猛が初めて、競馬場へ足を運んでから約一年が過ぎようとしていた。
今では、地方競馬場だけでなく、中央競馬が開催される週末には必ずウィンズへも足を運ぶようにもなっていた。
平日は、地方競馬、週末は中央競馬。
スマートフォンを使えば、地方、中央を問わず開催しているどの競馬場へもいつでも投票ができるようになった今、パソコンさえあれば、リアルタイムで観戦もできるのである。
ギャンブル中毒と俗にいう。
気づかぬ間に彼の精神は、中毒症状を起こしていた。
営業の合間を縫って、休憩時間を利用して、馬券を買うことが彼の日課のようになっていった。その内、外回りと称して車の中で隠れるように競馬をするようにもなっていた。自然、仕事に身も入らなくなり、営業成績も目に見えて振るわなくなっていった。会社に戻ると言い訳のように「最近は、本当に不景気で―。どこへ行っても話は聞いてくれるんですが、中々財布の紐がキツクて……」と報告を繰り返すようにもなっていた。それまで、固定給に多少の歩合給が上乗せされていた給料も歩合がなくなり、生活も徐々に苦しくなっていった。月末にもなると小銭すらも財布からなくなり、同僚や友人に頼み込んで少しずつ借りては、食い繋ぎ、また競馬につぎ込むという具合にもなってしまっていた。一時は、明るくなりつつあった彼の性格も借金が重なるにしたがって身なりも冴えなくなってきた。口を開けば借金の申し込みをするようにもなったこともあり、その内彼の周りからは次第に人が遠ざかるようになっていった。
そして―。
業績不振を理由に会社からリストラ要因としての勧告を受けることになった。日頃から不景気を口にして営業成績が振るわないことを理由にしていたため、会社の深刻な状態を告げられ、また、彼自身のここ数か月の営業振りが仇となり退職をせざるを得ない状況に追い込まれてしまった。僅かではあるが退職金もでるということで会社を辞めることにした。
支給された退職金は、全部の借金を返すにも足らなかった。社内で借りていたお金は、退職金が彼の手元に来る前に同意書を書かされ、退職金を手にする前に差し引かれてしまっていた。その他、友人への返済もしなければならなかったが、すべてを返すにも足りない額しか彼の手元には残らなかった。
所持金三十万。
会社を解雇された彼の持つすべてであった。
これまでにあった僅かな貯えもすべて競馬に消えてしまっていた。友人からももう借りる当てはない。
会社を辞めると直ぐに失業保険の手続きを行った。月々十数万にしかならないが、次の仕事が見つかるまでの半年程は固定収入が見込まれることだけでも幸せと言わねばならなかった。
それから彼の一日は、ハローワークと競馬場通いに明け暮れることになった。
ハローワークに通ってはいたが、本気で仕事を探していたわけではなかった。失業手当をもらうために毎日仕事を探しているという体裁を作らなければならない理由から午前の競馬が始まる前、早朝にハローワークを訪れる。顔を出し、早々に引き揚げそのまま競馬場へと向かうのである。
名古屋、笠松でレースが開催されている時には、競馬場へ向かい。それ以外の時には、自宅でパソコンの画面を眺めながらあちこちの競馬場の馬券を買う。
一発当てれば……
それが、彼の生きる支えになっている言葉であった。
これまでに、彼の取った最高馬券は二十三万八千円。考えて買ったものではなく、たまたま、百円で買った三連複についたオッズであった。
―あれを三連単で買っていれば、今頃……
その馬券は、三連単では二百数十万にはなっていた。
失業手当の猶予まで後、一か月。
それまで、親身になって手伝ってくれていた担当者もどの会社を紹介しても面接にすら行こうとしない猛に嫌気がさしてきたように余り会話もなくなってきた。
そして、最後の手当を手にすると猛は求人登録だけを残しハローワークへ通うこともなくなった。
もう彼の行動を制約する社会との繋がりは競馬以外にはなくなってしまった。
会社を辞めてから半年余り、彼は、多分に漏れることなく競馬で生活のできないものだろうかと考えていた。何とか手持ち資金を減らさないため、食事を制限した。水道、光熱費もできるだけかからないように努力をした。少しでも軍資金を増やすため、売ることのできる家財道具、時計、貴金属、衣類、CD、DVD、本に至るまで売りつくしていた。そのおかげで、乱雑であった部屋の中も大方片付いていた。もう、売るものは何も残ってはいない。パソコン、携帯は競馬のために必要となるため売らずにいた。
一発当てれば、すぐにでもましな生活ができる
寝る前と起きた後、窓の外に向かって柏手を打ちどこにともなく「明日こそは、今日こそは……」と祈りを捧げることが日課になっていた。
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