自治領主レクスス・プロウィコスの館を北の端に構えた都市アラキノフス。碁盤の目のように道が規則正しく張り巡らされたその景観は、まるで古代中国の歴史に登場する唐の都、長安を髣髴とさせるものがある。都市の総人口は約六八〇万。北の区画はプロウィコスに仕える諸侯の館が並ぶ住宅地となっており、そこから南へ一直線に伸びる中央回廊と呼ばれる大通りが、都市全域を大きく東西に二分している。東は主に商業、そして水路を挟んで畜産業の中心地となっており、対して西は穀物の大農園が広がっている。南の区域もこの中央回廊で東西に二分されており、各々が一般住民の住む区画となっている。 中央回廊の途中数箇所に設けられた、直径一ミル(一キロ)の円形の広場の他、それぞれの一般道にも約〇・三ミルの直径を持つ円形広場が十数箇所あり、そこでは様々な催し物やバザールが行われている。また、それ以外の時は主に中央政府であるレグヌム・プリンキピス行政府からの「お達し書き」が掲示されている。だが、王都エリュシネからやって来る、そうした布告は最近はめっきり影を潜め、今では領主プロウィコスの一般民に対する布告が代わりに多く出るようになっていた。その殆どはプロウィコスの「私設部隊」への参加希望者や、グリフィスの専属調教師を募るもので、それ以外では租税額の変更等を知らせるものであった。 プロウィコスはこれまで決して、この地にて「悪政」を敷いていたわけではなかった。どちらかと言えば事勿れ主義者であるこの領主は、一般大衆の目を気にして、おどおどしながらも、側近や身内には空威張りしているタイプの人間で、住民からは慕われこそしていないものの、かと言って大きな叛意を持たれているわけでもなかった。寧ろ、小馬鹿にされていたという表現を用いたほうが的確であろう。ところが、アグゲリス公国という後ろ盾を持った途端、強引なまでのやり口で税の徴収や徴兵制めいた私設部隊員の確保(プロウィコスはこれを「公役」と称していた)等が目立ち始めたのだ。 この地は白簾霊峰にある鉱山ほどではないにせよ、それなりのウォラリス・テクタイトの埋蔵量があった。最近判明したことであり、本国政府もまかり知らぬことであった。王政連合からの独立を狙っていたプロウィコスは、このテクタイト鉱石を裏流しの形でアグゲリスへ輸出し始め、急接近を掛けていたのであった。アムリス大公の政策の急転換を迎えてすぐ後からのことである。 このような男が何故自治領などを構えていられるかと言うと、元々プロウィコス家はレグヌム・プリンキピス政府において、数々の政務を執り行うエリート一族の一つであったことがその理由にある。ところが、国王がアフェクシアの代になり、政治改革の一環で政務から外されたのである。旧態依然とした政府内に新しい風を入れるが為との理由であった。ただ、これまでの国家への貢献には敬意を示すと言うことで、現在の自治領となる土地を与えられたのである。そこで、中央政府の一環という立場を遵守するのであれば、一定の自治を認めると言う許可も得ることが出来た。そこで現領主たるレクスス・プロウィコスは、表向きは女王アフェクシアに、そして中央政府に仕えるという顔をしつつも、本音では自身が一国の統治者となるという野望を持ち始めたのである。 テクタイトの地下鉱脈を発見して以来、そしてそれをアグゲリスに横流しし始め、自身の後ろ盾を得ることで、プロウィコスの思いは肥大化していった。この男の態度に気付き始めたアフェクシアにとって、空間近衛騎士団にとって、プロウィコスは言うなれば獅子身中の虫となっていたのだ。
アラキノフスへ向かい、雲の合間を滑空しているトルソ自身も、何故レクスス・プロウィコスのような者が自治領主として君臨などしているのか、疑問に思えてならなかった。あのような者こそ「ススティネーレ政策」の一環で再教育されるべきだとも思っている。世襲と言うもので、誰であろうと自動的に前面へ押し出されることには、敬意を示すことは出来ないトルソであった。 もう一つ敬意を示せないものがある。件の「ススティネーレ政策」だ。中途転生者対象のこの政策は、この世界にて赤ん坊として生まれ付いた者には適応されていない。親や学校、周囲の者による躾に任されている。とは言っても、人の個性など様々だ。その者の置かれている環境もそれぞれに異なる。その者に接する他者もまた千差万別だ。 但し、その者が人の先頭に立つ場合、リーダーとしての立場にある場合、その際はある程度の矯正が必要になる場合もある。生まれ持った性格は変えられないとしても、考え方は変えることが出来る。意識改革をすべき状況も存在する。レクスス・プロウィコスはそのどれをも成されていない。世襲と言う悪習のために、人の前へと放り出されただけの肝の小さい男だ。そう考えるなら、この男もある種の「被害者」なのかもしれない。 レクスス・プロウィコスの罪ある点、それはこの者が己を変えよう、人の前に立つのなら、それにふさわしい者になろう、努力し自身を磨こうという部分が完全に欠落していることだ。惰性に流されるがままでいたと思っていたら、裏で何やらこそこそと動いて、権力に目をくらませている。トルソに言わせればたったの一言、「愚か者」で済まされてしまう程度の者なのだ。 そして、そのような者を野放しにし、我関せずの態度を決め込み続けていた領内の住民に対しても、トルソは不満を感じている。指導者が駄目になれば、その下にいる者達も同様になってしまうということなのか。世襲制度で無能な者を自身の頂に置くことになっても、それに対して誰も声をあげないのは、それは自身の責任放棄でしかない。 結局は、レクスス・プロウィコスも、その下にいる住民も、事勿れ主義でしかないのか。 どうにもすっきりしない。いや、寧ろ不快にさえ感じる。トルソにとって、そう思えてならない土地がここ、そう思える町がアラキノフスである。 常時身に纏っている金色の甲冑を、今はトルソは外している。あのような格好は目立ち過ぎてならない。黒い革の衣服を代わりに身に纏い、GPS機能のようなものを含め、色々と仕込まれている兜の代わりに、今は皮紙で出来た地図を広げて進行方向を確認している。 「もうそろそろか」 そう思い、トルソは自身のグリフィス「マヨル」を降下させる。雲の合間から地表が見えた。耳に風を切る音が響いている。足下には中程度の高さを持つ岩山が点在しており、その合間を草原や、その草原の中を突っ切る道が見える。その道の行く末には、一際広い平原があり、その奥には外壁に囲まれた都市がある。 アラキノフスだ。
街には特に変わった点は見受けられない。そこら辺の街と何ら代わりはない。住民の中に不穏な空気が流れている様子でもない。以前に一度来たことのある場所だが、当時と雰囲気は大して変わっていなかった。行商人、露天商、様々な商店や、三階から五階建ての集合住宅の建物が連なっている。 唯一目に付いたものが、この地で「衛兵」と呼ばれる、プロウィコスの私設部隊の者の数の多さだった。鹿の頭に競走馬の体躯という出で立ちの「エクウス・ゲンティル」という獣に跨った彼らの姿があちらこちらで見受けられる。濃紺に山吹色のラインが縦横に一本ずつ入った彼等の制服は、まるでスウェーデンの国旗を髣髴とさせる見た目だ。頭には六角形の形をした制帽を被っている。腰には鞘に入った細身のサーベルを付けている。プロウィコスの悪趣味極まりないデザインの衣装を思えば、彼等の服装は至ってシンプルで、気品さえ感じさせるものだ。その衛兵が獣に乗って通りを闊歩し、立っている衛兵は道行く者に一枚の紙を手渡している。まさか号外と言うわけでもあるまい、そう思いトルソは近付いてその紙を手に取った。 「DECRETUM(布告)」 紙の頭にはそう書かれている。以下に続く文章を読んだトルソは、眉間に皺を寄せた。 「何だこれは」 トルソは苦々しく呟いた。
家の扉が叩かれた。 「あら、こんな時間に何かしら?」 ダフニは玄関へ赴き、扉を開いた。玄関先には二人の衛兵が仁王立ちになっている。 「こんにちは、クリッジの奥さん」 昼下がりの時間に衛兵が来るなど滅多にないことなので、ダフニの表情には若干の驚きが浮かんだ。 ちょっとした感情でも表情に出てしまうのがダフニだった。 「まあ、珍しいこと」 「何がです?」 「いえ、貴方がたみたいな衛兵さんがウチに来るなんて。何事かしら?」 衛兵は軽く笑いながら、丸めていた紙を一枚、ダフニに手渡した。 「プロウィコス様が現在、人を捜しております。ご協力戴けたら幸いです」 「人を?」 アムリアは紙を広げ、「DECRETUM」の見出しに続く文章に目をやった。
「現在、黒い髪に黒い瞳を持つケイゴと言う名の男児を捜索している。年齢、体格等は不明であるが、この男児が当領地内にいると言うことが看過出来ない状況となっている。心当たりのある者あらば、直ちに申し出されたし。 かくまう者、隠す者あらば厳罰に処する」
衛兵は、ダフニの表情の微妙な変化を見逃さなかった。しかしダフニは、この場ではその話に触れず、 「分かりました。夫にも伝えておきます」 と一言のみを返した。 「宜しく頼みますよ、奥さん」 衛兵がそう言うと、ダフニは 「ええ、では御機嫌よう」 と返して扉を閉めた。 衛兵は何度か家の扉のほうをちらちらと見ながら、エクウス・ゲンティルに跨り、次の家へと向かって行った。 「何事だ?」 奥の部屋で作業をしていたクリッジが姿を現した。エガケ(鷹匠が左手にはめる皮張りのグローブ。鷹の爪で傷付けられないようにはめるもの。グリフィスがほんの幼鳥の時に使用するが、人を乗せて飛空するまでに大型化するグリフィスには、直ぐに止まり木が必要となり、グローブは使えなくなってしまう)状の手甲の修繕をしていたのだった。 「あなた、これ……」 ダフニはクリッジにその「布告書」を手渡した。クリッジはその文面に目を通すと、軽く「ふん」と鼻を鳴らした。 「まるで罪人扱いだな」 そう呟くクリッジの表情をダフニはじっと見ていた。 「ケイゴを家の外に出すな。あの領主のことだ、どうもきな臭い」 ダフニは「ええ」と短く答えた。 「どうせ、あの鶏ガラ息子がまた来る。その時にでも探りを入れてみる」 クリッジはそう言うと、再び奥の部屋へ戻って行き掛けたが、ふと啓吾が何処にいるのか気になった。 「ケイゴならグリフィスの小屋に行きましたよ。連れて来ます」 ダフニが言ったが、 「いや、私が行く」 そう言って、クリッジは表に出た。
啓吾はその頃、確かにグリフィスの飼育小屋にいた。銀の傍に座り、そして銀に語り掛けていた。他のグリフィスはめいめいに歩き回り、小屋の中を飛び、または止まり木の上で体を休めていた。 「銀、お前も大変だね」 啓吾は銀の胴体に手を置きながら、静かに話していた。 「おばちゃんも、お前のお母さんもいなくなっちゃった」 銀はじっと前を見つめている。時折、大きな欠伸をした。 「僕を守ってくれた。そして……ごめんね。お前が一人ぼっちになったのは、僕のせいだ」 啓吾は俯いて、ぽつりと言った。銀は啓吾のほうを向くと、頭の情覚器を小さく動かし、啓吾の背にくっ付けた。 「僕も一緒さ。僕も一人になっちゃった」 啓吾は顔を上げ、銀の顔に視線を向けた。 「パパが今どうしてるか、全然分かんないよ。僕のこと、きっと捜していると思う。僕、パパと最後に一緒にいた時、喧嘩しちゃったんだ」 銀の胴を撫でる啓吾。 「でもね。僕、パパが大好き。とっても好きなんだ。だからね、喧嘩して、こんな所に来ちゃってさ、パパに会えないのがすごく寂しい。パパにごめんなさいって言いたい。パパの言うことを聞いていたら、あんなママに化けたバケモノなんかに……こんな所に連れて来られなくても済んだんだ。パパの言うこと、聞いておけばよかった」 啓吾の寂しげな表情を見つめる銀。 「ここの人はいい人だよ。アイーダのおばちゃんも、おばちゃんが連れてってくれた市場の人達もいい人だったし、優しかった。そして、ここのおじちゃんも、おばちゃんも。あの二人の兄弟の子も、僕を拾ってくれたんだもの。あ、だから……一人ぼっちって言っちゃいけないのかな。でもやっぱり……寂しいよ。銀、お前も寂しいの?」 銀は情覚器を啓吾の背に付けたまま、小さく声を漏らした。 「だから、銀、僕はお前を一人にしないよ。僕、お前の傍にずっといる。僕達、友達だからね」 そう言うと、啓吾は頭を銀の胸に付けた。温かさが心地いい。銀の息遣いで胸がゆっくり膨らんだりへこんだりするのが分かる。 啓吾は目を閉じた。涙が出て来た。 「パパ……会いたいよぉ、帰りたいよぉ……」 銀は嘴をそっと啓吾の顔に近付けると、舌の先でそっと啓吾の頬を舐めた。 「銀……銀は何処にも行かないで。僕も銀と一緒にいるから……」 クリッジは小屋の外で、啓吾と銀の姿を黙って見詰めていた。そして啓吾の呟きを心ならずとも聞いていた。しかし、そこでクリッジはその独り言に口を挟もうとは敢えてしなかった。 クリッジは、他のグリフィス達の変化に気が付いた。何時の間にかグリフィス達は啓吾の後ろに集まり、群れとなり、身動き一つせずに啓吾に視線を送っている。皆、ゆっくりと情覚器を動かしている。 グリフィスの瞳が柔らかい光を放っているように、クリッジには見えていた。 「驚いたな……」 クリッジは声にならない小声で呟いた。 小屋の中にいるグリフィスの全てが啓吾に心を開いている。 「ケイゴ」 クリッジは啓吾に声を掛けた。 「おじさん……」 とにかく今は、啓吾を隠しておくことが先決だ。クリッジはそう思った。 銀から引き離すことに少し心を痛めつつ。
レンとフスハは学校の授業を終え、帰路に付いていた。 「最悪だよ、兄さん。明日はマテマティカ(算数・数学)のテストだってさ」 レンが膨れっ面でこぼした。 「お前は計算、苦手だからなぁ」 「兄さんだって得意じゃないだろ?」 「俺の場合は好きじゃないだけ。別に苦手ってわけじゃないさ」 「それって、屁理屈って言うんじゃなかった?」 「うるさいな」 そんな他愛のない会話をしつつ、目の前の坂を越えたら家に着くと言う時である。 見ると、獣に跨って衛兵が二人、こちらに近付いている。 「君達」 衛兵は二人を呼び止めた。 「君達、クリッジの家の子だね?」 「何ですか?」 フスハがむすっとした声で訊いた。衛兵が声を掛けてくるなんて滅多にない。だからこそなのか、フスハはある種の警戒心を以って衛兵に返事をしたのだ。 「これ、君達にも渡しておくよ」 衛兵は例の布告書をフスハに手渡した。フスハはその丸められた紙を開いた。レンが横から覗き込む。 「プロウィコス様が男の子を捜していてね。君達も気付いたことがあったら、是非教えて欲しいんだ」 レンが声を上げた。 「兄さん、これ……ケイゴって」 「しっ!」 フスハがレンをたしなめた。 「ん? 何か知ってるのかい?」 衛兵の声掛けに対し、フスハは紙を衛兵に付き返した。 「いいえ。僕等は知りません。何か分かったらお知らせします」 そう言って、レンの手を引いて家路を急いだ。 「兄さん、何だよ……」 「レン、黙ってろ。何か怪しい」 「怪しいって……」 「父さんの嫌がってる領主の家の使いだぞ、あいつら。むやみに何でも言うもんじゃない」 「何も言ってないよ。ただ、あの紙のケイゴって……」 「しっ! だから黙れってば!」 小声で戒めつつ、フスハはレンを睨み付けた。 その二人を見送りながら、衛兵は口角を緩ませた。 「ひょっとして、『当たり』か?」 衛兵はそう呟くと、プロウィコスの館へとエクウス・ゲンティルを走らせた。
|
|