茅屋の奥座敷の暗がりには化け物が棲んでいた。 そこからは、糞尿の臭いと、消毒液の臭いと、魚が腐ったような死臭とが混ざった、とても厭な臭いが漏れていた。 道端に面した奥の間から、その臭いが漏れて、道行く人々に感ずかれやしないかというオソレが、頑是ないK氏に芽生えたのはいくつくらいだろうか。 それは年齢とともに膨らんで、家庭訪問の先生がやって来るようになった頃には、彼の心の大半を占めていた。 玄関付の板敷きで、お茶菓子を食べながらの先生と母の会話の間、いたたまれない思いで傍に座っていた。早く次の子の所へ案内して行きたかったのに、母はタクワンをボリボリ噛みながら長話をする。そのイライラ、その息苦しさといったら! 今にも先生が奥の間の異臭に気付くか、二等兵が奇声を上げて飛び出して来やしないかと、ビクビク。 さいわい、キキキッという声とともに、天井のない、ふすぼった屋根裏の暗がりから、一メートル以上はある大きな青大将(ヤワタラ)と、大ネズミが、絡み合ったままボトリと板敷きに落ちて来たので、仰天した先生があわてて腰をあげた〈それ以来、その噂が歴代の先生に伝わったのか、先生方は、K氏の家では腰を落ち着かせなくなった〉。 だけど、時々、飛行機音を聞きつけた二等兵が、寝乱れた着物姿で、伸び放題の髪を振り乱し、座敷(ざしき)箒(ぼうき)を小脇に家から飛び出すこともあり、空に向けて「ダダダ!」と、小銃掃射を始めるという狂態に、それが父であるという現実に、折り合いをつけなければならなかった。 その父が、念願の玉砕を遂げたのは台風の夜だった。 徘徊で母に散々手を焼かせていた父。堤の排水溝に頭を突っ込んでいたり、藪の中にうずくまっていたりと、戦場を敗走する姿そのものだった。 父にとって、その夜の暴風雨は、まさに戦場であったろう。 バラバラと叩きつける大粒の雨は機銃掃射であり、空気を引き裂くような風鳴りは艦載機の飛び交う音。打ち合う神社・裏山の木々。さんざわめく葉群。家鳴り。波状的に雨戸に吹きつける風圧。吹き飛ばされ、転げまわる物音。 いずれも、敵が上陸を始め、総攻撃が始まったことをいやがおうにも思わしめた。 そして、すぐ近くに爆弾が落ちた! 裏山の崖崩れである。 −−玉砕の、時来たり!
一方、K氏ら子供たちと爺様は、隣の神社に避難していた。裏山が、台風のたびに、少しずつ崩れていたからである。茅屋は、常に崖崩れの危険性を孕んだ二つの谷が出会う角の、一軒家だった。 母はどうしていたかというと、暴風雨の中、腰まで水に浸かり、上流から流されて来る稲束をつかみ上げていた。 増水した二つの小川が合流して溢れ、田んぼも何も見分けのつかない、大川のようになった家の前を、最早誰のものともわからない、所有権を失った稲束が、どんどん上流から流れて来る。 それを熊手で取り込もうとしている、その浅ましい姿。 濁流は家と神社の前の道まで迫り、既に神社の石段二、三段目ぐらいを洗い始めている。 母がうごめいているその先は、一段と段差になった田んぼで、そこにいつ足を取られて流されるか。 やっきになって、石段を上がったり下りたりして、K少年はハラハラ眺めていた〈他の者はどうしていたのだろう?〉。 その時、轟音とともに、裏山が崩れて、家がぐらつき、傾(かし)ぎ、雨戸を突き破って家の中を土砂が走り出るのが見えた。 白いものが走り回わる。床の下で寝ていた放し飼いのニワトリらだった〈普段は神社の樫の大木の横腕に並び寝るのだが、畜生ながら、前もって暴風雨から避難していたのだろう〉。 やがて、傾いた家の角から、乱れ髪を右に左になびかせ、着物の胸をはだけた二等兵が現れた。例によって、座敷箒の小銃を小脇にして、帯のようなものを後ろに引きずっている〈座敷牢がないので、母が父を柱に繋いでいたものだと推測される〉。 空をさし見上ぐれば、足早に砲雲が流れている、先方には黒々と小山のような軍艦がひしめいて迫り、わだつみは轟々と波高く、更に小手をかざして見やれば、雲霞(うんか)にまぎれて敵艦載機の編隊が見ゆる。 と、爆風がして、道を挟んだ向かい側の小屋の屋根が吹っ飛んだ。それが二等兵の頭をかすめるようにして、舞い上がって行った。五右衛門風呂がむき出しになった。艦砲射撃は始まったのだ。 −−玉砕の、時来たり! 二等兵は小銃を腰だめにして、突撃の体勢をとった。 やよ、見よ! 鬼畜米英。大和男(やまとおのこ)の果敢な最期を! この身に、幾百発の弾を集めて弁慶立ちして見せん! なんの、敵の弾薬を消耗させんでおくものか! 天皇陛下の為に死ぬのではない。国家の為に死ぬのでもない。国に残して来た家族の為に、父母兄弟妻子の為に死ぬのだ! 二等兵は奇声を上げると、濁流の海に向かって突撃した。 沈み橋の上で、脚を洗う急流に臆したように止まっていたが、上流から流れて来た何かに突き倒され、そのまま濁流に呑まれて、たちまち棒だけになった。 それが父の最期だった。 四十過ぎて徴兵され、顔がひん曲がるほど叩かれて、天皇陛下の為に死ぬことを叩き込まれた田舎軍属が、弾のない鉄砲を持たされて島に降ろされ、飢えと、マラリアに苦しみ、死んだ仲間を食う者まで出た地獄から生還したが、博愛主義者の繊細な神経は病み、体はボロボロ、骨まで見える床ずれに蛆虫を集らせたあげくに、とうとう、念願の玉砕を遂げた。 その一部始終を見ていたK少年は、石段の上から叫んでいた。 ーー行け! 行け! 行け!
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祖父が水死したという話は聞かない。伯母によると、祖父は今でいう肺癌で死んだことになっている。それが本当であるなら、親父が見たものは何だったのか。 だけど、祖父のことを除けば、祖母が命懸けで稲束を引き上げていたことなど、台風の夜の出来事は本当で、台風が去ったあと、子供らは落穂拾いをさせられたそうである。川べりには、流された稲穂が無数に引っかかっていた、砂に埋もれていたりしたという。 家の稲は、収穫を前にして全部流されていた。女手ひとつで、寝たきりの病人と、大家族を支えていた祖母が、気も狂わんばかりに濁流の中を立ちうごめいている姿は、幼い親父には、浅ましくも、危なかしく、いたたまれない気持ちで見えたことだろう。 祖父の悲惨な末期もそのようであって、「母ちゃんが熱いタオルで父ちゃんの床ずれを拭く時の悲鳴は忘れられん、父ちゃんが生きたまま蛆虫に集られていたのも事実ぞ。太ったのがバラバラとあえて(こぼれて)おったわ」ーーと伯母はいう。 親父より五つ年上の伯母は祖父の死の真相を知っていると思うけど、そのことになると伯母は、肛門のように口をすぼめてしまう。 いずれにしても、祖父に対して、親父が何らかの罪の意識を抱いていたことだけは、確かなようだ。
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