◇Side 無口七緒
僕を一瞥した桐式はそのまま刀野郎の前へ。イチは僕に駆け寄り―― 「危なかったなぁ。俺が紅葉の事を呼びに行ってなかったら死んでたぜ?」 なんて言うことをにやけた顔で言っていた。 「お前、僕達のこと尾けてきてたろ? そうじゃなきゃこのタイミングで桐式の事呼びにいけないからな」 「バレたか」 多分、僕らが家を出た時点で体を魔力の霧にしてついて来ていたに違いない。他の――特に優秀な魔術師ならばそうなっていても使い魔の気配くらい分かるもんだろうけど、僕には分からないから自分で自分に腹が立つ。 「で、お前は僕が襲われているのも構わずに桐式に助けを呼びに行った訳だ」 「お前……天才だな」 言葉どおりではない、人をからかうような顔で言い放ったイチの額に拳を打ち込む。瞬間刀だ刺され場所が酷く痛んだ。 「ったく、秋子さんも来てるから大人しくしてろよ」 秋子さんは治癒魔術を使える人だからこの件に関わっている以上これからもお世話になる事は多いだろう。それは秋子さんに事件の調査を頼まれた時から考えていた事だから抵抗は無いけど、しかし―― 刀野郎に水の剣を向けて対峙する桐式に視線を向ける。剣道の試合は見た事が無いけど、下手な攻撃をするとそれをいなされて返す剣で打たれる、そんなイメージがある。故にただ切先を向け合って佇む今の二人の間には、いかに相手の隙を見つけるかと言う駆け引きがされているのが分かった。しかも桐式にしてみれば相手の武器は一撃で自分の戦闘力を奪い、最悪は命をも奪う事の出来る武器だ。迂闊には攻撃出来ないのだろう。 横で見ている事しか出来ない僕らにも伝わってくる程の重い空気。まだ数十秒しか経っていないだろうに、もう数分はそのままでいるように見えた。まったく動きの無い斬り合いに自身の体の痛みすら忘れていると―― 「あやや、これは珍妙な場面に出くわした」 僕の背後から女の声が聞こえた。きっちりとしたスーツにサングラス姿の、セミロングのブロンドを靡かせた外人の女はしかし血を流す僕にも、刀を構える二人にも動じず、 「怪我人。これは私の出番だね」 出番、と聞いて助太刀でもするのかと思いきや―― 「ぎ、ッッッッ!!」 僕の後ろに持っていた鞄を置きながらしゃがみ込み、一本、二本と足と腹に刺さったままだった刀を一気に引き抜く女。一瞬にして意識が消えかけたところを、パパンと軽快な音を立てながら頬を叩かれて覚醒させられる。 「寝たら死ぬよ、少年」 言って、風穴の開いている腹に女が手を当てた。短く、素早く何かを呟く。それは呪文だった。聞き取れなかったけれど、英語に聞こえたその呪文を言い終わると僕の腹の痛みはすぐに消え、そして傷まで消えてしまった。 「お、おおー……凄いねお姉さん」 「でしょう? 治すも壊すも自由自在よ。ほら、もう二箇所」 続いて肩、足と傷を治した。まったく痛みが無く、怪我は完全に治癒していた。ありえない。秋子さんだって――いや、話に聞く治癒を扱う魔術師だってここまで素早く怪我を治す事など出来ない筈だった。しかし強力な薬には副作用がある。この治癒力にも―― 「あんまり激しく動くとすぐに傷が開くから気をつけなよ、少年」 やっぱり副作用があった。しかしそれは普通の怪我をした時と同じもので、副作用なんてのはあって無いようなものでもあった。 「これは驚いたわ……」 その声は秋子さんからだった。遅い到着ではあったけど、息が上がる程に急いで走ってきたのは見て取れた。単にイチと桐式の足には追いつけなかったのだろう。 外人の女の治療風景を見ていたのか、自分以上の治癒魔術の使い手に驚いて目を丸くしている秋子さん。女はそんな秋子さんや僕とイチ、そして僕らにも目をくれず対峙している二人に向け、 「さてさて、そろそろ警察が来る頃だから逃げた方がいいわよ、皆さん」 と言って自分はひらりと身を翻して歩いていってしまった。 それを聞いて、桐式は刀野郎から一歩、二歩とすり足で後ろに下がる。刀野郎はそんな桐式の姿を見ると刀を納めて体を霧に変えて姿を消した。恐らくアパートの二階の廊下で僕らを見ていた北さんの元へ戻ったのだろう。 桐式も水の剣と白い手袋に変身していた姫ちゃんを消し、僕らの元に歩いてくる。 「行こう」 言って、僕に肩を貸すようにして立たせた。痛みは消えたけど――動かすと、まだ少し痛む。あの女の治癒魔術も見た目どおりに完治する訳じゃなかったようだ。とは言え走れないほどじゃない。桐式の手を振り払って自分の足で立つと、秋子さんの家に向けて足を進めた。意地っ張り、と言う言葉が桐式から聞こえたけど気にしない。 秋子さんの家に辿り着いた頃、遠くの方からパトカーのサイレンが聞こえてくる。巻き込まれないようにしながら僕らを見ていた人が通報したのだろう。あの女が言ってくれなければ面倒な事になっていただろうし、間一髪だった。 家の中に入ると、まずは秋子さんに傷を見せる。とは言っても見せられる傷は無いのだけれど。触診をしてみても微かに痛むだけそれ以外に目立った変な所は無かった。 首を傾げながら、しかしその見事な手法に感心するしかないと言う秋子さんが溜息を吐きながらも、 「とにかく無事でよかったわ」 と言って父さんに連絡をする為に電話を掛けに行った。 そうしてから桐式が近寄ってきて――めし、と言う音が聞こえてきそうなほどに額を殴られた。 「この野郎、あいつの所に行くんだったらあたしに一声かけろ!」 「なんでだよ」 「あたしも手伝うって言っただろうが」 「僕は認めてない」 言って、今まで黙っていたイチが突然僕の頭を叩いた。 「ごめんな、紅葉。こいつ友達が居ないから礼も言えないんだよ。って言うか初めて友達が出来たもんだからいいとこ見せようとしてさ」 「そんな事に友達は関係ないだろ。お前は引っ込んでろ」 「うるせーばか」 罵倒と共にもう一度殴られる。そろそろ頭の形が変わりそうだ。 「とにかく七緒は休んでろよ。あとはあたしがやる」 「なんでお前が」 「友達がやられて黙ってられる訳無いだろ。それにあいつは人殺しだ。放っておけるか」 そんな、正義感丸出しな事を恥ずかしげも無く、それでいて格好つけてる素振りも無く言い放つ桐式に僕は何も言えず、そして――
◇Side 桐式紅葉
秋子さんのアパートの隣にある駐車場で車に乗り、七緒を家まで送る。事の次第をゲンさんに伝えると、何も言わずに難しい顔をして七緒と肩を組みながら家の中に入っていく。秋子さんはその足で家に戻っていき、あたしは一人手持ち無沙汰になる。姫は霧になってあたしの傍に居る。空を見上げる。太陽が一番高く昇った空にはわたあめのような雲が幾つか浮かんでいて実に良い天気だ。こんな良い天気の下で、あの刀野郎は人を殺そうとした訳だ。 「よし」 ぱん、と両手で頬を叩く。あまりこっちの方には来た事が無いけど今日だけでも二度通った道だし、ほぼ一直線だったから道に迷う事は無いだろう。そうと決まれば、 「お礼参りだ。行くぞ姫」 刀野郎のペルソナが住んでいたアパートへ向けて歩き出す。こんな事なら秋子さんの車に乗せてもらえば良かったと思うけれど、一人で戦いに行くなんて知られれば流石の秋子さんだって止めるだろうし、七緒はもっと反対するだろう。それじゃ動き辛くなる。フォローが無いのは厳しいけれど、幸いな事にあいつはタイマンで勝てないような相手じゃない。刀は恐いけどこっちだって武器があるのだ。姫との対話で得た絆と言う武器が! 「……流石に恥ずかしいな」 言って、一人で顔を赤くしながら道を歩いた。携帯を見ると、友達やら担任やらからメールが来ていた。その殆どが「またゲームでもやってるのか」だったのがあたしの普段の行いが悪いのかなぁと思ってしまう。つーか担任にすらそういう目で見られるってどうよ。 三十分ほどしてやっと刀野郎の家の近くまで辿り着く。が、遠目から見ても分かる通りにパトカーと警官の―― 「し……死体……!?」 刀が何本も突き刺さったパトカー。正面から袈裟に斬られた警官。車内で、車外で、血の海が広がる。まだ匂いの届くような場所ではないのに血の匂いが漂ってきそうなほどにその光景は酷く残酷で、酷く残虐で、酷く現実味が無かった。その場に胃の中の物を全て吐き出したくなるが堪える。すぐにその場から離れたいのに足は動かない。そうしている間にも、あの刀野郎は、全身に返り血を浴びながら迫ってきていた。
◇Side 無口七緒
自分の部屋の中、服を脱いで傷の消えた自分の体を見詰めながら佇む。父さんは気にするなと、生きているだけで儲けものだと言っていた。あの状況で父さんならどうする、とは聞けなかった。僕と父さんは使えるカードがまるで違う。同じ状況に立たされても自分のやり方で活路を見出さなければいけない。他人のやり方なんて参考に出来ない。そうしなければ町の管理など――あの刀野郎よりもよっぽど厄介な魔術師の相手など出来ない。 生きているだけで儲けもの。ああ、そうだ。その通り。生きていれば次がある。死ななければ次がある。僕は刀野郎を――ぶっ潰す。 「――さて、となると」 ベッドの下に手を突っ込む。ご禁制の書物はもっと狡猾に隠してあるけれど今はそれを探している訳じゃない。ベッドの真裏に隠してある物を掴んで引っ張り出すと、 「おい七緒!」 頬にご飯粒、手に稲荷寿司を掴んだイチが慌てた様子で部屋に入ってきた。 「大変な――ってなんだそりゃ!」 「……マシェットだよ」 ベッドの下から取り出したのは山地で草木を刈る為に使う大型ナイフだった。多目的に使う、と言う意味では確かにナイフだけれど、遠心力と重さを得る為に刃先に行くほど刃の幅が広がっている為、下手な武器――刀のような細長い武器でこのマシェットの一撃を受け止めようとするとその武器ごと相手の頭を叩き割る事だって出来る、十分に戦闘用に使える武器だ。とは言えその形状故に細かい動作をし辛いのだけれど、そもそも今の僕にそれほど細かい動作は必要ない。 そんなマシェットを見ながらイチは稲荷寿司を食べ、 「……あいつにはリーチで負けねえ?」 至極当然の事を聞いてきた。確かに攻めに回れれば刀を折るくらいは出来るのかも知れないけれど、その為には相手に近付く必要がある。木刀やら鉄パイプやらなら何とかなるだろうけれど、刀が相手じゃ分が悪い。 「……バタフライナイフよりはマシだろ。で、なんだよ」 「あ、そうだった。テレビ見てみろテレビ!」 言って、イチが油の付いた手でリモコンを掴もうとするのを、その手を弾いて止めて代わりにリモコンを取る。そのまま電源を付けてみると、今の時間はいいともがやっているはずなのに、緊急特番がやっていた。ヘリコプターから撮られているらしいその報道内容はつい最近見たような――それもまだ一時間経ったかどうかと言うくらいの――場所で、警察官が刀で切り殺されたと言う事だった。って言うか北さんのアパートの前だった。 「あの野郎、何がしたいんだよ……!」 「パパさんがな、取り合えず様子見ろって。こうも報道されてちゃ俺らは動けないから、まずはパレットからの連絡を待てってさ」 「分かってるさ。でもな……」 報道の中に、軽症を負って病院に運ばれた高校生の少女、と言う言葉が流れる。単なる偶然かも知れない。桐式ではないのかも知れない。けれど、しかし。 「放っておけるか?」 イチの顔を見ずに問い掛ける。帰ってくるのは、首を横に振る気配だった。 「あいつをぶっ潰す。いや、ぶっ殺す」 「だな。俺も協力するぜ」 言うなりイチは姿を霧と変える。僕も服を着込み、マシェットを―― 「おいおい、今から行くのは病院だろ?」 「いや、あの野郎――」 「病院、だろ?」 「……」 マシェットをベッドの下に蹴り入れ、さっき無くしたナイフの代わりのバタフライナイフを小物入れから取り出して外に出る。玄関に向かう途中、父さんが部屋から顔を出し、 「昼はどうする?」 「いらない」 「稲荷寿司ならあるぞ」 ひょい、と皿に載った稲荷寿司を差し出してくる父さん。 「……もらう」 その前を通り過ぎながら稲荷寿司を手に取ると、口に放り込んだ。 「見舞いか?」 「まあ」 「紅葉さんによろしく言っておいてくれ」 「分かった」 玄関に辿り着き、自転車の鍵を持っている事を確認しながら靴を履く。しかしここから一番近い病院までの距離を考え、靴箱の上に置いてある小物入れの中のスクーターの鍵を手に取り外に出た。 処川の土手沿いに南下する。軽快に走るスクーターはすぐに石間町の境を越えた。すると、ずっと頭の中で僕を急かしていたイチの声が消える。シャドウを生み出した結界は石間町にのみ作用し、その範囲を――多少は境界に差はあるけれど、ほぼ石間町の中のみだ――出てしまうと存在していられなくなる。その状態でずっと放置するとどうなるかは分からないけれど、また町の中に戻れば元に戻るから例え今の状況で北さんに襲われたとしても相手も同じ状況だからと、気にはならなかった。 改造した訳でもないスクーターは後方からの自動車に何度も抜かれる。しかしそれでも最高速度で走らせて病院を目指す。程なくして病院に辿り着き、入り口前の駐輪場にスクーターを止めると―― 「大丈夫だって、ただのかすり傷なんだからさ」 と、桐式が出入り口前で男と口論している姿が見えた。左手に包帯を巻いている以外はまったく健康体に見える。 「心配しすぎだよお父さんは――あれ、七緒じゃん」 僕に気付いた桐式はお父さんと呼んだグレーのスーツに無精ひげを生やした男から離れ、僕に歩み寄ってきた。報道陣も居ないし他の警察の姿も無い。事件の関係者ではなく、単純にその場に居合わせた不幸で、学校をサボった不良な少女として扱われたのだろう。それはそれでほっと安堵の溜息が出る。 「なんだ、心配して来てくれたのか。良い奴だなーお前」 ポニーテイルを解いた腰まで流した黒髪を揺らしながら左手でぺしぺしと僕の肩を叩く。その手を取り、 「大丈夫なのか?」 「うん? 大丈夫だよ。ちっと驚いて転んでさ、手を擦りむいただけだ。でもさ……」 ゆっくりと歩いてくる桐式の父親を気にするようにしながら声を潜め、 「姫が消えたんだ……どう言う事なんだよ、姫は大丈夫なのかな。また会えるのかな」 酷く心細そうに、とても悲しそうに。ともすれば――今にも泣いてしまいそうな、今まで見た事が無い表情で言った。僕は今まで他人にそんな表情で僕に話しかけられたことがない。どんな風に対応すれば良いのかは分からない。けれど、桐式の不安を解消出来るだけの知識を持っていたのは幸いだった。 「大丈夫だ。石間町に戻れば姫ちゃんも戻ってくる。結界の話したろ? あの中にペルソナが居ないとシャドウは存在してられないんだよ」 ぱっと明るくなる桐式の顔。喜びを隠しきれないのか、桐式は掴んでいた僕の手を振り解いてまで僕の両肩をバンバンと叩いてきた。そうしていると桐式の父親が僕らの元に辿り着き、 「あー、君は紅葉の友達かな?」 と、警官だと言っていたけれどどう見ても刑事と言う威圧感で聞いてきた。いや、私服で捜査をする事が多い警官の事を刑事と呼ぶだけだから意味は同じなんだけれど。 「娘の見舞いに来てくれたのか? それは嬉しいが、学生が学校をサボるのはあまり感心しないな」 普通の事を言っているのだけれど、うちのぐうたら親父と違って刑事の貫禄と威圧感たっぷりなその様子にたじろいでしまう。なんて返せば良いのか、そんな事を考えていると、 「おー、お父さんがきちんとお回りやってるよ。普段は学校なんて適当に行ってりゃいいんだ、なんて言ってるくせに」 「あ、このやろ! ……ったく、人がキメてる時に茶々入れやがって」 ぼりぼりと自分の頭を掻くおじさん。そして一気におじさんの纏っていた威圧的な雰囲気は薄れ、 「まあなんだ。学校なんてのは卒業出来りゃいいんだ。あそこで学ぶ事が社会で活きる事はないからな。……まあいい、紅葉のお見舞いに来てくれてありがとな、えーっと」 「あ、無口です」 「無口君か。無口? あの無口か? ゲンさんのとこの」 「あ、そうです」 ゲンさんは老若男女問わず大人気だな、おい。いや、人望があるのは知ってるけど、警察にまで手を伸ばしてるのかあのおっさんは。 「そうかそうか。ゲンさんによろしく言っておいてくれ。ん? そう言えば昨日は男の家に泊まるって……」 「あー、分かったから早く行けよ! まだ犯人捕まってないんだろ!」 桐式がおじさんの背中を押して僕から引き離す。分かった分かった、と言って仕方無さそうにおじさんが離れていき、気をつけろよ、と片手を挙げて病院の駐車場に向けて歩いていく。その後姿は刑事として生きてきた経験を物語るような頼れる背中に僕には見えた。 「まったく、過保護なんだからさ。悪いな、面倒掛けて」 「面倒じゃないよ、別に。……でも大丈夫なのか、行かせて。あの刀野郎無差別にやってたみたいじゃないか」 「……それなんだけどさ、あいつ、単純に銃を向けられたから斬りかかったみたいだ。お父さんがあいつを見つけて銃を向けたりしない限りは大丈夫だと思う。あの時あたしに向けて歩いてきたんだけど、武器を持たないなら相手にしない、って言ってあたしの目の前で消えたんだ。ペルソナの……北っておばさんはドサクサに紛れて逃げたらしいから早々見つからないんじゃないか?」 「銃を向けたからって……それでも昨日の公園で桐式と、桐式の前に戦って殺した男は何もせずに斬りかかってきたんじゃないか?」 「それもそうだけど、妙にあいつ礼儀正しい所があるからな。あたしと初めてやった時も一礼して、自分が刀を持ってるって事をあたしに気付かせた上で勝負を挑んできた。その人も逃げようなんてしないで立ち向かおうとしたんじゃないか? 背中に怪我は無かったんだろ?」 「僕には後ろから刀を投げて来たぞ」 「それは……七緒が逃げたからじゃないか? 刺されたって言っても急所は外れてたし。警官殺しだって遠目からしか見てないけど皆正面から切り殺されてた。お父さんから聞いたけど、一目散に逃げた奴はお前と同じで刀を投げつけられたけど、生き残ったらしいぜ」 それはつまり、戦う時はあくまでも正々堂々と、って事なのだろうか。妙な話だ。あまりにも人間臭い、矛盾した行動。作られた生物である使い魔にあるまじき行為。どうにも謎だらけだ。 「……なあ、戻ろうぜ。なんか姫が居ないと落ち着かないよ。七緒もイチが居ないと――って、イチが嫌いなんだったっけか」 「そう言う事だ。……そう言えば桐式はどうやって帰るんだ?」 「え? ……あー、歩きかバスだなぁ……」 言いながら、桐式はもうすでに居ない父親の姿を思い出すように天を仰いだのだった。
◇Side 桐式紅葉
病院から歩くこと十分。石間町の町境に入ったところで、ぽん、と姫が目の前に現れた。嬉しさに思わず抱き上げると姫も嬉しそうに笑った。きっと”もみちゃん、寂しかった?”と言っているに違いないその笑顔に見蕩れていると、突然胸にむず痒い感触が走る。 「うひゃ!」 なんて声を出して姫を手放してしまう。姫がコンクリートの上に着地するのを確認すると、あたしの胸を揉んでいた手を掴んで思い切り握った。 「あいたたた! やーめーろーよー」 「うるさい。お前の乳も揉んでやろうか!」 言って、あたしの背後に立っていたイチに振り返る。ったく、あたしよりも立派なもんぶら下げてるんだから自分で揉めばいいものを。歩きでついて来てくれた七緒はあたしの一歩後ろを歩いていて、イチの暴走を止める事無く見ていた。やはりと言うかなんと言うか、イチが戻ってきても嬉しそうな表情を見せない。まああんまり感情を顔に出さない奴みたいだから本当の所は嬉しいのかも知れないけれど、まあそのあたりはあたしには分からない。 「それにしても悪いな、付き合ってもらって。原付も置きっぱなしでさ」 「いいよ別に。スクーターなら後で取りに来れる。こんな事になった責任は僕にもあるからな、送ってく位はするよ」 なんだかんだとあたしを心配してくれてるんだろうか。仏頂面だけど良い奴だなぁ。 「紅葉と一緒に帰りたいだけのななちゃんであった」 と、モノローグを入れるイチが七緒に殴られる。おいおい、女相手に酷いじゃあないか。 「お前は何を言っているんだ」 「またまたまたまたまたまー。本当は嬉しいんだろ」 「そうならそうと言えばいいのに。これから登下校は一緒に行くか?」 イチに乗っかってからかってみると、 「桐式の家はうちと逆なんだろ」 なんて返ってきた。そう言えばそうだったなぁ。 「一緒に行くのは否定しないななちゃんであった」 「ななちゃん言うな」 ごす、と音が聞こえてくるほどにイチの頭を殴った七緒。ふむ、こう見ると仲が良く見える。けど、そう言ってもイチはともかく七緒は否定するだろう。人間、認めたくないものは否定するもんだ。頭を殴られたイチが助けを求めるようにしてあたしのところまで駆け寄ってくる。無論助け舟を出す――事はしないが、代わりと言うかお返しというか。取り合えず赤いタンクトップの中の零れんばかりの巨乳に手を伸ばしてみた。 「おほほーう」 「気持悪い声出すなよ。……うーむ、こんなん揉んで楽しいのか?」 「楽しいっていうか、気持ち良い。あー、俺にちんこがあれば押し倒してやるのに」 「お、女がちんことか言うな!」 と言いつつあたしも言ってしまった。突然の事で顔が赤くなってしまう。しかもそんなあたしを見てイチが嫌なというか、エロイ笑みを浮かべた。なんて言うか、セクハラ親父が露出の高い服を着ている女を見るような、そんな目で。 「紅葉はウブだなぁ。もうね、めっちゃ好み」 「……肉食系女子だったらその指向を肉か男に向けてくれよ」 「えー、なんで俺が肉ならともかく、男に欲情しなきゃならんのだ。それとな、見てくれで勘違いしてるかも知れないけど俺は男だぜ。七緒の邪な願望でこんな体になっただけだっぜ」 「へ? …………お、女だから許してたけど――男が女の胸を平然と揉むんじゃねえ!」 そうと分れば実力行使。顔面に一発、腹に一発。鼻血を出しつつ、おごご、なんて声を出しながら体を霧にして逃げたイチ。ちくしょう、次に人の胸を揉もうとしやがったら瞬極殺を決めてやる。てゆーか七緒…… 「お前も男の子なんだなぁ」 「納得したような言葉を吐きつつ人を変態を見るような目で見るな! イチが言ってるのはでたらめだ!」 「そうか。でも昨日七緒の部屋のベッドの下にエロ本があったぜ」 「それは無い」 「なんで」 「別のば……エロ本なんて持ってないからだ」 ふむ、別の場所に隠してるのか。なるほどなるほど。まあ男なら普通の事だな。 「ちなみに隠し場所は天袋の中だ」 にゅるりとイチが現れる。そして七緒がイチを叩いた。 「あれ、鼻血は?」 「ん? シャドウってのはさ、一度体を魔力の霧に変えれば怪我は治るんだよ。ただ痛みは残るけどなー」 言ってイチが鼻と腹を撫でた。ふうむ、便利なのか不便なのか。骨が折れたって元通りになるけど痛みはそのまま、それはどんな感覚なんだろう。成長痛みたいなものか。試しに隣を歩いている姫のほっぺたをつねってみる。痛がる素振りを見せながら、あたしが手を離すと明らかに怒って両手を頭の上でブンブンと振り回していた。いやぁ可愛いなぁ。思わず目的を忘れてしまうほどだ。 それにしてもシャドウだとかペルソナだとか、漫画の中でしか聞かないような魔術だとか魔法だとか、小さい頃から憧れていた事が自分の身の回りで現実に起きていて嬉しい気持ちはある。姫は可愛い。イチは変な奴だけど悪い奴じゃない。七緒とは話していて面白い。シャドウだとかペルソナだとかを抜きにして皆で遊びに行きたいくらいだ。でも、それでも、だからこそ。 「なあ七緒。あたし、死にかけたんだよな」 そんなシャドウやペルソナに、あたしは殺されかけた。刀野郎に殺された警官を見るまで、あいつが人を殺したと言う事に、そして自分が殺されかけていたと言う事に実感が持てないでいた。周りにいるシャドウ達がそんな事をするだなんて微塵にも思っていなかった。だからショックが大きかった。 「そうだな。だから、桐式は大人しくしてなよ。後は僕と父さんと秋子さんで何とかするさ。別に関係を断絶するって訳じゃ――」 「嫌だね」 でも――でも、七緒はその実感を持って、自分から死地に赴こうとしている。実際に七緒はあたし以上の怪我をして殺されかけたんだ、その覚悟はあるんだろう。でも、やっぱり友達がそんな危険な目に遭ってるのに放ってはおけない。 「あたしのお父さんはさ、刑事だから危険な場所でも危険な犯人相手でも立ち回らなきゃいけない。けどさ、一度だってそれが嫌だなんて聞いた事ないよ。そうやってればあたしやお母さんを守れるって。大事な人を守れるから辛いとは思わないってさ。その血を引いてんだろうね、あたしは。七緒が一人で危ないことしようとしてるんなら、あたしはいつだってどこでだって手を貸すぜ?」 「……死にかけたんだろ?」 「本当に死にかけたのは七緒だろ。本当に危なっかしいのはお前だ。一人で突っ込んでさ、一人で死んでくんだろうな、お前みたいな奴は。そんなのあたしは許さない。それがあたしの友達になるって事だ」 「友達になった覚えはないけど」 「友達ってのは何時の間にかなってるもんだ。同じ屋根の下で一晩語り明かした。それでいいんじゃないか?」 むう、と押し黙る七緒。その隣ではイチが両手を青い頭の後ろで組みながら横目で七緒の事を見ている。七緒の返事は無い。多分、何だかんだと言って他人を巻き込んでしまうのが嫌なんだろう。優しい奴なんだろう。そんな奴だからこそあたしは手伝ってやりたいと思うのだ。 七緒が答えに悩んで、と言うよりはどうやってあたしを言いくるめようと考えている様子で歩く。そんな状態がずっと続いたまま歩き続けていると、石間公園まで辿り着いた。ここから南に――七緒の家とは逆方向に歩いていけばあたしの家に到着する訳なのだけれど、 「……おい、七緒」 正面を見据え、身構える。ほんの数メートル先には、まるであたし達を待ち構えるように、まるであたし達を挑発するかのように、刀野郎が刀を片手に腹が立つほど丁寧に頭を下げ、そしてそのまま姿を霧に変えて消えていった。その近くには石間公園が――四区画に分かれている公園の中で、雑草しか生えていない広場があった。そこは周囲は木に囲まれて外から中は見辛い。整地もされてなく、ここを横切ってまで近道をしようとする人もそうそう居ない。つまり、昼間から決着を付けるにはうってつけの場所だった。 「桐式は――」 「帰らない。友達をやられた仇はとらないとな」 「僕は死んでない。それに二対一は――」 「卑怯か? いいじゃんか、別に。あっちはあたしらを殺すつもりだぜ?」 言うと、七緒が心底驚いたような、妙な反応を見せる。でも、もうあたしを一人で帰させるつもりは無くなったようで、何も言わずに公園の中に踏み入っていく。イチは姿を霧に変えていた。姫も同じだった。命のやり取りをすると言う緊張。剣道の試合なんて比べ物にならないその空気に、あたしは心を入れ替えて挑む事にする。 公園の中、膝辺りまで伸びる雑草を掻き分けて進むと、そこには刀野郎とそのペルソナの北とか言うおばさんが立っていた。静かに、怯えた目で、鋭く、憎々しげに、あたし達を見ていた――
|
|