赤鬼と坊さん ヨハン・ジロー
一 明るい遊行
十三世紀はモンゴルの時代であった。モンゴルは東方キリスト教の一派であるネストリウス派を重用した。 国造りは戦いに勝つだけではできないからだ。ユーラシア大陸に大きな道を造り人や物を自由に往来させて 維持していくには世界宗教であるキリスト教を信じている者たちの力が必要だった。 一方、今の日本人がよく知っている西方キリスト教は最後の十字軍を一二七〇年にアジアに送った。 その中にイングランド王太子エドワードに従ったトーマスという騎士がいた。 彼は特別な任務を帯びていた。彼はプレスター・ジョンが治めている東方キリスト教の国に行き、 後方からイスラム教の軍を撃つように働きかけることであった。しかし、モンゴルの王はキリスト教徒を 重用してはいるが、プレスター・ジョンではなかった。そこで、彼は東の果てにある黄金の国ジパングが プレスター・ジョン(ヨハネ大祭司)の国ではないかと信じた。そして、モンゴルの偵察隊の隊長に志願して 日本に行った。 さて、最初の蒙古襲来があった翌年の一二七五年の初夏。 唐津から東方の博多に向かう遊行の一行があった。 彼らは世捨て人の象徴ともいえる暗い灰色の衣をまとってはいたが、足取りは軽く明るかった。 男の僧が一人、女の僧が二人の計三人の一行であった。 先頭をのんびりと行く男の僧の名は空信といった。背は高く骨太の壮年である。 その後ろを二人の尼が軽くおしゃべりしながらついて来ていた。 彼女らは親子で、二人とも柳のようにしなやかな姿をしており、大柄な方の尼は妙齢で愛という名で、小柄な方の尼は少女で望みという名であった。 二人とも日に焼けてはいたが、彼女らの目は二重の切れ長で美しく華やかさがあった。 質素で暗い僧衣をまとっていても彼女らは百合の花のように香り立っていた。 男の僧は鎧甲を身につければ一軍の将に見えたであろう。 一行は家族で出家していたが、雰囲気は明るく禁欲的に見えなかった。 彼らが向かう博多は、来るべき第二次の蒙古襲来に備えようとしていたが、彼らはその緊張感とは無縁の様子で朝のさわやかな空気を楽しみながら歩いていた。
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