「さて、これらをどうしてくれようか」 蒸し暑い休日の日に、マサシは目の前の山を見て困惑していた。マサシは通信販売などで無駄買いをすることがよくあり、その今まで買った物が部屋の隅に山盛りにされているのである。 だが、途方にくれているマサシの耳に玄関のチャイムが響いてきた。 「うるさいなあ。人が悩んでるのに」 重い腰を上げ、スリッパを履いて玄関の外に出た。 「どちらさん?」 立っていたのは、スーツを着て眼鏡をかけた三十代ぐらいの男だった。 「セールスの者でございます」 「いらない」 マサシは即答した。マンションではセールスは禁止されているし、ただでさえいらないものがいっぱいなのだ。 「俺、もう余計な物で手一杯なの。売るならほかの家に行きな」 すると男はその言葉にキラリと反応した。 「わたくしがお売りする物は、そのいらない物を消せる道具でございます」 「はあ?」 マサシはどういうことだという疑問を顔に出した。 「意味分からないんだけど」 すると男はこう答えた。 「お客様。ショウカキは御入り用ではありませんか?」 「消火器?」 消火器といらない物を消すのとどう関係があるのだ。マサシは手を振って男を払った。 「俺、胡散臭いの嫌いだから。やっぱりどっか行ってくれる?」 胡散臭いのが嫌いというのは嘘である。マサシの家には通販で買った嘘のようなあおり文句の商品がたくさんある。だがそれがたくさんありすぎて今は見るのも嫌なのだ。 男は続けた。 「わたくし共の扱っている商品は『ショウカキ』ですが、火を消すことは出来ません」 「はあ?」 ますます意味が分からない説明に頭の中がこんがらがってきた。 「ただ」 「ただ?」 「いらないものは消せるかもしれないということです」 う〜んとマサシは腕を組んだ。この手の話には正直弱い。癪ではあるが、男に続きをうながした。すると男は商品を鞄から取り出した。消火器と呼ばれたそれは、ヘアスプレーのような外見だった。 「これが消火器?」 マサシが聞くと男はそのスプレーをくるりと半回転させた。そこには大きく『消○器』と書いてある。 「これはわたくし共が開発した新しいタイプのショウカキでして、使いやすいようにサイズも小さくしております。そしてこの商品の売りは『○』と書かれたところにお客様が自由に『か』という漢字を書き込めるところでございます」 「…………」 初めて見た商品にマサシは何と言っていいか分からなかった。男はそんな様子を窺っていた。 「お客様、先ほど『余計な物で手一杯だ』とおっしゃっていましたね?何かいらないものがたくさん家にあるということですね」 「え、うん……」 男に図星を指され、マサシは少し下を向いた。 「そうすれば、この○の中に『過』と書き込めばいいのでございます」 男は手帳を取り出し、そこに漢字を書いた。 「するとこれは『消過器』に変身し、その余計なものが消えるのです。『過』という字は『過度の』という意味でございますからね」 「へええ」 マサシはすっかり男の話に魅了されてしまった。買ってはいけないとは思っている。だが、『いらない物を消す消過器』だって?興味をそそるじゃないか。よし、決めた。マサシは顔を明るくした。 「これ、いくら?」 「このショウカキには、ホワイトボード用のペンとホワイトボード消しが付いて、三万円でございます」 「三万かあ。ちょっとまけてくれない?」 「三万円でございます」 男は譲らなかったが、マサシはたぶんそうだろうと思った。 「ちょっと待ってて」 一旦家に入り、財布の中から三万円を持ってくるとマサシは男に金を手渡した。 「はい、ちょうど」 男はにやりと口の両端を上げた。 「ありがとうございます。では存分にご利用くださいませ。何度も言いますが、燃えるほうの『火』だけは消せませんのでご注意ください」 そう言った男はマサシに一礼をしながらその場から足早に去っていった。
マサシは家の中に入り、早速無駄な商品の山を見た。まずはスプレーの裏の説明書きを確認する。 「なになに?消したい物に向かってひと吹きしてください。ただし、消した物は元には戻りません、か……」 そのほかには、先ほど説明されたことが書いてある。 「ほんとかな」 ま、でも騙されて元々。自分はこういう風に心躍るのが好きなのだと納得させ、試しに『消過器』と書いてみた。そして商品にひと吹き。 すると驚いたことに目の前の山が全て消えてしまったのだ。マサシは信じられない思いだった。 「本当か?」 呆然としたマサシはしばらく口を開けていたが、突然左腕がかゆくなった。 「ちくしょう、やられた」 夏の風物詩である。マサシは手で叩いて潰そうと立ち上がりかけたが、ふと気づいた。 「これも『蚊』じゃねえか」 ボード消しで文字を消し、代わりに『消蚊器』と書いてみる。そして蚊を探した。それはすぐ見つかり、壁に細い足を立ててくっついていた。それにシュッとひと吹きする。 すると、また蚊が消えたのだ。 マサシは大喜びした。こんな便利な物があるなんて知らなかった。これはいい買い物をした、と部屋の中をスキップして回った。 もちろんマサシはすぐに国語辞典を探した。確か学生時代に使っていたのがあったはずだ。漢和辞典でもいいが、俺はそんな漢字一文字一文字まで勉強しなかったからたぶんないだろう。でも国語辞典は本棚の奥にあるのがすぐ見つかった。 マサシはどんな『か』があるのか調べた。 「ふんふん、けっこうあるじゃねえか。これは使えそうだ」 マサシはまたある漢字を選んでスプレーに書き込んだ。
マサシには付き合ってもう長い彼女がいる。その彼女には会う度に結婚を迫られている。だが、ずぼらなマサシには結婚願望がまったくない。それどころか最近の彼女をうっとおしいと思っているぐらいだ。 マサシはそんな彼女に電話をした。 「急だから捕まるかな」 携帯がなり始めた直後、彼女は電話に出た。 「もしもし」 「あ、ナナミか。今から昼飯食べに行かないか」 ナナミは渋った。 「ちょっと今日はパス。美容院に予約入れたの」 マサシはわざと声を落とす。 「そっか、すげえ大事な話だったんだけどな。じゃあいいわ」 「え!大事な話?もしかしてあの話?」 「まあな……」 「大丈夫!行けるから」 「じゃ、いつものラーメン屋で」 二人は行きつけのラーメン屋で待ち合わせることにした。 ナナミは待っていた。急いで来たらしく、服は半分家着だ。いつものハイヒールも履いていない。 マサシは鞄にスプレー一式を忍ばせた。そして向かい合ったナナミにこう言った。 「ナナミ、結婚してくれ」 ナナミは感動でしばらく声が出ないようだ。ようやく、ようやく、その言葉が聞けた。ナナミは嬉しさのあまり、涙を流した。そして返事をしようとしたその瞬間、マサシはスプレーを吹きかけた。 すると彼女の顔が急に曇った。 「あれ、なんでだろ……。私、今まで結婚したかったはずなのに……」 マサシは、どうしたんだ、と尋ねた。彼女は小さな声でこう言った。 「ごめん、やっぱり結婚はしたくないわ。お互い、今のままでいましょ」 スプレーには『消可器』と書かれていた。
次の日の月曜日、マサシは会社に出かけた。営業の職についていたマサシは、同期のライバルである小西にいつも見下されていた。 「お前、また中間だったんだってな。俺は相変わらずよ。ま、頑張りな」 マサシの会社では営業成績が月ごとに発表され、それを毎度表彰されるのだ。もちろんその分、ボーナスも出る。毎回毎回トップ賞をかっさらっていく小西はマサシにとってわずらわしい存在だった。 「小西君、もうすぐ成績発表だね。期待してるよ」 部長が小西の肩を叩く。 「小西先輩、どうしてそんなに仕事ができるんですか?」 女子社員が一斉に小西を見る。そんな声に小西はこう言った。 「いやあ、たまたまが続いただけだよ。僕なんて本当は大したことないんだ」 け、嘘をつけ。俺の前では性格が豹変するくせに。 実際に小西はマサシだけには態度が悪かった。新入社員の時、一度だけマサシが運良くトップ賞をとったことがあり、その時はサラブレッドのような印象の小西を差し置いてマサシがちやほやされたのである。それが相当悔しかったのだろう。 そんな小西にマサシは背後から近づいていった。 「頑張れよ。応援してるぜ」 と声をかけてスプレーをひと吹き。すると部長が首を捻った。 「おや、小西君。今日は具合が悪いのかね?」 女子社員も静かになった。 「なんだかいつもと違いますよ?」 マサシはヒヒヒと笑った。これは本当に効く。マサシは『消華器』と書かれたスプレーをしみじみと眺めた。
マサシはとてもいい気分で毎日を過ごした。 『消香器』と書けば、街でうっとくるようなキツイ香水の匂いが飛び、『消歌器』と書けば、友人の長すぎるカラオケが止んだ。 マサシは煙草に火をつけて、ソファーにごろりと横になった。 「これさえあれば、毎日がハッピーだぜ」 いい気持ちになったマサシは煙草を灰皿に置いた。そしてそのまま眠りこけてしまった。 目を醒ましたのは、異臭が鼻を突いたからだ。 「なんだ……」 マサシはぎょっとなった。灰皿周辺が燃えている。煙草だ!マサシは焦った。そしてスプレーを探した。スプレーとペンとボード消しはソファーに転がっていた。マサシはそこに書かれている字を消した。そして『消火器』と書き込んだ。 「消えろ、消えろー!」 マサシはどんどん激しくなる火に何度もスプレーを吹きかけた。しかし、パニックになっているマサシには、あの日のセールスマンの言葉も水を使うということも頭になかった。 そしてもう取り返しがつかなくなった時、マサシはようやく外に出た。 マンションは大騒ぎになっていた。住民は逃げ惑っている。そんな中、こんな叫びが聞こえた。 「うちがー!うちがー!うちが燃えるー!」 となりのおばあさんだった。マサシの心臓は激しすぎるほど高鳴った。そして震える手でスプレーにこう書いた。それを煙を出す部屋に向かって勢いよく吹きつけた。 するとそこに四角い空間が出来た。 マサシは呆然とした。火事は収まった。だがまだ正気を取り戻せていない。 「なんと書いたのですか?」 後ろから聞き覚えのある声がした。それはあの日のセールスマンだった。マサシはスプレーを見せた。 「『消家器』と書いてしまったんですね」 「ああ……」 マサシは住む家を失った。そして何より、この空洞をどうすればよいのか分からなかった。すると、セールスマンは放心状態のマサシからスプレーを取り上げ、こう言った。 「火事の時は『消家器』ではなく、こう書けばよいのです」 文字を書き込んだスプレーを見せると、マサシは 「ああ……なるほど……」 と言ってゆっくりうなずいた。そのあと、セールスマンは『消禍器』と書かれたスプレーをマサシに吹きかけた。
|
|