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作品名:僕たちは赤い水を食べた 作者:

最終回   1
 餌が放り込まれた瞬間、僕たちは大騒ぎした。それは水の中で大きなうねりになり、その光景は目に強く焼きついた。

 無邪気にはしゃぐ子供たちが水族館に行きたいと言い出した時、僕は迷った。水族館はたぶん今日も賑わっているだろう。僕は何度か日曜日に地元の水族館の前を通ったことがある。そして、通るたびにそこを通り過ぎてゆく。
「パパ。連れてって、連れてって」
 小学校低学年の目には魚は魅力的だろう。水の中を泳ぐ。それだけで僕たちも興奮したから。

 あれは小学二年の秋だった。その日、学校は遠足だった。遠足といっても近所の水族館だったけど、小さかった僕たちにはその建物を見るだけでも刺激的だった。
「ピラニヤの餌やりショーが見れるらしいぞ」
 友達のケンちゃんが言い出した。
「ほんとかよ」
 やんちゃだった僕たち男子は二時から始まるという餌やりショーを固まって楽しみにしていた。
 ケンちゃんの家は鑑賞用の魚を売る商売をしていて、「ピラニヤ」なるものに詳しかった。僕たちはその凶暴な「ピラニヤ」がどんなものかを前もって聞かされていた。
 あの秋はまだ夏の暑さを引きずっていたのを覚えている。そして僕たちは悠々と泳ぐ魚、魚、魚に囲まれた。世界が違うようだった。ここは日本なのかなと少し錯覚を覚えた。
 水は水色と透明の中間のような色をしていて、その中で泳ぐ魚が不思議でしょうがなかった。
「どうしてケンカせずにやっていけるのかな」
 魚は皆、仲良しに思えた。魚は魚を避けて泳ぐ。その避け方が面白くって僕はじっと見つめた。そんな僕をケンちゃんが「何じーっとしてんだよ」と言って、頭をはたき逃げていった。僕は「コノヤロ」と叫んで追いかけたが、すぐに二人とも先生に怒られた。
 そんな様子を川村は見ていた。川村はクラス一のブサイクで嫌われている女子だった。僕たち男子の悪口をいつも言っているし、僕も何度か「近寄らないで」と言われたことがある。
 そんな僕たちを見るなり、川村は「バカがまたなんかやってる」と冷めた目で見るのだった。川村の周りにいた、川村の次ぐらいに性格の悪い女子たちも僕たちを見て笑っていた。僕らは「うるせーよ」と言ってそばから離れた。
「早く始まんねーかな、ピラニヤショー」
 ハヤトが言い出した。ハヤトはグループの中で一番背が高い奴だ。
「俺だってうずうずしてんだよ」
 弁当を広場で食べた後、男子はピラニヤのことで鼓動を速めていった。獰猛なピラニヤ。男子の血が騒がないわけがなかった。
 先生が僕たちを集めた。二時になった。
「餌やりショーが始まるよ〜」
 いつもはちゃんと整列したりしない僕たちでも、この時ばかりはすぐに集まったので先生も苦笑いしていた。若い女の先生だった。
 ピラニヤはゆったりと泳いでいた。他の魚と同じようにケンカもしていなかった。それがケンちゃんの言うとおりに暴れだすのかな。僕たちは水槽にへばりついた。牙があった。少し怖かった。
「ただ今より、ピラニヤの餌やりショーを始めます。皆さん、よーく見ていてくださいね」
 アナウンスが流れた。その瞬間だった。餌が落ちた。なんの餌かも分からなかった。水面が暴れだした。すごい勢いで暴れだした。それは一瞬だった。ピラニヤが一箇所に群がった。餌はあっという間に消えてしまった。

「川村すっげえ腹立つ」
 休み時間にケンちゃんの一番の親友、モリヒロが言い出した。足を踏まれたらしい。
「俺もう我慢の限界」
 モリヒロは皆がもたれていた壁を蹴った。一番腹が立ったのはケンちゃんだった。黙っていたが顔つきが明らかに変わっていた。
 誰かが言った。
「ピラニヤごっこ、やんない?」
 下を向いていたハヤトだった。
「ピラニヤごっこって何?」
 僕は昨日のピラニヤの残像を頭の中で見ていた。激しく暴れだす特殊な魚。僕たちはかっこ良さを感じていたのかもしれない。
「ピラニヤごっこっていうのはあ……」
 僕たち四人は頭を近づけてその遊びを話し合った。
 
 放課後、僕たちは川村を呼び出した。学校の裏にある動物ランドだった。そこではうさぎと鶏を飼っていて、その動物の匂いがツンと鼻を突いた。
「グゲッ」
 鶏が鳴いた。僕たちは川村を囲んだ。
「何?」
 いつも見ている川村の顔は、その日一層醜く見えた。赤い服が似合っていなかった。
「何ってなあ〜」
「そうそう」
 顔を見合わせた。もう足は動く用意が出来ている。
「帰りたいんだけど。誰か告白すんなら待ってあげるわよ。あ、そっかあ。案外勇気ないんだ。もしかして全員私が好きだったりして」
 その瞬間、僕たちは川村にかかっていった。腕に、足に噛み付いた。食いちぎるぐらい強く噛み付いた。手加減はしなかった。
「ぎゃあー!!」
 川村の悲鳴で動物が一斉に鳴きだした。

 あの日から川村は学校に来なくなった。僕たちは黙り込んだ。しょうがなかった。腹が立っていた。誰一人として、誰かを責めることはなかった。でも皆が川村のことばかり考えていた。

「パパ。やっぱりだめなの?」
 息子たちの顔が近づいてきた。魚、魚とはしゃいでいる。
「魚なんか面白くないよ?」
 僕は言ってみた。それでも息子たちは僕にねだってきた。洗濯物を干し終えた妻が「いいじゃないの、水族館行きたいよね〜」と笑顔で息子たちの頭を撫でた。
「だから行きましょうよ、水族館。今日行こうよ、ね」
 腰が重いのを感じる。息子に引っ張られる手。僕は机の上に目をやった。
「タバコだけ持ってくわ」
 箱に指をかける。
「吸えるとこないわよ、そんなの」
 妻はそう言ったけれど、「ま、持って行くだけ」と小声で返して立ち上がろうとした。その瞬間にあの夏の残りの暖かさが蘇ってきて、僕は歯をギリと噛み締めた。


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