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作品名:みどりの本 作者:杓 獅ス孤

第6回   5・下北沢みどり・
リスナー全てを現実から彼女の世界へと導くハスキーな歌声。
 歌が上手い人はたくさんいるだろう。しかし大抵は音程やリズムがしっかりしているだけ。プラスアルファ、歌の世界を見事に魅せてくれる表現力が備わっている人はそうはいないだろう。
 浮世離れした歌声で魅了してくれるその子の名前は、
 〔下北沢みどり〕
 同じレッスン生として事務所に入り、彼女の歌を聴けば聴くほど彼女の才に惹かれていった。スタイルもよく、整った小顔に一際目立つキュッと上がった目元がいかにも、才色兼備の風格を漂わせていた。
 彼女の風格に臆した俺は、声をかけることができずにいた。そんなチキンな俺に、なんと!下北沢みどりの方から声をかけてきてくれたのだ。
 「よろしくね」
 突然のことに驚きを隠せず、
 「よろしくやあれへんで!下北沢さんはごっつ歌うまいんやねぇ!」
 荒々しい大阪弁が出る。
 「私オペラしてるの。だから本当は、あんなハスキーな声出したら喉に良くないから怒られちゃうんだけどね。
 茶屋町くんはいつも迫真の演技だよね。今度の一人演技が楽しみだよ」
 淡々と話す下北沢さんには、俺の大阪弁を荒々しいとは感じなかったようだ。
 「一人演技はまかしといてや!本物ってやつを魅せたるから!」
 力技でなんとか話をつなげる。もっと会話をつなげろ!茶屋町しげる!
 「あれやなーあの・・・とりあえず、今度ライブに行こう!」
 中学、高校と女性と話すのは苦手だったが、まさかここまでとは・・・自分に失望。いきなり誘って誰がOKしてくれるだろうか。
 「いいよ!行こう行こう!」
 OKが出たこと以上に、ライブと聞いた後の下北沢さんのテンションの上がり具合に驚いた。
 二言三言から成立したデート。デートの詳細を二人で固めていくうちに、ぎこちなさもとれる。デートでの急接近を俺は期待していた。

 「お・おめでとう・・しげる」
 振り返り際のみどりちゃんは、少し驚いた表情をしていた。
 「なんでそんなビックリしてんの?」
 「だってこんな人気の無い廊下で、背後から大声を出されたら、誰でも驚くよ!」
 「そんなもんかねぇ〜」
 「何なのその言い方!憎たらしいぃ」
 二人の間にはもう壁は無い。
 「ところで、トップを獲れた気分はどうですか?」
 嬉しそうにみどりちゃんが聞く。
 「どうなんやろ、最初から獲れることはわかってただけに、別段驚きはないなぁ」
 「ほんと、憎たらしいよね」
 冷たい表情になったみどりちゃんにあえてテンション高くふっかける。
 「いや〜、さい先ええなぁ〜、良い日になるで今日はぁ!」
 うん、うんと、うなずきながら嬉しそうな顔になるみどりちゃん。
 「そういえばさぁ、事務所の人達と何を話してたの?」
 「これからのことやなぁー、どういう方向性で売っていくか、みたいな。今日はそんな明確には話せんかったけど、とりあえずオーディション受けさせていくから覚悟せえよ、みたいな感じ。」
 「そうなんだ!やったじゃん!スターに近づいたね!」
 「でもまぁ、高二の頃からずっとスターやからなぁ」
 もう何も返してこないみどりちゃんは、前々から企画していたライブのことで頭の中が一杯らしい。

 知る人ぞ知る名ドラマーのアフロが、アメリカからはるばる日本へやってきて、Japanが誇る名サックス師のシンジとコラボレーションライブをするってことで、音楽にうるさいみどりちゃんは楽しみで仕方ないらしい。
 このライブで素晴らしい時間を共有すれば、がっちりとみどりちゃんの心をロックできることは間違いない。
 完璧なシチュエーションに、どや顔でみどりちゃんをエスコート。有名デザイナーが会場を作ったというだけあって、会場内はシックな雰囲気で包まれている。
 「ドラマーのアフロくんとのセッションをどうぞ堪能していって下さい」
 言葉少なにMCをするシンジにオーディエンスからは、待ってましたと言わんばかりの拍手。
 アフロくんがドラムと会話するように試し打ちする。その横でシンジがサックスに調子を伺う。この光景を見つめるオーディエンス。本番への期待値は上がっていく。
 皆の思いが一つになった時、スタンバイOK。早速アフロくんが、
 「1、2、3」
 カウントをとり、軽快にかつDeepなフローを展開する。ループ、コンビネーション、静けさや、色とりどりのドラムシーンを演出している。その横で目をつむり、頭に小さなLove Storyを思い浮かべるかの如く、気持ち良さげに体を揺らすシンジ。
 きてます。二人の息が一つになりかけてます。
 アフロくんのドラムがセカンドシーズンに入り、激しさを増す。それと同時にシンジの体の揺れも新たな境地へ。
 いよいよ舞台から目を離せなくなってきたオーディエンス。どんどん二人の世界に魅せられていく。・・・いや、一人の世界に。
 シンジは未だにサックスに口をつけない。もう今日は口をつけそうになかった。
 ただひたすら、アフロくんの叩き出す気持ち良いリディムをバックに、舞台一杯踊っています。

ライブの後に見る街は、良い音楽を聴いたおかげか、少し雰囲気が違って見えた。
 「シンジ一回も吹かなかったね」
 みどりちゃんは、落胆している様子ではなかった。
 「まぁ、プロの中のプロは、フィールイングを大切にするんちゃうか、しらんけど」
 「でもプロなら、お客を楽しませるっていうことが、本当に大切なんじゃないかなぁ?」
 「一番大切なことほど、忘れやすいんちゃうか?」
 腑に落ちない表情を露骨に出すみどりちゃん。
 「納得してないみどりちゃんに、良い話をしてあげよう」
 ここから〔大切〕についての講義が始まる。
 「俺が高一の時、高三の先輩に恋をしました。俺は気持ちを伝えましたよ。そして、告白が終わり、先輩を見送った。さて帰ろうとした時に、チャック全開やったことに気づいたんや・・・ええか、大切なことほど、実は皆見逃しがちなんや」
 今日二回目の、どや顔。
 「いや、わからないなぁ」
 そう言って、俺の前をすたすた歩くみどりちゃんに、胸がドキドキしている自分に気づく。(俺はほんま、ドMやなぁ。)
 「S!待ってくれS!」
 「何よーSって!」
 「いやいやみどりちゃんは、Sですよ。イニシャルも性格も」
 「サドってこと?そんなことないよー」
 笑うみどりちゃん。そういえば、あまりみどりちゃんの笑顔って見たことないな。
 「そういやみどりちゃんってあんま笑わんよなー」
 一瞬、みどりちゃんの顔がフリーズしたことを見逃さなかった。
 「どないしたん?」
 「笑ったら変でしょ、私って」
 へ?
 「いや、いや、笑ってた方がええんちゃうかなー」
 「いいのよ、笑ったら変なのよ、どうせ」
 (な、なんやこいつ、腹立ってきたなぁ)
 「人目気にしすぎなんちゃう」
 その一言でみどりちゃんのテンションは下がり、なにがなんだかわからないまま、デートは終了。

 先日の件以来、バイトにも身が入らない。
 (なんやねん一体。分からんはぁ。腹立つけど、みどりちゃんには会いたいしなぁー。でも電話すんのん気まずいよなぁー)
 バイトに集中できなていない俺に、先輩の文太君が、
 「最近どないした茶屋町よぉ。元気ないのう」
 「あ、すいません。今日親知らず抜くんで、テンション下がってるんですよ」
 抜歯は本当、テンション下がる理由はウソ。
 「親知らず抜くんかい。何時からや」
 「バイトあがって三十分後の十七時半からです」
 「よし、ほなぁ、十九時にはこっち戻ってこれるやろ?ちーと、配達付き合えやぁー」
 (まじかいな)と思いつつも、バイト歴八年、広島なまりの文太君には逆らえない。
 「AllOkです」
 快答。
 
バイトを終え、急いで歯医者に向かった。あんなに気にしていたみどりちゃんの件も忘れ、抜歯にドキドキしていた。(大丈夫、言うほど痛くないやろ。新宿の歯医者やぞ。高い金払ってんねや。痛いはずがない)
 自己暗示をかけながら、診察台に腰をかける。〔ガリガリ、ガリガリ〕両目を布で塞がれ、視界を断ち切られた俺は、ペンチで引っこ抜いてんちゃうか?と思わすこの音に、原始的なイメージを勝手に想像していた。
 音の割りには、あまり痛みはなかった。初めてここで払う料金を高いとは思わなかった。
 「グッジョブ」
 十九時までは少し時間があるので、ゆっくりとバイト先まで歩いた。
 緊張していたのか、背中に汗をビッショリかいていた。四月の夜風は少し冷たく、背中が寒い。
 心身ともにスッキリとした今なら、マイナス思考だった下北沢みどりの件も、プラス思考で向き合える。(理由はようわからんけど、とりあえず会って話そう)これにて下北沢みどりの件は解決。
 帰宅ラッシュを過ぎ、少し人が減ったJR新宿南口。良い気分で茶漬け屋に戻る。
 「文太!いや、文太君!」
 「おら、なんやテンション高いのう」
 「もう行きますか?配達」
 「そやな、とりあえず行こか」
 当店では配達はやっていないが、今日行くサラリーマンはお得意様ということもあり、お願いがある度に商売上手の文太君は配達に行く。
 「文太君、茶漬けは配達したことないんすか?」
 「茶漬けはさすがに無理やのー。惣菜のコロッケ、おにぎりだけや」
 (文太君なら、茶漬けも配達して、おわん空くまで待ってそうやけど。そこまではせんやなぁ)
 サラリーマンのいるビジネスビルは、店から五分。(こんなもんちょっと食いに来たらええがな。この五分でビジネスに支障をきたすのか?)

 「ありがとうございました!またよろしくお願いします!」
 (商売人の文太君のようにならんといかん)そんなことを考えていると、
 「おい!茶屋町」
 「え、あ、はい!」
 「今日はありがとなぁ、お礼に寿司おごったるはぁ」
 「いやいや、歯抜いてすぐには食えませんねん」
 「寿司やったら大丈夫やさけ、いこっ」
 半ば強引に連れていかれた寿司屋は回転ものでなく、いかにも高そうな店構えをしていた。
 「まいど、大将、いつものやつ二つ」
 入って即注文。牛丼を頼むかの如く手なれた様は、間違いなく大物だった。
 「スターやないですか」
 「なにがや?」
 「こんな寿司屋で常連の文太君はスターでしょ」
 「スターはもっと高い所で食うやろ」
 「ここなんぼなんですか?」
 「店構えはしっかりしとるけど、価格は手ごろやで」
 回転しか食べたことのない俺には手ごろな価格がピンっとこなかった。
 綺麗に飾られた寿司のセットに、蟹の入ったみそ汁がつく。歯を抜いたことも忘れ、空腹を満たす。
 「どうなんや、芸能活動は?」
 「これからって感じです。オーディションで忙しくなりそうな、そうでないような。ワクワクしてます。」
 「ほんまか。最近なんか元気ないけん、どないしたんやろ思て、心配してたんや。」
 「えっ・・・」
 「知り合いもおらん、知らん町に一人で出てきたんや、何かあったらすぐ言えよ。袖すり合うも他生の縁や。えんは大切にな」
 上京して二年間。気を張った状態が続き、人に頼るという余裕はなかった。
 いつの間にか、自分のことを心配してくれる人ができていた。緊張の糸が切れそうだった。
 「心配して頂いてほんまありがとうございます。とりあえず家帰って泣きます。」
 「泣くな!とにかく腹一杯食うて帰れよ」
 「ありがとうございます」
 お金の都合で一日一食しか食べていない俺は、抜歯したことも忘れ、永遠に食べ続けた。
 「ごちそうさまでした!また明日もがんばります!」
 「おうよ!ほな気つけて帰れよ!」

 人に優しくされると、張り詰めていたものが緩み、急に自分が弱くなったような気持ちになる。(あーなんか・・・やばい。感傷的になってるなぁー)
 下北沢の駅につき、改札を抜けようとすると、駅員が驚いた顔で俺を見ている。(うん?そういや車内でもチラ、チラ、と人の視線を感じたなぁ。)
 「君、大丈夫?」
 突然駅員からかけられた言葉に(何が?)というような顔で返事をする。すると、
 「いや、Tシャツと口・・・」
 Tシャツと口?何もわからないまま、Tシャツを見ると、白のTシャツが真っ赤に!そして、口に手を当てると、手に赤いものが!(やっぱり寿司なんか食うたらアカンかってんやんけ!)沸々と怒りがこみ上げてくる。(文太のボケが寿司なんか連れて行きやがって!)緩んでいた心が引き締まる。急いで口内出血を止め、みどりちゃんと前向きに話すことを誓う。これで方向性も決まる。
 抜歯の痛み止めが効いてきた頃、ほんとに長かった一日が終わる。


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