十五 極西の島から来た男
赤鬼は、遙か西方の島、ユーラシア大陸の極西にある島から来ていた。 イングランド王太子エドワードに従って十字軍に参加した騎士トーマスであった。 聖地エルサレムをイスラムから奪回するには、東にあるキリスト教国の助けを借りることが十字軍内部で検討された。そこで、トーマスは語学の才能があったために、蒙古(モンゴル)に派遣された。 プレスター・ジョンが治める伝説の東のキリスト教国はモンゴルではないかと思われたからだ。確かにモンゴルの部族には東方キリスト教徒がいた。景教徒である。 しかし、モンゴルは宗教の自由を認めた国であったが、プレスター・ジョンが治める東方のキリスト教国ではなかった。 プレスター・ジョンすなわち祭司ヨハネとは、イエス・キリスト誕生の時に高価な贈り物を持って礼拝に来た東方の三博士の子孫と思われていた伝説の東方キリスト教国の君主である。 途方に暮れたトーマスは黄金の国ジパングの話を聞いた。もしかしたら、その国の天皇が司祭ヨハネではないかとトーマスは思い、トーマスは日本の偵察を蒙古に志願した。 そして、トーマスは黄金の国ジパングに蒙古の偵察部の隊長の一人としてここに来ていたのであった。 さて、蒙古すなわち元がアジア大陸で起こした戦争により、大量の難民が生じ、その一部は、国の戻ることをあきらめて日本に亡命して来た。渡来人である。渡来人の中には金のように鎌倉幕府から歓迎される優秀な人材もいたが、そうではない貧しい人々もいた。 その貧しい人々が日本で生きていけるように大和言葉を教える慈善活動を行うのが空信たちの遊行であった。 貧しい渡来人が日本で生きていく助けをしていた。 その渡来人たちからの情報で、空信は色目人のことを聞いていた。色目人の中には、回教徒もいればユダヤ教徒もいるが、空信が赤鬼トーマスを景教徒すなわちキリスト教徒と思ったのは、人の肉を喰らい人の血を飲むという彼の噂である。 これは、キリスト教徒に対する中傷や悪口の典型である。 すなわち、キリスト教の大切な儀式で定期的に行われるものに聖餐の儀式がある。 聖餐の儀式は、イエス・キリストを記念し、そのようになるための儀式である。それは、裂かれたパンとワインを飲むという形を取る。イエスは「人の子」と自分のことを呼んでいた。それで、パンには人の子の肉、赤いワインには人の子の血としての象徴的な意味があったのだが、この儀式は他の宗教者から悪意のある勘違いをされた。 つまり、人や人の子の肉を喰らい、人や人の子の血を飲んでいると。 そう、キリスト教徒すなわち景教徒を人食い鬼と思う人がいても不思議ではなかった。 それで、空信は目の前にいる赤鬼トーマスを色目人の景教徒と思ったのである。 赤鬼の側には通訳の若くて美しい女性兵士がいた。この大柄ではあるが知的な彼女は赤鬼とは親しい関係にあると見て取れた。また、この日本女性は兵士と言うよりは赤鬼にとっては日本語の先生であった。
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