七 色は匂へど
望みが空信に聞いた。 「お父さん、般若心経が不条理を説いているお経なの。」 「いや、真理や真実の心を説いている。 悟りとは何かと。 また、見えなかった宝物が見えた喜びを歌っている。」 愛が少しふくれた声を出した。 「あら、不条理ではなかったの。」 「あっ、そうだった。不条理を説いているお経の話をしていたのだった。 このお経は、空海が日本語に訳したものと聞いたことがある。」 「そうなの。」 「いや、お大師さん、空海に聞かないとね。本当か、どうかは本人に直接聞いてみないと。」 「それで、簡単なお経なの?」 「あぁ、いろは歌というお経だよ。」 「いろは歌。あれ、お経なの。」 「うむ、そう。望み、いろは歌を覚えているよね。 言ってみてごらん。」 望みは、「ヤー」と答えるや、いろは歌をそらんじた。 「色は匂へど散りぬるを わが世(よ)誰ぞ常ならむ 有為(うゐ)の奥山 今日(けふ)越えて 浅き夢見じ 酔(ゑ)ひもせず」 空信は聞いてから、望みに言った。 「うむ、そう。 この歌には、もう一つの読み方がある。 七音ずつ区切って読む読み方がね。 清音だけでね。 でも、全部で四七音だから、最後は五音しかないけど。 『いろはにほへと』、 『ちりぬるをわか』、 『よたれそつねな』、 『らむうゐのおく』、 『やまけふこえて』、 『あさきゆめみし』、 『ゑひもせす』と。 それで、その区切った最後の音だけを拾い集める。 すると『とかなくてしす』となる。 最初の『とか』を『とが』と発音すれば、『咎無くて死す』となる。 つまり、無実の罪で死ぬというわけだ。 それは誰かというと最後の区切りの『ゑひもせす』と最初と最後の音を取ると『ゑす』つまり『イエス』。」 (注、『ゑ』の発音には、『e』、『je』、『we』の三種類の発音がある。 今は『e』としか発音しないことになっている。 それは、日本語を形成する母音や子音の数が歴史的に減少して来た流れに沿っている。 つまり、多民族を一つの民へと融合する過程、そう、標準語を定める過程で発音の統廃合が行われて、日本語として認められる母音や子音の数が減らされて来た。 しかし、発音の種類が減少する傾向にあるのは他言語も同様である。 文字が違っても発音が同じことなどが、そのことを証明している。 残された発音の中心となるのは政治の中心となった民族の発音である。 そのことは、日本に限らず、他の国でも見られる。 発音が標準的であれば、その国の人間として認められるのである。 話している内容ではない。発音なのである。 さて、ゑは、もともと、ワ行のエ(we)と発音され、ヤ行のエ(je)とも発音されるようになり、ア行のエ(e)との混用もあり、最終的にはア行のエ(e)と発音するようにした、と言われてはいる。 結果としては、発音の統廃合の流れで、今は『ゑ』は『え』と書くようにされた。 空信の時代には、ゑはjeとも発音されていたようである。 では、昔の発音の名残はどこにあるか。身近には方言に見られる。 巻き舌など典型であろう。 方言は古代語の宝庫と言われている。 また、発音の種類を減らして統一化する具体的な方法は、ほめられたものではない。 田舎者などと笑って、その発音を軽んじて否定する態度、または、学校教育である。 発音とはこのようにするものだ、と思いこませる教育である。 ただ、方言には昔の発音が残っている。) 空信は話し続けた。 「つまり、いろは歌は、イエスという人が咎無くて死んだと不条理を歌っているお経なのだ。」 望みは尋ねた。 「いろは歌に追加の言葉、そう、折句(おりく)があるの。 恋文なんかにも使うじゃない。 七五調に書かれた文の一句ごとの最初の音か最後の音だけを拾い集めると『あなた好き』とか読めたりするの。」 空信は微笑んだ。 「そうそう、この場合は、七音ずつ区切った最後の音を拾い集めるのさ。 ただ、最後のは五音しかないから五番目の音にはなるけどね。」 愛は疑った。 「あなた得意の法螺(ほら)じゃないよね。」 空信はニコッとした。 「お経は法螺のようなものさ。 ただ、真理や真実を法螺で美しく吹いている。 真理や真実を悟れば悟るほどに人は自由になる。 心に光がもたらされて明るくなる。」 「・・・。」 望みは尋ねた。 「無実の罪で死ぬことなど・・・人生おける最高の不条理だよね」 愛はつぶやいた。 「最高というより、最低、最悪だわ。」 空也は真面目になった。 「最低とか最悪とか言わずに、最高の不条理というのは、そこに最高の恵み、大慈悲があるからさ。そう、本当の愛がある。その愛がなければ、不条理は最悪のままとなる。 最悪を最高に変える愛。愛の名の由来の愛があるから救いがある。 これが、他力本願の奥義だよ。」 「・・・。」 望みが空也に聞いた。 「この最悪の目に会われた仏様の名がイエスというの。」 「うむ、そう。」
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