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作品名:そして骨組みが残る 作者:涸井一京

最終回   1
 俺は特別な人間だ。今は高校生で、平凡な生活を送っているが、卒業すると同時に、俺は世に出るのだ。大物になるのだ。移動するのに電車に乗る必要が無い。送迎の車があるのだ。会社に入って、偉くなってそうなるのではない。学校を出てすぐそのような生活を送る必要がある。特別な人間に下積みは不要なのだ。そんな事をするのは、特別な人間ではない。第一、五十歳の自分は想像できない。と言うか、三十三年後など、永遠と同義の長さだ。それは来ない未来の話だ。永久に来ない日なのだ。ゆえに俺は永遠の若者だ。歳を取らない。取るはずがない。
高校三年、そろそろ期限が迫ってきた。残された時間は少ない。さすがに真面目に考えないといけない。具体的な進路が必要だ。
ゴロリと横になり、テレビを見ながら、ふと、思いついた。目の前にいる。「芸能人」と言う案が浮かんだ。これしかないな。でも名案とは言えない。別に芸能人なんかになりたくはない。アホっぽいし、実際テレビでバカばかりしている。俺はバカにしながら、見ているし、俺もそう見られてしまう。でも売れたら、と言うか、俺が芸能人になれば、売れるのだけれど。売れたら、概ね思っているような生活が送れる。更に頭を回す。
まあ、ギタリストくらいが妥協できるギリギリの線かな。芸術的だし、誰かの操り人形でなく、自分というものがありそうだ。
俺は安心して、まただらだらと時を過ごす。周りは進学だの就職だのとうるさい。人並みはいらない。人並みを求める凡人を高所から眺める。努力する周りの人間を軽蔑しながら、時は過ぎて行く。どうやら周りの人間は、俺を馬鹿にしているようだ。全く凡人とは恐ろしいものだ。
俺の親もうるさい。「一体、どうするのか」と。しかし、俺は、親の想像の範囲の平凡な生活を送る訳にはいかない。何しろ俺は特別な人間だ。
でも、まあ、進路が決まっているので、心配はしていない。失敗もあり得ない。何しろ俺は特別な人間だ。
夏休み、ふと気付いた。さすがは特別な人間だ。俺はギターを弾いた事が無い。これではギタリストになれない。そろそろギターを始めなければならない。ギターを触った事も無いギタリストはさすがにいない。そこに気付くところが特別だ。
俺は早速、ギターを買いに家を出た。早速行動するところがまた特別だ。楽器屋なんて行った事が無い。しかし、そこはさすがに特別な人間だ。興味が無くても、街のどの辺りに店があるか、なんとなく分かってしまう。しかも闇雲に歩いていても、着いてしまう。
集めた有り金で買えるギターを探した。安いギターが買えた。安くても良い。後は腕で何とかできるのだ。
 家に帰って、ギターをポロンと弾いてみた。出て来る音はただの雑音で、音楽になっていない。これは弾けないという状態だ。俺のような特別な人間に練習を強いるのか。生意気な楽器だ。おかしい。そんなはずはない。いきなり華麗に弾けて、人々を感動の渦に巻き込むはずだ。妄想の中ではいつもすごい人として絶賛されている。俺は謙遜する。増々称賛される。
俺は何度も弦をかき鳴らすが、曲にならない。これではギタリストになれない。俺は焦った。そして悟った。世の中にはギターが好きで、弾いている人間がいる。その中で上手に弾ける人間が、ギターを弾く事を生業とするギタリストになるのだ。さすがに俺は特別な人間だ。他人が気付けない事に気付いた。
何、俺は特別な人間として、それにふさわしい職業として、ギタリストがいいかな、と思っただけだ。ギタリストに拘る必要は無い。
 夏も終わる頃、一瞬だけ受験勉強をしようかとも思った。今から追いかけても、ある程度追いつける。何しろ俺は特別な人間だ。それが無難だ。「無難」その言葉が浮かんだ瞬間冷めた。自己嫌悪に陥ろうかとも思ったが、止めた。特別な人間にも迷いくらいはあるのだ。そして、また名案が浮かんだ。
孤高の詩人なんてどうだろう。俺は苦悩する。カッコ良いではないか。

夏が去ろうとしている
風が冷たくなる
日の暮れるのが早くなる
俺は物悲しい気分になる
闇は怖い
そこに吸い込まれそうな気がするから

 できてしまった。やはり俺は特別だ。出来たからには評価される。寡作の方が良いだろうが、一遍ではさすがに少ない。しかしやはり俺は特別だ。すぐに次が浮かんだ。溢れる才能は本当に溢れ出して、手が付けられない。

厚い雨雲が空を覆う
太陽が隠れる
辺りが暗くなる
鈍色の空を眺める
そして探す
雲の切れ間がある
ほんの少し水色が見えた
本物の空、見つけた

変わったばかりの青信号
俺はこの新鮮な青で横断歩道を渡る
黄色になる寸前の青ではない
それが俺にふさわしい
しばらくして振り返る
信号が点滅している
ばたばたと人が渡っている
その行為は俺にはふさわしくない

売れる気がしない。才能や出来の問題では無い。分量の問題だ。こんな事をいつまでもやっていられない。これでは大金持ちは無理だ。何しろ紙一枚で済んでしまう。売り物の本にならない。それでも死後にこの紙片が発見されて評価されるのだ。しかしそれでは生きている間に思うような生活ができない。

 時間は流れ、卒業の時を迎えた。俺の行先は見つからない。俺は街を歩く。通りすがりの見知らぬ女の子が、「あっ、あの人」と俺の噂をしている。俺は、何か理由は分からないが、とにかくすごい人なのだ。俺は声をかけてあげる。よく見ると、結構な美人だ。こんな女の子から、尊敬され、憧れられ、声をかけただけで喜ばれる。俺は特別な人だから当たり前だ。しかし今のところ、それは妄想だ。じっと彼女を見ていたら、気味悪がられた。
 一応浪人という事になった。親も教師も想像の範囲内に収めたい。しかし俺は、大学を受験する気が無い。行先が見つからないという意味では浪人だ。しかし、まさかだ。この俺が、特別な生活を送っていない。どこかに行くのに電車を乗る生活を送っている。しかし、まあこれは高校生活の延長戦だ。大金持ちの家に生まれた訳ではない。特別な俺が、特別な生活を送るのは、子供時代が終わってからの事だ。いつ子供でなくなるのか。高校卒業というのは、いいキリではあるが、それに拘る必要も無い。
 
 俺は名ギタリストの演奏を聴きながら、それに合わせて、ギターを弾く真似をする。名ギタリストの左手の指は、見事に的確に華麗に弦を押さえている。俺の左手は、じっと動かないままだ。右手に持ったピックは弦を空振りし続ける。妙な音が入れば、雰囲気は壊れる。目をつぶると、その名演奏は俺が奏でたものとなる。その称賛は、俺へのものとなる。俺の脳の中では、もうその演奏は俺のものだ。
 時間が経てば、それは記憶となる。妄想に基づく脳に保管されている記憶。現実の体験に基づく脳にある記憶。同じ脳に存在する記憶だ。それが妄想に基づくか、現実の経験に基づくかなんて無意味だ。その記憶を、他人に伝えればいい。俺はやはり名ギタリストなのだ。しかも完全無欠だ。現実はもろい。完璧に近づく事はあっても、完璧になる事は無い。妄想は無限で完璧だ。

 俺は映画でも見ようと思い、駅に来た。しかし、全く、何という事だ。特別な俺が我慢して、電車に乗ってやろうというのに、何なんだ、一体。流れが止まっている。人があふれている。電車が順調に動いていない事は明白だ。人身事故という放送が流れている。なぜはっきり飛び込み自殺がありましたと言わない。第一、事故なら、電車会社に過失がある言い方ではないか。会社は迷惑をかけられた被害者だ。駅員を見ろ。全く余計な仕事をさせられている。しかし、乗客は誰も文句を言わない。自殺者に化けて出られると怖いとでも思っているのだろうか。
 それにしても大きな影響力だ。多くの人間が立ち往生している。予定は大狂いだ。
これは、この状態は、多くの人に影響を与えている。その点においては、原因を作った人間は、大物と言える。
夢は果たせる。しかし、・・・。まあ、人生は妥協だ。何もかも思い通りにはならない。何も長生きする必要は無い。
 取り敢えず、これで進路が決まった。もう安心だ。映画を観終わったら、また家でゴロンとなりテレビを見よう。


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