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作品名:童貞紳士の事件簿 作者:木城康文

第5回   第4章 事件発生
 午後八時五十九分―。先生は先ほどの、誇張した過去の事件の続きを気持ちよさそうに熱弁していた。
「ねえ探偵さん。どうしてママとしゃべる時だけ声がおかしくなるの?」
 それまでの会話とは何の脈略もなく、そう先生に尋ねたのは亜里沙さんだった。
「え? そ、それはね……その……」
 先生はその突然の砲撃に明らかに戸惑っていた。
「それは僕から説明しましょう」
 それまで会話にほとんど参加せず黙っていた僕は、水を得た魚のように得意げに話し出した。ほかの人たちも興味津々といった感じで僕を見つめている。
「も、森村君!」
 先生は真っ赤な顔をして、必死で僕の口を塞ごうとしている。僕は両手でそれを防ぎながらにやけ顔で続けて言った。僕をほったらかしにして一人で会話を楽しんでいた罰だ。
「実は先生は未だにど…」
 ――その時だった。
 部屋の柱時計が九時を告げる鐘の一回目が鳴ったと同時に、突然部屋全体が闇に包まれたのだ。窓のカーテンを閉め切っていたので、本当に目の前にいる先生の顔も見えないほど真っ暗になった。
「なに!? 停電?」
 この声は亜里沙さんだ。その口調はひどく混乱しているようだった。部屋にはまだ柱時計が九時を告げる鐘が鳴り続けている。
「大丈夫! 落ち着いて!」
 この声は加藤医師だろう。すると突然、加藤医師の右手を中心に、淡い光が部屋を照ら出した。彼が持っていたライターの火だった。
「ろうそくとか、懐中電灯はないんですか?」
 加藤医師が山路夫人に尋ねる。
「ごめんなさい……私ではどこにあるのか分からないんです。相庭さんなら知っているはずなんですけど……」
「そうですか…まあ少しすれば、電気も復旧するでしょう」
 加藤医師は僕達を、特に不安そうな亜里沙さんを励ますように明るい口調で言った。その数分後、どこかから派手にガラスの割れる音が聞こえた。どうやらそれは一階の山路社長の部屋のほうからだった。
「……あなた!」
 夫人が山路社長の部屋のほうを向きながら立ち上がる。
「行きましょう!」
 加藤医師は勢いよく談話室のドアを開けた。僕達は加藤医師を先頭に山路社長の部屋へ駆け足で向かった。玄関ホールは入り口の上に取り付けてある大きな窓から月明かりが入り込んでいたため、幾分か視界が利くようになっていた。僕達は山路社長の部屋へと続く廊下を急ぐ。
 加藤医師が一番最初に山路社長の部屋のドアの前にたどり着くと、ライターをつけたまま左手でドンドンと強く何度もそのドアをノックしていた。そのすぐ後に談話室にいた全員がドアの前に到着した。
「山路社長! 何かあったんですか!」
 加藤医師が大声で中にいる山路社長に声を掛ける。中から返事はない。更に加藤医師は何度もドアを叩く、呼びかけるを繰り返している。
「ドアを開けましょう!」
 そう提案したのは先生だった。加藤医師はうなずくとドアノブに手をかける。
「……開かない!」
 加藤医師はそう言うと何度もガチャガチャとノブを回し続ける。
「松野さんがマスターキーを持っていますから、それを借りてきます!」
 そう言って廊下を駆け出そうとしていたのは山路夫人だった。
「そんな暇はない! ドアを破ろう」
 加藤医師は山路夫人を制し、ドアに思い切り体当たりを始めた。
「どうした、何があった!」
 廊下のはるか向こうからバスローブ姿の大志さんが叫びながら走ってやってきた。どうやら騒ぎを聞きつけてきたようだ。加藤医師はさらに体当たりを繰り返す。二度。三度。四度目の体当たりでついにそのドアは勢いよく開いた。加藤医師はその勢いで思わず部屋の中によろめいた。
 僕達は部屋の様子を窺うと思わずはっとした。そこにいたのは、タキシード姿のままうつ伏せでベッドに横たわる山路社長だった。ここからでは部屋の暗さもあり、その表情まではうかがい知る事は出来ない。
 ドアの正面にある大きな窓は派手に割られ、開け放たれている。両脇に取り付けられているカーテンが夜風で静かに揺れていた。窓のすぐ下には何か細長い棒のようなものが落ちているのが分かった。あれでガラスを割ったのだろう。
「……あなた!」
「兄貴!」
 夫人と大志さんが慌てて山路社長に近づこうとする。僕達も山路社長に駆け寄ろうとした。
「危ない! 入らないほうがいい…ここは私に任せて…」
 そんな僕らを強い口調で制したのは加藤医師だった。だがその口調にはかなりの戸惑いのようなものが感じられた。人が死んでいるのかもしれないのだからそれも当然だろう。僕達は部屋の前で、ライターを持っていて医者でもある加藤医師に、山路社長の生死の判断を任せる事にした。加藤医師は右手に持ったライターの火を頼りに、ゆっくり部屋の中へ入っていく。山路社長の寝ているベッドの横に立膝で座ると左手で山路社長の手首の脈を取り始めた。数秒間の沈黙。僕が飲んだ生唾の音が館中に響くのではないかというほどの沈黙だった。
 加藤医師はゆっくり僕らのほうを向くと小さく首を振った。
「……死んでる」
 加藤医師は小さくそうつぶやいた。僕達は今度こそ山路社長に近づこうとした。その時だった。僕の後ろからひっ、という息を吸いながら出す小さな悲鳴が聞こえた。その悲鳴の主は山路夫人だった。全員の視線が夫人に向く。その左手は口元に持っていかれ、右手は部屋の正面にある割れた窓を指差している。その指先は小刻みに振るえていた。
「今あそこの森に、人影が……」
 僕達は全員その指先の方を見た。この館から十メートルぐらい先にはうっそうとした森が広がっている。しかしそれもほとんど真っ暗で、かすかに黒く森のシルエットが見える程度にしか視界は利かなかった。少なくとも僕には人影のようなものは発見できなかった。
 すると突然、僕の後ろから廊下を走り去っていくヒールの足音が聞こえた。僕は後ろを振り返った。
「恵美さん!」
「ママ!」
 山路夫人がいない。大志さんが山路夫人を呼び止める。亜里沙さんは今にも泣きそうな声で叫んだ。そして二人が夫人を追いかけて廊下を駆け出した。僕と先生もそれを見失わないように二人を追いかける。前の二人は玄関から館の外へ出た。僕達もそれを追う。そこから数メートル先に三人が立っていた。
「今確かにあそこの木の陰に誰かがいて、こちらを窺っていたんです!」
 山路夫人は先ほど怪しい人物を見たという森を指差していた。その口調は明らかに恐怖で取り乱していた。大志さんが夫人をなだめる。
「わかったから落ち着くんだ。みんなで一緒にいれば大丈夫だから。館に戻ろう」
「まだこのあたりにいるはずです。みんなで捜しましょう!」
 山路夫人は、クルーザーがある海岸へ続く一本道を率先して歩き出した。僕達は全員その後に続いた。外には月明かりがあるため、周りが何も見えないほど真っ暗というわけではない。それでもこの道は、来たときの幻想的な風景とは打って変わり、今にも何かが飛び出してきそうな不気味な雰囲気を醸し出していた。気付けば僕は、前を歩く先生のタキシードの袖を強く掴んでいた。
 十分ほどして、僕達はクルーザーがある海岸へたどり着いた。途中には人がいるような気配はしなかった。
「さあ、帰ろう……」
 大志さんは後ろからそっと夫人の両肩に手を添えると、優しい口調で言った。山路夫人もようやく落ち着きを取り戻したのだろう。後ろを振り返ると黙って小さくうなずいた。僕達は行きと同じぐらいの時間を掛けて館へ戻ってきた。
 入り口には両手をズボンのポケットに突っ込んだまま立っている加藤医師の姿があった。一人で僕達の後を追うのは危険だと判断したのだろう。
「どうでした?」
 加藤医師が大志さんに尋ねる。
「いや、誰もいなかった」
「でも私……確かに見たんです……」
 大志さんが答えたすぐ後に、山路夫人がつぶやくように言った。
 僕達は話し合いの結果、とりあえず全員で談話室に集まろうということになった。そこで僕達は今ここにいない人物、松野さん、笠原さん、相庭さん、相沢さんをそれぞれの部屋へ呼びに行くことにした。

 午後九時二十八分――。僕達はぞろぞろと階段を上がっていく。まずは廊下の一番奥の部屋のいる「207」の笠原さんの部屋を大志さんがノックする。ドアがゆっくりと開く。
 そこに佇んでいた笠原さんはまだバスローブに着替えておらず、先ほどのドレスを着たままだった。
「……あの、何かあったんですか? 三十分ぐらい前に電気が消えて、ガラスが割れた音が聞こえたんですけど……」
 笠原さんは怯えた口調で目の前の大志さんに尋ねた。
「それが……さっき兄貴が……社長が部屋で死んでるのを見つけたんだ……」
 笠原さんは少し黙ったままだったが、小さな声でそうですか、と返事をした。それほど動揺しているようには見えなかった。まだ状況を理解し切れていないのかもしれない。大志さんは全員で談話室に集まる事を笠原さんに伝えた。そして笠原さんも僕達の輪に加わった。
 続いて廊下を挟んで反対側の部屋、「201」にいる相庭さんを呼ぶ事にした。大志さんが部屋のドアをノックする。少ししてゆっくりドアが開いた。
 そこに立っていたのは、先ほどまでの明るい相庭さんではなかった。なにやら思いつめた表情で俯いていたのだ。相庭さんのもまだバスローブには着替えておらず、メイド服を着たままだった。
「実は……さっき社長が部屋で死んでいるのを見つけたんです」
 大志さんがそう言うと、相庭さんは目を見開いて両手で口を覆った。相庭さんは一言も言葉を発しなかった。まるで何かに怯えているようだった。大志さんが全員で談話室に集まる事を説明すると、相庭さんは黙ったまま小さくうなずいた。
 続いて僕達はこの右向かいにある部屋。「208」の松野さんを呼ぶ事にした。大志さんが部屋をノックする。返事がない。しばらくたっても松野さんは出てこなかった。大志さんが強めにドアを叩く。
「松野さん、松野さん!」
 大志さんが呼びかけると、ゆっくりとそのドアは開いた。
 そこに立っていた松野さんはバスローブを着ていた。明らかに眠たそうな顔をしている。
「何か、御用でしょうか」
 どうやら松野さんは今の今まで眠っていたようだ。ガラスが割れた音は間違いなくこの館のどこにいても聞こえるほど大きかった。それなのに松野さんはそれに気付かず眠り続けていたようだ。松野さんは意外と図太い性格なのかもしれない。
「それが、さっき兄貴が部屋で死んでいるのを見つけたんだ……」
 その言葉を聴いた瞬間、松野さんの目はいつもの力を取り戻した。
「いつでございますか?」
「今から三十分ぐらい前だよ。突然ガラスの割れる音が兄貴の部屋から聞こえて、行ってみたらもう兄貴が死んでいたんだ。それで、全員で談話室に集まる事になったんだよ」
「かしこまりました。申し訳ございませんが少々お待ちください。着替えて参ります」
 そう言って松野さんは部屋のドアを閉めようとした。
「いや、別にそのままでも……」
 大志さんが言った。気を使ったのだろう。
「いいえ、そのようなわけには参りません。私がこのような格好のままでは、山路の権威に関わります」
 松野さんは軽く会釈をしてそう言い残すと静かに部屋のドアを閉めた。いかにもまじめな松野さんらしい行動だと僕は思った。数分後、松野さんは見慣れたスーツ姿で現れた。
 僕達は最後に「202」にいる相沢さんに声を掛けようとした。大志さんが部屋をノックする。しかし返事がない。相沢さんも眠っているのだろうか。相沢さんの事だから寝ているところを突然起こされて、半ギレしながら出てくるんだろうなと僕は思っていた。
「おーい、起きてくれ!」
 大志さんがドンドンとドアを叩く。やはり返事はない。相当グッスリ眠っているようだ。昨日の夜もほとんど眠っていないといっていたから無理もない。大志さんが更に大きな音でドアを叩き続ける。それでも返事はない。さすがに様子がおかしい。僕はそう思い始めていた。ほかの人たちも近くの人と顔を見合わせている。
「松野さん、マスターキーを貸してくれないか?」
 大志さんは松野さんのほうを向くと右手を差し出した。松野さんは小さくうなずくと右ポケットから鍵を取り出し、それを大志さんの手の上に乗せた。大志さんはそれを「202」のドアの鍵穴に差し込む。カチャリという鍵が開く音が聞こえた。大志さんがゆっくりとドアを開く。
 中は暗かった。電気がついていない。ベッドにも相沢さんの姿はない。ベッドの傍らの床には無造作にメイド服が脱ぎ捨ててあった。窓にはきちんと鍵がかかっていた。念のためトイレのドアをノックした後、中を調べてみたがやはりそこにも相沢さんの姿はなかった。僕達は廊下へ出た。
「どこへ行ったんだろう……」
 大志さんがつぶやいた。
「手分けして捜しましょう」
 そう提案したのは加藤医師だった。
「待ってください。バラバラに行動するのは危険です。ここは男性陣だけで彼女を捜すというのはどうでしょう。女性陣には談話室で待機していただいて……」
 その提案に待ったを掛けたのは先生だった。もしこの中に山路社長を殺害した犯人がいた場合、バラバラに行動されては証拠を隠滅する機会を与えてしまうからだろう。
「女性だけではそれこそ危険じゃありませんか」
 加藤医師が先生に反論する。
「大丈夫です。この森村が女性達をしっかりとお守りいたします。彼はこう見えても柔道五段、空手三段という拳法の使い手なのです」
 先生は僕の後ろに回りこむと、ぽんと僕の両肩を叩きながら言った。僕は驚いて先生のほうを振り返った。僕は柔道なんて高校の授業で数回やっただけだし、空手に至っては一度もやった事がなかったからだ。
 全員の半信半疑の視線が僕に向けられる。先生が僕の肩をつかむ手にぐっと力が入る。僕は空気を読んだ。
「そうなんですよ! 僕、三歳の頃から柔道と空手をやってまして、特に柔道なんか高校の頃、都大会で準優勝した事もあるんですよ!」
 僕は得意げに言った。勿論真っ赤な嘘だ。だがほかの人たちは、僕の自信満々な口調で納得したのか、この話を信用してくれた様子だった。
 僕と山路夫人、亜里沙さん、笠原さん、相庭さんの五人は談話室へ向かうべく、階段へ向かって歩き出した。
「ああ、家政婦さん。その前に懐中電灯がある場所を教えていただけませんか?」
 そう相庭さんに尋ねたのは、加藤医師だった。そういえば先ほどから加藤医師はライターを使っていなかった。暗闇に目が慣れていた僕はそのことにここでようやく気が付いた。
「懐中電灯でしたら厨房にある食器棚の引き出しの中にございます。よろしければご案内いたしましょうか?」
 相庭さんの声には明らかに怯えの色が見えた。
「いや結構。自分達で探しますよ」
 加藤医師はそう言ってポケットに突っ込んでいた左手を軽く上げた。僕と女性陣は再び廊下を歩き出した。
「じゃあ森村君。女性達をしっかりお守りするんだよ」
 階段を降りかけていた僕に先生が話しかけてきた。そして、僕だけにしか分からないくらいほんの少しだけ頷いた。怪しい行動をとらないかしっかり見張っていろ、という意味だろう。僕は任せてください、という意味の小さな頷きを返した。

 午後九時四十七分――。僕と女性陣は、談話室のソファに腰掛けていた。窓のカーテンを開け放ち、そこから漏れる月明かりだけが部屋の中を妖しく照らしている。テーブルには先ほど置きっぱなしにしたまま部屋を出て行った、僕達の飲み残しのカップやグラスがそのままになっている。
 山路夫人は、隣に座っている亜里沙さんの右手をひざの上に置き、両手を優しく添えている。その顔には明らかに不安の色が浮かんでいた。亜里沙さんは山路夫人の肩に寄りかかったまま、呆然とした表情を浮かべてどこか遠くを見つめている。その反対側のソファに座っている笠原さんは、じっとテーブルの一点を見つめたまま無表情だった。その隣に座っていた相庭さんは小刻みに震えていた。次に殺されるのは自分ではないかと怯えているのだろうか。その表情は完全にこわばっていた。僕は上座に座り、そんなここにいる人たちの様子を注意深く見つめていた。
 数分後、談話室のドアがゆっくり開いた。懐中電灯を持った大志さんを先頭に、先生達が部屋に入ってくる。もう相沢さんを見つけたのだろうか。僕はこの広い館を捜索するのだから、もっと時間がかかるものだと思っていた。そして戻ってきた先生達は明らかに重苦しい空気を漂わせていた。僕は嫌な予感がした。大志さんが重い口を開く。
「さっき……書庫で……あの若い家政婦さんが亡くなっているのを見つけました…」
 僕の予感は的中してしまった。山路夫人は驚いた表情を浮かべ、右手で口を押さえている。亜里沙さんは呆然とした表情を崩さなかった。もう何が起こっているのか理解できないのだろう。笠原さんは少しだけ視線を下に落とした。相庭さんは相変わらず身体を小刻みに震わせている。沈黙が続いた。誰も口を開こうとしなかった。
「ねえ……」
 その沈黙を破り、うわ言のように呟いたのは亜里沙さんだった。
「電気はいつ付くの?」
 それは誰か特定の人物に尋ねた感じではなかった。どこか遠くを見つめたまま、ただぼそっと呟いた。僕達は黙っていた。そんな事は僕達にも分からなかったからだ。
「ひょっとしたらブレーカーが落ちただけなんじゃないのか?」
 大志さんが自分の思いついた意見を全員に提案した。その時、相庭さんの体がびくりと震えたのを僕は見逃さなかった。
「確認しましょう。女性の皆さんはここで待っていてください」
 そう言ったのは加藤医師だ。
「大志さん、ブレーカーの場所は分かりますか?」
「ああ、厨房の奥にある」
 そして男性陣は再びぞろぞろと部屋を出て行った。再び部屋は重い沈黙に包まれた。それから数分後の事だった。いきなり頭上からまばゆい光が降り注ぎ、僕達を明るく照らし出した。突然の強い光に、僕は思わず目を細めた。
「電気が……!」
 山路夫人が嬉しそうに呟いた。部屋の電気がついたのだ。どうやらこの停電は、本当にただブレーカーが落ちただけのようだ。それからすぐに先生達が談話室に戻ってきた。大志さんは手ぶらだった。どうやら懐中電灯はブレーカーを上げるついでに元の場所にしまってきたようだ。
「ブレーカーが落ちていただけだったよ」
 と、大志さんは安堵の表情を浮かべていた。
「以前にもこんなことがあったのですか?」
 先生が大志さんに尋ねる。
「いや、この別荘が出来て六年経つけど、こんな事初めてだよ」
 そうですか、と先生。これは誰かが故意にブレーカーを落としたと考えるのが自然だ。
「皆さん、ちょっと聞いてください」
 先生が言った。全員の視線が先生に向く。
「まだこの近くに山路社長と相沢さんを殺害した犯人が潜んでいるかも知れません。そこで皆さんには、絶対にこの談話室を出ないようにしていただきたいのです。大勢でいれば犯人も手の出しようがありません。これは皆さんの命をお守りするためです。どうかご協力をお願いいたします」
 先生が深々と頭を下げる。大半の人は納得してくれた様子だった。だがこれも、ここにいるかもしれない犯人に証拠を隠滅されないためだろう。
「では、私と森村はこれから山路社長の部屋へ行き、犯行現場を調査してまいります。松野さん、警察への連絡をお願いします」
 松野さんはかしこまりました、と頭を垂れる。
「ちょっと待った」
 先生の言葉を制したのは、両手をズボンのポケットに突っ込んだまま壁にもたれて立っている加藤医師だった。
「あなた達二人が山路社長を殺害した犯人じゃないという証拠はあるんですか? もしかしたら山路社長の部屋に行って自分達が犯人だという証拠を隠滅しようとしているんじゃないですか?」
 加藤医師は単独行動を取ろうとしている先生や僕に対して、同じことを考えていたようだ。
「でも、それはないんじゃないでしょうか。主人が部屋を出てからガラスが割れる音が聞こえるまで、探偵さん達は私達とずっと一緒にいました。主人を殺す事は出来なかったはずです。それにお二人には主人を殺す動機があるとは思えませんわ」
 そう僕達をかばってくれたのは山路夫人だった。加藤医師は黙ったまま斜め下の床を見つめている。納得してくれたのだろう。
「では私達は山路社長の部屋へ行ってきます。皆さんはこの談話室を絶対に出ないようにしてください」
 先生はそう言い残すと、僕と二人で談話室を後にした。


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