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作品名:正しいとんかつのあり方 作者:

最終回   1
 これはもはや戦争である。
 現在、国内の意見は真っ二つに分断されていた。
 そう。
 正しいとんかつのあり方についてである。
 とんかつの上にかけるのは、やはり「とんかつソース」なのか?
 それとも「ウスターソース」なのか?
 醜い争いは始まったばかりである。

 これは、とある社員が言った一言が原因であった。
「僕らガゴメは、とんかつソースとウスターソースの両方を作っていますけど、とんかつにかけるのは当然とんかつソースっすよねえ〜」
 若い社員の一言であった。茶髪だった。ちょっとロン毛だった。それがいけなかった。係長木村はその一言を聞き逃さなかった。
「ちょっと待ちたまえ、七瀬君。聞きずてならないな。なんだって?とんかつの上にかけるのは『当然とんかつソースっすよねえ〜』だって?」
「え?」
 七瀬、振り向く。しかし時はすでに遅かった。
「クビだあーーーー!!」
「ええーーーーーー!?」
 とっさのことで思わず反応してしまったが、七瀬は気づいた。『係長は冗談を言ったのだ』。七瀬は茶髪だからそう思った。
「もう、驚かさないでくださいよ〜。いきなりクビだなんて、このご時世きつすぎる冗談っすよ〜」
 七瀬は笑っていた。係長木村も笑っていた。そしてこう言った。
「クビ。とんかつの上にかけるのはとんかつソースではない。正しくはウスターソースなのだよ。だからウスターソースの存在を軽視するやつは、クビ。明日から君の給料は出ない。リストラ。はい、リーストラッ、リーストラッ」
「……………」
 そう。こうしてこの戦争は始まったのである。

 とんかつの上にかけるのは「とんかつソース」なのか?それとも「ウスターソース」なのか?
 あの凄惨な事件の一部始終を見ていた片岡は思った。やはりとんかつソースであろう。だってまず名前が『とんかつソース』ではないか。だから僕はきっとこっちのほうが正しいんだろうと自分なりに判断していた。
 という話は置いといて〜。
 片岡は心で叫んだ。
「係長!なんでそんなくだらないことで七瀬をクビにしたんですか!?なんか恨みでもあったんですか!?」
 しかし片岡はガゴメの新入社員であり、七瀬の友人でもある。そんな身分の片岡は木村に疑問をぶつけることはできなかった。自分もまたクビにされるのではないか?そんな不安がよぎったからだ。
 じゃあ部長にでも聞いてもらおうかと思ったが、それが出来なかったのである。係長以上のクラスの上司はなぜか『ウスター派木村』のほうについてしまったのだ。
 だから片岡は友人である七瀬に同情し、そして自分の意見でもある『とんかつ派』に属することになった。

 この事件は意外な広がりをみせた。今の若者らしく、七瀬はその日に早速ネットに今回のことを書き込んだのである。
「皆さん、とんかつの上にかけるのはとんかつソースだと思いますか?それともウスターソースですか?俺は当然のごとく、とんかつソースだと思います!しかしそれを言った瞬間、『ウスターソースに決まってんだろ、馬鹿野郎!』というチンケな上司に会社をクビにされてしまいました。冗談じゃないんです、本当にクビになっちゃったんです!皆さんはどう思いますか?とんかつには絶対とんかつソースですよねえっ!!」
 これに対して予想外の数の反応が寄せられた。それは普段、人々が口にしない小さなこだわりだった。
「とんかつにはとんかつソースでしょ。決まってんじゃん、そのおっさんバカ?」
「私もとんかつソースです。ウスターソースじゃ台無しです」
「お前たち、ウスターソースを見下しているだろう!ウスターソースの力をなめるんじゃない!!」
 その書き込みを見ていた片岡は思った。
「なんで誰も七瀬がそんなことでクビにされたかにふれないんだろう。まあ他人のことなんてどうでもいいってことか」
 しかしそれはともかく、と片岡はパソコンを見つめた。
「こりゃあえらい数の書き込みだぞ。ちょっとした騒ぎになろうとしてるんじゃないか?」
 そして片岡のこの予感は当たったのである。

 某日午後、七瀬率いる『とんかつ派』は広場で集会を開いていた。この集会に集まったのはなんと五千人。ほんとになんでそんな広がりをみせちゃったの、というほどの人数である。広場からは人があふれていた。
 しかしこの集会はこれだけが全員ではなかった。
「私も行きたかったです。今日仕事なんで残念です」という人や「遠いから行けません。でもとんかつ派を応援してます」という書き込みが多数あったのだ。
 片岡はこの場に来ていた。事の成り行きを知りたいがためである。どうなるんだこの騒ぎ、という思いである。
 そんな中、七瀬はマイクを持って演説をした。
「とんかつの上にかけるのは当然!!当たり前!!絶対にとんかつソースである!!ウスターソースという奴は皆殺しだあー!!みんなー、とんかつソースかけてるかー!?」
「おおーーー!!」
 とんかつ派、唸る。雄たけびあげる。すさまじい勢いであった。片岡はせっかくここまで盛り上がっているんなら、と五千人に紛れて拳を上げた。

 一方、対するウスター派はというと。
 木村は意を決したように言った。
 某日午後、木村率いる『ウスター派』は、『とんかつ派』の集まる広場の近所の公園で集会を開いていた。今、すぐそこでとんかつ派が「おおー!!」と言ったばかりだった。
 木村は集まった三百人のウスター集団に大声を張り上げた。
「皆さん、ウスターかけてますかー!?とんかつにかけるのはウスターソースが一番なんだー!!とんかつソースがなんだー!!ウスターをなめんなー!!」
「そうだーーー!!」
 三百人は大いに賛同した。そして。
「あそこに馬鹿なとんかつ派がいるぞー!!皆で叫ぼうじゃないかー!!」
 そう言った瞬間、ウスター派はとんかつ派に向かって吼え始めた。
「とんかつソースがなんだー!!」
「ウスターソースはすごいんだー!!」
 それを察知したとんかつ派はウスター派に近づいてきた。とんかつ派ウスター派、一時睨み合いとなる。
 そんな中、片岡はある事に気がついた。
「そういえば、ウスター派には中年オヤジしかいないな。待てよ。こっちもそうだ。こっちには若い奴らしかいない。どういうことだ?」
 激しい罵声を浴びせ合う両者は火花を散らし合っていた。なのでその音には誰もが気づかなかった。
 上空に一台のヘリが飛んでいたのである。

「皆さん、こんにちは。お昼のワイドショーの時間です。さあ森村さん、今日は面白いニュースがあるようですねえ〜」
 小綺麗に化粧をした女性アナウンサーは、隣に立っているワイドショーリポーターにバトンタッチした。
「はいっ、そうなんですっ!今、世間はとっても面白いことになっているんですねっ!それはこちらっ!」
 画面が切り替わった。そこには先日の両派の睨み合いのシーンが映し出されていた。そう、あのヘリである。
「皆さんはとんかつにかけるのは、とんかつソースですか!?それともウスターソース!?この二つの集団は意見が真っ二つに分かれてケンカをしているんです!その名も『とんかつ派』と『ウスター派』!私たちはこの二つの集団のボスにインタビューしてきました!それがこちら!」
 また画面が切り替わる。そこには大きなソファに深々と腰を下ろしている七瀬が映っていた。なぜかサングラスもかけている。その風貌はちょっとしたホストのようだった。
「まずね、とんかつの上にウスターって考えがナンセンスなんだ。とんかつだよ?あのしっかりしたとんかつをおいしくするのになんでウスターソースなワケ?は、笑っちゃうよね」
 七瀬はサングラスを取った。
「皆も当然、とんかつ派だよね?」
 続いてウスター派、木村のインタビューである。木村はさっきの七瀬とは違い、少し頼りない、言い換えれば細い、というか、いわゆる折りたたみ式の椅子に座らされていた。一応深々と腰はかけている。だが背が変に伸びておかしな格好に見える。
「だいたいね、我々昭和世代はウスターソースに馴染んでんの!カレーにだってウスターかけんでしょうが!何?ウスターなんて見なくなった?馬鹿言ってんじゃあないよ!ウスターソースは充分に魅力的なの!」
 この放送以降であった。そう。見てくれのいい男はブレイクする。若い女性、そして主婦層に七瀬ブームが起きたのだ。

 彼女たちはテレビに夢中になっていた。テレビの中では七瀬率いるとんかつ派のメンバー五人が歌にダンスにと派手派手しい活躍をみせていた。
 通称『とんかつアイドル』。そう呼ばれた彼らは芸能界で引っ張りだこになっていた。
 悔しいのは七瀬の敵、木村率いるウスター派である。とんかつ派の活躍があまりに華々しいので、ウスター派の存在は徐々に影が薄くなっていった。
「ちくしょう!なんでとんかつ派ばかりいい目を見るんだ!俺たちだってちゃんと存在しているのにっ!」
 木村はウスター派が集まる事務所の机を拳で叩いた。その肩に隣に座っていた木村の上司、部長笹野がやんわりと手を置いた。
「しょうがないよ、キムさん。俺たちだって頑張ったじゃない。でも報われない結果になっちゃったんだから、これがそろそろの限界なんじゃない?」
 木村が顔を上げた。
「部長。ということは、ウスター派は……」
「そうだよ、もう……」
 その時、事務所の扉が突然開いた。そこにいたのはとんかつ派片岡だった。
「誰だ!?あ、お前は!!」
 片岡は張り上げた声で言った。
「突然失礼します。僕はとんかつ派の片岡と言います。係長、部長、無礼をお許しください」
 木村はやかんのように沸騰した。
「お前、会社では何も言ってなかったが、とんかつ派だったのか!許さねえ!とっちめてやる!!」
「まあまあまあ」
 その興奮を部長笹野が制した。
「君は私たちの優秀な部下だ。とんかつ派とはいえ、何かワケがあって来たのだろう」
「はい、その通りです」
 片岡はうなずき、ゆっくりと口を開いた。
「木村係長。僕はずっと疑問に思っていました。係長はなぜ『とんかつにかけるのはとんかつソースだ』と言っただけの七瀬を突然クビにしてしまったのですか?」
 ざわと周りがざわついた。皆は理由を知っているのか、知らないのか。
「解散、と言う前にそのワケを聞かせてください」
 木村は小声で言った。
「別に僕はウスターソースしか認めたくないだけで……」
「係長!」
 ハッとした木村はしばらく固まっていたが、その後がくりとうなだれた。そして観念したようにぽつりぽつりと背後にあった事情を語りだした。
「僕は、『ウスターソースみたいだね』って言われたんだよ……」
「え」
 片岡の頭にクエスチョンマークが灯る。
「ウスターソースみたい、と言いますと……」
 木村は続けた。
「僕の家にはとんかつソースとウスターソースがあるんだ。そのウスターソースは僕だけが使っていて、家内と息子はとんかつソースを使っている。だからウスターソースがなかなか減らないんだ」
 片岡はまだ分からない。
「ある日、僕が残業で遅く帰った日だった。家内と息子は先にとんかつを食べていた。家内は後から席に着いた僕にウスターソースを出してくれた。そして言ったんだ。『お父さんの人気のなさは、このウスターソースとおんなじね』って……」
「それは……」
 すると隣の笹野も語りだした。
「その話を聞いてね、他人事ではないと思ったんだよ。それは僕の話でもあるからね。七瀬君が今回の事をネットに載せたように、キムさんもこの話を中年向けホームページに載せたんだ。そしたら同志が集まって来ちゃってね。ははは。まあ、我々昭和世代は特にウスターソースを好んでいたってのもあるけどね……」
 木村は片岡に苦笑いをした。
「七瀬君が僕の息子に見えちゃったんだ。うちの家内は息子にかまってばっかりだったから……」
「そう……でしたか……」
 一同は沈黙した。暗い空気が事務所の中に漂った。その時である。片岡が口を開いた。
「その話、テレビ局に話してみませんか?」
「え?」
 ウスター派はまたもや片岡に注目したのである。

 カメラが回った。インタビューが始まった。
「ウスター派代表の木村さん、今回の騒動の発端はあなただということですが、そもそも何が原因だったのですか?」
 木村は語った。先日片岡に話したことを。自分を見てほしかったことを。悲しかったことを。お父さんは頑張っているということを。それは家族のためだということを。
 でも木村は泣かなかった。当たり前だ。男は人前でおいそれと泣くものではない。それでも木村が泣きたかったのは充分すぎるほど伝わってきた。ずっと寂しかったことが伝わってきた。
 インタビュアーが言った。
「木村さん、テレビの前の皆さんに一言お願いします」
 木村はこわばった顔でカメラを見つめた。そして悲しくにかっとはにかんだ。
「皆さん、ウスターソース好きですか〜?」
 この放送を境に状況は変わった。

「親父、これ渡せなかった物なんだけど」
 木村が家のリビングで夕刊を読んでいる時、息子の雄介がやってきた。手には綺麗に包装された小さな箱を持っている。
「なんだこれ」
「だからあ」
 雄介はぐいと押し付けてきた。
「この間、なんのためにとんかつだったか分かんねーの?親父の誕生日だったからだろ。それで俺ら十二時まで待ってたんじゃん。それでも帰ってこねーから先に食べてたんだよ」
「あ」
 すっかり忘れていた。仕事ばっかりで忘れていた。そうだ。あの日は自分の誕生日だった。
「で、一緒に食べれなかったから、母さんが怒ってあんな風に言ったんだよ。いつもは母さん『ソースぐらい自分で取ってきて』ってけっこうひどいこと言うけど、あの日はちゃんと出してくれただろ。あれでも一応、愛情表現だと思うんだけど俺は。気づかなかったわけ?」
「あ……。あ、すまん」
 雄介は頭を掻いた。顔も背ける。
「まあ、俺らも悪かったよ。親父の気持ちに気がつかなくて。で!まあ遅くなったけど、俺らから『誕生日おめでとう』ってことで。言っとくけど母さん怒ってしばらく口聞いてくれないよ?テレビであんなこと言ったから」
 木村はうなだれた。またもや嫌われてしまった。僕はどこまでも報われないのかと思った。
「それと照れ隠しで口聞いてくれないから。プレゼントってタイミング外すと渡しにくいだろ。そこもちゃんと謝ってあげろよ。まあ俺らもだけどな」
 じゃ、ゲームするからと言って雄介は足早にリビングを出て行った。
「そう……だったのか……」
 木村はプレゼントを握り締めた。
「開けてみたらどうですか?」
 ふと片岡に言われたような気がした。包装をゆっくりと解いてみる。そこにはイカの塩辛が入っていた。
「そういや、『イカの塩辛が切れちゃったわ〜』って言ってたな。全くどこまで人をなめきっているのかね」
 そう言った木村の顔は柔らかくほころんでいた。

「おい、七瀬君。君、仕事がはかどっとらんのじゃないかね」
「へーい」
 七瀬は木村に気のない返事をした。木村はやかんのように頭を沸騰させた。
「へーいじゃない、馬鹿者!ガゴメの新商品の宣伝ちゃんとお得意先回れてんのか!?」
「うっせー、馬鹿係長」
「誰が馬鹿係長だっ!!」
 まあまあまあと片岡は間に入った。無理もない。あの事件からまだ時間が経っていない。お互い打ち解けるにはまだもう少しかかるだろう。
「まあすねるな、七瀬。ちゃんと働いたほうがお前のためだぞ?」
「別にすねてねーよ」
「すねてるすねてる」
 と冷やかすのは同僚の女性社員である。もちろん木村係長も照れているのだ。ま、バツが悪いというかなんというか、でもそういうのは時間の問題であっさり解決するものだ。
「しかし、この玉ねぎ入りイタリアンソースというのは何か気に食わないね」
「なんでっすか?」
 木村のぼやきに七瀬が食ってかかる。
「だって、とんかつにはウスターソースかとんかつソースだろ?そう思わないかね、七瀬君」
 七瀬は大声で言った。
「思わないっすーーー!!営業行って来まーーす!!」
 鞄をひったくるようにして出て行った七瀬を皆で笑った。
「僕はそう思いますね。やっぱりとんかつには、とんかつソースかウスターソースですよね」
 木村は片岡を指差した。
「違うよ、片岡君。『ウスターソースかとんかつソース』だよ。そこんとこ、間違えないでくれよ!」
「はいはい」
 こうして、このとんかつ戦争は幕を閉じるのであった。

 とんかつの上には何をかける?
 正しいとんかつのあり方は、答えが出たような出ないような。でもたまにはお好み焼きソースなんかをかけてみても、それはそれで楽しい食卓になるかもしれませんね!


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