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作品名:漂流 作者:アフリカ

最終回   1

それが何処から流れ着いたのか誰にも分からなかった。
ただ、僅かに鼓動している大きな繭であること以外に確かな事は何もかもが詳細不明の謎の物体.
発見者の中学二年斎藤和樹は、流れ着いたその繭を初め『汚れたバスケットボールと思った。』と後に証言している。
和樹は発見したその繭の余りの異様な姿に持ち帰るかを悩んだ挙げ句に父親が勤める水産会社に連絡している。
和樹の父親も、和樹同様に繭の異様な姿に息を飲み即座に警察に届け出ている。
それからは非常に早い対応で事は進んだ。
生物学の権威、永田道夫が九州の片田舎に派遣されるまでに一日と掛からなかったのだ。
『生きている。確かにコイツは何らかの生命体で在ることは間違いない。ただ、私の知識の中にコレに該当する事例は全く無い…私ごとき学者が本当にこの生命体を調査…否…解剖など行って良いのか…』
永田はテーブルの上に無造作に置かれた繭の表面を被う白く絡み合う細い糸に医療用のメスを押し当てながら神に懺悔する信徒の如く呟いた。
一方…
『先生。コレってもしかすると、もしかするんですよね。もしそうなら凄い事ですよね。凄い現場に私、立ち会うって事ですよね』
永田の向かいに立つ坂下美紀は興奮を隠せず上擦った声をあげた。
『美紀、静かにしなさい。お前を連れて来たのは観光の為では無いぞ』
永田と美紀は密かな関係の元にある。
妻帯者の永田は、最初奔放な美紀に他には無い魅力を感じていたが近頃は美紀に対しては、幼い子供がダブってしまいどうしても美紀に叱責する様な口調に成りがちだった。
『ハイハイ、先生。分かってます。それより早く、早く』
美紀は永田の言葉を半ば無視する様な口調で答えた。
『それでは開始する』
永田が静かにメスに力を込めると繭の表面が小さく裂けてクポッと小さく唸った。
『開くぞ』
永田のゴム手袋を嵌めた指先が繭の中に押し込まれ小さな裂け目が拡げられた。
クポッ。
クポックポックポッ…
粘土の高い液体が繭の中から溢れ出す。
『こ…これは…』
永田は息を呑んだ。

『こ…これは…』
永田は興奮していた。
二十年間、大学の研究室に籠り、得た物は教授と云う肩書きと僅かばかりの研究費と小さな尊敬。
そして、空虚な家庭と幼い愛人。
そんなものを一瞬で払拭させる程の物を発見したのだ。
目の前に有る物体。
間違い無く世界中の学会を震撼させるで在ろう新種の生物。
永田は自分の激しい鼓動を鼓膜では無く内臓全体で感じた。
『これは…』
永田の手のひらが繭の中から緑色のヌメヌメと薄光りする塊を掬い出す。
糸を引く塊。
『先生…』
美紀が身を乗り出して緑色の塊を覗き込む。
「ギアギガガキキァァァ…」
同時に金属の擦れ合う様な周波数の高い音がして咄嗟に二人が仰け反る。
反射的に手のひらに在った塊を放り出す。
宙を舞う緑色の塊から響く金属音に似た悲鳴。
「キキ…ギガァァァガ…」
そのまま巨大なトマトを叩き付けた様な音をたて床に落ちる塊。
耳を裂く様なその音が塊の床に落ちた場所から次第に移動する。
『先生?…』
美紀が声を掛けると崩れ落ちた永田が叫んだ。
『…逃げろ!』

永田が、叫んだその刹那。
美紀には小さな炸裂音と同時に乾いた枝が折れる様な振動に似た音を聴こえた。全てが一瞬で美紀には何が起こっているのかさえ理解出来ない。
『何?何?…何?…先生?…先生?』
美紀が張り積めた声で永田を呼ぶ。
カサ…カササ…ササ…
何かがニノニウムの床を這う音がした。
何か堅いものが無理矢理に自走する様な、例えるなら巨大な蟹が這い廻る様な敏捷な動きがハッキリと音の動きで分かった。
美紀は、その音が室内の隅に移動するのを茫然自失に成った体に搭載された意思の無い瞳で無意識に追い掛けた。
『先生?…』
音が移動した場所から距離を取って美紀が呼び掛ける。
『先生?…先生?…先生!先生!…誰か!誰か助けて!誰か!誰か!!』
美紀が絶叫する。
足下には永田の血液らしき赤黒い液体が染み広がって来ていた。
音の方向を見詰める美紀の眼球は、せり出しこぼれ落ちそうだ。
金縛りの様に動かなく成った体で悲鳴をあげ続ける美紀。
その悲鳴を田中雄一は隣接する実験室で聴いた。
田中は同じ学会の、永田から連絡を受けた時に自分の中に、明らかに不快な感情が生まれたのを感じた。
永田とは、十数年来の知人に成るのだが新種の調査を誰にも邪魔されたく無いと訴えた永田の気持ちも分から無くもなかった。
しかし、永田は学生を引き連れ訪れると、田中がその調査に加わる事に難色を示したのだ。
『んだよ…』
毒づいて、止めた作業を再開させ様とした時に、先程と同じ金属音が聴こえて再度絶叫が響いた。
『勘弁してくれよな…』
言って隣の実験室に向かいドアを開いた。
カサカサ…ササササササ…サ…
足下を何かが走り抜けた。
『蟹?…』
緑色のバスケットボール程度の甲殻類に似た何かだったが、それが何かは分からない。
『永田さん?どうしたの?永田さん?…ん?…永田さん?……ギアアアアア…』
室内に入った田中の視界に飛び込んだのは肉片と成った永田と学生の姿だった。
田中は絶叫の後暫く放心して室内を見渡し再度絶叫した。




現段階で、それが何で在るかは不明だが。
それは、一つ…
否…
一匹では無いと云う事だ。
第一発見者の少年の証言では、その繭は何百、何千の単位で海を漂っていたのだそうだ。
少年が届け出たのは、その一つに過ぎないと言うのだ。
少年の話では繭の大群は既に波に乗って消えてしまったらしい。
繭はどの海流に乗って漂っているのかも不明だが私には祈るしか無い…
繭がアナタの街に流れ着かない事を…
 
(了)


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