11 「はーい、着きましたよー。皆さん起きてくださーい。」ママの可笑しなアナウンスで目が覚めると、パパのセレナは既にマンションの駐車場だった。僕が目をこすりながらセレナを降りると、何故か美月ママがいて「おかえりなさい。楽しかった?」と僕に聞いてきた。そうか、美月達をお迎えに来たんだ。 パパにチャイルドシートから下ろしてもらったシュンは早速美月ママに抱っこしていた。 忘れ物が無いか点検して、みんなで僕の家まで行った。ママは途中で買い物をして来たみたいで、何故か僕がスーパーの袋を持たされてエレベーターに乗った。 「ちょっと早いけど、みんな先にお風呂入ろうね。じゃあレディーファーストでみーちゃんと葵で入って来て。」ママが葵達をハイハイとお風呂まで連れて行き、お風呂からでる頃に美月ママが行って着替えを手伝ったり髪を乾かしたりしていた。 「はい、次はメンズ三人。」ママに急かされて僕達はお風呂に入った。シュンはすっかり僕達家族の仲間になったみたいだった。僕の作るタオル風船を何度も潰しては「もう一回。」とリクエストした。パパに髪と体を洗ってもらって、お尻が泡だらけのまま椅子に座ろうとするから、ツルンって滑って床に落ちる。前に落ちた後は後ろに落ちて、また前に落ちる。お尻の泡を落としなよって、僕は涙が出るほど笑って言った。三人でお風呂に入るとお湯がザザアーって流れて、洗面器や椅子や下に置いてあったシャンプーがプカプカ浮いた。 いつもは大きなお風呂が急に狭くなったみたいだ。パパは僕が大きくなったからだって言って、僕もそうかなって思った。心配しなくても背は伸びるに決まってる。 お風呂上りはいつも麦茶なんだけど、今日は特別にジュースだった。しかもオレンジとマスカットの二種類から選べた。ママは「子供にとってはお盆とお正月が一度に来たって感じね。」と訳の分からない事を言って僕を困らせた。 美月ママも手伝ってくれて、ちょっと早い夕飯はお鍋だった。お昼は動物園の喫茶コーナーで、あんまり美味しくないたこ焼きとか焼きそばを食べただけだったから僕達はお腹ペコペコだった。 一番におかわりをしたら、「最後はお兄ちゃんの好きな雑炊にするから、お腹のスペース開けておいてね。」ってママが言った。そして「デザートもあるんだよ。」とこっそり教えてくれた。これがお盆とお正月ってやつなんだろうな、と少し分かった気がした。 ママと美月ママは二人でワインを飲んで、あんまり飲めないパパの前にもワイングラスだけは置いてあった。 「美月パパは今日も出張なの?」僕が美月ママに聞いたら、美月ママは一瞬困ったような顔になってママの方を向いた。 「みーちゃんパパは忙しいからね。」ママは僕に簡単に答えてジュースを注いでくれた。 ワインを飲んでご機嫌になったママが「発表します!みーちゃん達は今日家にお泊り!」と勝手に決めて、葵と美月は大喜びだった。シュンも「お兄ちゃんと寝る。」と言い出したので僕達は同じ布団で寝ることにした。子供部屋に布団を並べて敷いて、僕達は四人でゴロゴロした。一番最初に眠ったのはやっぱりシュンだった。豆電球の明りで見るシュンの手はなんだかすごく小さくて、僕はシュンの手を包むように握った。 今日は泣かせちゃってごめんねって。また遊ぼうねって。また一緒に動物園行こうねって。 ジュースを飲みすぎたせいだと思うけど、僕はトイレに起きてしまった。リビングでは、ママ達がまだ話しをしていて、虫が明りに誘われるように、僕もリビングの明りに向かった。そしてドアを開けようとして手が止まってしまった。 ママが「私、すっごく悔しい。」って怒っている声が聞こえたからだ。もしかしたら、ママは泣いているのかもしれない。そんな声だった。 トイレに行きたかったのも忘れてしばらく動けずにいると、美月ママが「これで良かった。」とか「二人がいるから。」とか言ってるのが聞こえた。「イシャリョウ」とか「ヨウイクヒ」とか難しい言葉の中に、確かに「リコン」って言葉があって、僕は美月とシュンに大変な事が起きているって分かった。美月は、シュンはどうなっちゃうんだろう。 すぐにママのところへ行って、僕にも教えてって言いたかった。でも万が一、ママが泣いていたら、と考えるとドアを開ける事が出来なかった。 子供部屋に戻っても眠れる訳無くて、僕は三人が眠っているのを、はじっこに座って見てるしかなった。 美月とシュンに会えなくなるなんて嫌だ。葵が悲しむのだって見たくない。 僕はどうしたらいいんだろう。でもどんなに考えたって、大人が決めた事は僕達が嫌って言ってもどうしようもないんだ。それだけは分かる。 次の日の朝、僕達は四人で朝ご飯を食べて、昨日食べられなかったプリンまで片づけてママを驚かせた。 美月達が帰る時、僕はシュンに赤いトラックのミニカーをあげた。シュン達がどこかへ行ってしまいませんようにってお願いしながら。 「美月達、どっか行っちゃうの?」食器の後片付けをしていたママに近づいて、僕は小さな声でこっそりと聞いた。ママは手を止めて僕の高さまでしゃがんだ。しばらく僕を見つめた後、いつもより少し低い声でゆっくりと僕に答えてくれた。 「大丈夫。どこにも行かないよ。みーちゃんママはすごく強いから。みーちゃんパパがどっか行っちゃったとしてもね。だから心配しないで。」そしてママは僕を抱きしめて「葵には何も言わないでね。」と耳元で言った。 ママはしばらくそうしていて、頭を撫でてくれた。きっと美月とシュンと美月ママの事もこうやって抱き締めたかったんだ。僕には腕を通してママの気持ちが聞こえるようだった。 ママは僕が知りたい部分だけをちゃんと教えてくれた。美月とシュンがどこへも行かないのなら、それでいいんだ。 「心配になったの?みーちゃん達がいなくなっちゃうって。『動物園、僕んちだけで行けば良かったのに』って言ってたくせに。」ママはいつもの調子に戻って僕を突いた。 「やめてよ。」僕は体をよじってママのツンツン攻撃から逃げた。 「もしかして弟欲しくなったんじゃないの。」ママが言った言葉に僕はそれだ!と思って、思わず「うん、欲しい!」と大きな声で答えてしまった。 「あら、それは困った。」ママはツンツン攻撃の手を下げると困った、困った、海外旅行に行かなきゃ、と言い出した。 「なんで海外に行かないといけないの?」僕は弟が欲しいって言っただけなのに。ママは片手を腰に当てて、もう片方の手でお玉をぶんぶん振りながら言った。 「赤ちゃんはね、コウノトリが運んでくるのです。でも残念ながら日本にはほとんどいなくなってしまいました。だから海外まで行くんです。結婚した人は、みんな海外旅行に行くでしょ。そこでコウノトリに会って赤ちゃんを授かるんだから。おばあちゃんの時代には伊豆辺りに沢山いたらしいんだけどねえ。」 じゃあちょっとパパにお願いしてみるか、と言ってお玉を菜箸の立ててある瓶に差すと、昨日使った電気鍋を片づけ始めた。 ハワイがいいな、グアムでもいいぞ、と一人でブツブツ言いながら。 もう完全にいつものママだった。 美月とシュンも、きっとママが言う通り大丈夫なんだろう。僕はそう信じた。
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