先ず学校は平和だ。
 不幸を演じるのは快感だろう。しかし本当の不幸が快感な訳が無い。
 その点、女の子は賢い。実利も視野に入る。少女は、病弱に憧れる。学校は悪意に満ちた人間であふれる。人をいじめるのが大好きで、その事で連帯感を得る。教師は、自らの利益を追求する。にもかかわらず、他人から評価され、感謝されると考える、オメデタイ頭の持ち主だ。自分の本心は忘れ去られ、自分は生徒のために一所懸命と、本気で思い込む。悪意と欺瞞に満ちた世界。そんな学校に行かなくても、許される。家事もしない。弱いだけで、重篤という訳でもない。何もしなくても大事にされる。面倒くさい事を何もしなくても良い。ただ寝て、食べて、ぬいぐるみに語りかけて、窓の外の木の葉を眺めておればいい。
 家の外の世界は危険に満ちている。どんなに気を付けても、自分に一切の落ち度が無くても、自動車にはねられる危険性はある。恐喝に遭うかもしれない。自分は遭わないと考えるのは、無邪気すぎる。飛行機事故の遺族たちは、誰一人として、この結末を想像しない。危ない事をするなと、学校で散々教えておきながら、危険な社会へ放り出すのは間違っている。
 じっとしているのが正しいのだ。


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