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作品名:マスカレイド 作者:ちーきー

第4回   第一章 桐式紅葉 その三
 黒のスーツに赤い染みを付けた男がまばらに立つ街灯を避けながら夜の道を歩く。時折人の気配を感じると物陰に身を隠し、自身の体から生やしたように生み出した日本刀に手を掛ける。その人影が自分に気付かずに通り過ぎる事を確認すると、男は日本刀を体の中に埋め込んで再度歩き出した。
 そんな事を繰り返しながら男は小さな古いアパートに辿り着くと、その身を魔力の霧に変えて明りの灯っている二階の窓から中に入り込んだ。そこには、四十も後半といった女が誰かの帰りを待つように、六畳一間の部屋の中から玄関の扉を睨むようにして見ていた。
「……夕子」
 男が部屋の中で、女の背後で自身の肉体を象ると、その女の名前を呼ぶ。
「修一さん! ……よかった、何処に行ったのかと……」
 修一と言う名のシャドウに詰め寄る夕子。細身の体に黒いスーツの修一は、同じように細い体の夕子を抱きとめた。スーツに付いた血は今は無い。
「夕子から離れると体を霧に出来なくなるんだ。だから帰りが遅くなった」
「なら一緒に居てくれればいいのに……」
「そう言う訳にも行かないんだよ。夕子を狙う輩は多いから」
 夕子を抱き締める修一の顔は――言葉とは裏腹に醜悪に歪んだ笑みを浮かべていた。その表情に夕子は気付いていない。
「そう……ありがとう。お腹減ったでしょう? ご飯にしましょう」
「……また僕の分も作ってくれたのかい? 僕は食事をしなくても――」
「良いじゃない。もうあたしのご飯を食べてくれるのはあなたくらいしかいないんだから」
 修一から離れ、歳を重ねる毎に刻まれる皺が目立つ顔に寂しげな笑顔を浮かばせる。そのまま立ち上がり、玄関と部屋の間にある小さな台所で食事の準備を始めた。
 慣れた手付きで、何十何百としてきた動作を繰り返す。エプロンを着けたその姿は夕子が若ければそれだけで魅力に満ちたものなのだろう。いや、歳を重ねたからと言って、その魅力が薄れたようには見えない。しかし――
「……チッ」
 修一は、その後姿に小さく舌を打った。

◇Side 桐式紅葉

「でさー、あいつらの頭を振ったあたしの態度が気に食わないとかでさ、十人くらい引き連れてあたしん所に来た訳よ。十人だぜ、十人。女一人にどれだけビビってんだよって話だよなー」
「へえ。三十人って聞いたけど」
「あー、なんか誇張されてそんな話になってるよな。でもさ、流石に三十人相手なんて無理だぜ」
 七緒相手に畳の上でぐったりとうつ伏せになりながら話す。言葉は所々間延びしていて自分でも眠さが限界だと言うのが分かる。て言うかねみー。
「で、十人相手に無双して停学食らった訳だ」
 そんな七緒の言葉を、あたしは夢うつつで聞いていた。もう少しで楽になれる。そう思った瞬間、後頭部に軽い衝撃が走って現実に引き戻された。顔を上げれば七緒が眠そうにしながら手刀を構えているのが見える。
 一通りゲームをしてからあたし達はあたし達の話をしよう、と言う事になった。でも自分の話をするのが好きじゃないのか、七緒はあまり話をせずあたしばかりが話をし続けるのが続いていると、時間はもう朝の四時。そろそろ寝ようぜ、なんて言ってみるけど、こうなったら徹夜だろ、と言うイチの提案でそのまま話し続ける。しかしその言いだしっぺが逸早く七緒のベッドの上で寝てるのが腹立つ。そんなこんなで始まった不眠雑談会。どちらかが寝そうになったら起すと言う事で、今はあたしがその制裁を食らったらしい。
「あー、何処まで話したっけ。カレー? え? カレー?」
 イチが寝言でカレーが食いたいと呟いた。その所為で頭の中がカレーで一杯になる。
「違うよ。十人相手に無双したってとこ」
「あーあー。カレーか……いや、無双か。まあそんなとこ。我ながら無我夢中で木刀振り回してたけど、終わってみれば軽い擦り傷以外は無傷だった訳だから幸運なのか、あいつらが弱すぎたのか……まああいつらが喧嘩売ってきて、あたしは逃げられる状況じゃなかったって説明して、なんとか停学一週間で許してもらった訳。あたしが先生方に受けが良かったってのもあるけどさ。七緒なら問答無用で一ヶ月くらい停学食らったろうなー」
 あっはっはー、と笑うとまたスイマーが泳いでくる。駄目だ、あたしは泳げないんだよ。助けてくれー……ぐう。
「寝るな」
「あびっ」
 後頭部に衝撃が走り、あたしを担いで泳ぐスイマーが水没していく。顔を上げて時計を見てみると七時だった。
「……ここから学校までどれ位で着く?」
「自転車で二十分。歩いて一時間とちょっと」
「……今日はサボリだな」
「元々そのつもりだよ」
 言って、七緒が立ち上がった。そのままあたしの体を跨いで自分のベッドまで歩いていくと、その上のイチを抱えて畳の上に落とした。ずどん、と受身も取っていないイチの体が重い音を立てて落ちる。顔と腹を打ったイチが悶絶していると、
「じゃ、おやすみ」
 七緒はそのままベッドにもぐりこんだ。それを見てあたしもベッドのところまで歩く。
「寝るなー、寝たら死ぬぞー!」
 ガクガクと布団を被った七緒を揺さぶるが起きない。
「寝るな七緒! 寝るんならあたしも寝るぞ!」
 それでも起きないのだから、仕方ないので七緒の上に覆いかぶさるようにしてベッドに横になった。布団の下から、うぐう、と言うくぐもった声が聞こえてくる。
「退くんだ。そこを退くんだ桐式」
「もう無理」
「……」
 七緒が起き上がると、自然あたしの体がベッドから転げ落ちる。するとその下に居たイチの上に落ちた。良いクッションだ。イチは背中を打って悶絶してるけど。
「眠い」
「あたしもだ」
「桐式は五分間隔で三秒寝たろ」
「んなの寝た内に入るかよ。それにそれを言うなら七緒は三十分前に一分くらい寝てた」
「寝てない。って言うか名前で呼ぶな、馴れ馴れしい」
「んだよ、友達だろ」
 ぴたり、と七緒の動きが止まる。どうにも友達と言う言葉に反応したようだ。イチがさんざん友達が居ないとか言ってたからその響きは新鮮なんだろう。
「……なあ、腹減らないか」
 照れ隠しのように、眠たそうに細めてる目であたしを見ながら七緒が聞いてくる。
「んー、それより眠いけどなあ」
「寝させないなら食って誤魔化させろ」
「変な日本語だ。あたしゃこれでも国語は平均点以上取れてるんだぜ」
「僕はいつも九十五点以上だよ」
 嫌味を言いながらベッドから降りて上着を手に部屋の外へ出て行く七緒。それに続いて悶絶しつつも眠っていたイチを放り、ブレザーを着てその後に続いた。
 七緒が廊下を歩いて行く。昨日居た客間の横を通り、玄関へ。どうやら外に行くらしい。靴を履いて玄関の扉に手を掛けると、
「学校か? 七緒」
 通路の向こうから眠たそうなゲンさんが声を掛けてきた。しかし七緒の服装を見るなり、ああ、と声を漏らし、
「今日の朝食の用意はいらないな。いってらっしゃい、七緒、紅葉さん」
 そう言って顔を引っ込めた。行ってきますと言って七緒が外に出て、お邪魔しましたと言ってあたしも後に続く。
 外は寒く、一瞬体が震えるほどだった。太陽は出ているけどそれでも寒い。体を小さく竦めながら歩いて門を抜けると、今度は温かい風が吹く。思わずその方向を見てみると、そこには緑のジャージを来たお姉さんが走ってきていた。そう、走っていた。ジョギングなんて速さじゃない。
 七緒が小さく会釈をすると、そのお姉さんも会釈をしながら通り過ぎ――止まった。
「……おはよう。その人は彼女?」
 すげえ、この人あの速さで走ってるのに息切れ一つしてねえ。
「あ、いえ……その、友達です」
 そしてどうにも歯切れが悪い七緒。やっぱり友達と言う言葉に抵抗があるようだった。
「へえ。……今の時間から学校に間に合うのかい?」
「いや……」
 ははーん、と声を漏らして微笑するお姉さん。それからなるほどね、と呟き、
「若いのはいいね」
 と言って片手を挙げて走り去っていった。
「知り合い?」
「いや、ちょっと前からこの辺りをしょっちゅう走ってる人。話したことも無かったよ」
 それだけ言うと行こう、と言ってお姉さんの走っていった方とは逆の方向に歩く。ふと振り返るとお姉さんの後姿が道を曲がっていくのが見え、
「おおう……」
 瞬間、さっきまで吹いていた暖かい風が止んで七緒と二人で体を震わせた。
 ぶるぶると震えながら七緒の着ている暖かそうな上着が目に入り――
「あ」
 ぱっと、思い出した。
「ん?」
 あたしの声に気付いて七緒が立ち止まり、振り返る。
「昨日、公園にあたしの鞄置いてきちまった。あそこに着替えが入ってるんだよ……」
「……じゃあ取りに行くか?」
「悪いね」
 言って、歩みを再開する。方向的には七緒が向かっていた先と公園は同じだった。そう言えば朝食と言っていたけど――
「なあ七緒。七緒の両親ってどうしてるんだ?」
「ん……母さんは僕が小さい頃に病気で亡くなったよ。父さんは――」
「あ……」
 我ながら迂闊だったと反省。しかし七緒の口からは思いもかけない言葉が続いた。
「結構驚かれるんだけどね、あの爺さんが僕の父さんだ」
「はえ? ゲンさんの事?」
「そうそう」
「ゲンさんって確か六十超えてたよな……」
「うん。父さん、三回結婚しててね。僕も含めて七人兄弟でね、僕と母親が同じ兄弟は二人だけ」
「はあ……ちなみにお母さんの歳は?」
「僕を産んだ時は二十七だった」
「それはまあ」
 随分お盛んな。しかし分からないでもない。ゲンさんはジバゲでもモテモテなのだ。実際優しい人だし、実年齢よりも若く見えるし元気だし、二十近く離れた歳の差でも惚れ込んでしまう人だって多いだろう。流石にあたしはもう少し若い方が良いけど。
 それからは口が滑らかになった七緒から少しずつ身の上話を聞きだす。初めは戸惑うようにしながらも、ちょっとずつ話してくれる。ゲンさんの奥さんは三人が三人とも不慮の事故や病気で早くに亡くしてしまったらしい。お墓はきちんと作られ、ゲンさんは自分の子供達と一緒に毎年墓参りに行っていて、今でも愛しているんだとか。子供の目から見てもそう見えるのだから、きっと本人の心情は今も昔も変わらずに自分の妻に愛を注いでいるんだろう。
 そんな話をする七緒は、どこか寂しそうだった。きっと母親の愛に飢えてるんだろう。小さい頃に亡くしてしまったのなら尚更だ。
「そう言えば桐式の両親は? 確か父親が警察官だって聞いた事あるけど」
「うん? そうそう。お父さんが警官で、お母さんが元巫女さん。今でもアツアツで見てるこっちが恥ずかしくなるよ」
「へえ。警察の娘が不良ってのも難儀だな」
「そうか? あたしは間違った事はしてないし、した事はない。まあ十人をのした時は流石にやりすぎだって怒られたけど、無事でよかったって泣きながら抱き締めてくれたぜ」
「……いい両親なんだな」
「まな。自慢の親だ」
 本人の前じゃ絶対にそんな事言えないけど、と心の中で付け足す。
「今度遊びに来いよ。親に会わせてやる。その後一緒にゲームやろうぜ」
 そんな誘いに七緒はあたしの前で歩きながら振り返る事無く、
「遠慮しとくよ」
 と、片手を挙げて軽く振りながら気恥ずかしそうに――あたしにはそう見えた――断った。まあ、いつか遊びに連れてきてやろう。何気に話をして面白い奴だし。
 そんなこんなで二人でとぼとぼと歩いていると石間公園に辿り着いた。まだ登校時間中だから自転車や歩きで学校に向かう連中の姿がまばらに見える。そんなあたしも制服姿だから登校中に見えるだろうけれど、これからサボりなのだ。さて、サボって何をしよう。あ、そう言えば間違った事してないとか言っておきながら今思いっきり間違った事をしてるな。はっはっは。
「それはそうとななちゃん」
「ななちゃんって言うな。で、何?」
「七緒って結構学校休むよな」
「ん……まあそれなりに」
「あたしもそこそこ学校休むんだよ。もちろんサボりだけど。でさ、回りの連中に聞くとあたしと七緒の休みの周期が似てるらしくてさ、付き合ってるんじゃないかって疑われた事があったんだ。でもそんな訳じゃないよな。じゃあなんであたしらの休みが被ると思う?」
 付き合ってる、と言う言葉に一瞬怯んだ様子を見せた七緒。なんだ、嫌なのか、失礼な奴だ。それから少し考えるように首を捻ると、
「ゲームの発売日?」
「ファイナルアンサー?」
 みのさん降臨。
「ファイナルアンサー」
「…………正解」
 あたしの言葉を聞いて七緒が黙る。少しの間の沈黙。何か気に障る事でも言ってしまったかと思ってフォローを考えていると、
「……ぷ……くく……」
 と言う声と肩を震わせている七緒に気付く。なんだ、七緒も笑うのか。そんな事を考え、釣られるようにあたしも笑ってしまうのだった。




 吉野家。牛丼の店。安くてうまし。公園で無事に鞄を見つけ、草陰でささっと着替えてから家路に着く。家路と行っても七緒の家だけど。その道中にあった吉野家で朝食にする事にした。そんな牛丼の店でカレーを頼む七緒。なんか食べたくなってしまったんだとか。あたしは豚丼だ。そう言えば普通豚丼と言うと焼いた肉をご飯に乗っけるらしい。吉野家のお陰で煮込んだ肉を乗せるのが豚丼だと思うようになってしまった。
「ところで、イチは連れてこなくていいのか? それとも姫みたいに姿を消してるだけ?」
 ずず、と一緒に頼んだみそ汁を啜りつつ聞いてみると、
「いや、家に置いてきた。シャドウはある程度ペルソナから距離が離れると体を霧に変えられなくなるんだとさ。姫ちゃんからそう言うの聞いてないの?」
「あ……姫はさ、喋れないんだ」
「え?」
「いや、紙に字を書いてってのは出来るんだけど、喋れないから中々……ね」
「そうなんだ。……秋子さんはテレパシーが出来るらしいけど、一度秋子さんを通して話してみたら?」
「テレパシー?」
 頭の中で話すと言う、漫画とかで悪の総大将がよくやるあれだろうか。
「そう。秋子さんは元々医者で、治療の為に魔術を習い始めたんだって。で、言葉を喋れない人の治療をする事もあって――」
「それでテレパシーを習ったと。へえ、それなら姫ときちんと話せるかな」
「自分を介して当人同士を話させる事も出来るって言ってたし、大丈夫なんじゃないかな。でも秋子さんには話が聞かれるよ」
「それは仕方ないさ。話が出来るんならそれでいい」
 言いながら頬が緩んでいるのが自分でも分かった。姫とは一度、じっくりと話をしたいと思っていたんだ。多分そうしなきゃならないと言うのを直感的に感じていた。そうでなければ姫があんな姿で私の前に現れる筈が無い。
 そうと決まれば、と七緒が携帯を取り出して電話を掛けた。父さん、と言う言葉が出てきたから――あまり実感が沸かないけど――ゲンさんに掛けているんだろう。暫く話をして電話を切ると、カレーを食べる手を再開させる。
「秋子さん、今朝方ご飯を作って家に帰ったってさ」
「秋子さんがご飯作ってんの?」
「いや、時々ね。二ヶ月前に家政婦さんが辞めちゃったから今美味しいご飯を作れる人がいないんだ。これなら外に出ないで家で待ってれば良かった」
「そんなに美味しいのか?」
「少なくともこれよりは」
 と、スプーンでカレーを差す七緒。うん、分かってるからそんな目であたしらを見ないでくれ店員さん。
「秋子さんの家はここから近いからさっさと食べて行こうか」
「お、分かった」
 そうと決まれば早食いクイーンと呼ばれたあたしだ。こんなものはぱぱっと食べて――
「って、早えー!」
 隣では七緒がぺろりとカレーを食べていた。
「? カレーは飲み物だろ?」
 自慢げだった。
「どこのデブだよ……」
 ごっつあんですとか言い出しそうな感じだった。待たせるのも悪いからあたしもぱぱっと豚丼を食べる。そう言えば姫もお腹減ってるんじゃないかと小さな声で呼びかけてみたけれど、どうやら寝ているようだった。すみません、と七緒が店員に声を掛けると、あたしの分まで代金を払ってくれた。
「ま、今日は奢るよ」
「悪いね。なかなか豪気じゃないか」
「この程度で……?」
 この程度……豚丼みそ汁付き三百八十円がこの程度……むむ、もしやとも思ったけどあんなでかい家に住んでるあたりこやつはお金持ちなのか。そんな疑問を口にする前に七緒が席を立つと、それに続いて二人で外へ出た。外は相変わらず寒いけど、着替えをしたあたしにはその寒さは無駄無駄無駄。
 二人で並んで道を歩く。石間公園から西に離れていくような形で秋子さんの家を目指した。
「そう言えばさ、イチが居なくて七緒は大丈夫なのか?」
「大丈夫って、何がさ」
「いや、昨日の刀野郎に襲われたりしたら」
「大丈夫だろ。あいつら、別に身体能力が滅茶苦茶高いとかそう言う訳じゃないから。単純に超能力を使えるだけだって言うならいくらでも逃げようがある。それにね、僕は――」
 七緒がふう、と溜息を吐いて立ち止まると、何か疲れた様子で俯く。それから暫くして顔を上げた七緒の口からは、
「イチが嫌いなんだ」
 と、辛辣な言葉が零れた。
 どうにも姫に対するあたしの感情並みに込み入った事情がありそうな七緒とイチ。そんな事が感じられてそれ以上何かを聞ける様子じゃなく、沈黙を保ったまま目当てのアパートに辿り着く。監督官と言うからには相応の家に住んでいそうなものだけど、そこは本当に、普通のアパートだった。
 一階の手前から奥に伸びる通路に沿って五つ並ぶ部屋の内の入り口から二番目、一〇二号室の前に立って七緒が扉をノックした。ほんの少しの間を置いて扉が開かれる。
「あら、いらっしゃい。どうしたの?」
 と、昨日と変わらない秋子さんの優しい笑顔が出迎えた。
「さ、中に入って。寒いでしょう? ココアを淹れてあげる」
 言われるままに中に入る。小さいけれど一人で使うには十分なアパート。台所を抜けて八畳の部屋に案内され、座布団を敷いてテーブルの前に座る。ココアの準備を終えた秋子さんがその前に座った。カップは四人分。秋子さんは自分の分のお茶を用意していて――
「あ、今日はイチは居ないです」
「あらそうなの? つい居るもんだと思って四人分用意しちゃった」
 姫はまだ寝ているようだけど、今日来た理由は姫だ。ちょっと起きてもらおう。
「姫ー」
 何も無い空間に向けて声を掛ける。一回、二回と声を掛けても出てこなかったけれど、四回目でやっと起きたらしく、ぽーっとして眠たそうに目を擦っている姫があたしの横に現れた。どうしたの、と言わんばかりに首を傾げる姿は、一見すれば船を漕いでいるようにも見えた。
「あの、姫は言葉が喋れなくて……で、七緒から秋子さんはテレパシーが使えるって聞いて」
「ああ、なるほど。そう言う事ね。お安い御用よ」
 にこっと笑う秋子さん。取り合えず冷めるからと、七緒と姫と三人でココアを飲んでからあたしたちはテレパシーを、初めての対話をする事にしたのだった。

◇Side 無口七緒

 テレパシー、念話。自分の考えている、または他人が考えている事を相手、もしくは自分の頭の中に伝える魔術。単純に世界に働き掛ける術より高度で高難度だけれど、その習得難度に見合った収穫が無いとしてその魔術を習得しようとする魔術師は少ない――と言う話だ。その辺り、僕は良く知らない。
 とは言え秋子さんの助けもあって桐式は姫ちゃんとの対話を成功させていた。どんな話をしていたかは僕には分からない。けれど一喜一憂する桐式を見ている限り、僕が割って入っていいような内容ではなさそうだった。
 話に夢中な桐式を他所に、秋子さんに目配せをして家の外に出る。さて、ここからあの人の家までは歩いて数分だったと思うけど。
 ポケットに手を入れてナイフを持っている事を確認する。しかし相手は長物、ナイフ程度でどうにかなるとは思えないけど――正直、イチの手を借りたいとは思わなかった。寒さを忘れ、これから起こるであろう事の対処を考える。一歩間違えれば訪れるのは死だ。
 程なくして古いアパートの前に辿り着く。直接来るのは二度目だったか、そこの二階の端の部屋が目当ての人物の家だった。階段を上り、部屋の前に立つ。ブレードを展開したバタフライナイフを握りながらポケットに手を入れてインターホンを押した。家の中で響く電子音。暫くすると、まるで覗き窓からこちらを伺うような間を置いてから扉が開いた。
「……七緒君?」
 現れたのは北夕子さん。二ヶ月前まで僕の家に勤めていた家政婦さん。そして二ヶ月前に夫の病気を理由に仕事を辞め、そして一ヶ月前に、その夫を長物で ――警察の捜査では刀と言われている――殺された人だった。
「久しぶりです……お葬式の日以来ですね」
 僕も父さんも北さんの旦那さんとの面識はない。しかし家政婦として雇っていた人の家族が殺されたなんて言う衝撃的な事件が起きた事で北さんの様子が心配になり二人でお見舞いに行ったのだ。北さん夫婦は話に聞く限り仲の良い夫婦だった。ニュースでもそう報道している。その所為だろう、北さんはその時は衰弱しきり、僕らが来た事も分からないようだったけれど――
「そうね……あの時はありがとう。ろくにお構いできなくてごめんなさいね」
 疲れた様子で微笑んだ北さんは、しっかりとその時の事を覚えていたようだ。
「ええ。ところで、犯人の目星って付いたんですか? ニュースではそう言った報道はしてませんでしたが」
 単刀直入に聞くと、北さんはあからさまに嫌そうな表情を見せる。しかしそれで引き下がる訳が無い。
「長物で――刀で殺されたらしいですね、旦那さん。それと、昨日僕、刀のような物を持った人を見かけたんですが」
 瞬間、北さんの顔が青ざめた。視線が泳ぎ僕と目を合わせようとしない。余所余所しい態度は早く話を終わらせたいと言う様子だった。自分の夫が殺された事を思い出したのか――いや、そんな風には見えない。その様子は何かを知っている感じだった。何かを、隠している様子だった。まるで、刀を振り回して人を殺すような人物を知っているような。
「ごめんね、ちょっと具合が――」
 北さんが閉じようとする扉を足で押える。
「昨日、まだニュースではやっていないんですけど一人刀で切られて死んだ人が居るんです」
「そ、そうなの? 私は知らな――」
「シャドウとか、ペルソナって言葉を聞いた事ありませんか? 金髪の、僕より少し年上くらいの男から」
 それは決定的だったと思う。さっきまでの反応ならただ犯人を知っていて、でも何かの事情があって言えないだとか、単純に、本当に事件を思い出して気分が悪くなっただけにも見えた。しかしシャドウもペルソナも――金髪の男の事も、恐らく今回の騒動に関与してなければ知らない事柄だ。それに反応したならば、
「北さん。北さんが――北さんのシャドウが、旦那さんを殺したんですね?」
 殆ど勘だった。昨日桐式と戦ったシャドウが刀を使っていたから、北さんの旦那さんが刀で殺されたらしいとニュースでやっていたから、だから北さんを連想しただけだった。とは言え普通の一般社会で起きる事件ならともかく魔術師が関連してるなら、身内が死ぬのは身内に原因がある場合の方が多い。師匠の奥義を知る為に師匠を殺す弟子なんて言うのはざらにいるのだ。
「ち、ちがうの……修一さんは私を守って……」
 泣き崩れるようにその場に座り込む北さん。青かった顔はさらに色を悪くしている。
「あの人は、あの人はいつも私に乱暴をして……私はあの人から逃げたかった。でもそんな事許してくれる訳が無くて……」
「だから殺した、と?」
「違う! 修一さんは私を守ってくれたのよ!」
「でも実際に殺したのでしょう? それは変えられない事実だ」
 僕の言葉に北さんの動きが止まる。暫く俯いたまま涙を流していたけれど、
「ならなんだって言うのよ! 私を警察に連れて行くつもり? そんな事をしても……」
「そんな事をしても、自分は捕まらない? そうですね。シャドウに人権は無い。この世に存在する証拠が無い。旦那さんの事件だって、旦那さんが一人で、何も無い空間で、誰も居ない場所で、あるはずの無い刀で斬られて死んだだけだ。この事件に犯人は居ない。犯人が出てくるとしたら、それは警察がでっち上げたか警察に魔術師が、それも今回の騒動に関与しているような人がいるかだ。ただそれでもこの件を人の法で裁く事は出来ない」
「なら関係無いじゃないの……七緒君には関係ないでしょう!?」
「関係ない訳じゃない。異能者が起した事件は同じ異能者が片を着ける決まりになってるんだ。本来その仕事は父さんがやっているけど――僕もその跡を継ごうと思ってるからね」
「……じゃあ、七緒君が私を裁くと言うの?」
「そうなる」
「そう……」
 力なくうなだれる北さん。観念したのだろうか、そう思ってはいたけれど、まだ肝心の北さんのシャドウが現れていない。しかしその矢先――鈍く輝く刃が、突然北さんの背後から突き出された。回避なんてする余裕がない。当たり前だ、刃が見えた瞬間、その刃は僕の体に触れるか否かの距離に現れていたのだから。
「ッッ!?」
 元々一撃で殺すつもりはなかったのだろう、刀は僕の肩を貫いただけで死に至るような傷にはならなかった。しかし、もちろんそんな経験は無いけど焼き鏝を当てられたような熱い痛みが左肩を蝕む。
「修一さん……」
「安心しなよ夕子。僕は君を守っているんだ。君を守って、君が憎いと思う相手を殺す。そう、僕は法で裁けない。だから、君が憎いと思う相手をいくらでも、どんな場所ででも殺す事が出来るんだ。今、ここで君を殺すようにね」
 言って、黒いスーツ姿に日本刀と言う奇妙な出で立ちの男が北さんを後ろに下がらせて刀を構えた。
「なんだ、桐式からは妙に礼儀正しくしてたって聞いたけど、いきなり不意打ちするような卑怯な男じゃないか」
 シャドウと言う異質な存在を知りながらも、迂闊に近付いた自分に腹を立てながら、それでも強がって立ち上がる。正直初めて受けた刀傷の痛みで意識を失いそうだけれど、僕も敵も死んでいないのなら戦いは続く。意識を失えば、その時点で僕の負け――死だ。
「はは、その不意打ちは自業自得と言う物だよ。君が夕子を追い詰めるから、夕子に憎まれるから僕はそうせざるを得なかった。それでも利道のように、夕子の愚夫のように一撃で殺されなかっただけマシだと思うけどね。さあどうする? 君は素手。僕は刀。勝ち目は薄いと思うけど」
 不敵に笑みを浮かべ、刀の切先を揺らしながら僕に向けてくる。昨日は確か上段に構えていたけれど、玄関先と言う事でその構えは出来ないようだ。とは言えこんな場所で日本刀なんて物を持って立っている姿を見られれば法も何もないと言うのに。
「あほなんだろうな」
「ん?」
 ポケットに入れたままの右手。その手に握るナイフを取り出し――投げた。その先は刀野郎ではない。その背後の、北さんだ。
 シャドウだなんだと言われていてもその実態は使い魔。使い魔なら、生み出した者を殺せば消える。さらにシャドウは驚異的な身体能力を持っている訳じゃないとは言え、正面から戦って勝てるだなんて思ってはいない。主人を殺して逃げてしまえば自ずとシャドウは消えてしまうのだ。スマートに勝とうだなんて思っちゃいない。管理地で暴れる異能者を押える為には手段なんか選ぶ暇は無い。正攻法で挑む必要が無い。単純に、簡潔に、ただ最善を選んで最良を行う。それで、僕の勝ちだ。勝ちだと言うのに――
「チィ!」
 刀野郎は僅かに体を動かして、体で、足で僕の投げたナイフを受けて北さんを守る。突き刺さるナイフが刀野郎の服を血で濡らす。
 しかし僕の作戦はそれで終わりだ。イチも居ない中、もう手の内が無い。あまりにも無策すぎたと言うしかなかった。功を焦ったと言わざるを得ないだろう。これじゃあ今まで何の為に努力していたかも分からなくなる。
「く……!」
 空いた右手で左肩を押えながら走る。階段を駆け下りると、刀野郎は二階の廊下の手摺を乗り越えて下に落ちながら刀を振り下ろしてきた。立ち止まり、階段に体を打つ事も構わずに後ろへ飛んだ。鉄製の階段を躊躇無く斬りつけた事で刀野郎の刀が折れる。これはチャンスだった。半分になった刀で追撃をする刀野郎の体を蹴りつけ、体勢を崩したのを見てから横を走り抜ける。はずだった。
「ぐあ!?」
 腹に走る激痛。刀野郎の刃が僕の左脇腹を切り裂いていた。ぼたぼたと血が巻き散るが、後ろを振り返る余裕も無い。その場から逃げなければ死ぬのは僕だ。
「くそ!」
 走る。走る、走る。
 アパートの敷地を抜けて車道に出る。何処へ逃げれば、なんて考える余裕も無い。しかし身を裂く刃は続いた。
「ぐ、があ――!!」
 足、腹。背後から二本の刃に貫かれて動けなくなる。そこで初めて振り返った。数歩先の距離に居る刀野郎は、右手に折れた刀を、左手に右手に持つ物と同じでいて、しかし刃が無事な刀を持っていた。僕を見ながら刀野郎が右手の刀を捨てる。そして、手の平から生えてくるようにして一本の刀を握りなおした。見れば僕の足と腹に後ろから刺さっているのは、どれもあいつが使っている刀と同じものだった。
 刀を生み出す能力。あまりにも攻撃的でただただ相手を殺す事しか考えていないような能力。しかしそれは僕のような者には絶対的に有利に立てる力でもあった。その証拠と言うように、今僕は文字通り手も足も出ない。
 刀野郎が近付いてくる。こんな事が起きていると言うのに、アパートから人が出てくるような気配は無かった。殺される。そう思った。思わざるを得なかった。思う以外に無かった。しかし――
「七緒!」
 助けは現れた。手に水の剣を持つ桐式が血相を変えて走ってきていた。その後ろには青い頭を揺らして走るイチの姿もあった。
「……くそ、ふざけんな」
 小さく呟く。僕は、敵に負けた事よりも、どんな事よりも、今この時この瞬間が悔しくて仕方が無く――やり場の無い怒りを、どうやって後をつけてきたのかは分からないけれど、腹の立つ笑みを浮かべて僕を見ていたイチに向けるしかなかった。


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