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作品名:いつも通り 作者:涸井一京

最終回   1
土曜日の午後、私は馴染みの散髪屋に行くために家を出た。いつも通りの道を行き、住宅街の一角にある、その見慣れた建物を確認した。そして私は尋常ならざる光景を見た。それは曇天のせいかもしれない。
クルクルが回っていない。止まっている。電気がついていない。光っていない。月曜日なら、何でもない風景だ。ただ、それだけの事だが、随分と胸騒ぎがした。光が無く、動きが止まっている事に、死を連想した。
ただの休みだ。店主が風邪でも引いたのだろうと常識的に考えた。店の前まで来た。貼り紙がある。ドキリとした。予想が当たったというより、自分の願望が現実化したような気がした。
私には破滅願望と言うか破壊衝動と言うか、そういうものがある。しかし、小心者の自分には何もできない。動く事ができない。だから、自分の意志や行動と無関係の変化がうれしかったりする。自分で変えることができないが、変化を欲している。満足できない現状。それを改善できるかどうかはともかく、それには変化が必要だ。混ぜっ返す必要がある。
貼り紙には、当分休むとある。風邪ではない。もっと重篤な病気か、もしくは経営状態が思わしくないかだ。もう戻らないような気がした。事実上の閉店だ。
長い時間たたずむ。自転車に乗った若い女が通り過ぎた。貼り紙を読んで、意味を理解するには充分すぎる時間だ。不審に思われた気がした。それは自分の心が後ろ暗いせいである。客観的に見れば、店主と懇意であり、心配して貼り紙を熟読しているのだろうくらいに考えるだろう。もしくは何も気にしていない。
他人の不幸を目の当たりにして、彼よりは幸福、いや、ましだと実感する。幸福ではないが、明確な不幸な事態にない自分に安心する。何もしていなくても、何も無くても、何も無いだけで、何も無いからこそましなのだと思える。悪漢小説の主人公が破滅すると、当然の結果として安心する。派手に生きなくて良い。甘い話は無いのだ。平凡でも良いのだ。小市民である事を肯定され心地良い。作り物の物語より、作者の顔が浮かぶ私小説、それよりも現実の方がより実感できる。
個人商店には終わりが来る。昔なら、遠くの一流企業に就職し、家を出ていても、長男なら家業を継いだものだ。客の情報は、親子の間で伝達され共有される。客は「いつも通り」と言っていればいい。「いつも通り」がどんなものかは、店の方で情報を継承した。
しかし、今は個人商店に後継者などいない。一流企業を辞めて、継いだ長男はバカを見てしまった。自分は何とか継いでも、自分の代で終わってしまう。遅かれ早かれ、途切れるものに継ぐ価値は無かったのだ。
この理容店の息子もどこか遠くで就職した話を聞いた事がある。店主は、戻す気は無かったようだ。元々店主が働けなくなれば、終わる話だったのだ。店主は、初老の私より随分と年上なのだ。なぜ自分が生きているうちに終わりが来ると想像できなかったのか。気が付かなかったのか。全く能天気な話だ。
人は他人の不幸を見ても、自分は無関係だと考えている。交通事故を目の当たりにしても、可哀想だと感じても、口ではその可能性に言及しても、自分がそういう目に遭うとは考えない。不吉で不幸な事は他人に起こる事なのだ。人間に何れ死が訪れる事を、頭では理解していても、実感は無い。自分にも、そう遠くない未来にやって来るという事実から目を逸らす。
この店は断絶する。自分も断絶する。生物は、自らの遺伝子を継承する。望んでも叶わなかった結婚。子孫を残す事は無かった。人並みを望んだことは無かった。望まなくともそれ以上の人生が待っていると漠然と考えていた。現実に人並みにならなかったのは、願わなかったからなのか。人並みすら目指さないと得られないものなのか。

さて、差し当たっての問題は、今日、これからどうするかだ。
近所に格安理容店がある。その店のせいで、馴染みの店の経営が思わしくなくなった可能性はある。店の目の前に同業の店を建てる。そんな非常識な行動は大手資本にはよくある事だ。常識に欠ける行動で、地域を破壊して、地域に親しまれる店になる事はない。愛される店になる事はない。連中は安ければ、客が来ると思っている。集金以外に興味は無い。
ただこの店の場合、向かいに建てられたわけではない。この店の場合向かいは学校だったために、店が建てられなかっただけの話だ。進学校あるその学校の生徒が談笑しながら歩いている。まずまずの位置につけているという安心があるだろうが、彼らにあるのは期待であり、約束された確かな未来ではない。子供を生きずに、青春を生きずに、すべては次の準備のために生きる。準備は万全と安心し、安心のために一生を費やす。明日の準備のために生きる人間は、今日を生きる事が無い。永久に将来のための準備をし続ける事となる。自分の立ち位置に安心し、満足しているだろうが、それがもろく、安心出来る日が永久に来ない事にまだ気付いていない。しかし、彼らは、気付かない方が良い。そんな生き方しかできない人間は、気付いた者から不幸になる。
非常識な店の客になるのは、馴染みの店に不義理だ。何人かの客は、そう思って馴染みの店に通った事だろう。今の私の状況は、不義理でも何でもない。しかし気が進まない。それは、「いつも通り」と言えないせいだ。「どうしますか」と聞かれる。一体、何と答えるのだ。私は一体何年、何も考えずに散髪屋に通った事か。いや、散髪だけではない。惰性で生きてきた。しかし、まともに生きていれば習慣というものができる。突如狂わされて、途方に暮れる。うまく今日をしのいだとして、その次はどうなる。そんな店は、客の顔に興味は持たない。顔馴染みなったりはしない。毎度、一見扱いされる。顔馴染みの客とは個人商店でしか存在しえない。惰性の線路に再び乗れないのであれば、今日をしのぐ意味が無い。
私は、ハゲている。最初にして欲しい髪型を告げてから何年経つかは分からないが、その時は薄くなかった。髪の毛が少なくなるにしたがって、理容師がそれなりに分からないように細工してくれた。最初は完全に隠せた。徐々に隠せなくなる。その時点で他人から笑われる無様な髪型となっているのだが、理容師の技術と努力を否定するような、「丸坊主にしてください」と言えない。今は、左側の髪が異常に長く、その長い髪を右側に渡してある。すだれである。それはそういう技術と言うか、理容師の教科書にでも載っているような話なのだろう。何も言わないし、何も聞かれないが、そうしてくれる。それは無用なもめ事を避ける術なのか、客を傷つけない心遣いなのかは不明だ。随分間抜けな髪型だが、鏡を見る角度によっては、ハゲていなかった昔の自分の姿が映し出される。街で見かける間抜けな髪型も客が指示してない場合も多くあるのだろう。なぜそんな髪型にするのかという疑問を抱く人間には想像もできない事だが、理容師が勝手にそうするのだ。
若い頃は無様だと笑ったものだが、自分がそうなるとは全く想定していなかった。迂闊と言うか、無邪気と言うか。しかし、心構えをしていてもなるものはなるのであって、高級な薬剤を使ったところで、結果は同じである。子供の頃、七十年と言う時間は、永遠と同義だった。若者でなくなる時は来ないはずだった。終わりとは不幸で、自分には不幸は訪れないと思っていた。
無意識に格安店の前に来ていた。が、入らずに、用が無いふりをして、通り過ぎた。店の前をうろうろしていたら、ふん切りがつくかと思ったが、うろうろすらしなかった。今日は諦めた。こういう店は自分より長生きするかもしれない。しないかもしれない。しかし店員は、入れ替わる。箱は変わらない。人などいくらでも代わりがいる。いや、箱も代わりはいくらでもある。
終わりが来た。その事が妙にうれしい。実際散髪してくれる店が無くて困っているにも関わらず、ほっと安心している。永遠の循環から抜け出せたのだ。
後継者がいないといえば、自分にも子供がいない。死んでいく。自分の遺伝子を残さずに。次は自分の番だ。自分にも終わりが来るのだと実感した。
現実から逃げて、家に帰る。水中に沈められていて、ようよう水面に顔を出して、久しぶりに息をするが如くに、部屋の扉を開ける。そしてほっと生き返る。いつもの表情で人形が迎えてくれる。人形を見る。見つめる。その人形達に会うという事は、私にとっては、人間が食事をする如く、必要不可欠な行為だ。
私には、人形を収集するという癖がある。楽しむのはもちろんだが、収集物は、私の趣味と思想を示す物だ。集めるべき物をすべて集め、その完成を目指している。分かる人からは尊敬されるはずだ。しかし、実はそれが目的化して、あまり楽しくない。それでも集めている。惰性と言うか、もう止まらない。コツコツとためたのではない。気力に欠け、覇気が無く、遊ぶ気力も無く、金の使い道が無かったのだ。他に使い道が見つからないまま、ここまで来てしまった。
集めている人形は、指紋がつくのもはばかられる。丁寧に扱うのを通り越して、儀式化している。神経を使い過ぎて、疲れるだけで、楽しめない。私が死ねば、大事に扱ってきたこれらの人形は、私のこだわりなど無視されて、汚い手で触られ、穢されて行く。悪意も無く、全く知らない人間が乱暴に処分するのだ。
それらは一生あるものと思っていた。実際そうなのだろう。所有者たる自分が消えれば、消えてしまうのだけの事だ。集め始めた時の、一生は永遠と同義だった。生命が無くなるという事は、絶対的な無を意味する。そしてそれは意外に近い。収集の完成の翌日に死んで、完成の喜びに浸るのがたった一日だとしても、いや完成の目前に死ぬと分かっていても、それでも完成を目指して集め続ける。いや、そもそも何が完成なのか。キリが無い。達成感も満足感も無い。常に物足りない。終わりが無いと困っていたが、目途が立った。
それに気付いた自分は、これから他人より充実した人生を送れる、なんて事は無い。大発見の感動は一日も持たず、いつも通りに面白くない日常を生きるだろう。
悩んでいるうちに終わりが来た。そしてまた些末な事に悩んでいる。
明日もう一度散髪に行こう。無論、馴染みの店に。そして開店していない事を確認して、格安店に行く。「どのようにいたしましょうか?」と問われた時、どう答えるかが問題ではあるが。


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