6 入り口と同じような金網の自動ドアが開いた。ついにライオンが出てくる!僕は今度こそ窓の一番近くで見ようと席を立った。 「危ないよ。ちゃんと座ってなさい。」パパがシュンをお座りさせたまま僕のTシャツを引っ張った。 「だって座っていたら見えないもん。」僕の右側の通路には、動物が現れる度に後ろの男の子がやって来る。僕の前に立つから何も見えないし大声で喋られるのもいやだった。 「後でパパと場所を代わろう。だからちゃんと座って。揺れるから座ってないと危ない。」パパはあの男の子が僕の邪魔をしてる事を知ってるはずなのに。あの男の子だってバスの中を歩いてるんだよ。全然危なそうじゃないじゃないか。それでも座ってなさいって言うなんてパパは何を考えているんだろう。 シュンはパパの足のうえにお座りして窓の外を見ていた。美月とシュンが一緒じゃなかったら、僕はパパの隣で、しかも窓の一番近くで見れたんだ。さっきキリンがバスの横を歩いた時だって、ラクダだって。 僕は悔しくて涙が出そうだった。ママのところへ行きたかったけど、そこには葵も美月もいる。僕は一番年上だから泣くのはみっともない。 下を向いたら涙が出ちゃいそうだったから、僕は邪魔をした男の子を睨んだ。座ったまま後ろを向いて睨んだ。「もうこっちに来ないでよ。」って心の中で何度も言いながら。 バスはゆっくりゆっくり進んでいた。 ライオンバスが停まった瞬間、僕はたまらなくなって一瞬だけ立って前を見た。普通のクルマで渋滞している。そのクルマの近くを何かが歩いている。きっとライオンだ。メスライオン。すごい、ホントに近くまでライオンが来るんだ。オスのライオンが見たかったけど、メスでもいいや、近くで見れるなら。 「パパ、メスライオンがいた!」僕はもう一度座ってパパの方を向いて言った。 「そうか、メスのライオンがいたのか。」パパは僕の言葉を繰り返した。シュンは「どこ?」と立ち上がった。 「もうすぐ見えるよ。もう少し進んだところに沢山いるからちょっとだけ待ってようね。ゆっくり行かないと逃げちゃうからね。そーっとだよ。ライオンはね、メスが猟をするんだよ。オスはどこかで寝てるはずだよ。今日は暑いから日陰でお昼寝かな。」パパは僕とシュンを交代に見ながら言って「シュン君を抱っこできる?」と僕に聞いて来た。パパと僕が代われば、僕も窓際でライオンが見られる。 「大丈夫だよ、シュンくらい。」僕は早く席を代わりたくて早口に言った。パパはシュンをシートに立たせて左手で背中を支えると、お尻を少しずらしてスペースを作った。そのまま足を右に折って僕が通れるようにしてくれた。僕は半分パパに抱きつくようにして前のシートとパパの足の間をすり抜けた。シュンの立っているシートに座ってシュンが転ばないように腰を持ってやる。 窓の外を眺めまわして、どこかにライオンやトラが隠れていないか探してみたけど、どこにもいなかった。 ライオンバスはちっとも進まない。さっきみたいにどんどん抜かして行けばいいのに、運転手さんはどうしちゃったんだろう。 「どこー?どこー?」シュンは待てないようで窓を叩き始めた。 「ダメだよ、叩いちゃ。」僕はシュンの耳元で言った。それなのにシュンは僕の言う事を聞かないで窓を叩き続ける。 「どこ、どこ?ライオン。ライオン!」シュンの声は大きくなるし、窓を叩く力も強くなったような気がした。 「ダメだってば!」僕はシュンの右手を掴んだ。シュンは僕の手を振り払おうとする。まだ三歳なのにこんなに力があるなんて。 「ダメ!叩いちゃいけないんだよ。」僕はシュンの右手を掴んだまま、少し強く言った。一瞬僕の顔を見たシュンは口を曲げて、その後一気にわあーっと声をあげて泣き出した。バスの中のみんなが一斉にこっちを向いたような気がした。 まずい。こんなところで泣かないでよ。 もう、どうしてこうなっちゃうんだ。美月もシュンもなんで一緒に来たんだよ。どうして自分のパパやママと行かないんだよ。そのせいで僕は窓際で見れないし、像やキリンの柵の所でも肩車してもらえなかったじゃないか。なんで一緒に来るんだよ。 「シュンくん、どうしたの。」美月が驚いたように立ち上がった。シュンは美月の声を聞いてはっと後ろの席を見た。美月が後ろから腕を伸ばしてシュンの頭を抱きしめた。シュンも美月の体に腕をまわして、何か言っている。ママもパパも心配そうに顔を向けたけど何も言わずにシュンと美月を見ていた。 僕はシュンを泣かせちゃったんだ。 ママのところへ行きたかった。でも行けない。シュンの体だけは支えなくちゃ、だってバスが急に動いたら危ないもの。 シュンは美月に頭を撫でられて少し落ち着いたようだ。 「ね、ちゃんとお座りして。いい子にお座りして。」美月がお姉ちゃんらしくシュンに言うと、シュンは大人しく僕の横に座った。僕の方は見ないで、自分の靴の先っぽを見つめている。 僕はもうシュンを支えてやるなんてできない気がして来た。バスは進まないし、またシュンが窓を叩いたらどうしていいか分からないもの。 「ねえ、やっぱり代わる。」パパに言うと、パパはそうかと言ってまた足を右に折って僕が通れるようにしてくれた。僕はシュンから手を離すと、さっきより素早くパパの前を通り抜けてシートのはじっこに座った。 パパはシュンを抱っこして、「もうすぐ見えるよ。でも窓を叩いたら、動物は怖がって逃げちゃうからね。」と言っていた。そして猛獣コーナーにいる動物の事をゆっくりと話した。チーターもトラもいるんだって。チーターは、足が速いけど長い距離は走れないんだって。僕はパパがシュンに説明しているのを耳だけ傾けて聞いた。 シュンや美月がいなかったら、僕が教えてもらえるはずだったんだ。そう思ったら美月もシュンもなんで一緒なんだよって、また腹が立って来た。 パパがシュンに話しかけている隙に、僕は後ろの席に忍者みたいに移ってママの隣に座った。座ると言っても、三人掛けだったからお尻は半分出てたけど。 「ねえ、なんで美月たちが一緒なの。」僕はママにだけ聞こえるように言った。 「どうして?大勢の方が楽しいじゃない。」ママはちっとも分かってくれない。 「だってパパもママも美月とシュンばっかり可愛がってさ、僕の事放っておくじゃん。」僕はまた涙が出そうになった。自然に唇がとんがる。「自分んちで行けばいいのに。」 「ご機嫌斜めだね。お腹すいたの?」ママは 全く関係ない事を言うから僕はますますイライラした。 「そんなんじゃないって。」僕はママに背中を向けて左の窓の方に体を向けた。 「みーちゃんのパパとママはね、今日は二人で用事があるんだって。」ママは僕の頭から帽子を取って頭を撫でてくれた。つい振り返ってママの方を向いちゃった。 「でも僕達と一緒に来なくなっていいじゃん。僕ちっとも楽しくない。僕の家だけでいいのに、なんで連れて来てやるんだよ。」僕はママを困らせる事を言っちゃったと思った。ママに嫌われそうな事も。ママの顔が、ナメクジを見た時の様にゆがむのが嫌だったから、それを見ないように右側の窓を向いた。 「お兄ちゃんねえ。」やっぱりママはちょっとだけうんざりした声を出した。 「そんなセコい事言ってると、背、伸びないよ。」 「は?なんで。そんなの関係無いじゃん。」 ママはたまに僕が全く想像もしないような事を言う。 「それが関係あるの。最近の研究で分かったんだから。」怖いねーと言うようにママは大げさに目を丸くした。 身長が伸びないのは困るけど、動物園に来て動物が見えなかったらイライラするのは仕方ないじゃないか。さっきからバスはちっとも進んでいない。こんな事しているうちに動物園が閉まる時間になっちゃいそうで僕はどんどん焦って来た。
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