それから猛は、師匠に言われた通り母親に電話を掛けた。すると案の定金の無心かと訝しがられた。それも仕方のないことであった。会社をリストラされてからというものたまの電話は金のことしかなかったからであった。
「いや金のことじゃないんだ」
「じゃ、どうしたんな」
丹後訛りの母の声は少し安心したようにも聞こえた。
「俺、師匠ができて。その師匠がホントに弟子になるつもりやったら『元気か』だけでいいから母親に電話しろって。それで電話した」
「そうか……」
「これからもたまに電話するからね」
「おおきにな。気ぃつこうてもろて」
「別にそんなんじゃないよ。でも、いっつもごめんね心配ばっかりかけて」
「……、しゃぁあらへん。どんなん零落れたかいうて、うちの息子やからな」
「ごめん、本当に」
「それで金は大丈夫なんか」
「もうえぇよ。金のことは」
「そうか、そうか。よっぽどええ師匠はんなんやな」
「わからんけど、色々教えてくれる」
「そうか、そうか。よかった、よかった」
猛にとって、久しぶりに聞く母の安心した口調であった。
「わかったよ。ところで師匠ってなんの師匠してはるんや」
「……なんのって言うのは難しいけど。色々とこれから教えて貰うんや」
「そうか、ようわからんけど頑張りよ」
「ありがとう。わかった。俺も師匠に教えられた通り、これから命張って生きていくから心配せんといてな。たまにまた電話するから」
これまでにも伝えようとしたことはあった『ありがとう』と言う言葉をこの時は素直に口に出して母に伝えることができた。
次に仕事を探さなくてはならない。金のためという単純明快なことであった。これまでのように自分に何ができるか、どんな仕事なのかということは考えもしなかった。金のため、猛の今の目標は、師匠に認められるよう百万を貯めることにあった。 師匠との約束を果たすという目標が、猛を動かすことになった。
「あんた、ぜったいにロクな死にかたせえへんよ」
「そんなこと誰が決めるんや」
「誰って、神さんが……」
「アホか。神さんが何決める言うねん。ワシがこうしとるお蔭でお前も不自由のない生活しとんねん。もし、ワシがロクな死にかたせん言うんやったらお前の方がもっとロクな死にかたせんわ。それにな、お前勘違いしとるようやけどな。ワシは人助けをしとんねん。どうしようもない、それこそロクでもない博打に嵌った若いもんを立ち直らす切っ掛けをこさえとるんや。なんでそんなワシがロクな死に方せんやなんて。ホンマは感謝されなあかんやろ。神さんはよう見とるもんや。心配せんかてええ。嫌な仕事やけど誰かがせなならんのんやから。ホンマ言うと辛いんはワシやいうこと神さんはわかってくれとるやろ」
「せやけど、あんたの予想よう当たるんやから、たまには教えてあげたらええんとちゃうん」
「おまえは、博打のことなんもわからんと、そんな簡単に言うてくれるなや。あんな、博打にはな勝つ奴がおれば、負ける奴がおる。当たり前の事や、己がホンマに勝とう思うたら、負ける奴を作らなあかんのや。ワシかて、いつまでも勝つ予想が続くかわからんそやから今のうちに勝つ目を持った奴を育てていかなあかん。その為には、仰山の負ける奴も出てくるやろ。それは、しゃぁないんや。博打なんやから……。なんせ負けることを承知の上でみんな金張っとるんや。せやけどワシは負ける訳にはいかん。その為に必死になって勝つことを考えたんや。負ける奴はな……」
「ルーザーズハイっやろ。もう何べんも聞いたわ」
「わかってたら、もういらんこと言うな。それにな、もうワシの気を乱すようなことも言わんといてくれ。いくら、ワシがお前に惚れてる言うても、勝負の前に気を乱されたらかなわんからな」
ソファに体を預け昭三は、目の前のモニターを見つめていた。週に一日、水曜日だけは競馬をしないことに決めていた。険水という易卦を嫌ってのことであった。それでもレースのチェックは怠ることはない。
「ヨウコ、ちょっとキーボード取ってくれ」 昭三はキッチンへ立って行った女に向かって言った。
「それとコーヒーや」
「ビールと違うん」
「今日はコーヒーや」
ヨウコは、用意しかけていたビールを冷蔵庫にしまうとコーヒーを入れた。キーボードをモニターの下から取り出すと昭三の前に差し出した。そして、昭三の座るソファの横に座るとコーヒーカップを昭三に手渡した。
「ありがとう」 と言いカップを受け取る昭三の横顔には勝負をする時の厳しさは見当たらなかった。競馬をしない水曜はいつもならビールを飲みながらレースを見ている。ビールを飲まない時は大抵競馬をする時である。
「珍しいね、コーヒーって」
「そうか」
「水曜で、競馬せえへん日はいっつもビールやん」
「競馬はせえへん、ワシはな。今日はお前やってみ。ワシは何も言わんから、思うように打ってみ」
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