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作品名:K氏の手記 作者:異邦人

第11回   11

 須々木ハル子という人物名は、人名録になかった。備忘録にも当然それらしき記録はない。大学時代の思い出の記述くらいあってもよさそうなものだが〈東大という言葉は出てくるけど〉、それもない。彼女のいうようなことはまるでない。
 名古屋にはビジネスマン時代の一時期に、エグゼクティブとして滞在したことがあり、濃密な記述が残されているけど、それはずっとのちのことだ。
 従って、彼女の誤認であると結論した。記録にないことまで責任は負いかねる。
 まして、左翼を語り、安保反対を叫ぶ一方で、パープウ〈これはゲンさの差別用語〉の少女娼婦をたぶらかして、約一ヶ月間に渡り彼女のアパートに転がり込み〈この間がやつの夏休み期間だったのだろう〉、贅沢三昧で浪費させ、三十七回もタダ乗りしたあげくに、 
 もうこんなことやめなくちゃ、と、しかつめらしくいって、卒業したら、きっと迎えに来るからと、帰りの新幹線代までせしめて去った男など、目の前にいたらぶん殴ってやりたいようなやつだ。
 そんなやつが自分である筈がない。  
 まあ、しかし、そんなやつでも、多少なりとも、彼女の為によいこともしていた。
 警察に捕らえられ、誓約書を書かなければ監獄に入れられる事態に至ったハル子にーー正直で、純粋さのゆえ、ウソを書けないハル子にーー県知事や、名古屋高検・検事長宛に、上申書を提出するよう知恵付けしており、自ら身元引受人にもなって、結果、事なきを得ている。
 その一言一句を、ハル子は覚えていて〈彼女の記憶力はものすごい〉、口承文学のように諳(そら)んじてみせた。

 ーーワタクシはエヒメケンからキンのタマゴといわれてシュウダンシュウショクしてきた須々木ハル子というものでございます。トシはマンハタチになります。
 このタビはバイシュンボウシジョウレイイハンによりケイサツにタイホされましてセイヤクショをかかなければカンゴクにいれるといわれております。
 ワタクシがハジメテそういうことをしたのは4年まえの16サイのときでした。
 ワタクシは15のハルにボウセキガイシャにシュウダンシュウショクしてきてナツにはヘマばかりしてマにあわないからとクニにかえるようにショクチョウさんからいわれました。
 けれどもワタクシにかえるところなどありません。キョウカイイキといわれるヤッカイもののワタクシがかえったらカアサンがどんなにおこるかしれやしません。トウサンもかなしみます。オトウトやイモウトのたべるものがへらされます。
 ですからここでハタらこうとしましたがやっぱりマにあわずヘマばかりするのでどこでもすぐにクビになります。
 23ケンもクビになってほとほとつかれてしまいました。バカだなあとおもいました。シんでしまいたいとおもいました。
 でもワタクシよりもっとバカなオトウトのことをかんがえるとへこたれるわけにはいきません。カワイイイモウトのためにもシねないとおもいました。
 でもクリスマスイブのヨルにとうとうおカネがなくなりサムくておなかもへってネるところもないからウンガにとびこんでシのうかとおもいました。おカネがカセげないのならイキていてもしょうがないヤッカイもののキョウカイイキだったからです。
 にぎやかなクリスマスイブのヨルでした。きれいなデンキのかざりつけやオンガクがマチにあふれていました。それをウツしたカガミのようなウンガはつめたいだろうなあとナヤバシのたもとにたってトホウにくれていたらしらないオジさんがメリークリスマスといってあかいカオでピースのサインをしました。
 オトウトやイモウトにクリスマスプレゼントもおくってやれないオネエサンのワタクシはかなしいメリークリスマスをピースでかえしました。
 そしたらオジさんはにっこりわらってついておいでといいました。
 ヨッパライのオジさんのあとについてウンガのほとりのホテルにはいりました。そこでいけないことをしました。
 オジさんはやくそくどおりだといっておサツを2マイくれました。2マンエンでした。どんなにウレシかったことでしょう。ワタクシはオジさんのせなかにむかってメリークリスマスとさけびました。
 それからワタクシはナヤバシにたつようになりました。
 バカにされることになれていたワタクシはヒトサマからよろこんでもらえておカネまでもらえることにうちょうてんになってしまいました。
 いけないことだとはわかっております。ええわかっています。
 けれどもカアサンからはトウサンがたおれてねたきりになってしまってカアサンもガンビョウとヨウツウでまんぞくにはたらけやしないからカゾクはもう3日もまんぞくにたべてない。イッカでクビをくくろうかとおもわない日は1日とてないけどがんぜないタカシやナツ子がふびんでならないからおもいとどまっているけどおまえをいちにんにまえにするのにどんなにくろうしたかしれやしないといってきます。
 ですのでワタクシはこのシゴトをやめるわけにはいかないのです。カンゴクでもどこでもいれてくださいまし。
 ですけどそれでしたらエキウラやカコマチのみんなもそうしてくださいまし。トルコだっておなじことをしていることはみんなしっています。それがミンシュシュギのホウのもとにビョウドウということなのではありませんでしょうか。
 カクテイシンコクはおこたりなくちゃんとやってゼイキンもコクホもネンキンもちゃんとおさめております。サイマツタスケアイウンドウのアカイハネボキンもかかしたことはありません。
 どうかあわれとおぼしめしてほかになにもできないキヨウカイイキのワタクシとたちゆかなくなったカゾクのためにカミサマとおなじようにゆるしていただければとケイサツではバカといわれましたのでひとえにあなたさまのおなさけにおすがりするしかないのでございます。

 それが功を奏したかどうか知らないが、検察官への誓約書では「やめたいと思う気持ちはいつもあります」に書き換えさせられて、起訴猶予になったようだ。
 それが免罪符になったのか、それ以来一度も挙げられてないというから、それだけはやつの功績であろう。
 ともあれ、診断書によると、ハル子の余命が幾許(いくばく)もないことは確かなようだ。この冬を越せるかどうかという、バアさんの予測は医者の診断に基づいてのものだった。
 癌という漢字が読めないハル子は、それを通知表でも見せるかのように広げて、ひらひらさせ、ーーうふふと、笑った。
 ならば病院に入院させて、延命治療を施したらどうだ。金はいっぱいあるのに。だいたいこの猿は、いや、バアバアは何者なのだ。
 その疑問にはゲンさんが答えてくれた。
 ヨネは、身寄りのない戦災孤児。雨霰と降る爆弾を掻い潜って生き延びたものの、家族はみんな焼け死んでいて、知り合いの家に身を寄せていたのだが、その家が水主町で淫売宿を始めるにあたって、十二で春をひさぎ、四十で引退して、客引きのヤリテババアとなった。
 納屋橋でパープーがひとり商売していると聞いて、ハル子を荒々しく追っ払ったのも、ヨネであった。
 しかし、客から利ザヤを稼いでいたことがバレて、水主町から叩き出されると、栄町に逃れていたハル子の所にやって来て、言葉巧みに取り入ったものである。
 おまえは危なかしくて見てられないよう。戦災で死んだ娘を思い出してねえ、他人のような気がしないのさ。おまえを追い出したのも、あの辺はヤクザが仕切っていて、おまえのような素人にシマを荒らされて黙っているわけがない。あいつらにつかまったらただすまないからねえ。外国か、よくて、トルコ風呂に売り飛ばされるのがおち。
 相手をよく見なきゃ。何十年もやってると、危ないやつかどうかすぐわかる。病気持ちかどうかもね。いつか殺された者がいたろう。ひとつ間違えばあんな風になる。
 このババに任せなよ。おまえさえよければ、母さんと呼んでもいいんだよ。おまえに親はないのかい。可愛い娘にこんなことさせる親の顔が見たいものだね。
 ーーああ、それからね、お金は先にもらうものだよ。熱いうちはいいが、冷めたら男は金が惜しくなるからねえ。
 ちょうどその頃、相次いで悪い客に引っかかり、顔がひん曲がるほど殴られたり、お金を踏み倒されたり、ウンコを食べてくれとせがまれたりして、散々な目に遭っていたので、ハル子は一も二もなくヨネに縋った。淋しさもあったのだろう。
 客を取れない体となったハル子を、なおもヨネが見放さないのは、株券の存在があったからだろうか。その価値について知ってるかどうかは別にして、それを狙っていてもおかしくはない。ハル子が死ねば、あわよくばそれが自分のものになるのだ。
 ゲンさんなどはそのことも、ハル子の病気が重いことも知らないから、ヤリテババアのヨネが、かしずくようにハル子に仕えているのは、ハル子についていれば食いっぱぐれがないからだといっていた。
 ーー悪いけど、どうやら君は思い違いをしているようだ。ぼくは、君のいうような者とは違う。
 K氏はやんわり突っ撥ねたことだった。


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