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作品名:暗転 作者:アフリカ

最終回   始まり
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心と身体の不一致。
単純に言えば、そう言う事になる。
でも、その心は何処にある。
60兆の細胞一つ一つに小さな心があって、その塊が心と成るのか?
それとも、60兆の細胞の中で一つだけが心を持っていて、その細胞が自分の心に成るのか?
もし、前者なら怪我や病気で腕や脚を失ったら。
否、爪や髪を切る度に自分の心は少しだが失なわれている事に成る。
だとすれば、一つの細胞に全て委ねられていると考える方が正しいのか?
でも、それも細胞の寿命と人間の寿命を考えると合致しない。
心の全てを支配する細胞は自分の死期を悟ると次に選ばれし細胞に心の支配権を譲り渡すのか?
肉眼では見る事も出来ない小さな細胞に、そんな事が可能なのか?
私には難しい事は解らないけど、私の心が与えられた現実に満足していない事だけは確かだ。
佐々木美樹は窓から見えるグランドをボンヤリと眺めながら考えていた。
グランドで、全力疾走していた友人が美樹に気付いて手を振る。
美樹は漫然とそれに手を振り返し応えた。
A
『美樹、聞いてる?』
目の前でハンバーガーを口一杯に頬張りながら嶋村志甫が訊ねた。
『何が?』
美樹は紙コップに付着する結露を指先で撫で、その雫を小さく捻ったストローの紙袋に落とした。
水分を吸い上げるそれは静かに形を変えて反り返る。
『それ、映画で観た事ある』
志甫は、静かに動き続ける紙袋を指差し呟いた。
二人が、その動きを見詰める。
紙袋は直ぐに、これ以上水分を吸い上げる事は出来ないと、テーブルに平伏した様にペタリと貼付いて動かなく成った。
『美樹はさ、優し過ぎるんだよ。許せないって言えば良かったんだよ。そうでしょ?』
志甫が飲み物でハンバーガーを流し込み訊いた。
『私は、どっちでも良い』
『だから美樹は駄目なんだって』
『そうかな?』
美樹はブヨブヨに膨れた紙袋に爪を立てた。
テーブルに貼付いているそれは抵抗する素振りも無く簡単に引き千切れる。
『そうだよ。アイツの言う事、何でも訊いていたら、その内にその紙屑みたいにボロボロに成って捨てられちゃうよ』
『そうかな?』
『そうだって!、間違い無いよ 。もしも、その写真がネットとかに載ったら美樹、アンタ終わりだよ』
『そうかな?』
『あぁ、焦れったいな。』
志甫が言っている事は間違いでは無い。
本当に写真が出回れば自分の居場所が無くなるのは明白だ。
それでも美樹は心の何処かでそれを望んでいる自分にも気付いていた。
左手の腕時計を撫でる。
巻き付けた大きな腕時計は時間を刻むだけだが、その下の歪な傷痕を覆い隠すには役に立つ。
『だって、考えてもみなよ。どうして、美樹の裸の写真を持っている必要があるのよ』
『そうだけど』
『何か、悪い事に巻き込まれたらどうするのよ』
巻き込まれたら、巻き込まれたで、全てを捨てれば良い。
身体は私を閉じ込めている檻でしかない。
私は私の価値を計れない。
知りたくもない。
美樹は、素直な思いが溢れそうで結露を纏った紙コップから突き出たストローを口に含んだ。
クラッシュアイスが溶けて薄まった液体が喉を伝い身体に染みる。
私が私を捨てれば私は何かを手に入れる事が出来るだろうか。
きっと、どんな行為にも意味は無い。
全ては失う為に用意されている筈なのだから。
『じゃぁ、確かめに行こうよ』
志甫は、ポテトを袋ごと傾けて残りを、口の中に押し込んだ。
B
川西孝司は図書館の隅で参考書を開いていた。
『あのさ』
突然声を掛けられ孝司が驚き振り返る。
『ちょっと良いかな?』
志甫は落とした調子で、それでも有無を言わさぬ声色で孝司に訊ねた。
孝司は志甫の隣に立つ美樹にチラリと視線をやると『無理』とだけ応えた。
『アンタね。イイ加減にしなさいよ』
志甫の声が大きく成って、視線が集中する。
『良いよ、志甫。行こう』美樹が言って志甫の手を引いた。
『駄目だよ。盗み撮りなんて最低だよ。それって犯罪だよ。私は許せない。コイツは絶対アンタを好きじゃないよ』
志甫が孝司を指差して怒鳴った。

『何言ってんだよ。写真は美樹が、良いって言ったから撮ったんだよ。関係無い奴が吠えるなよ。』
孝司は視線を参考書に落としたまま応えた。
『そんな筈ないよ』
志甫が救いを求める様に見詰めたので美樹は反射的に首を振る。
『嘘つくなよ。やっぱり最低だよ。』
『嘘じゃ無いよ』
孝司の態度は冷静で、それが逆に志甫の感情を煽る。
『兎に角、外に出なよ。』
志甫が孝司の肩口を掴み大きく揺らす。
一瞬、何が起こったのか分からなかった。
志甫が崩れ落ちて蹲る。
参考書を読んでいた筈の孝司が立ち上がり志甫を見下ろし薄く笑っている。
『どうしたの?』
覗き込んで美樹は言葉を失った。
志甫の顔に添えられた指の隙間から鮮血が溢れ出る。
指を伝い滴り落ちる深紅の液体。
志甫は一度手を目線まで持ち上げ鮮血に染まった掌を眺めて震えだした。
周囲から叫び声があがる。
裂け広がった志甫の頬から薄桜色の肉片が見える。
溢れ出す鮮血は止まる様子など無く、見る間に白いシャツを染めて行く。
『志甫!』
茫然と震え続ける志甫の代わりに、傷口を掌で押さえながら美樹は叫んだ。
C
警察の事情聴取を終えると疲労感と無力感に支配された身体と心が軋んで悲鳴を挙げているのが分かった。
運転席でハンドルを操る父親が『何故だ』と呟く。
美樹は、それには応えず眠いとだけ伝えると目を閉じた。
薄笑いの孝司が握り締めたカッターナイフが鈍い色に光る。
裂け広がった志甫の頬から乳白色の脂肪が溢れ出す。
昼間に見た猫の亡骸が呻き出す。
飛び出した内臓を引き摺りながら、その猫が脚に纏わりつく。
汚水が溜まる池を下着姿で游ぐ私。
葵色の花が私の掌で血を吹き出し、その掌を見た志甫が絶叫した時、目が覚めた。
父が私の肩を揺らしていた。
『大丈夫か?魘されていたぞ』
覗き込む父に顔を背けた。
『母さんは?』
『家だろう…』
父が出て行ってから二ヶ月が過ぎていたが、母は不安定な感情に支配されたままだった。
『帰ってくるの?』
『いや、無理だよ。もう、元には戻れない。美樹にも分かるだろ?父さんと母さんは、もう駄目なんだ』
『そっか。』
理解していた。
受け入れていた。
父も、母も、大人だ。
互いに、必要か不要なのかは大人のルールで決めれば良い。
私に何かを決める事は出来ない。
しかし、そう考える様に成ってからの美樹は、度々止め様も無い虚無感に支配される。
『彼女と上手くやってる?』
父親は、美樹の問いに曖昧な笑みを返すと視線をフロントガラスに戻した。
『家の前で降ろすよ』
父親が見詰める先に美樹も視線を合わす。
ヘッドライトに浮かび上がった中央分離帯の白い点線が消えて、現れて、又消える。
二人は無言でヘッドライトの先にある暗い闇を見詰めた。


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