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作品名:リフレクト・ワールド(The Reflected World) 作者:芽薗 宏

第2回   序章
 夜も更け、村全体は寝静まっていた。
 一日の労働を終えた者達は家に戻り、温かい夕食を家族と囲んで食べ、その日にあったことを話し合い、その団欒の一時を楽しむ。子供達は柔らかいベッドの中で夢を見る。夫達は豪快な鼾をかきながら眠る者もあれば、家畜小屋を見て回り、その無事を確認して安堵の息を吐(つ)いたりする者もいる。妻達は暖炉の傍でチェアに腰掛け、子供のために帽子を編んだり、子供の寝室へそっと入り、その寝顔を見て微笑むと布団を掛け直す者もあれば、夫と二人で今日も一日何事もなく幸せに暮らせたことに感謝する姿もある。
 そうして普段と変わらぬ一日を終え、皆が床に就いて良眠に体と心を委ねている。
 空には大小二つの月が大地を優しく照らし、草々は夜風にゆっくりとその葉を揺らしている。
 いつもと変わらぬ静かな夜。ここフスの村も、そのような平和で穏やかな夜を迎えていた。

 普段感じたことのない「揺れ」を感じた少女は目を開き、掛け布団を小さな手で胸元まで下ろした。少女は部屋の天井、そして壁を見回した。月明かりが二枚のカーテンの合間から差し込んでいて、室内はうっすらと明るい。 その明かりがふと途切れた。鈍い震動が少女の体とベッドを包み込む。家具が所々でかたかたと音を立て、窓の桟がそれらよりも些か大きな音を立てた。月明かりが再び室内に入ってきたかと思うと、また間もなく途切れ、室内は真っ暗になった。少女は開き切らぬ目を手でゆっくりとこすりながら、父と母のいる寝室へ向かった。扉の開く音で母は目を開けた。愛娘が扉のそばで白い寝巻き姿で立ったまま、母を見ている。
「どうしたの?」
「ママ、お外が変」
「お外が変?」
 声に目を覚ました父は、眠気で顔中に皺を寄せながら上半身を起こした。
「ルカ、どうしたんだい?」
「パパ。お外が変なの」
 再び揺れが訪れた。鈍く、それでいて地の底から突き上げてくるような不気味な震動が三人の体を揺さぶる。
「貴方」
 母親が、今何が起こっているのかを訊きたげな表情を浮かべ、隣にいる夫に、まともな声になり切れぬ小声で呟き掛けた。
「ここに来なさい、ルカ。ママの傍にいなさい」
 父はそう言うと、ベッドから出て窓の外を見る。
 村の家々の屋根を越えて、黒い煙らしきものが空高く上がっている様が見えた。それは一ヶ所だけではない。その窓から見える家々の向こう側から、四方八方に立ち上っている姿が目に入ってくる。
 父は黙って寝室を出て廊下を歩き、家の玄関の扉を開けてポーチに出た。低く、鈍く、しかしやたらに力強い轟音が響いている。空気も振動している。他の家からも男達が姿を現した。中には幼い子供の肩に手を置き、不安げな表情を浮かべる母親の姿もある。ルカの父は「そこで待っていなさい」と大声で寝室にいる妻と娘に呼び掛けると、家を出て村の外に出る小道を歩き始めた。
 村の規模は小さく、十軒の家を通り抜ければその外に着く。柵が張ってあり、家畜を放牧するためのスペースと畑があり、その向こう側は草原が広がっている。その草むらのあちらこちらから黒い煙が、いや、黒い「炎」のようなものが空高く吹き上がっている。胸の内に響く、低き轟音を立てながら、それらはゆらゆらと揺れていた。
「あれは何だ……」
 十数人の男達が村の外れの道に立ち、それらを茫然とした表情で見上げていた。

 空に向かって揺らめくその黒き「炎」は突如、その矛先を道に立っていた男達へと向け、一気に皆を右から左へと飲み込んだ。声を上げる瞬間さえもないまま、男達は全員その場で姿を消した。蒸発したかのように消え去った。
 次いで、他の何本かの「炎」が村の家々に覆い被さった。破壊音を立て、中にいる者もろごと建材や家具を空中へと巻き上げ、黒き「炎」は何もかも消していった。その恐るべき光景を見た何人かが悲鳴を上げたが、家の中に入ったり外へ飛び出したり、また何処かへ逃げる隙も与えられず、漆黒の「炎」になぎ払われていった。
 ルカを抱きしめる母親も、一瞬の大音量と共に、周囲にある物と一緒にその体を飛ばされた。真っ黒な嵐の中で翻弄されながら、母は気付いた。娘を抱きしめていた両腕がない。愛娘ルカも真っ黒な「炎」状のガスに包まれ、自分の両腕と共に消えていった。そして自らの目の前全てが闇に落ち、全ての音が消え去った。意識が薄らぎ、そして母もまた完全に消えた。
 母娘を消滅させた「炎」は大蛇のように全身をうねらせながら下へ向かっていくと、地面を大きく抉り抜いた。既に村の建物はその全てが原形を留めておらず、人も家畜も何もかもが飲み込まれていた。何本もの「炎」と思しきそれらは、まるで何発もの不発弾が一挙に爆発したかのような大穴を村のあった跡地に穿った。ほんの数分前までフスの村のあったその地には、巨大な穴と建材の残骸のみを残すだけとなっている。
「炎」はやがてゆっくりと宙に消えていった。

 夜空は先程の惨劇を見て見ぬふりでもしているかの如く、天に瞬く幾千幾万もの光を携えて、どこまでも広がっている。二つの月は変わらぬ穏やかな光を地上に落としている。風の吹く微音だけが周囲に響いている。そこには最早、人の暮らしていた気配は皆無だった。異物の現れた草むらは、夜の闇よりも更に濃い黒に変色しており、ヘドロの如くどろりと溶けている。

 その中に「黒き者」が一人立ちすくんでいた。

 我の存在を伝えよ。

 地中から声が響く。地獄の深淵から響いて来るような、あまりにも冷たいその声に対して、その者は「仰せのままに」と一言、耳障りな小声で返すと、草原の奥へと走り去った。


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