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作品名:童貞紳士の事件簿2 作者:木城康文

第6回   第5章 二人目の犠牲者
 午後九時二十三分――。僕はまだ、ほかになにか犯人の手がかりになることはないかと、悶々と悩み続けていた。その時だった――。
 突然、館中に男の悲鳴が轟いた。僕は驚いてベッドから飛び起きた。慌てて部屋のドアを開けると、目の前には先生の姿があった。僕達は急いで悲鳴のした方へ向かった。するとその廊下の先には、すでに数人がドアの開いた一室の前に集まっているのが見えた。
「どうしました!」
 先生が彼らに声を掛けた。するとその中にいた鈴木さんがこちらを向き、部屋の中を指さしながらこう言った。
「え、英輔が……!」
 僕達がその部屋の中を見ると、そこにはベッドで仰向けになって倒れている松戸さんの姿があった。ここに用意されていたベージュのガウンを着ており、ベッドの装飾と両手首が二本の手錠でつながれて、万歳の時のように両手を上げている格好になっているのが見えた。この騒ぎにも彼の体はピクリとも動かなかった。僕は最悪の事態を覚悟した。
 一階から慌ただしく階段を上がってくる複数の足音が聞こえる。ほどなくしてその足音は僕達のところへたどり着いた。
「英輔……」
 松戸さんの変わり果てた姿を見て、足立さんが呟いた。裕香さんは、目を見開いて両手で口を被っている。これで館にいる全員が、この部屋の前に集まったことになる。
「皆さん、少しここで待っていてください」
 先生が全員にそう言うと、一人部屋の中に入っていった。松戸さんの傍らに立ち膝で座ると、彼の脈を取り始めた。数秒後、先生は僕たちのところへ戻り、重苦しい口を開いた。
「松戸さんは亡くなっています。死因は、何者かに首を絞められたことによる窒息死だと思われます」
 それぞれが微かな動揺の動きを見せた。しかし誰も言葉を発することはなかった。
「私は少しこの部屋を調べたいと思います。皆さんは全員、リビングへ移動していただけませんか。少し伺いたいことがありますので。それまでは絶対に、誰もリビングを出ないようにしていただきたいのです」
 先生が言うと、彼らは不安そうに互いの顔を見合わせるだけで、誰も返事をしようとはしなかった。しかしその中で、一人だけしっかりとした返答を見せた人物がいた。
「分かりました。俺が皆を見ておきます。さあ、行こう」
 鈴木さんだった。彼は近くにいた人の背中を軽く押し、全員を階段の方へ誘導していく。ほかの人たちも素直にそれに従い階段を下りていった。どうやら彼は、かなりリーダーシップがある人物のようだ。
 その様子を見届けた僕と先生は、再び亡くなっている松戸さんの方を向き直った。先生が部屋の中に入っていく。僕もそれに続いた。僕達は、だらりと横たわっている彼の傍らに立ち、眼下の遺体を見つめた。
 ガウンを着た松戸さんの髪は若干濡れており、その赤黒く変色した顔は、痛々しい苦悶の色を浮かべていた。息ができない苦痛に必死で耐えていたのだろう。その証拠に、手錠でつながれた彼の手首には、なんとかしてこの手錠を外そうと、もがき苦しんだ時に付いたであろう、赤紫色のあざが生々しく残っていた。同じく手錠がつながれている金属で出来たベッドの装飾にも、沢山の細かい傷が付いている。首にはロープのようなもので首を絞められたであろう紫色の痕がくっきりと残っていた。
 部屋の中には、彼が身に付けていたネクタイだけが無造作に床に落ちている。クローゼットを開けるとスーツはきれいにハンガーに掛けられていた。それ以外に部屋には、特にこれといって変わった点は見られなかった。
 それから僕達はトイレとバスルームを調べてみたが、誰かがシャワーを使用した形跡があること以外は、特に変わったことはないようだった。松戸さんの髪が濡れていることを考えると、シャワーを使用したのは恐らく彼に間違いないだろう。
 先生は何かに気がついたように窓際に移動した。そして窓の下の方を真剣な顔つきで見つめている。僕ははじめ、先生は窓の外を見ているのだと思ったが、そうではなかった。先生は、窓のサッシを見つめていたのだ。気になった僕は先生の視線の方へ目をやった。しかしそこには、何かが置いてあったり何かが付着しているということはなく、ただ静かに光沢を放つ綺麗なサッシがあるだけだった。
「森村君、リビングへ行こうか」
 先生はさっさと部屋を出ていってしまった。先生は一体何を見ていたのだろう。僕達はリビングへ向かった。

 午後九時三十九分――。先生がゆっくりとリビングの扉を開けた。ソファに座っていた六人全員の視線が一斉にこちらに向けられた。服装を見ると、伊藤さんと阿部さんの二人だけが、ガウンに着替えていた。あとの人は正装のままだ。先生は全員が見やすい位置に立ち、質問を始めた。
「それでは皆さんにお伺いします。最初に松戸さんの遺体を発見されたのはどなたですか?」
「俺です」
 手を挙げたのは鈴木さんだった。彼が続けて言った。
「俺、隆弘のことが心配になって、ちょっと様子を見に行ってみようと思って部屋を出たんです。そうしたら、廊下の途中にある英輔の部屋のドアが少しだけ開いていて……気になって中の様子を見てみたら、あんなことになっている英輔を見つけたんです。それで怖くなって、つい悲鳴をあげてしまいました」
 そうですか、と先生。続けて質問を投げかけた。
「では皆さんの中で、部屋を出たもしくは、部屋を出ている人を見たという方はいらっしゃいますか?」
 一同は沈黙したままだ。もう誰とも目を合わせようともしていない。
「ではどなたも部屋を出ていないということでよろしいですね?」
 やはりなんの反応も示してくれない。
「みんな、辛いのはわかるけど探偵さんの質問にはちゃんと答えよう。それが和馬や英輔を殺した犯人を見つける、一番の方法だよ。そうだろう?」
 鈴木さんは、皆をたしなめるような穏やかな口調で言った。すると次々に彼らの口から、自分は部屋を出ていないという意味の言葉を聞くことができた。ある一人の人物を除いて。
「裕香さんはいかがですか?」
 そう尋ねたのは勿論先生ではなく僕だ。彼女だけはずっとうつむいたまま一言も口を開いていないのだ。よく見ると、その目にはうっすらと涙が浮かんでいるようだった。彼女はゆっくりと顔を上げると、潤んだ瞳でただ黙って首を横に振った。僕は不謹慎にも、そんな弱った彼女の儚い美しさを見て、思わずドキリとしてしまった。
「ではご自分の部屋に誰かが訪ねてきた、ということはありませんでしたね?」
 今度はしっかりと全員が頷いた。やはり今回も、誰にもアリバイはなく、この中の誰かが嘘をついているという事になる。
「では松戸さんがあの部屋に泊まっていることをご存知だった、という方は正直に手を挙げていただけますか?」
 最初に部屋へ行くとき、僕らはそれぞれ適当に部屋の鍵を取り出していた。誰がどの部屋に泊まったかを、全員がはっきり知らなくても不思議ではない、ということだろう。実際に僕も、松戸さんがあの部屋に泊まっていたことは知らなかったのだ。先生の言葉に、まず手を挙げたのは鈴木さんだった。
「俺は知っていました。部屋の鍵を取り出したとき英輔に、自分の鍵と俺の鍵を交換して欲しいと言われたので……」
 確かにそうだった。僕も、彼と松戸さんが部屋の鍵を交換していたのを覚えている。続いて手を挙げたのは伊藤さんだった。
「俺も、あいつの隣の部屋だったんで、部屋に入るところを見ました……」
 続いて天野さんがゆっくりと手を挙げた。どうやらこれで全員のようだった。
「分かりました、ありがとうございます」
 先生は彼らの手を降ろさせると、あごに手をやり、そのまま黙り込んでしまった。どうやら先生の質問はこれで打ち止めのようだった。
 ここで僕は推理してみた。
 まず犯人は松戸さんの部屋を訪れ、何らかの方法で彼を気絶させ、その隙に彼をベッドへ運び、彼の手首を手錠でつないだのだろう。そうでなければ、彼は悲鳴を上げて、僕らに身の危険を知らせていたはずだ。彼の頭部に外傷がなかったことを考えると、恐らく即効性のある薬物を使ったのだろう。しかし、かなり大柄な松戸さんの体をベッドまで持ち上げるのには、かなりの力が必要になる。僕は、非力な女性二人にはそれは難しいような気がした。
 そして犯人が首を絞めている最中に彼が目を覚まし、必死の抵抗を試みたが叶わず、そのまま亡くなってしまった……。
 ではなぜ犯人はこんな殺害の仕方をしたのだろう。別に手錠を使わなくても絞殺することは可能だったはずだ。抵抗されないように念を入れたのだろうか。
 そして犯人はなぜ、部屋のドアを少し開けて自分の部屋へ戻ったのだろうか。まるで松戸さんの遺体を早く誰かに発見して欲しかったように思える。それとも他に何か理由があったのだろうか。
 さらに犯人は、あらかじめ彼の部屋の場所を知っていたことになる。そうでなければ、間違えて別の誰かの部屋に入ってしまう危険性があるからだ。犯人がそんなリスクの高いことをするとは思えない。彼の部屋を知っていたのは、鈴木さん、伊藤さん、天野さんの三人だが、ほかの人が本当は知っていたのに黙っているという可能性はある。
 その線から考えると、裕香さんが犯人であることはほぼ有り得ない。彼女は、僕達が部屋へ入るところはおろか、僕達が鍵を取り出しているところすら見ていないのだ。彼女が僕達の部屋割りを知る術はなかったといえる。
 ではなぜ松戸さんは、鈴木さんと自分の部屋の鍵を交換したのだろう。何か最初の部屋では都合が悪い理由があったのだろうか。
 しかしこれまでの推理は、あくまで松戸さんが狙われて殺害されていた場合の話だ。もし犯人が、たまたま入った部屋にいた彼を殺害しただけだったとしたら……。無差別殺人説が否定されたわけではないのだ。もし部屋を交換していなかったら、今頃鈴木さんが殺害されていた可能性も十分あるのだ。そして次に殺害されるのが僕である可能性だってないとは言い切れない。僕は思わず生唾を飲み込んだ。
「お前だろう、隆弘」
 沈黙を破り、そう呟いたのは伊藤さんだった。全員がうつむいていた視線を彼の方へ向ける。それは、名指しされた足立さんも例外ではなかった。
「お前さっき、英輔のことを殺してやるって言っていたじゃないか!」
 伊藤さんは声を荒らげ、叱咤するような口調で言った。僕らは足立さんを見やった。
「違うよ、あの時は腹が立っていて、つい口から出てしまっただけだよ」
 足立さんはもう声を張り上げる気力がなかったのか、ため息混じりでそう言った。
「でも英輔を殺す理由があったのはお前しかいないだろう!」
 そう伊藤さんの援護射撃をしたのは阿部さんだった。確かに少なくとも表面上では、足立さん以外に松戸さんを殺害する動機を持った人物はいない。
「だから俺じゃないって……だって俺は、あいつがどの部屋にいたかなんて知らなかったんだから」
「そんなの、嘘をついているんだろう!」
 足立さんは前屈みになり、自分の頭をぐしゃぐしゃに掻きむしっている。彼のせっかくのお洒落な髪型は、もはや見る影もなく乱れてしまっていた。重苦しい沈黙が部屋に流れる。その沈黙の中で、誰かがすすり泣く声が聞こえてきた。
「もう私、あなたの隣の部屋にいたくない。私、あなたが怖いの……」
 裕香さんが搾り出すような声で言った。どうやら彼女も、足立さんが犯人だと思っていたようだ。愛する妻からの裏切りとも言える発言に、足立さんは何の表情も見せず、ただ無言で裕香さんを見つめていた。
「そうだ、この別荘には確か地下室があっただろう? お前そこに入っていればいいんだ」
「ああ、俺が前にイタズラで閉じ込められたあそこか。それ、いいアイディアだよ」
 伊藤さんの突然の提案に、阿部さんが賛同の意思を示した。
「地下室?」
 先生が尋ねる。
「はい、前にイタズラでコイツをその地下室に閉じ込めたことがあるんですけど……」
「その地下室、中からは鍵が開かないようになっているんです。そのうち皆、俺をそこに閉じ込めたことを忘れちゃったらしくて、俺、泣きながら助けを求めたんですよ」
「そうそう、あの時は本当に爆笑だったよな」
 二人はあの時のことを思い出して、笑顔を浮かべている。どうやら彼らにとってそれは、この緊迫した状況を忘れてしまうほどの面白い出来事だったようだ。
「だからお前、そこに入っていろよ。そうすればこれ以上誰も殺されなくて済むしよ」
 伊藤さんが足立さんに向かって、突き放すように言った。それは完全に、足立さんが犯人だと決めつけたような言い方だった。当の足立さんは、全く表情を動かすことなく、抜け殻のような顔で彼を見つめるだけだった。
「隆弘、俺はお前を犯人だとは思っていない。でも、お前がそこに入れば、お前の身の安全を守ることにもなる。そうだろう?」
 鈴木さんが足立さんの横へ移動すると、たしなめるような口調で言った。しかしその言葉にも、足立さんの顔に感情が宿ることはなかった。恐らく彼は、その言葉が本心だとは思っていなかったのだろう。自分が信頼していた人達から、殺人犯だと疑われる気持ちは、とても僕には察するに余りあるものだった。
「分かった、俺、地下室に入るよ……それでいいんだろう?」
 そう呟いた足立さんは虚ろな目をして、焦点が合っていないようだった。伊藤さんは素早く部屋の鍵が入っていた引き出しを開けると、その中から一つの鍵を取り出した。恐らく地下室の鍵だろう。
「ほら、行くぞ」
 伊藤さんに促され、足立さんが立ち上がった。
「ああ、俺も行くよ。お前ひとりだと途中で殺されるかもしれないしな」
この阿部さんの何気ない一言にも、足立さんは心を砕かれているのだろうと僕は思った。そして三人は部屋を出ていった。部屋に残された僕達は、一言も会話を交わすことはなかった。
数分後、伊藤さんと阿部さんが部屋に戻ってきた。
「これでもう安心です。犯人はばっちり地下室に閉じ込めておきましたので」
「でも誰がこの鍵を預かっておくんだ?」
「やっぱり探偵さんが一番安全だろう。預かってもらえますか?」
 伊藤さんが地下室の鍵を見せながら先生に尋ねた。
「分かりました。私が預かりましょう」
 先生は立ち上がると、伊藤さんから鍵を受け取った。その鍵には「B」と書かれた平べったい円形のストラップが付いていた。
「じゃあ、俺は部屋に戻ります」
 と、伊藤さんが平然と部屋を出ようとしていた。そんな彼を鈴木さんが慌てて呼び止める。
「待てよ、初。皆でここにいた方がいい」
「大丈夫だって。もう犯人は捕まえたんだから。じゃあ、おやすみ」
その忠告も聞かず、伊藤さんは部屋を出ていってしまった。それに続いて、危険は去ったといった感じの言葉を残し、阿部さんも自分の部屋へ戻ろうとしている。
「ねえ、私もあなたの部屋に行ってもいい?」
 天野さんが不安げな口調で、阿部さんに話しかけた。どうやらこれは彼女なりの、仲直りの意思表示だったのだろう。しかし阿部さんはそんな彼女の想いに、露骨に怪訝そうな表情を見せた。
「お前な、我侭もいい加減にしろよ。やっぱりお前なんか連れてくるんじゃなかったぜ、まったく」
 阿部さんはそう言い残し、そのまま部屋を出ていってしまった。天野さんは彼の非情な言葉に、ただ悲しそうな顔でうつむいている。その阿部さんのあまりの無神経な発言に、僕は思わず腹が立ってしまった。
「では私も、失礼します……」
 裕香さんが憔悴した表情で立ち上がると、ゆっくりと部屋を出ていった。そんな彼女に、天野さんがまたしても不信げな視線を向けていることに僕は気が付いた。
 彼女は不機嫌そうに勢いよくその場に立ち上がると、早足で部屋を後にした。そして部屋に残されたのは、またしても僕と先生、鈴木さんの三人だけになってしまった。
「鈴木さん、確認しておきたいのですが、あなた達がこの別荘を訪れたのは、今回が初めてではないのですよね?」
 先生が鈴木さんに尋ねた。
「はい、もう十回以上は来ています。ただ、要が連れてきたあの女性だけは、今回が初めてだと思います」
「ではあなたと天野さんは、これまでに一度も面識がないのですか?」
「はい」
「では、彼女と裕香さんの間には面識があると思いますか?」
 鈴木さんは首をひねり、なにやら考えているようだ。質問の意図がよく分からなかったのかもしれない。
「多分ないと思いますが……」
 ではなぜ天野さんは、一方的に裕香さんのことを敵視しているのだろう。裕香さんのあの、目も眩むばかりの美貌を妬んでいるのだろうか。それとも鈴木さんの知らないところで、二人は何かしらの衝突があったのだろうか。
「では俺も部屋へ戻らせてもらいます」
 鈴木さんが席を立った。
「最後にもう一つだけ聞かせてください。正直なところ、あなたは足立さんが犯人だと思っていらっしゃいますか?」
 先生がそう尋ねると、鈴木さんは少しの間を置いてから口を開いた。
「あいつは……少し子供っぽいところがあるんです。人の気持ちを汲み取るのが苦手で……それで、知らず知らずのうちに酷いことをして、相手を傷つけてしまうんです。だからどうしても、たくさんの敵を作ってしまうんですよ」
 彼は言葉を慎重に選ぶように、ゆっくりと答えた。その姿勢を見て僕は、彼が心から足立さんのことを心配しているのだと思った。
「でもあいつが自分の身勝手な理由で、和馬や英輔を殺したなんて俺には思えません。だって俺達は……仲間なんですよ」
 最後の一言で、鈴木さんの声が微かに震えた。彼がその瞳の奥に光を湛えているのが僕には分かった。
「分かりました。ありがとうございました」
 鈴木さんは軽く一礼すると、部屋を出ていった。そして僕と先生だけが、虚しく部屋に残されたのだった。
「森村君、先生怖いから君の部屋に行ってもいいかい?」
 突然先生がおどけた笑顔で僕に尋ねてきた。だがそんなはずはない。先生は僕に気を使っているのだ。本当は怯えているであろう僕のために、傍にいてくれようとしているのだ。しかし先生は、先程のように僕を自分の部屋へ誘っても、僕が意地を張ってその誘いを断わると思ったのだろう。先生はそんな僕のために、情けない自分を演じてくれているのだ。
「別にいいですけど、先生よくそんなことで探偵なんてやっていられますよね」
 しかし僕はそんな先生の想いを、知らぬ存ぜぬといった感じで答えた。先生の僕に対する優しさが、少しむず痒かったからだ。
「ははは、こりゃ面目ない」
 と、先生は笑った。普段は自分の弱さを人には見せようとしない先生が、いざ僕の事となるとあっさりとそれを曝け出してしまう。勿論その弱さは僕のためについてくれた嘘なのだが、僕は毎回それに気づかない振りをして、先生の想いに甘えてしまうのだった。
 僕達はリビングを出ると、階段を上がり、僕の部屋へ向かった。先生は僕の部屋へ入ると、二の一番に窓際へ向かい、埃まみれのサッシを見つめている。もしかしたら先生は、僕の部屋の窓のサッシを確認するために、僕の部屋へ来たかっただけだったのだろうか。そしてそんなことに一体何の意味があるのだろう。僕には先生のその行動が、さっぱり理解できなかった。


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