六 般若心経
突然、周りが光に溢れた。 雷が目の前に落ちたのだ。凄まじい音が轟いた。 愛は我を忘れて空信にしがみついた。 愛の裾は乱れて太ももがあらわになった。 その鹿のようにしなやかで白く光る太股を眺めながら空信はつぶやいた。 「苦労している割には怖がりだな。」 「間違えないで。危機管理能力が高いのよ。 そんなことを言っていないで、お経を教えてよ。」 「そうだな。般若心経はどうかな。」 「あれ、意味がわからない。難しい言葉が多い。 もう少し短いの。」 「やれやれ・・・目には見えないものが大切で、 それが見えると極楽だ、即身成仏だ、というお経なのに。 般若心経は。」 「そうなの。私、歌って踊っているときが一番楽しいよ。 般若心経の中で、楽しくなって踊れるのは、あの言葉ね。 ガテー、ガテー、パラ・ガテー、パラ・サム・ガテー、ボデー、スバーカ。 でも、この言葉は、どういう意味なの」 「あぁ、あれは真言でね、賛美の歌だから・・・ もとの言葉からの翻訳が難しかったのだ。 音の調子が伝えにくかったからだ、と思う。 翻訳しなかった言葉なので真言という。」 愛は少しいらだった。 「講釈はいいの。意味を知りたいの。簡単によ。 あの言葉を聞くと踊りたくなって踊るでしょう。」 空信は、真言を太鼓の音に調子を合わせて、脚を高くあげて、 愛が踊っている姿を思い出した。 それが、不思議に美しく、周りの者を楽しませるのだ。 空信は押し込んだ。 「少しは辛抱して聞け。 そうしないと、意味を言ってもわからんだろう。 我々の信仰とはこのようなものだ。 黒い雲に覆われた地に住む我らが大きな船に乗り、 風に吹かれて光あふれる約束の地に行くようなものだ。 その約束の地の岸辺を彼岸という。 約束の地は極楽とか天国と呼ばれることがある。 即身成仏の場合は、悟った状態を指すことになるかな。 それで、ガテーとは『行った』とか『着いた』とか言う意味。 パラは彼岸。サムは完全、ボデーは極楽や悟り、 スバーカは万歳とかいうような意味。 つまり、ガテー着いた、ガテー着いた、パラ・ガテー彼岸に着いた、 パラ・サム・ガテー彼岸に完全に着いた、 ボデー極楽だ、スバーカ万歳。 そんな感じの意味になる。 生きたままの時も意味し、死んでからのことも意味するので、 その意味は広く深くとらえてよい。 それで、訳さないで真言を唱える。」 望みが口を挟んだ。 「それで、船を導く風のことを言霊(ことだま)というのね」 空信は娘の望みを見た。 「そう、それで大和の国は言霊のさきはふ国。」
|
|