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作品名:K氏の手記 作者:異邦人

第7回   7

 ところが、実際会って見ると、創取締役・顧問の印象は違った。会長をひと回り小さくしたような丸顔小太りの小心者だった。高圧的な物言いは、それを隠す為の虚勢だと、K氏はすぐに内兜(うちかぶと)を見抜いた。
 のみならず、キリスト教的七つの大罪、傲慢・嫉妬・憤怒・怠惰・強欲・大食・色欲を合わせ持ったような、どちらかといえば、女性的で、陰湿な人物だった。
 紡績会社の一使用人から身を興して大会社を成した、剛直な巌会長とは大違い。しかも会長は、一度使った鼻紙を懐に入れおいて、乾いたらまた使うというほどの清廉(せいれん)なお方。繊維問屋時代には真冬でもコタツのコンセントを抜いていて、細身の奥方は震えていたという話である。  
 創顧問は、飲む・打つ・買うの、贅を極めた浪費家。常に女をはべらせての放蕩三昧。その為借金も多く、抵当に入ってないのは120キロはあろうかという肥えたメンドリと〈この雌鳥はよく歌う、人事にまで口を出す〉、庭で飼っているツガイのダチョウくらいなもの  という本社で耳にした悪評も、当たらずとも遠からじであった。
 さいわい、いうところの、いかがわしいスジとの不適切な関係は認められなかった。そこまでは腐ってなかったようである。
 が、逆に、それをニオわせて、虚勢の一部としているフシはあった。取巻き連がそれである。やたら人相の悪い連中であるが、いずれも底の浅い、幇間(ほうかん)のような連中である。
 ともかくも、幹部を含めて三百人からの職員と、外部関係者は、表面上は実務の最高指揮官のK氏に恭順の意を表していたが、その実は、二十階〈役員室がある〉の方を向いていた。
 そういう面従(めんじゅう)腹背(ふくはい)の徒ばかりでなく、あからさまに隔意を持ち、あからさまに二十階に忠誠心を示して憚らない輩もいた。総務部長の斉藤に、糞転がしの青木課長、営業部では富田次長、会計の犬飼らがそうだ。
 だが、佞奸(ねいかん)は前者の中に多く伏在していた。K氏が改革断行に頼む、恭順な態度の奴らにこそ、裏で足を引っぱられ、煮え湯を飲まされたのである。
 平安時代の二院政治のような状況下で、二十階の横槍に何度朝令暮改の憂き目にも遭ったことか。
 役員でもないK氏が、越権して改革を断行する為には、取締役・顧問と刺し違える覚悟で臨まなければ、真正面から立ち向かう以外にないーーと、決意した時には、もう手遅れなほど、彼らの術中に嵌まっていたのである。

 不思議な出来事の数々。その逐一が、陰湿な神経攻撃だったのだ! 
 ついに自分は狂い始めたのかと思えた出来事が、実は、裏で巧妙に仕組まれたシチュエーションだったのだ!
 なぜといって、デスクの上のメモ帳の位置が逆になっていたり、そこに意味不明の書き込みがなされていたりしたことを始め、マンション・トイレの水がしばしば流してなかったり、全く観る筈もない局にテレビのチャンネルが合わされていたりと、公私に渡っての、几帳面なK氏には断じてあり得ない〈メモ帳やボールペンなどは断然右側に、利き腕の側においてあるべきだろう〉、利便性を規矩(きく)とし、几帳面を準縄(じゅんじょう)とする、そんな合理的思考の持ち主であるK氏の、神経細胞を逆撫でに嬲(なぶ)るような状況にも、チャンと真相が隠されていたのである。
 無論、サイドブレーキを引いたまま走ったり、車内にキーを詰め込んだり等、明らかにうっかりミスといえる事例もあるけど。
 百歩も二百歩も譲って、なお納得がいかない、不可解な事例もあって。
 たとえば、アタッシュケースの中にデスクの鍵が詰め込まれていて、ケースの鍵がデスクの引き出しに詰め込まれて施錠されていたことなどは、その最たるもの。合鍵がなければどちらかを壊すしかなかった。
 それらの不思議に頭を悩ませ、神経をズタズタにされてゆく模様が、アリに集(たか)られた日向(ひなた)のミミズのように、何と痛ましくリアルに綴られていることか。
 面従腹背の徒、巧言令色の奴(やつ)輩(ばら)に混じって、獅子身中の虫だったのが、あの秘書の、川瀬女子だったとは!
 全幅の信頼をおいていた彼女にして、為し得ないことは何もなかった。
 執務室は共有していたし、マンションの鍵を預けて、忘れ物を取りに行ってもらったこともあるから、その時合鍵を作ったとしても不思議ではない。
 アタッシュケースやデスクの合鍵も、車やマンションの鍵と、一纏めにしてキーホルダーに閉じてあるから、それをオフィスの壁に掛けたスーツの内ポケットから抜き取る如きは、造作もないこと。
 であれば、自分の予定行動を常に把握している彼女が、留守を見計らってマンションに入り込むのは、自分のマンションに入る以上に簡単〈彼女のマンションの入り口には管理人室があって、窓口から管理人の親父が待ちかねたように、一人暮らしの彼女にイヤラシイ声をかけて来るそうである〉。
 それに、彼女は何度もマンションに押しかけて来ては、掃除や洗濯、料理を拵(こしら)えたこともあるから、勝手知ったる、我家も同じ。
 実際、調味料などを置く位置が来るたびに違っていると、たまにやって来る女房が猜疑の蚤取り眼(まなこ)でついに長い髪の毛を一本探し当て、自らのものと比べてみるという危殆(きたい)に瀕したこともあった。さしあたってそれは犬の毛であったので事なきを得た〈それを運んで来たのは誰かまでは頭が回らなかったのだろう〉。
 スキャンダルを構成しようとした川瀬女子の目論見は、あと一歩が踏み出せないK氏由来の優柔不断さに、不発に終わっている。
 テレビのチャンネルの一件だってそうだ。
 ソファーに寝そべって、ポテトチップスなんかをポリポリやりながら、低俗な番組を観て笑壷に嵌まっている彼女の傍らで、いじけた子供のように絨毯に腹這いになって新聞を読んでいるところへ、ーー支店長さんて、NHkしか興味ないのね? 
 といったぐらいだから、そのこともちゃんと彼女は知っていた。
 プライベートなトイレに、見知らぬウンコが鎮座している驚きといったらーーそれが、どれだけ衰弱した神経を痛めつけたことか。
 ひとり彼女だけではない。そのたぐいのことは他の連中にもよくやられた。随分苛立たしい目にも遭わされた。
 役員室から突き返された書類を見ると、部長の押印がなくて、どういうわけかそこに自分の印が押されてあったこともある。
 岩瀬を呼びつけて質すと、ーーこれはまたどういうことでしょう? はいはい、わかりました。これは……たぶん、女の子が未決書類を間違えてもって来てしまったんですな。ですけど、支店長。どうして、私の枠になんぞ、ご捺印を?
 −−白々しい!
 ワザと紛れ込ませておいたくせに〈ーーなぜといって、やつのハンコがなかったのは、何枚かのうちのたった一枚だけだった〉。誰だって順番に並んだハンコの次に自分も押してしまうものだろう。ルーチン・ワークの、そんな心理的トリックを用いて、ひとに恥じをかかせたりもする。
 幹部からしてそんな具合であるから、いわんや一般職員などをや。
 職員からは、壁のように無視(しかと)された。受付の女の子にまで、シニカルな笑顔で迎えられた。
 どこでも、ここでも、ヒソヒソ話で、自分の奇矯を噂し合っているようだった。
 つまり、なんである。自分だけが、駅前の二十階建てビルの中で、ひとり浮いていたということだ。よそ者だったということだ。唯のよそ者ではなく、改革という厄介を持ち込んで、人員削減やら経費節減やら規律の徹底などを図ろうとする、邪魔者だった。
 いや、そればかりではない!
 陰謀の根はもっと奥深くにあった。
 すべての背後に、取締役・顧問の御手洗創氏がいたことに、もっと早くに気付くべきだったのだ。名古屋支店は彼の王国であり、伏魔殿であったことに。  
 靡(なび)かぬ者、腑抜けにならぬ者は、こぞって、病院送りにしてしまえ!
 社長が、ーーあと半年でしたね、といったのは、次の株主総会で創氏の取締役の任期が切れ、今度こそ再任が難しい情勢であることをほのめかしたものだった〈実際は再任されたようだ。後年、幸村なる若者が庵(いおり)を訪ねて来て、そういった〉。
 そしてとどのつまりは、オイルショックによる資材の急騰と、経済が売り手市場に大転換したことなどに、総合商社としてどう対処すべきかで紛糾した幹部会議の席上で、ついに癇癪玉が爆発、我を忘れての大暴れとなって、彼らの思惑通りの大団円を迎えたのであった。
 −−何です? どうしたんです? 何が気に入らないんです? 私は支店長のような人は好きなのに……。
 豊満な岩瀬の顔が歪み、鼻が潰れ、押さえた手の指の間から血が滴り落ちる様が、音がまだ届かない稲光を浴びたように、フラッシュバックされる。


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