20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:リフレクト・ワールド(The Reflected World) 作者:芽薗 宏

第3回   第一章 須藤
 マウスを動かす手が止まった。池袋の某所にある空きスタジオのデータが表示されている。間取り図、価格、設備、建蔽率(けんぺいりつ)や容積率、延床面積などの条件項目にさっと目を通すと、須藤一樹(すどうかずき)は受話器を取り、画面に表示されている番号を押した。
「……でしょうか? いつもお世話になっております。須藤です」
 須藤が見ていたサイトは不動産業者向けの物件サイトだ。不動産物件のオーナーが、自身の物件を賃貸扱いにして、あるいは販売して収入を得たい際に、業者を通じて物件データを紹介するものである。取扱物件のデータ保持数は多ければ多いほどよく、更新されるデータには常に目を光らせており、顧客に紹介し商談に持ち込むためには早い者勝ちで押さえ込むのだ。そんな紹介サイトは少なくなく、須藤の会社でも利用している。
 須藤は小さな不動産会社を経営している。社名は「レンタミューズ」。レンタル(RENTAL)とアミューズメント(AMUSEMENT)の合成語だ。五年前に一人でマンションの一室から始めた事業も拡大した。今では社員二十名余りを雇い入れ、年商も四億を超えるに至っている。上野の浅草通りに面した場所に建つ小さなビルを買い入れて自社オフィスとし、神田神保町の雑居ビルに支店テナントを構えるまでになった。最近は朝夕に本社に顔を出す以外、支店のある神保町で過ごすのが最近の須藤の日課だ。

 FM放送が耳障りでない程度の音量で室内に流れている。時折、大手ポータルサイトからの問い合わせが入る。だが、それだけを利用しているような業者は殆どいない。商談の成立件数が少なく、そもそも一件当たりで得られるマージンも少額なのだ。そこで営業マンは汗まみれになり、都内やその近郊で東奔西走しているのである。そのため、社内にはさすがに若手社員はいない。皆が業者訪問や物件調査などに出払っている。

 扱う物件は賃貸マンションや一戸建ての貸家屋、販売物件、時には土地そのものや工場、事務所や店舗、投資用物件等。そうした物件の中でも、特に須藤の会社では些か「特殊」な物件の情報保持量が他社よりも比較的多く、これが強みとなっている。ペット同居可の物件、今しがた須藤が電話口で話していた対象のスタジオ、防音・防震動設備のとんでもなく整った物件、デザイナーズマンション等がその「特殊物件」である。自社サイトにはそれ専用のウィンドウがあり、巷のミュージシャンやアーティスト、ダンサーなど(はたまたその卵的な者たち)に結構好評判なのだ。

 不動産業の営業はかなり厳しいとの評判がある。確かに離職率の高い業界ではある。不動産業界の営業マンの仕事は即ち、物件を売ることであり、貸すことである。人が住み、暮らしを営み、そして去っていく、または一生をそこで過ごす土台を提供するのだ。様々な人達との出会いがある。その人達と深く関わっていくことで、彼等がこれまで歩んで来た道を見ることにもなる。新婚夫婦の愛と幸せの巣を探す手伝いもすれば、願わずとも財産処分を手伝うこともある。そうした中で培われるものは人との「縁」。物件を取り扱うことを通じて、様々な人達との出会いと縁を須藤は大切にしている。そしてそんな刺激的な様々な出会いが心から好きなのだ。人が好きなのだ。それは社員に対してもそうである。自社の社員をないがしろにする会社に未来はない。人材は人材でなく人財である。材料ではなく財産だ。社員一人一人が自分と共に先を歩んでいく仲間であり、戦友であり、そして家族なのだ。そう思う須藤の会社ではあまり離職者が出ていない。
 厳しいとされるノルマも社員自身に設定させる。もちろん、余りに低いノルマにゴーサインは出さないが、本人が自身の可能性を信じ、それに値する努力をするのであれば良いのである。そして、それを第一のハードルとするならば、次は更にその上を行くのか、または現状を下げないように保持するのか、それも社員自身に決めさせるのだ。目標の低い社員は須藤の元にはいない。大手会社が営業マンに仕込ませるような販売マニュアルなんてものもない。最初はさすがに先輩社員に同行営業はさせるが、基本スタイルは社員自身に任せている。それ故に結果が出せない場合は、それを咎めるのではなく、何故上手くいかなかったのか、どこで失敗しているのか、ではどうすればいいのかを徹底的に分析する。そして反省し学ばせ、再び外へ送り出す。精一杯やっての失敗ならば、どんな大トラブルであろうが、必ず須藤がフォローする。決して社員を突き放さない。
 それだけでなく、生活するには必要な最低額があるとして、どんなに売上げを上げられなかった社員にも、最低手取り二十万を下らない給与を渡す。しかし、
「惜しまずに努力する者とそうでない者、二つは決して平等に扱わない」
とする須藤の傍に、のほほんとしていられるような怠慢な者はいないのだ。

 ところが、須藤本人はその「のほほん」としたイメージが見た目の第一印象にないこともない。身長一七〇センチ程度と決して背が高いとは言えないが、元体操部であったが故のがっしりした体躯には、多少なりとも余分な脂肪が付いている。元々、若干えらの張った顔付きも丸みを帯び始めている。特に手入れをしているわけではない眉は太く、その下に小さく細めの奥二重な目が鎮座している。些か大きめの鼻は顔の中でもそれなりの存在感があり、薄い唇からは、これまた些か程度のレベルだが、並びの不揃いな白い歯が見え隠れしている。そんな須藤の瞳には、常に好奇心を絶やさない子供のような輝きがあり、それが齢四十歳を感じさせない若さを醸し出している。
 仕事に従事している際は、整髪料で髪をセットしているが、髪形について須藤は無頓着な部類に入ると自分でも思っていて、アポイントの予定がない時やオフの日に出社している日は、髪にセットのセの字も施さず、軽く右寄りに六四で分かれた、少々天然の巻きが入った髪を無造作にかき上げたりしている。その度に眉にかかる前髪がぱらりと額に落ちてきた。
 須藤の会社のサイトに掲載している画像は、上野の自社オフィス開設記念に撮ったものだ。建物の入り口で須藤自身と当時の若手社員二名、そして須藤より十ほど年上で、且つ須藤より十センチほど背も高く、肥満を持て余しているかのような大柄な男性社員の丸山重雄(まるやましげお)の四人が写っている。髪を完璧なまでに分け固めた須藤の表情は引き締まっているというよりも、まるで小学校入学式の当日に撮った新一年生クラスの全体写真で、最前列の中央で担任教師の真横で並んでいる少年の如く、どうにもぎこちなく緊張している表情に見て取れる。いつかこの写真を撮り直してやろうと思っているのだが、そのままなおざりになって現在に至る。
 ただ、その画像を見た社員が、
「社長、これ『らしくない』ですね」
と言って笑ったりすることが未だにあるくらいで、撮り直そうと思っている反面、笑える社内の雰囲気の元ネタになっているのなら、これはこれでいいのかもと感じていたりもしている。

「そう言えば、再来週の休みの行き先決められたんです?」
 須藤のはす向かいの席に座っている丸山が声を掛けてきた。須藤よりも体格の大きい丸山は五十一歳。肥満体ではあっても決してだらしなく脂肪のぶら下がった様子ではなく、胸板も肩幅もがっしりしており、腕もかなり太い。そして声も相当通るほうでよく笑う。今でこそ性格は丸くなったと自分では言うが、血気盛んな部分がちらちら見えていることは隠せない。酒の席で酔いがかなり回ると、昔の喧嘩自慢を始めるのが悪癖で、一時は接待の席でそれを始めたこともあり、須藤がたしなめつつフォローをしていたことも少なくない。今ではさすがにそんな失態を晒すこともないが、それでもキャバクラの席等では、この武勇伝語りがたまに顔を出そうとすることもある。豪快の二文字はこの男のためにあるとも言える雰囲気こそ持っている丸山は、普段では社内での「親父」的存在である。
 須藤が事業を始めて三ヶ月ほどして途中入社してきた丸山は、元々某デベロッパーの開発部長として働いていた。そこである大型マンション群建設用の土地売買の件で、他社との競合で敗北したことがあった。その一件が丸山が籍を置いていた会社の社運を賭けた大事業でもあったせいか、かなりの社内バッシングを浴び、追い込まれて退社する羽目になった経験を持っていた。豪快の化身のような丸山を追いつめた社内のバッシングは陰湿極まらなかったもので、当時の社内派閥の争いを露見させたものでもあった。本来は仲間である筈の社員同士が互いに足を引っ張り合うその構図に、ほとほと嫌気と失望を味あわされての退社だった。ただ、辞表を叩き付ける前日に事務所で大暴れし、守衛に取り抑えられていたのだが。
 そんな丸山の知人が須藤を紹介したのである。社員は皆、自分にとって大切な家族なのだという信念と、当時まだ弱小ながらも自らの事業が歩んでいこうとするビジョンを明確に持っていた須藤と話し、そこから感じられる温かさに丸山は共鳴するものを覚えた。もう一度やってみようという思いは、転職回数が皆無か少ない者、しかも前職のキャリアをしっかり積んできた者が陥りやすい罠、即ちこれまで培ってきた経験にすがったり、自分はこれだけやってきたんだとする思いから生まれるプライドに囚われたりすることもなく、自身がゼロからのスタートだと踏ん切りを付けて、須藤と合流した。それからは須藤の片腕、良き理解者として現在まで共に歩んできている。参謀として、良き友として、そして良き家族の一員として、一緒に前へ前へと進んできた男だ。そのような丸山に寄せる須藤の信頼も大きいものがある。

「ああ、南紀白浜に行こうかと」
「南紀? 去年も確かそこじゃなかったです?」
「そ。あの白い浜が記憶に濃いんですよね。啓吾(けいご)もあそこが気に入ってるみたいで。自分からもう一度連れてって、またお舟に乗せてって言ってますよ」

 須藤は笑みを浮かべて答えた。一人息子の啓吾は今年の四月で小学校二年生になった。須藤は息子と二人で暮らすシングルファーザーだ。妻の真弓香(まゆか)を事故で二年前に亡くし、それからは決して寂しい思いを息子にさせまいと奮闘しているのだ。しかし、父親のいない間は体操教室とスイミングスクールへ通わせているのだが、たとえそうであっても、そしていくら二人でいられる時間を大切にしていたとしても、一人きりにしてしまうことには間違いない。そのことへの罪悪感は常に須藤は持っている。幼いながらも健気に振舞う啓吾の姿が、その感情に拍車を掛けているということも嘘ではなかった。そんな啓吾の誕生日が再来週。夏休みに入ってすぐの七月末である。去年のその日には二人で南紀へ行き、シーカヤックを共に楽しんだのだ。
「本当は別の場所を考えていたんですけどね」
 若干戸惑ったような笑いを浮かべて須藤が言うと、丸山は大きな口から大きな歯を見せて笑った。
「いいじゃないですか。場所は何処でだって。けいちゃんの好きなパパと水入らずで過ごせるんなら。大事なのは場所だけじゃないですからねえ」
 丸山はそう言うと、満面の笑みを浮かべて須藤を見た。
 そう。そこでどんな思い出を一緒に作るか、これに尽きるのである。限られた時間だからこそ精一杯、全力で、これでもかという位に一緒に楽しむのだ。息子にとっての、そして自分自身にとっての、無二のスマイルメーカー、それが父親としての須藤のあろうとする姿だ。
「いない間、面倒掛けると思うけど……」
「なあに。心配しないで大船に乗った気で行って来てください」
 乗るのは実際は小舟なんだろうけど、と笑って付け加えた丸山の一言に、須藤は「まあね」と返し、
「小さくても、けいちゃんの望むところなら何処へでも進んで行く、世界でただ一つの舟なんだよね」
と、童心が溢れんばかりに表に出た笑顔を浮かべて答えた。


← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 136