◇Side 無口七緒
石間高校。そこは偏差値がほんの少し他校よりも高いと言う意外はごくごく平凡な高校だった。 進学率はそこそこ。就職率はまあまあ。学生数も普通だし、敷地面積も普通だ。周囲は学生らしく慎ましやかに学べと言うかのように娯楽施設など一つもなく、あるのはコンビニが一軒程度だった。それでも自転車で十分程度走れば駅がある為にそこまで行けば娯楽施設も多少はある。そんな訳で駅前は下校した生徒達の溜まり場となっているのだ。 そんな高校を抱える石間町と言う場所はしかし、ど田舎と言って良いほどに何も無い町だった。ベッドタウンだった。閑静な町だった。正直休日などは退屈で仕方ない場所だった。 しかし、そんな何も無い、ただ勉強をする為に来ているこの学校には二つの見所がある。 一つは僕の一つ先輩にあたる三年生の女生徒、鞍馬智子。よく漫画で見るような、全校生徒に知られる程の美少女と言うのはフィクションなのだろうと、僕が入学した頃までは思っていた。思っていたけれど、それが現実になるとは思わなかった。それぐらいの美少女なのだけれど、しかしそこは現実。星の数ほどの男が彼女に告白して振られる、なんて言う事態は起こっていなかった。少なくとも僕の属する二年生とその下、一年生の間ではそんな話は聞いていない。別段彼女に問題があると聞いた訳では無いけれど、まあその理由は一つだろう。同級生ならともかく、友達でも何でも無いような相手に告白をしに行くような下級生がそうそう居る訳がないのだ。まあ、綺麗だけどそれだけだ、と言う事でこの話題が長く語られる事は無い。せいぜい擦れ違った時に思い出したように話をするだけだろう。実際に話をした僕も、可愛いと思ったくらいでそれ以上の感想を持たなかった。 そしてもう一つ。僕が一年生の時の話だ。これはもうあまりにも有名すぎて当時の一年生の間から鞍馬先輩の噂が掻き消えたほどだ。むしろ知名度で言えば鞍馬先輩よりも上かもしれない。 名前は桐式紅葉。これまた女。そして、レディース。これはただ女性と言う意味ではなく、暴走族と言う意味でのレディースだ。そしてあだ名――と言えるのか疑問だけれど――は、生ける伝説、現代に蘇った番長とまで来ている豪快な女性。 何故そんなあだ名が、それも女性についたかと言うとそれは簡単な話だ。 どんな学校にも品行方正な生徒しか居ない訳ではなく、つまり、はみだし者と言うかなんと言うか。一言で言えば不良がこの学校にも居る訳だ。そんなのが三十人――となると大体一クラス分となる。すげえ――が桐式を狙って現れたとか何とか。単純に同じ匂いのする彼女を自分の女としようとしたのか、それとも根性焼きでもしようとしたのか。ともかくそんな三十人の不良を、彼女は一人で、たった一本の木刀で千切っては投げ、とやってしまったんだとか。普通そんな事は噂の域を出ないか、それか過剰に誇張されただけで実はたいした事が無かったとか言うオチなのだろうけれど、事実彼女は一週間の停学を食らってたりする。それはつまり、事実か否かは別として彼女が何らかの事件を起こしたと言う事なのだろう。 しかしまあ、割と他人に興味が無い僕がかなり細かく彼女の事を知っている理由はと言うと―― 「おいムクチ」 教室の一番後ろの窓際。秋のちょっと肌寒い季節ではあるものの、今日のように太陽さえ出ていれば非常に温かい絶好の位置で窓の外を見ながらそんな考え事をしていると退屈な授業が終わったらしく、隣に座っていた男子生徒――名前が分からないから不良Aとしておこう――が話しかけてきた。 「ちょっと喉乾いたから自販機行って飲み物買って来いよ」 と、Aは馬鹿な事を口走る。僕は不本意なあだ名通りに無視を決め込むと、苛ついたように舌を打って椅子から立ち上がり僕の前に立った。 「おい」 無視。 「おいっつってんだろ」 とことん無視である。何で僕がこんな横柄な奴の言葉に応えなければならないのか。周囲の生徒達は僕の事を一瞥すると、またか、と、自分に危害が無いようにとでも言うように視線を逸らしていた。 無視されているのだから放っておけばいいのに。暇なんだろうか。暇なら自分で買いに行けよ。なんて思っていると、僕の胸倉をAが掴む。 「人が話してんだからなんとか答えろよ」 「……言わせて貰うけど、こんなやり取りを何回繰り返してると思ってる?」 確か一ヶ月前に席替えをしてから既に十は同じ事をしていると思うけれど、と言ってみると、目を血走らせながら、 「ンな事今関係あんのかよ!?」 と怒鳴ってくる。関係ないのだろうか。そんな事も分からないのだろうか。少なくともこの高校は勉強をしなくても入れる程にレベルは低くないと思ったのだが。 「いいから行って来いよ、ああ!?」 「そんな怒鳴って喉乾かない? 早く自分で行って飲み物でも買ってくれば?」 誰が聞いても正論だろう、そんな言葉を投げ掛けてみると、Aの顔がみるみる赤くなり――大きく右腕が振りかぶられる。十回の繰り返しでも始めての行動だったけれど、いつかはそうなるんだろうと予想もしていた。まあ殴ってくるつもりならこちらにも考えがある、のだけれど―― 「のあ!?」 どこぞより飛んできた上履きがAの左頬にクリーンヒットする。その拍子にAの手が僕の胸倉から離れ、そして空中に舞っていた上履きがぱすん、と僕の机の上に落ちた。それを見て、手に取り、飛んできた方向にひょいと投げる。 「悪いね」 「こちらこそ」 教室の前後二つある出入り口の一つ、後ろの出入り口から現れたその人はAに絡まれるまで頭の中に居た女性、桐式紅葉だった。高校指定のブレザーにロングスカート。腰までの長い黒髪をポニーテイルにし、化粧っけの無い、しかしそれでも美人と言える健康的な顔は僕に絡んでいたAに向けられた途端に怒ったような表情になっていた。 「お前は何度も何度もしつこいやつだなぁ……ムクチ君が困ってんだろ?」 上履きを履きつつ、Aに詰め寄る桐式。Aの方も、 「いや、その、だってよ……」 と、まるで僕が悪いと言うようにちらちらとこちらを見ながら弁明をしている。曰く、Aは桐式にちょっかいを出してボコられた一人だとかなんだとか。事実桐式が停学を食らった後、一週間くらい学校を休んで出てきた時には包帯やら絆創膏やらを顔に付けていたので信憑性がある。 「おら、こっち来いばか。……たく、ほんと悪いな、ムクチ君」 「別にいいよ。あとムクチはやめてくれ」 「はは、そうだな、無口君」 そう、僕の名前はナクだ。ムクチと読めるけど、ナクなんだ。あと僕はそれほど無口な訳ではなく、単に君らと話す理由が無いから話していないだけなんだ。 なんて言う事をAに初めて絡まれた日に言ったら思い切り怒鳴られた。まあその後桐式が仲裁に入ってくれたのだけれど。 と、言う訳で。桐式紅葉とは一年、二年と同じクラスに振り分けられている。違うクラスならまだしも同じクラスで彼女の話題を知らない者は居ない。 桐式紅葉と言う人間は確かに不良なのだろう。このミニスカートが全盛している時代にロングスカートで、しかも日によっては竹刀を片手に闊歩しているのだから文句の言い様が無い。いや、ロングスカートは人それぞれの趣味だろうし高い背――悔しいけど僕より少し高い――も相まって似合ってたりする。ちなみに胸もでかい。竹刀だって彼女が女子剣道部だからなのだからそれを持っているから不良なのだと言うのは完全な決め付けだったりする。しかしそれでも彼女は不良連中との付き合いもあるようだし、そんな連中を束ねているのは周知の事実だから隠しようもなく彼女は不良に属している。しかしまあ彼女の起した事件はただの一度だけだし、それ以降不良による騒動はまったく無い上に、あったとしても桐式による折檻が行われているとか何とかでこの石間高校は至って平穏な毎日を送っていたりする。 結果的に見ると桐式は世直しをしたと言う事だろう。風紀委員よりも風紀委員をしている訳だ。一年生の間にそんな伝説を残してしまうのだから、それはもう上級生の美少女なんていう噂も掻き消されてしまう訳だ。 Aが桐式に頭を叩かれたりしつつ自分の席に戻っていくと、僕は平穏に、今度は桐式やら先輩の事やらは考えずに―― 「あーあ、また助けられてんの」 頭の中に響く声の相手をしてやるのだった。
自転車に乗っての帰宅途中、家に程近いコンビニで雑誌を立ち読みして、飲み物を買ってから再度家路へ。 学校から十五分ほど。駅とは反対の方向に自転車を走らせればそこは我が家だった。大きな門に「無口」の表札。そこを抜けれな大きな日本家屋。以前は兄弟も合わせて十人以上は住んでいたけれど、今は結婚やらなにやらでどんどん家から離れていって僕と父親の二人だけ。家政婦の人も居たけれど、つい二ヶ月前に家の事情で辞めてしまった。僕も父さんも家事が出来ない訳では無いから困らないけれど、ご飯が不味くなったのが一番の問題だった。 駐輪所に自転車を止め、玄関からではなく勝手口から家に入る。台所の冷蔵庫に飲み物を入れて部屋を目指し、途中の父さんの部屋を覗くが中に誰も居なかった。靴も無かったし出かけているんだろうと、そのまま部屋に入る。 十二畳の和室に漫画が詰められた本棚が二つと三十七インチのテレビ、そしてゲーム機。まあ、オタクと言われればそれで終わりな僕だけれど、楽しい物を楽しいと思えなければ人間はそれで終わりなのである。 「なあ、ゲームしようぜ」 ……まあ楽しすぎて他の物が手に着かなくなるのも考え物だけど。 取り合えず制服から私服に着替えて部屋を出る。 「無視すんなよー。ゲームやろうぜぇー」 「うるさいな」 まったくもってうるさいとしか感想が無いその声に、感想そのままの言葉を返して家を出る。まだまだ外は明るい。 自転車を押して門から外に出ると、つい一ヶ月程前から見かけるお姉さんが道の向こうから走ってくる。青いジャージに身を包んで走るそのお姉さんはいつもの事ながらジョギングと言えないような速度で僕に迫り、そして擦れ違い様に軽く会釈をして走り去った。それと同時に爽やかな、この時期にしては珍しく温かい風が吹いた。まあ、いつもの事だ。 自転車に跨り、走り出す。特に当ては無いけれど、やらなければならない事は決まっている。さて、右と左、どちらに行こうか。 「昨日は左だったし、左でよくね?」 「そうなると明日も明後日も左になるな。まあ僕も左にしようと思ってたし、そっちに行こう」 左に進んですぐの大通りを更に左に進むと処川(ところがわ)に突き当たる。石間町と隣町の三弦町とは丁度その川で遮られている形になっている。昨日はそちらへは行っていないから今日は川のほうへ行くとしよう。どうせ当てがないのだ。
◇
「いやぁ、歌った歌った。喉がらがらだ」 鞄を片手に桐式紅葉が夜の公園を歩く。等間隔に設置された街灯が照らし出す彼女の格好は学校に居た時と同じ制服姿だった。 あー、と声を鳴らしながら鞄の中の半分ほど中身の入ったペットボトルを取り出し、それを飲み干した。 「たまにはカラオケでばか騒ぎってのも良いもんだな、姫」 紅葉の言葉は何者かに向けられたものだったが、そこに何者の姿も無い。しかし紅葉は満足げに、続けてその何者かに話し続ける。話しながら、ふと紅葉の視線が動くとその先にはゴミ箱があり、ふらりとそちらに足を向ける。空のペットボトルを捨てると、足を元の方向に戻した。しかしそこには、 「あれ、さっき人なんかいたか?」 小声で、その目の前の人物に聞こえないように呟く紅葉。そこには黒いスーツに身を包み、手に杖のような物を持ったすらりとした体格の男が立っていた。その視線は真っ直ぐに紅葉に向いていて、何かを聞きたそうな、話掛けてきそうな雰囲気に紅葉の足も止まる。そんな紅葉を見て、しかし男は近付く素振りも話しかける素振りも見せない。何事かと首を傾げる紅葉にしかし、男は深く一礼をした。 しかし気付く。自分と男の立つその距離が剣道で言う一歩踏み込めば相手を刺突出来る距離、一足一刀の距離であり、そして男が持つ物が杖ではなく剥き身の日本刀である事を。さらに男が頭を上げると、その日本刀を紅葉に向けて上段に構えた。 街灯に照らされ、男の頭上に構えた刀が鈍く輝く。それを見て、紅葉はあまりの出来事に動く事が出来なかった。それでも、普段から剣道で武器を持った相手と対峙しているからか、体は勝手に臨戦態勢を取った。それを見て男は小さく微笑む。 「っ!?」 男の迷いを見せない踏み込みと同時に繰り出された袈裟切りを身を捩って避けた。男の刀に迷いもなく、その剣筋は紅葉の命を確実に絶つものだった。だが、 「は、はは……なんとか見えたよ姫」 紅葉は言いつつも冷や汗と引き攣った笑みを浮かべ、大きく後ろに下がる。その紅葉に対し、男は剣が避けられた事にも動ずる事無く構えるだけだった。 紅葉とて剣の道に身を置く者であるが、しかし今の紅葉にその日本刀をどうにかする為の武器は無かった。 絶体絶命。たとえ敵の攻撃が見えていても、紅葉には確実に自分の命を絶てる武器を手に襲い掛かってくる相手との戦いなどした事はなかった。故に、どれだけこの場で攻撃を避けようと相手を打倒するかこの場から逃げ出すかしなければいずれはその凶刃に倒れるだろう。 「……ふざけんなよ」 しかしだからと言って敵を背に逃げ出すほど、紅葉の性格は穏やかではなかった。 「姫!」 叫ぶ声に、一瞬男の視界に幽霊のような少女の幻影が見える。しかしその姿はすぐに掻き消え、それと同時に紅葉の手に白い手袋と―― 「おお、漏れてるって!」 その手袋から湧き上がるような水が現れた。しかしその水は段々と手の中で形を持ち、そして長い棒のように延びて固まる。見ればそれは相手と同じ刀のようであり、 「安心しろよ、これは木刀と同じだぜ? まあ頭に受けたら死ぬかも知れないけど」 それを中段に構える紅葉の姿は既に女生徒ではなく、剣士の雰囲気を纏わせていた。 静かに、切れ長の双眸を真っ直ぐに男に向ける。紅葉がすり足で一歩近付けば男は一歩下がる。そしてその逆に男が近付けば紅葉が下がる。さながら剣道の試合のようなその差し合いは、 「きああああ!」 気迫の声と共に紅葉の突きが繰り出される。振りかぶる事もなく直線的に繰り出される打突は男が防御に刀を振り下ろすよりも早く相手の体へと迫る。しかし男は一足飛びに背後へ下がると同時に刀を振り下ろした。その一撃で紅葉の刀は下へ弾かれる。その筈だった。その筈だったのだが――男の刀は水の剣に当たるだけでその軌道を逸らす事が出来ない。真っ直ぐに打ち込まれた水の剣は男の肩に当たると大きく体勢を崩させた。 「ちっ!」 舌を打ったのは紅葉からだった。男が飛び退いた所為で突きは十分な威力には至らず、ただ体勢を崩すだけに留まる。これが剣道の試合であっても有効打とはなりえない。 男はまたも構える。その表情に焦りも何も無い。構えは変わらず上段。対する紅葉は中段。自分の武器の特性が読まれたか、と紅葉は焦り、殺し合いの中でも十分に戦える敵に男は焦る。 先程まで以上の読み合い、差し合い。その均衡を破ったのは、耳と目を同時に潰す強い音と光の炸裂だった。
◇
自転車で土手を走りつつ、適当に辺りを見回す。しかしそれで目当ての人物が見つかる訳が無かった。 暫く行くと右手に向かって伸びる橋が見えた。その橋から向こう、そして橋を渡った先は三弦町に入ってしまうのでそこで左に曲がる。そこから暫く走れば広大さで有名な公園がある。とある街の紹介をするテレビ番組でも特集されたくらいだ。とは言え、有名なのは広さだけでそこには釣りが出来る池があるくらいなのはあまり知られていない。 暇だ、なんて言う声が聞こえてくるけどそれを無視して自転車を走らせ続ける。既に一ヶ月近く行われているその行動も、まるで一切の実りが無いからマンネリになってしまう。ひょっとしたらあの金髪野郎は既にこの町に居ないんじゃないだろうか。そんな悪態をつきながらも、立ち寄るような店さえも無い道を走り続ける。本当に、三十分走ってコンビニが一軒しかないとかどれだけ田舎なんだろうか。田舎と言えば田んぼに畑だけれど、そう言えばこの辺は個人の畑が多い。おお、見事に田舎の条件が揃ってる。 「……田舎に失礼だろ」 「それもそうだな」 知らずに口に出てたらしい。突っ込まれてしまった。 ――程なくして公園に辿り着く。道路を挟んで田んぼの田のように四つに分かれているこの石間公園は田の字で言う左下の場所には草原が広がるだけの広場が。右下には時々陸上競技が行われる運動場が。左上には釣りが出来る池があり、右上にはまたも草原。そんな公園の右下、方位で言えば北西に当たる場所から中に入る。中央の運動場を囲うように整地された通路があり、そこを走る。街灯が多く、一通り走っても人通りが無い事がすぐに分かった。運動場の周りから中見たけれど誰も居ない。死角に隠れているかもしれないけれど、出入り口は封鎖されていたし中には誰も居ないだろうとして放置した。そこで念入りに探さないのは、既に何度も中を探したからだった。入ってきた場所から一周したからその場所から出て道路を渡り、今度は北東に位置する公園へ。そこは公園の外周に街灯があるだけで中はまったくの暗闇だった。ざっと見渡しても人の気配が無く、何度もこの中に入って探してはいるけれどその度に裏切られてきた。正直ここには居ないだろうし居ても何もやる事が無いだろうとしてそのまま南に向かって外周の舗装された道を自転車で走る。マンネリが続いている身としては面倒で無駄な事はしたくない。 そして道路に突き当たり、信号を待って渡る。南東の公園。そこは釣りをする人達が多く、運動場のある北西の公園ほどではないけれど整地がされている。近道の為にこの公園を突っ切っている人も多く、北西の公園とこの南東の公園を経由して道を横断するからあいつがこの公園を使っている可能性が高い。とは言ってもそれは期待論に過ぎなく、単純に家の中にでも引き込まれていたら探しようがない。とは言え探さなければ見つからないのだから―― 「面倒なんだよな」 呟いて中に入る。舗装された道を照らす街灯に沿って走る。ここも中央に大きな池がある為にその池を囲うように通路が作られているけれど、公園を斜めに横断できるように通路が作られているから中まで探しにいかなければならない。まあ、道自体はきちんと舗装されているからそれは苦ではない。 まずは外周を回って――そう思って走っていると、その公園の中では一番人通りが少ない暗がりが多い道に差し掛かり、そこで何か普通とは違うような音が聞こえてくる。咄嗟に僕は自転車を降りてその音の方向へ走り出した。 「……イチ」 「分かってる」 ポケットに手を突っ込み、バタフライナイフを取り出す。グリップ内に収納されたブレードを片手で展開して持つ。音はもうしないが、しかし、街灯が途切れた暗がりで倒れる一人の人の姿が見えた。背中に傷は無く、うつ伏せに倒れた体の前面から血が流れていた。漂う血の匂い。それは間違いなく死臭。 「……不本意だけどビンゴだった」 「リーチなのかも知れないぜ? これをやった奴は逃げ去ってるとかさ。それに金髪野郎じゃないかもしれないし」 「それはそうだろうけど……」 携帯を取り出して送り先に秋子さんと父さんを指定し、素早くメールを打ち込む。メールが無事送られたのを確認すると同時に―― 「きああああ!」 悲鳴のような声が響き渡る。驚きに一瞬体が竦むが、すぐさまその声の方向へ向けて走った。 見えたのは刀のようなものを構えた二人の姿。一人は上段、一人は中段。剣道の経験は無いけれど、中段の構えが現代の剣道ではもっとも基本でもっとも有利な構えだと言われているのは知っている。とは言え二人がどの程度の使い手なのかは分からないし、 「……どっちをやれば良い? それとも両方やれば良いのか?」 「後者で」 どの程度の使い手だろうと関係ない。 耳に栓をし、目にサングラスを付けて走る。そして同時に、後方から投げられたペットボトルのような形の物をサングラスの下でなんとか確認する。その物は二人の間に落ちる。まだ二人は僕達の姿には気付いていない。 走り出してから五秒。長くもなく、短くもない時間。炸裂。閃光。轟音。サングラスがなければ一瞬にして目をやられていただろうその閃光は二人の目を焼き、栓をしていなければ耳をやられていただろう轟音は二人から音を奪う――筈だった。 一瞬早く上段に構えていた方は自分の目の前に腕を下げ閃光を回避する。もちろん僕の事を確認した訳じゃないのだろうけれど、闖入者に驚くでもなくそいつはあらかじめ確認していたらしい逃げ道へ駆け出した。なんとも手際が良いものだ。 光が収まるとサングラスを外す。まともに閃光と轟音を受けたもう一人は目を押さえて悶絶していた。そんな姿を見て僕はナイフを仕舞い、拳を握って―― 「おい」 ぽこ、と後頭部を叩かれた。 「なにしてんだよ」 「取り合えず殴って気絶させようとだな」 「相手は女だぞ」 「そうなのか?」 背後の馬鹿に言われてそいつを見てみる。確かに女だった。何で分かったかと言うと、ミニスカ全盛な時代の気流に逆らうようなロングスカートと黒のポニーテイルをしていたから。て言うかその姿に覚えがあった。て言うか桐式紅葉だった。 「……」 なぜか水浸しな足元を無視して取り合えず近寄り、拳を握る。 「おい!」 またしても後頭部を叩かれた。 「なにしてんだって!」 「だから殴って気絶させようとだな」 「女だぞ? 同級生だぞ!? 可愛いんだぞ!!?」 「そこの何処に殴らない要素があるんだよ」 「何処に無いんだよ!?」 がーと叫ぶ青髪の馬鹿。本気でうるせえ。しかしまあ、こいつの美意識から見ると可愛いのか桐式は。って、いつも可愛いって言ってたか。 とりあえず、面倒なので、なぐります。一句詠みつつ拳を握ってさらに近寄るが―― 「ん?」 突然桐式が付けていた手袋が水のように溶け、さらにその水が少女の形を取り、 「おお、可愛い!」 後ろの青いのが叫ぶ。 両手を広げて桐式を守るように立っていたのは、僕の半分程の背しかない小さな女の子だった。セミロングの髪を主人と同じようにポニーテイルにしているが、主人とは違ってオシャレなのか、赤い大きなリボンで止められている。服装も桐式とは違って実に女の子らしい柄の長袖のシャツとレギンスパンツだった。 そんなどこから見ても年齢通りの女の子が震える事も無く僕らを睨みつけてくる。僕はその子に向けて拳を握り―― 「死ね!」 なんか、本気で殴られた。 「……ひ、め……?」 目と耳をやられていた紅葉が辛そうに呟く。その言葉を聞いてか少女はより一層体を張って僕達の前に立ち塞がった。それを見て僕は拳を―― 「おい。いい加減キレるぞ」 「冗談だよ。……君、名前は?」 両手を挙げて降参と言う風にしながら少女に問う。しかし答えは返ってこない。だが、 「その子は姫って言うんだ」 まだ目は治っていないのか、瞼を手で押えている桐式が答えた。姫と言う名の少女は小さく何度も頷く。 「あんた、助けてくれたのか? でも無茶苦茶だぜ」 桐式が、うー、と唸って耳を何度か叩く。まだ耳に音響が残っているのだろう。馬鹿が投げたのは音と閃光で相手の行動を制するスタングレネードで、それをまともに受けた桐式は暫くは目と耳をやられたままだろう。しかしまあ、驚いた。 「君がペルソナだったなんてね」 「ぺる、そな?」 「……後で説明するよ、紅葉」 馬鹿がすたすたと桐式に近寄り、自分の胸の中に桐式の頭を埋めた。その間姫と言う名の少女は僕を睨んだままだった。かなり嫌われたらしい。馬鹿に抱かれた途端、うお、と驚いたような声を出す桐式。まあ、当然だろう。 「お前、女だったのか?」 あの馬鹿、結構胸が大きいんだよな。 「助けたのは僕だよ」 「目が見えないから分からないんだよ」 「それをやったのはそいつだ」 「ああ、そうか。じゃあ……」 助けたのはこっちじゃないか。と言うなんとも的を射た答えを聞きながら、遠くから歩いてくる秋子さんの姿を見つけて軽く手を挙げて応えるのだった。
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