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作品名:ライオンバス 作者:小池紗智子

第1回   1

「初デートで動物園ってどう思いますか?」と思いきって聞いてみたら、「あら、いいじゃない。私、結構好きよ。」と、私の期待した答えとは全く違う答えが返って来た。「ちょっと行きたいとは思わないわね。」って久保さんが言ったら、私の中の矢印は「断る」の方向へくるっと回るはずだったのに。
「大人になってから行っても、結構楽しいものだよ。のんびり歩いて見て回るだけでも間が持つし。」久保さんは指に付いたパンくずをパラパラと落としながら少し笑ってフォローした。
右手の中指にはピンクや紫の石がいくつも付いた、フルーツジュレのようなリングが輝いている。確か二歳になるお子さんがいる久保さんは爪の先まで隙がなく、生活感の無さと、パートタイムの英会話教師というのがとてもマッチしていた。そんな久保さんが動物園でのデートに好意的なのは意外だった。
「そうかー。確かに間は持つかも知れないですね。」日替定食に付いているきんぴらをお箸で突きながらゆっくりと答えた。
「動物園を選ぶなんて、きっと優しい人なんだね。」言われて私は、眼鏡と無精ひげが特徴の、すぐに似顔絵に描けちゃいそうな笑顔を思い出した。確かに悪い人ではないと思う。
「でも、動物園ですよ。アラサーの女連れて行きます?動物園って…私、像やキリン見たって嬉しくないですよ。水族館ならまだしも。動物園か。うーん、気が進まない。」
「好きな人と一緒なら、どこでも楽しいって。」久保さんは「大丈夫だって。」と言うように力強く言うと、パックのカフェラテをちゅーっと飲んでこちらを見つめる。
『好きな人』というのが引っかかかる。
「好き…うーん、まだそんなんじゃないですよ。だって二回しか会ってないですもん。合コンと、その後友達四人で飲みに行っただけですから。二人きりで会った事も無いし。」久保さんの誘導だと気付いた時はもう遅かった。こうして私はプライベートをポロポロと久保さんに暴露してしまうんだ。
「先生、彼氏いないの?」と直球で聞いてくるパソコン教室の生徒さんより何枚も上手だ。
「でも二人で会ってもいいなって思う程度には良い印象だったんでしょう。そうでなくちゃ、連休にデートなんて話にはならないもの。ね?」久保さんは、きっとお子さんにそうしているように少し首を傾げた。
こんなしぐさを普通にしちゃう久保さんは可愛いと思う。きっと旦那さんもこうゆうところに惚れているんだろう。愛されている奥様にほんの少しの嫉妬が湧いた。
「久保さんはいいですよ。私と三つしか違わないのにもう結婚してお子さんもいて。ご主人だって安定したサラリーマンだし。私にはもう時間が無いんですよ。婚活と産活同時にしなくちゃ。それなのに連休のデートの相手は動物園選ぶ人ですよ。すでにハズレの気配が漂ってますよ。あーやっぱり行くのやめようかな。」一気に喋ってから少しお茶を飲んだ。
食堂に備え付けてある給茶機のお茶は茶葉をケチり過ぎてるんじゃないかと思うほど薄かった。
「やめちゃうの?勿体ないよ。良い感じだったんでしょう。」
私が彼に持った印象は、目立たないけど優しい人だなとか、お兄ちゃんぽいといった、恋とかトキメキとかキラキラ感じる単語とはちょっと違う。トキメキがピンクなら、彼の印象は黄色かオレンジだ。久保さんの言う『良い感じ』とは少し距離がある気がする。
「うーん、どうしようかなあ。」言いながら私は考える。久保さんはそんな私を優しく見つめながら食べ終えたパンの包み紙を丁寧に畳み始めた。
確かに食事は楽しかった。彼が選んだというダイニングバーも素敵だったし。お酒が飲めるというのも私にとってはポイント高い。更に背が高いのも良い。タバコを吸わない事も。
「ね、勿体無いよ。」久保さんは私の考えている事が聞こえていたかのように絶妙のタイミングで声を掛けた。
久保さんに「勿体無い」と言われると、確かに勿体無い気がして、私は素直に「はい。」と答えてしまう。
「じゃあ行ってみようかなあ、動物園。」
久保さんは満足そうに、うんうん、と頷いた。
久保さんの笑顔を見ていたら、不思議と行ったら楽しいかも知れない、と思えて来た。
食堂の時計へふわりと視線をやった久保さんを見て、私はもうそんな時間かと少し慌て、バッグから小さな箱を取り出した。私が教えているシニアパソコン教室にご夫婦一で通ってくれている佐伯さんご夫妻からのお土産で、中身は小さいけれど、真っ黒でインパクト抜群のお饅頭だ。
「これお裾分けです。生徒さんが箱根行って来たんですって。」おしどり夫婦のお土産は、もしかしたら縁起物かも知れないと思いながら、久保さんにどうぞ、と渡した。
「これお饅頭?真っ黒なんて面白いね。いつもありがとう。」久保さんはお財布の脇のハンカチにお饅頭をちょこんと乗せた。
「ところでちょっと教えてもらってもいい?」
久保さんは少し遠慮がちに言った。お饅頭にかじり付いた私は、答えられない代わりにはいはい、と頷いた。
「サンカツってなあに?」確かに久保さんには聞きなれない言葉だろう。それはですね…と少し勿体ぶって私は答えた。


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