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作品名:K氏の手記 作者:異邦人

第14回   14
 年が明けて早々、事件があって、K氏が警察官から事情聴取される事態になり、それが元で、警察から実家の家族に身元確認の連絡が行ったものだから、家族や、知人らが、ゾロゾロやって来るようになった。
 事件といっても、交流のあったホームレスが、実はドロボーだったことから、あらぬ嫌疑をかけられたもの。ホームレスにしては、立派なビジネススーツにネクタイ姿であるし、キャッシュカードや、不相応な現金を所持していたものだから、ドロボウの元締めではないかと、疑われたのである〈そのドロボーとはゲンさんのことである、連れの高橋君も共犯で逮捕されたのであるが、彼は犬ではなく、やけに腰が低い男だった〉。
 家族はおまいさん、会社に行くゆうて家を出たまんま、一年も帰えって来おせんゆうて、どえりゃあ、心配しとらっせるがや。会社はおまいさん、へえつか、定年退社になっとるゆう話だにゃあか。どういうことだん?
 と、ギョロ目の巡査部長が苦笑いしていたけど、まあ、嫌疑が晴れて、よかった。
 よくなかったのは、おかげで、家族に、諸国放浪の自分探しの旅の行方がバレてしまったことだ。
 まず息子と娘がすっ飛んで来た。といっても、全く見覚えがなかったので、ーーどなたさんですか? と聞いたことだった。
 一緒に写った写真を見せつけられては、是非もない〈二人とも自分には似てもいなかったが〉。しつこく家に帰るようせがまれたけど、生返事で押し通した。彼らは一週間ばかり名鉄ホテルに滞在していたようだが、そのうちあきらめて帰った。
 入れ違いに姉と称するオバンがやって来た。頭蓋骨を露出するように笑うオバンであったが、これは自分に似ているので、何となく、懐かしい気分がした。
 −−わりゃうな、こがんとこで、なんばしよっとか。わしがわからんとか。よも、忘れはすまい。ボタ山に登ってくさ、自然発火したボタ火でくさ、ヨソ様ん畑からほじくり盗んだイモをば焼いて食ったのを。
 あちゃあ〜、そいも忘れたか。ほなら、兄弟そろうて、学校にも行きさらんと、野山をさろうてから、トマトやスイカやキュウリやカキやクリやナシやビワを盗みもいで食ったことをもか? 
 正月に、お宮のお賽銭ば盗んで叱られたことはまさか……ああ、どげんしゅうか。
 ……お・と・ろ・し・やぁ〜!
 頭蓋骨を追い返すと、次には友達だという三人組が現れた。
 それぞれ名を名乗ったので、人名録を調べて見ると、三人とも小・中・高時代の友人のようだった。
 子供時分の面影が仄見ゆる者もいて、懐かしい思いがした。
 とりわけ、中のひとりは、鼻の下を引き伸ばしておごそかにシシシと笑うやつで、忘れもしない、彼女との初デートのたびに、自分に同行を乞うおかしなやつだった。
 ウスボンヤリした自分は、体裁が悪くてひとりでは会えないからだろうと、全く善意に解釈していたのだが、実はそうではなかったことに、いいかげん大人になってから気付いた。自分を横に置いておくと、そいつの値打ちが三割がた上がることを見越しての、いやらしい底意に。 
 そういう書割のような役を、高校生の間に三度も務めたのだから、お人よしにも、ほどがある。
 もうひとりはメガネをかけた細長い顔をした男だった。そいつの家の犬は柿が大好物で、リードを外してやると、庭の柿の木からヘタ落ちした柿をくわえて、小便をピュッピュ、ピュッピュ、飛ばしながら、時計回りにやみくもに走り回る、バカ犬だった。
 彼とは成人してからも時たま交流があったことが、手紙類やバックアップの記述に見られる。二年前にも奥さんともども会ったことになっているが? 独身時代には、「正月にやって来ては、ひとの一番お気に入りのネクタイを、長い首に巻いて飄然と去って行く」ーーと、記録にはある。
 今ひとりの赤ら顔の男は背が高くて、確か裕福な魚屋の息子だった。カマキリのように腕を振りながら、反っ歯を隠しつつ声もなく笑う。のべつ笑っているイメージがある。たいした色男でもないのに、女にはもったいないほどモテル、けど意に介さないやつだった。初デートの折に、彼女とデパートではぐれたほどの、いい加減なやつだ。
 あまりの懐かしさに、彼らを誘ってホテルのラウンジで飲み、また名鉄メルサで一個二百円のシュウマイを食べながら〈ホントかねえ〉、昔話に花を咲かせた。
 この時ばかりは、記憶の欠落や齟齬(そご)に戸惑うことはなかった。
 それから   

    ]   ]   ]

 ーーここで、親父の自己再構築の作業は中断している。
 徘徊中に石垣から転落して、大腿骨を骨折したことによる六ヶ月間の入院が、急速にボケを昂進させてしまい、残されていた運動能力と、理性を、完全に失って、ベットと一体化したような存在となってしまったからである。
 何よりの生甲斐であった、自己の再構築という作業を奪われたことが、よほどこたえたものと思われる。適度の運動をして、頭を使い、手指を動かすことが、ボケの進行に非常によい抑制効果となっていたのは確かだ。ドクターもそういっていた。
 親父にパソコンの扱いを教えたのは、このぼくだ。親父のパソコンの中には、親父の自己再構築の手記のほかに、日記や、随想や、雑文、メモ、備忘録、人名録、読んだ書籍録など、そして、おかしな記述〈妄想・夢想の類〉が、いっぱい詰まっている。
 どこまでが本当で、どこからが妄想なのか、あるいは夢物語なのかわからないが、親父が必死で、失われて行く記憶を書き留めようとしていたことがうかがえる。
 商業高校を出て、名古屋の小さな建設資材会社に十年ほど勤めていたことは確かだけど、それが手記では、東大卒のエリート商社マンになっていたり(苦笑)。その時のキャラクターだって親父とは正反対に描かれている。
 母が死んでこのかた、親父はパソコンに向かうのを唯一の楽しみにしていた。過去の書き物を読み出して楽しんだり、ポツリポツリと新たな妄想を打ち込んだりして、嬉々としていた。
 とりわけ、自己の再構築には執念を燃やしていたのだが……。
 カミサンと一緒にお袋の介護をしていた頃はまだしも、お袋の死後はまるで腑抜けになってしまって、ボケに拍車がかかった。
 お袋が元気だった頃は、お袋に寄りかかるばかりで、大変な苦労をかけたようだし、大事にしている風でもなかったのに、連れ合いを失うということは、そうまであるのだろうか。
 良家の子女であるカミサンにもひとかたならぬ苦労をかけた。ボケ老人ふたりを抱えて、大変な十年だったろうと思う。
 ボケ同士のかみ合わないトンチンカンな会話や、滑稽なやりとりなどは微笑ましいばかりであったが、奇矯な振る舞い、抑制のない行動には、一時も目が離せない。園児を相手にしているも同然で、子供がいなかったからできたことだった。
 とりわけ、マダラボケの親父には、なまじっか、まともな時もあるだけに、サル呼ばわりされ、年金をくすねたなどといいがかりをつけられたり、毎度口汚く罵られるのは耐え難い屈辱だったろうと思う。
 さいわいお袋のような下の世話の心配はなかったけど、親父の徘徊にはぼくもカミサンも随分手を焼いたものだ。寝たきりになって手がかからなくなると、つい病院の暗がりにいる親父のことを忘れていることもあった。
 お袋の死後数年であっけなく親父も死んだ。
 手記に出て来るハル子とお袋とダブル部分が多いけどーーお袋の方は親父のことを初恋の人と思い込んでいたようだーー名古屋時代にそんなモデルがいたのだろうか。ハル子に告白した「父の罪」とは何だったのだろうか。
 ふと、そういう思いが湧いて来て、恐る恐る「懺悔」というところを、クリックしてみた。


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