E 梶尾は込み上げる嘔吐感と戦いながら現場検証に立ち会っていた。 室内は異様な程整然としていて頭部切断が行われた場所とは思えないが。 頭部の無い香織がリビングに座っているのを見ると悪寒と同時にやはり吐き気がした。 『固まったな』 三武の言葉に現場の刑事が頷く。 『何がですか?』 恐る恐る梶尾が訊くと鋭い眼光で見据えてから三武が口を開いた。 『犯人だよ。これまでの被害者を追ってる内に我々も今村竜二に辿り着いていた』 『繋がっていたんですか?』 『あぁ…被害者の女性は全員今村と交際した事、若しくは面識がある』 『でも、何故? 『今のところは、まだ解らん。しかし、犯人は今村で間違いない』 三武の言葉に何故か素直に頷けない梶尾はゆっくりと三武から視線を外した。 『あの…』 言い掛けた時に携帯が鳴った。 『私、怖いよ。直ぐにウチに来てよ』 敦子だった。 しかし、いつもの強気な敦子は居ない。 何かに酷く怯えている。 怯える理由。 香織の惨い殺害を知ってか? 違う気がした。 梶尾は一度、三武に視線を預けると室内を出た。 『今、現場検証に立ち会っているんだ。直ぐには行けないよ。何かあったの?』 『別に何も無いけど怖いの。』 『分かってるよ。僕も敦子が心配だ。ここが終わったら直ぐに行くよ』 『直ぐにだよ。お願い。』 『分かった出来るだけ早く行くよ』 梶尾は電話を切ると直ぐに室内に戻った。 三武に、どうしても訊かねばならない気がした。 F 『スイマセ-ン。御在宅ですか?モチネコヤマトです。宅配でーす』 若い男の軽薄な呼び声がした。 インターフォンカメラで声の主を確認した。 長い髪を後ろで結んだ長身の男がカメラに笑顔を振り撒く。 『誰からですか?』 敦子は猜疑心剥き出しの声で訊ねた。 『宛名しか無いっすね。後はクール便の指定しか無いっすよ』 『クール便?』 『えぇ、生モノ、じゃないかな?』 男は伝票を眺めながらヘラヘラとした笑顔を続けている。 敦子は数日前に母親と電話で話していた事を思い出した。 近いうちに好物の果物を送ると言っていた。 『分かりました直ぐに開けます』 言って玄関に向かう。 認印を握り、ドアを開いた。 『印かん、お願いします』 男の差し出す伝票に判を捺した。 『ざっしたー』 男が身を翻し走り去る。 リビングに戻り包みをテーブルに置いた。 静かに梱包を開く 薄紫色の和紙に包まれた葡萄より僅かに大きな包みが八つ綺麗に並べて入っていた。一見して高級な果物か和菓子の包みに見える。 『何?葡萄?お菓子?』 敦子が、その一つを摘まみ上げて包みを開く。 暫く眺めてから狂った様に絶叫して、それを放り投げた。 カーペットの上を転がる球体。 葡萄より少しだけ大きな物体は白濁とした色に染まった眼球だった。 G 『落ち着いて。大丈夫だよ。今、そっちに向かってる。僕が着くまで鍵を掛けて誰も部屋に入れないで。』梶尾は片手でハンドルを操りもう片方で携帯を握っていた。 『イヤ!切らないで。電話を切らないで』 泣いて懇願する敦子。 梶尾は携帯をハンドフリーに切り替えダッシュボードの上に置く。 『分かった着くまで話をしよう。先ず、何故君が狙われる?』 『知らないよ』 『本当の事を教えて。僕が知ってる事も教えるから』 言って大きくハンドルをきる。 車体が右に傾きながらカーブに添って流される。 何とかそれを押さえつけてアクセルを底まで踏み込む。 敦子がいる和田二丁目までは減速できない。 『何故、君が狙われる』 『知らないよ。香織の友達だから?』 『違うよ。訊いたんだ。三武さんは、全て調べてた。本当の事を教えて』 暫くの沈黙の後に敦子の声が聞こえた。 『私、竜二のお兄さんと付き合ってた』 『その男性は死んだんだろ?』 『でも、私が殺した訳じゃないよ。どうして?ねぇ、どうして?』 『それは僕にもまだ分からない。ただ、その人の死に様は酷かった。違うかい?』 『私は悪く無いよ。自殺なんだから、誰も悪くない』 『焼身自殺だよ。身内はそうは思わない』 『違うもん。私は…関係無いよ』 敦子が泣きじゃくるのでハンドフリーから聞こえてくる声がハッキリしない。 『君の責任が、どうのでは無くて今村が君に問いたいのは何かって事だ。ワザワザ、君に死人から抉り取った眼球を送り付けてくるのには何か理由がある筈だよ』 『知らない!知らない!知らない!』 敦子が狂人のように絶叫した。 『分かった!分かったから落ち着いて…』 言った瞬間に目の前に人が飛び出したのに梶尾は気付いて急ハンドルをきり、ブレーキを踏みつけた。 梶尾の車はコントロールを失いスピンしながら壁に激突した。H 『もしもし、もしもし?』突然途切れた通話に戸惑う敦子。 急いで梶尾の携帯を再度呼び出す。 梶尾が電話に出る気配はない。 嫌な予感がした。 不安と恐怖に五感が、研ぎ澄まされる。 不意に、小さな物音が玄関ドアから聴こえて、そこに視線が釘付けになった。 『スイマセン、サキホドノ、タクハイデス…』 ひび割れた声がドア向こうから聴こえる。 『…はい』 インターフォンカメラを覗き込み答えた。 先程の長髪の男が俯き加減に、カメラに映し出される。 しかし、何かが先程の男とは違う。 『…何ですか…』 恐る恐る訊いた。 『…ぉあ…』 男が口隠る。 『何!?』 敦子は怒鳴る様に訊いた。 『…ヴ…アアア…』 唸りながら緩慢な動作で顔をあげる男。 見開いた眼に、だらしなく開いた唇に、見覚えがあった。 『か…か、カオリ?…』 カメラに写るのは間違いなく香織だった。 『カオリなの…?』 敦子が訊くと画面一杯に映し出されていた香織の顔がゆっくりと後退る。 敦子の画面に視線が釘付けになる。 絶叫する敦子。 断末魔の叫び。 狂気に支配された絶叫。 画面の中には香織だった頭部を手に微笑む竜二が居た。 I 『三武さん。B班が今村の自宅に踏み込みました。』 三武の隣でハンドルを握る若い刑事が携帯を片手に言った。 『貸せ!』 三武がそれを奪い取る。 『何か出たか?』 三武は電話越しの相手に怒鳴るように訊いた。 『ハイ。写真です被害者達の写真が壁一面に貼られています。膨大な数です。』 『他には?』 『パソコンからも日記のようなものを見付けました』 『何が書いてある。読み上げろ』 『ハイ。半年前の、10月2日から書かれています。読みます。10月2日/君との記念日に成った。邪魔だった兄が死んでくれて最高だ。君が言ったように兄は本当に君には相応しく無い存在でしか無かったのだから自らの行為で消えてくれて俺は心底、嬉しい。これで心置き無く君を愛せる。10月25日/君との関係を深くする為に香織と付き合ってきたが今日で終わりにした。これからは君一人だけを見ていける。でも、それを告げた時に、君が言った言葉の意味が分からない。10月26日/意味を考える。10月27日/考えるが、分からない。君は何故あんな事を言ったのか。10月29日/分からない。君は自分の姿を見てみろと言った。自分で分からなければ自分を知っている人間に訊けば良いと言った。その人達の目から自分がどんな風に写るのか訊けば良いと言った。俺には、まだ分からない。11月18日/やっと理解出来た。深く考え過ぎていたから理解出来なかった。君の気持ちに気付けなかった自分に呆れる。明日から早速実行したいが俺は、血を見るのがどうしても苦手だ。何か良い方法は無いのか探してみよう。11月20日/見付けた。これも酷く単純な行程で大丈夫だったのに何故気が付かなかったのか。血が苦手なら血抜きしてしまえば良い。頸動脈を切り裂いて逆さに吊るせば血は全て滴り落ちる。サバイバル戦術の基本だ。これで、やっと君に俺を知る奴等の目玉を贈る事が出来る。随分君を待たせている事を先ずは詫びなければイケない。明日は君に電話をしよう。……まだ…続けますか?』 電話の刑事が訊いた。 『もう、良い。充分だ。』 三武は若い刑事から奪い取った携帯を乱暴にバックシートに放り出してから呟いた。 『敦子の自宅に急がなければいかん…』
最後 『敦子さん…開けてよ…話を聞いてよ……』 粘度の高い声がドア越しに室内に侵入する。 敦子は既に恐怖で体が動かなかった。 辛うじて動いている唇は同じ言葉を繰り返すだけ。 『タ…ス…ケテ…タスケテ…タスケテ…』 暫く、竜二の声は続き突然止んだ。 物音一つしない静寂の世界。 『…』 敦子が息を呑んで辺りの気配を探る。 ドン!!! ドンドンドンドン!!!!! 激しくドアがノックされて敦子は玄関から這う様に室内奥に逃げ込んだ。 『イヤ!!タスケテ…』 敦子は叫んだが声には成らない。 玄関から一番遠い部屋の壁に張り付く。 もしも、玄関のドアが破られたらベランダから飛び降りて逃げるつもりだった。 敦子の部屋があるアパート二階から飛び降りても大した怪我には成らない筈だ。 玄関から聴こえる音は次第に酷く成っている。 敦子は意を決してカーテンを捲る。 鍵を開ける。 窓ガラスを開いた。 香織の生首を抱えた竜二が立っていた。 声に成らない絶叫。 敦子はその場に腰砕けに座り込んだ。 『何故?』 しゃくりあげながら敦子が訊いた。 『何故?』 竜二が問い返した。 『何故、こんな事するの?』 敦子が竜二の脚にすがり付き泣き叫ぶ。 『君が望んだからだよ』 すがり付く敦子の頭を撫でながら竜二が言った。 『私はそんな事、言った事無い。望んだ事なんか無い。』 敦子が言うと、不思議そうに竜二が敦子の顔を覗き込む。 『愛し合う二人に多くの言葉はいらないだろ?』
言って微笑む竜二の顔は常人のそれではない。 『私はアナタを愛してなんかいないわ』 敦子の言葉に穏やかだった竜二の表情が一変する。 『あの言葉は嘘か?』 怒りの表情が能面のような無感情なものに変わる。 『あの言葉って何?』 敦子が訊ねる。 『君を兄貴が紹介してくれた時に言った言葉さ』 『私は何を言ったの?』 『竜二君は素敵だと。兄貴に出会わなければ竜二君と恋人に成っていたかも知れないと。ハッキリ兄貴の前で宣言しただろ!』 『そんな…あれは只の社交辞令みたいなものじゃない。本当に会ったばかりの人を好きに成る訳が無いわ。』 『勝手な事を言うな!』 竜二は手にしていた香織の生首を振り回す。 香織だった生首が敦子の顔面を捉える。 激痛に悶える敦子。 竜二を見ると香織を握る反対の手にはナイフが握られていた。 『お前は俺のものだ!俺だけのものだ!』 竜二がナイフを振り上げる。 その仕草がスローモーションで敦子の頭に焼き付いた。 『死ね!!!!!!!!』 竜二が叫んだ。 敦子は絶叫した。 敦子は遠くで何かが弾ける様な音を聴いた気がした… …… 一週間後 『大した傷じゃ無くて良かったよ』 梶尾が敦子の額に残る傷痕を見ながら言った。 『貴史が来てくれなければ死んでたよ。きっと…』 『玄関ドアが開かないから遅かったかと思った』 梶尾が照れた様に笑った。 梶尾は事故車を乗り捨てて敦子のアパートへ駆けつけていた。 アパートのドアを叩いたのは梶尾だった。 梶尾がドアを蹴破り中に入っていなければ恐らく敦子は殺されていたに違いない。 『貴史、ありがとう』 敦子は梶尾の手を握り締めた。 『もう大丈夫だよ。僕が居るから』 梶尾がその手を握り返す。 キツく。 敦子は余りの力に手を引いたが梶尾は、その手を離そうとはしない。 『何?』 敦子が言って見上げると竜二と同じ目をした梶尾は、能面の様な表情で敦子を見ていた。 全身が恐怖で硬直した。 声に詰まり冷や汗が噴き出しす。 『タスケテ…』 心の中で叫んだ。 もう一度、祈る様な思いで梶尾を見上げた。 『大丈夫…僕が、守ってあげるよ』 再度、呟いた梶尾の表情に竜二と同じものは無かった… 敦子が原因不明の死体で発見される約一年前の話である…… 《了》
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