夜も更けていく頃、クミコの家のポーチで澤渡は小さな椅子に腰を下ろし、布で銃を磨いていた。須藤は庭に出ると、澤渡のほうへ歩いて行った。 「お前がまさか、そんなものを持つようになっていたとはな」 須藤は澤渡に声を掛けた。現世でも、テレビ番組か映画、はたまたゲームセンターでのシューティングゲーム機でしか見たことがない銃を、それがこの来世に来て、かつての友人が手にしている。しかも、まさかそれで自分を守ってくれたなど、にわかには信じ難いことではあった。だが、実際に須藤の目の前で友が銃を、それもライフルと酷似した長距離射程専用の銃を布で磨いているのだ。 「俺も意外だよ。元々、こんなものはこの世界じゃ儀礼用でしかなかったんだ。それが……な。それに、まさか俺自身がレジスタンスのサブリーダーになるなんて。お前と高校の体育館で鞍馬の上でぐるぐる回っていた頃が懐かしいよ」 「自分は鞍馬、苦手だったっけどな」 「お前、よく十字懸垂やりながらじっと固まってたっけ」 「物思いにふけるには丁度いいんだよ、あれ」 須藤は軽く笑って返した。 「まだお前とはよく話せていなかったな。一樹、元気そうだな」 澤渡はそう言うと、須藤のほうに体の向きを変えた。 「ああ、何とかな。お前は……変だな、お前が死んだ後になってこうやって再会して、そこで『お前も元気そうだ』って返すのって」 澤渡は声を上げて笑った。 「そりゃそうだ」 須藤は澤渡の横に座った。既に雨はあがり、二つの月と星々の光が、流れていく雲の隙間から見え始めていた。 「高校の頃だったな……懐かしいな。まだやってるのかな、あのマラソンとか言った強歩大会?」 「ああ、五十キロだったっけな。初めての時は足にマメが出来て痛かったっけ。秋だったから、まだ時期的にはマシだったな。そうだ、お前知らないだろう? 二つあった体育館、一つになっちゃったんだよ」 「そうなのか?」 「ああ、九年前だ。二〇〇三年の夏……二つあったのは八月までだったな」 「九年?」 「ああ、もう二十年以上になるんだっけな。卒業してから」 「そうか……もう二十年も経つんだ」 澤渡は苦笑いともいえる笑みを浮かべて言った。その言葉に寂しさが滲み出ていた。 須藤は、何故に澤渡が自殺を遂げたのかは訊かなかった。訊きたい気持ちがなかったわけではない。そんなことを今更訊いても、澤渡は現世に戻ることはない。それに心に抱えた傷をわざわざ自分から訊き出して蒸し返すこともない。それは澤渡が自ら話そうと思えば、その時でいい。 「妹さん、元気にしているぞ」 代わりにこの一言を伝えた。 澤渡は「そうか」と一言だけで答えた。 「息子さんが一人いる。お前の甥っ子さんだ。元気過ぎるくらい元気だ。毎年、体操部だった仲間で集まって、お前の追悼会をやってるんだ。伊東、覚えてるか? あいつ、外資系の証券マンだよ。あの伊東がさ。頑張ってるぞ。みんなもな」 「済まなかった」 澤渡はぽつりと言った。 「何もかも嫌になって……自暴自棄ってやつだな。怪我して入院して……それが重傷でさ。体操出来なくなって、日体大への推薦入学の話もパーになって……あの時は本当に弱っていた。体なんかより心がずたぼろでな」 「澤渡。いいよ、言わなくて」 須藤は静かに言った。そんな澤渡に追い討ちを掛けた様々な出来事が、当時の澤渡の心を潰したことも知っていた。だからと言って、ここで説教じみたことを言って、友人を攻め立てても何もならない。それこそ、言った自分の気が済むか済まないかという程度の話でしかない。言ったところで後味の悪さが残るだけだ。 「自分は……まさかこんな世界があるなんて思ってもいなかった。いや、魂ってものがあるってのは、何処となく信じていて、そして死んでも全てが全くのゼロになるって、どうにも思えなかった。腑に落ちないって言うか、何て言うのかな? 別に何かの宗教に入ってたってわけじゃないぞ。でも、あんな緑色の空が広がっていて、町があって、人が住んでいて、子供を育てていて、働いていて……現世って言うか、自分が生活していた世界と全く同じような世界がこうやって存在しているなんて、もうびっくりだよ。おまけにお月さんが二つもある」 須藤は夜空の月を指差して、笑って言った。 「ああ。俺も驚いたさ。しかも……まさか死んだ時と同じ年齢のままで、怪我は完全に治っていたんだけどな、この世界で再び人生をやり直すなんて思いもよらなかった。新しい世界、新しい仲間、新しい生活、新しい環境……でもな」 澤渡は月を見上げながら続けた。雲は今や遠くに流れ去り、星々の瞬く光が空いっぱいに広がっている。 「記憶だけは残っているんだ。学校のこと、お前達友達のこと、妹のこと、それに……何もかも、記憶がなくならないまま、ずっと残っているんだ。俺が自分の命を絶って、自分で捨てたもの。その記憶だけは決して消えなかった。クミコが言うには、それが贖罪なんだそうだ。たとえ自分の手によってであろうと、運命であろうと、命をまっとう出来なかった者は、こうして死んだ当時の年齢、背格好そのままの姿で、ずっと消えることのない記憶を抱えたまま新たに生きる。送るべき筈だった人生を中断した、その罪はでかいんだそうだ。だから、消えることのない、あっちで生きていた頃の記憶が足枷になって付きまとう。こっちで生まれ変わった中途転生者は皆そうなんだそうだ。辛いぞ。俺の場合は自業自得だし仕方ないけど、やっぱり辛い」 須藤は何も言わず、澤渡を見つめ、静かな傾聴の態度で友に答えた。 「だからお前は何があっても、人生を諦めちゃいけない。捨てちゃいけない。そんなことはお前に限って無いと信じるが、絶対に未来を捨てちゃ駄目だ。俺からのたっての頼みだ」 澤渡は真摯な表情を須藤に向けて言った。 「ああ」 須藤は答えた。
少しの静寂なる合間が流れた。 「一樹、これからどうするんだ? 息子さんを捜すんだろ?」 「ああ。啓吾を捜す。何としてでも連れて帰る」 「帰る? どうやって?」 「自分をここに連れて来た連中がいるんだから、きっと戻ることも可能な筈だ。彼等……騎士団だか何だかに会わなきゃならないが、その前に啓吾を見付け出さなきゃ」 「じゃあ、レグヌム・プリンキピスに行かなきゃならないな。隣の国だ。ここアグゲリスとは一触即発な状態だから、簡単には国境を越えられないだろうが」 「帰ると言ったら帰るさ。ここはまだ自分の来る所じゃないんだ」 「そりゃそうだ。お前には見守るべき息子さんがいるんだからな」 澤渡は銃を脇に置くと、すっくと立ち上がった。 「一樹があっちに行く段取り、何とかしてやるよ」 「澤渡……」 「俺はレジスタンスのサブリーダーだ。それなりの人脈はある。信じろ」 澤渡は笑って言った。 「だが、お前一人で捜すって言うのか? この世界の何処にいるのか、見当でも付いているのか?」 「いや」 須藤はさらりと答えた。 「いやにあっさりと言うな」 「実際、見当なんて全く付いていないさ。だが何とかしてみせる」 「おいおい……相変わらず大雑把だな、一樹は」 澤渡は半ば呆れた言い方で返した。そして再び須藤の隣に腰を下ろした。 「レグヌム・プリンキピスの空間近衛騎士団は、国境沿いにあるでっかい山脈の辺りから現世へ向かっているんだ。そこには『ポルタ・モルトゥス』と呼ばれる、こちらとあっちとの境目にある門がある。そこから突入しているし、こっちに来るにしても、恐らくはその門から出て来ていると思う。てことは、その周辺の地域に『落ちてる』んじゃないか?」 澤渡の「落ちてる」という言葉にぎょっとしながらも、須藤は耳を傾けていた。 「だが、あそこはかなりの高山の峰が連なっているんだ。日本アルプス並みか? いや、そんな程度じゃないな。だから……まあ、何とも言えんが」 「啓吾は……山肌にでも落ちてるってことか?」 須藤の声が些か大きくなった。 「そうとは言い切れんさ。確かにあそこは今、航行制限令が出てはいるが、それでもグリフィス達が何羽も飛び交っているし、その中にはマスターのいるやつもいる。マスターに手なずけられているグリフィスなら、きっと息子さんを助け出している可能性もある。人につくんだよ、グリフィスは。そして人と心を交わし、人を守ってくれる。そんな鳥さ」 須藤は、トルソやメイスと共に乗ったあの怪鳥を思い返していた。 「何にせよ、近衛騎士団と接触しなきゃならないな。彼等は王都エリュシネにいる」 「エリュシネ?」 「レグヌム・プリンキピス王政連合首長国の首都だ。そこにいるのは女王アフェクシア。その女王の直属の守護隊であり、センチュリオンどもに対抗するって位置付けの部隊だよ」 「センチュリオンってのは一体何々だ? 人の負の思念だって?」 須藤には分からないことだらけであった。しかも聞き慣れない名前ばかりが出てきて頭が混乱する。 「センチュリオンってのは……多分に、一樹の息子さんをここへ引きずり込んだやつだ。ひょっとすれば、センチュリオンの更なる下の位置付けの連中かもしれないが」 「センチュリオン……」 須藤はその名を呟いた。啓吾をここへ連れ込んだ相手。あの防犯カメラの画像に映っていた、啓吾を飲み込んだ黒い靄。クミコが話していた、狡猾で非道で、人の心に入り込み、ずたずたにするという「悪魔」…… 許せない。 ふと、澤渡がじっと胸を見つめていることに須藤は気付いた。 「何だよ?」 須藤は訊いた。澤渡は須藤の目をちらりと見て言った。 「お前には見えないのか?」 そう言って、澤渡は須藤の胸を指差した。須藤にはTシャツを着た自分の胸しか見えない。 「胸?」 「光だよ」 「光って?」 澤渡はふうと息をつくと、笑って答えた。 「あ、そうか。お前の目は現世の人間の目だったな。じゃあ見えないか。お前の胸から白い光が漏れているんだよ」 「え?」 そう言えば……神楽坂のマンションで、トルソ達の言っていた言葉を思い返した。 信念の光であり、情愛の光。人を慈しむ者の持つ心の光。 「これは、息子さんを連れ去った連中が一番怖がるものなんだ」 澤渡は須藤の顔に視線を移すと、静かに言った。 「そして、これがきっと、一樹にとって連中に対抗する最大の武器になると思う」 「そうね。私もそう思うわ」 ふと顔を上げると、そこにはメイスが立っていた。 「こんな夜更けに男同士寄り添って、何の話をしているのよ?」 メイスは笑って言った。須藤は何となくばつの悪い思いになり、顔を伏せた。 「まさかカズキ、……照れてるの?」 「おいおい、メイス。そんなことを言いに来たのか?」 澤渡が「何言ってる?」と言いたげな声色で、須藤に代わってメイスに答えた。 「いや、冗談言ってる場合じゃないわ」 メイスの表情が一変した。そしてちらりと須藤を見やった。 「あ、自分は奥に入っているから」 須藤はそう言って、家の中へと向かった。 「カズキ、ごめん」 メイスはそう声を掛けると、厳しげな表情のままで澤渡を見た。 「ユタ、今さっき傍受した情報なんだけど、今眠っているフィリエラ大公妃のことなんだけど。政府の連中、これは私達がやったことで、大公妃は死んだって国内中に放送を流してるのよ。政府からの公式発表なんですって」 澤渡の表情がにわかに険しくなった。 「何だって? 俺達が大公妃を殺したって言ってるのか?」 「そうよ。大公妃はアムリスにとって、もう死んだことになってる。これを大義名分にして、国内の中途転生者の一斉摘発をするんですって」 「畜生……アムリスの野郎!」 須藤は壁一枚を隔てたところで、この話を聞いた。 ここは何という所だろう。来世とは言っても、現世と変わらないではないか。何処に行っても、人は人のままで何も変わらないのだろうか。 やっていることも一緒だというのか。争いや不信、傷付け合い。 須藤は頭を振った。今は啓吾を捜し出すことに専念しなくては。そのためにも、澤渡の力が今は必要だ。澤渡祐。かつての友。 いや、今でも友だ。死の壁が隔てたとしても、気持ちはこうやって交わすことが出来たのだから。 ふと、微かな轟音が聞こえてきた。高空を飛ぶ飛行機のエンジン音のような低い轟音。 須藤は外に出た。 澤渡とメイスは庭に出て、辺りを見回している。 すると、メイスが夜空の一点を指して叫んだ。 「ユタ! あれよ!」 見ると、黒い影となった「機影」が高度を下げながら、こちらに向かっている姿が視認出来た。 その黒いままの機影から、突如眩しいまでの光がほとばしった。 急速接近した三機の飛行体のうち一機が、クミコの家の屋根から二十数メートルの高さの辺りで旋回し、数羽のグリフィスの影を吐き出した。残る二機からも十数羽のグリフィスの影が吐き出され、それらはアタワ村全域へと降下してきた。 澤渡が叫んだ。 「政府軍だ!」
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