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作品名:コウノユウウツ 作者:涸井一京

最終回   1

 世界征服を企む悪の秘密結社の末端戦闘員の甲は、ずっと疑問を抱いていた。我々が世界征服をしたら、世界はどうなる。正義と均衡、やや優勢という状況が一番良いのではないのか。悪がいなくなれば、正義の味方の存在意義がなくなる。正義の味方は味方をするのであって、奴ら自身は正義そのものではない。正義とは一般市民のことだ。一般市民が存在するからこそ、その対極にある悪が存在できる。
 一般市民は単独で存在できるが、はたして、悪は単独で存在できるのだろうか。
 一般市民である事を辞めて、秘密結社に入団した甲は、掃除、洗濯、食事の準備と働いた。一般市民であった時よりも、まじめに働いた。いや、働かされた。悪は、遊んで暮らしている訳では無かった。憧れの悪い事は、中々させてもらえなかった。こんな事なら、普通に真面目に暮らせるはずだったと後悔した。
 時代劇の衰退に伴い、大部屋俳優である切られ役の雇用先として生まれた、その他大勢の戦闘員。物語的に存在意義は無いのだろう。しかし、作品の成立には組織が必要で、その構成員には役割が必要だ。
真っ当に生活するのが一般市民なら、その対極の悪に生活というのは、本来無いのかもしれないが、悪にも生活がある。悪の日常も、一般市民の日常も大差ない。
 悪の組織にも、組織である以上一定の秩序が必要だ。その秩序というやつは、悪にそぐわない。
 矛盾を抱えつつ、後戻りはできなかった。いや、本当はできたのかもしれない。ただ積み上げた物を壊す勇気が無かっただけかもしれない。「世界征服の初めの一歩は、幼稚園バスの乗っとりから」という標語のもと、ひたすら園児を怖がらせた。やがて大人を拉致して、雑用はそいつらにやらせ、下っ端戦闘員の仕事は、監視となった。
 そして疑問は、一層深まった。
悪が完全に世の中を支配すると、こういう真面目に、もしくは嫌々働く人間が働かなくなるのではないのか。奴隷のように働くのは、いつかは解放されて、一般市民として、帰る希望を持っているからではないのだろうか。帰った時に困らないように、真面目に働いてしまうのではないのか。恐怖だけでは、支配できないような気がする。
第一我々の生活の主である食料の確保はどうする。今までは、奪う、という方法を取った。それは外の世界にまじめに働く人間がいて、成立するのである。悪が世界を支配すると奪う相手、一般市民がいなくなる。どうやって食料を確保するのだ。悪が、真面目にこつこつ田植えから始めるのか。
悪は永久に世界を支配できないのではないのか。戦闘に勝つだけが目的とも思えない。下働きも、監視も怠けたらどうなるのだろうか。掃除、洗濯もする人間がいなくなると、不潔になり不健康になる。悪は簡単に短時間に滅ぶのではないのか。
正義の味方の目的が、悪を栄えさせず、滅ぼす事ならば、何もしないのが一番手っ取り早いのではないのか。悪がそれなりに生きていけるのは、正義の味方のおかげなのではないのか。
乙に聞いてみる。どうやら博士は薬を開発したらしい。しかも量産できる。古来の権力者なら、自分だけが飲んで、その効用を独り占めしようとしただろうが、我々の総統は違う。どうやら我々末端にも行きわたるらしい。

甲は目の前の薬を飲むのを躊躇している。古代の、巨大な権力と富を持つものが、どんなに夢見ても、ついに手にする事が出来なかった薬。それを目の前にしても、昂揚感は無い。うれしくもない。本当に飲んでいいのだろうか。遠慮ではない。言葉にできない恐怖、いや嫌悪感がある。しかし、総統の命令を拒絶する選択肢も無い。要するに悪になった時、もう破滅は決定していたのだ。いくら頑張ったところで、勝っても負けても破滅だったのだ。だから悪なのだ。
放送なら、この場面で正義の味方は薬を飲むのを阻止するはずだ。間一髪間に合うのだ。逡巡する悪を正義に改心させるのだ。しかし、それは無かった。ならば、正義の味方を支援する博士が、この薬を無効化する薬でも開発しているはずだ。それも無いようだ。
どうやら、「正義は必ず勝つ」という信念だけで、動いているらしい。要するに無策だ。世の中は、強い者が勝つのである。正義か悪かは、勝敗に無関係だ。
放送では無かった、事態を迎えた。
当たり前だが、我々は、負ける訳が無い。正義は疲労する。悪も疲労する。へたり込んでしまえば、攻撃される。正義は死ぬが、悪は死なない。しかし、恐ろしく苦痛を伴う戦闘ではあった。どんなに疲れても、休む事は許されても、終わりが来ないのは、つらい。そのうち休んでも疲れは取れなくなる。「正義は必ず勝つ」の信念を持つ、正義は中々諦めない。休んでも寝ても疲れが取れないなんて、猛烈に働く会社員ではないか。
いつ終わるともしれぬ、戦いが終わっても、しつこく抵抗する正義に怒りを覚えるばかりで、うれしくない。
甲は幼い頃、ブスを見て、不思議に思った。神が存在するならば、なぜこのような残酷な事をしたのか。大概のブスは自らの容姿に悩む。一生悩み続ける。世の中は美人だけで構成されればいいと考えた。神は、全員を美人に生まれるように仕組めば良いではないか。あるいは、神の眼から見ると、人間が感じるほど、醜悪に差は無いのかもしれない。それでも、あまりにも不公平だ。美人だけなら、人間界で起こるかなりの問題は解決されると感じた。ブスは何のために存在する。多様な遺伝子のため、種の存続のためならば、ブスは美人の捨て石だ。その不平等は、神の存在を否定する。もしくは、存在しても人間が想像する慈愛に満ちた者ではない。
甲は幼い頃、正義の味方の人形と怪獣の人形を戦わせて遊ぶ、同年代の子供の目の届かぬ所で、遊んだ。ゴミ箱からいくつかの空き缶を拾ってきた。綺麗な一個と、汚いその他を分けた。綺麗な缶と汚れた缶を戦わせて遊んだ。それぞれを正義と悪に見立てた。いつも綺麗な缶が勝った。放送で見た、本物と同じ結末を望んだ。
ある日、ふと、この世界での自分の立ち位置は、汚い缶の側だと気付いた。
それからは放送を見ながら、いつも悪を応援した。が、必ず敗れた。

悪が世界を支配しても一晩で何もかもが逆転した訳ではない。
習慣とは、恐ろしいものである。必要が無いと分かっていても、夜になると眠り、時間が来ると、食事を摂る。いや、それは習慣ではない。元々この集団は、怠惰な人間の集まりである。それが、今はどうだ。皆、実に規則正しい生活を送っている。皆、怖いのである。眠る必要が無いと分かっていても、その事で健康を損ね、苦しむのではないのか。それなりに空腹感はある。それを埋める必然性は無い。が、栄養不足になると、病気にはなるのではないだろうか。不老不死という言葉に、不病は入っていない。不摂生がたたり、病になり、そのまま治りもせず、死にもしない。軽い怪我くらいなら、治るような気がする。病気をしたら、それが不治の病ならどうなる。治らない上、不死の身体なので、死ねない。だから、永久に苦しむことになるのか。心配は尽きない。いや増殖し続ける。未知である事は恐怖であり、その恐怖に背中を押されて、規則正しい生活を送っている。
生命をつなぐ意味の無い食事。これが実に魅力が無い。今までこんな物のために争ったり、懸命に働いていたのはなぜなのか、全く理解できない。無論、今不老不死の体になったが故の感想なのではあるが。食べるのが純粋に快楽のためとなった。そうなると一切の快感が無い。満腹時の食事の如く。
食とは、生命を維持するという行為に意味があったのかもしれない。生をつないだ事が喜びとなり、快楽となっていたのかもしれない。
食が、生きるためのものでなくなると、その前段階の屠殺が快楽のためとなる。命をつなぐため、命を奪うという罪を犯し、許しを請い、命をいただいた事に感謝する。そういう宗教的思考の無効化は、まあ、悪らしいと言えば言えなくもない。
しかし、悪の華である人殺しができない。何しろ、悪が世界を征服したのだから、世の中には悪人しかいない。そして我らが総統は、全ての人を不老不死とした。我慢できない悪人たちは、牛や馬を殺して、代用としようとした。しかし、その行為は他人の食という快楽のためのものとなり、他人の役に立つ。
漫画でも読みながら、遊んで暮らすが一番だ。
悪が世界を支配しても一晩で何もかもが逆転した訳ではない。甲は、以前と同じ、椅子にもたれかかった姿勢で漫画を読む。物語の世界に入り込めた自分を確認して、そう思う。
それでもジワリと世の中は変わって行った。漫画家は、締切りがあるから、漫画が描けるのだ。金を得る必要が無くなると、描かなくなった。ほっといても描きたい奴は描くとも言うが、やはり描く人間は減り、そして、あまり面白くなって行った。そして、それを出版するのも労働なのである。流通させるのも労働だ。悪に労働はそぐわない。しばらくは、趣味で出版されていたが、やがて出版されなくなって行った。悪の支配以前に、出版されたものしか、面白くない。本屋に残っていた物も、強奪され、奪い合いとなり、尽きた。強奪は、悪らしいが、困る店員はおらず、取り締まる警察も無い。実に味気ない強奪だ。蔵書を読むのもいいが、新しい血が入らないとつまらない。
こんなものが、一般市民がぼやく退屈な日常とは比べ物にならない退屈な日常が、永久に続くのだ。
美人だけの世界になったら、美人同士で醜悪を競うに違いない。不毛な争いだ。些末な差であれ、優劣が必要だ。美人は、ブスの存在に安心する。ブスとは捨石であるが、不毛な争いを止める、平和を保つ神のごとき存在でもある。
痩せている女が、私は太っていると思い込み、無駄な減量をする。しかし、本当に太っている女が目の前に現れれば、少し気が楽になる。太っている女は、自信を持たせる。やはり神の如き存在。人の精神を安定させる。
正義が勝っていたら、世界は平和で正しい世界になる、なんて事は無い。正義の支配する世界はひ弱な人間を生み出す。些細ないたずらに抵抗もできない、大人しい人間。それはやがて、いじめと呼ばれ、正式に悪と認定される。そして、元々は些細な悪とは呼べない悪を、敵として正義は団結する。
 正義は悪を必要とする。生活がある。しかし、そんな些細な悪では、大きな物語を作れない。物語を作るのが仕事で、作り続けるしかない。より巨大な悪を作り続けるしかない。「なぜ平和が訪れないのか」と嘆いて見せるが、それは正義がそう望むからだ。正義は失業を望まない。これは、大部屋俳優だけの問題ではない。裏方から主役級まで失業する。
 悪の中から正義が芽生える事は無いだろう。だから安定した世界ができるかと言うと、そうでもない。悪が支配する世界も昨日と同じ今日が永遠に続く事は無い。
効き目の切れない薬など無い。薬が効いている間は不老不死、という事は、切れると死ぬのだろう。薬を飲み続けるしかない。製造し続けるしかない。一体誰が真面目に製造し続けるのだ。
甲は、やっと安心して眠る事が出来ると思った。


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