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作品名:ルーザーズ ハイ 作者:宮本野熊

第18回   18
「ワシの場合は金が欲しかったんと違う。それにも関わらずや、どっかで何かが邪魔しよるんや。それが、何かどうしても知りとうなった。体も震えとったな。何も賭けとりもせんのにな」

 オッチャンに馬券を買わなかったという後悔があったわけではなかった。その後も、オッチャンは勝負に覚悟を決めるということを自覚できるまで馬券を買うことができなかった。

「金やないんや。もちろん汗水たらして必死になってこしらえたもんには違いない。せやけど、そんなもん無くなっても、また、きっちり働いたらなんとかなるがな。ワシが馬券買われへんかったんは、この道にホンマに入るっちゅう覚悟ができてへんかったからやったんや。金が無くなってどないしようっちゃう。一発当てたろうともちゃう。博打うちになるいうんは言うだけやったら簡単なこっちゃ。せやけど、その道で生きるちゅうことがどないなもんかまったくわからんかった。それを考えられん内はどれだけきばってもあかんって思うたんやな。それで、暫くは馬券買えんかった。考えるより行動せいって、世間では言うこともあるけど命張ろう思うたら中々えい、やぁってわけにはいかんのがこの世界や―」

 そして、真剣に勝負に向かうことができた時、見えるものがあるとオッチャンは言った。

「やっぱり、勝負の世界にはなんかおるって真面目に考えたなその時は―」

 残り僅かなビールを飲み干すと、オッチャンは、ふと溜息を洩らした。

「あぁ、今日はちょっとしゃべりすぎたな酔うたのかもしれへんな」

 オッチャンが欠伸をして背を伸ばし始めたころには窓の外の空は薄っすらと青みを帯びていた。

「もう朝やな。もう少ししたら帰るわ。始発も出るころやろうし」

「帰るんですか?これから」

「そやがな、ワシもこう見えて忙しいこともある。今日は昼までに帰らんといかんのや」

「そうですか。でも僕はこれからどうしたらいいんですか」

「そやな……。あんた両親は健在か?」

「母親はいます。父親は、小さい時にどっか行ってしまって顔も覚えてません」

「そうか。おかんはどこにおるんや」

「京都です」

「そうか、それやったら電話し。なんも言わんでええ。『元気か?』とだけ伝えたらええ。声が聞きとうなった言うたらええだけや。なんや訝しがられるかもしれへんけどな。それだけでええ、それと最後になこれから毎月一辺は電話するからっちゅうて電話切るんや。どうせ音沙汰なしでこれまで金の無心位でしか電話してへんねやろ。これは守りや。約束や。
それとな仕事探すんや。ワシみたいにな、なんでもええ。種を作らんことにはどうにもならんからな。目標は百万や。半年でも一年でも、それ以上かかってもええ。とにかく自分の手で種銭を作るんや。あんたが本気でワシの弟子になるいうつもりやったらできる筈や。
最後にな、競馬場へはできるだけ足を運びや。せやけど絶対に馬券買うたらあかんで、ただ予想するだけや。それとなインターネットやら、携帯でも馬券はあかんで。とにかく種を作ることを第一に考えや。半端なことしとったらホンマモンの博打は打てんからな。
これが守られへんようやったら。おしまいや。ワシにはよう面倒みられへん。わかったな」

 そう言うとオッチャンは目を擦りながら立ち上がった。

「ほんま言うとなあのあんたに渡した当たり馬券な。あれ持ってあんたがどっかに行ってくれたら思うててんで。弟子とるなんてワシには恐れ多い。あんたがあのまま逃げてたら、僅かやけどなんかの足しにはなるやろうしな。それでまた馬券買うもよし。この生活から足を洗うんもよしや。ただ許されへんのんは。わしが言うたあの馬券買うてとんずらするような奴や。もしそうやったら、この先誰に迷惑かけよるかわからん。そやからわざと外れるやろないう目を入れといたってん。外れてから顔を見せるような奴やったらもっと最悪や。そやけどあんたはそのどれとも違うてた。
言うたらワシの負けや。
それとな仕事言うてもあんたのこれからの仕事は博打になるんや。そのために誰にも文句言われんように自分で金を稼ぐんや。今までの仕事とは違うで、種銭を作るっちゅう目標を持って仕事をするんや。
世間にはな、なんの目標も目的もなしに仕事をしとる人が一杯おるやろ。そんなことワシにはできんし、そういう人らが可哀そうにも見える。そういう人らの大半はな、生活のためや言うて我慢してる。生きていかんならんから、仕様がない言うのも事実や。けどな、大抵の人らは、悲しいかな金に振り回されとるだけなんや。気づかんうちに金を言い訳にして、金に生かされとるだけや。それも仕方ないけどな。誰も仕事ってなんや言うことを教えるもんがおらんかったんやから。学校でも、家でも、職場でもそうや。ただ働いて金稼いで、ええとこ住んで、うまいもん食うて、少しでもええ暮らしできるようにって教えるだけや。生きるっちゅうんはなほんまはそんなもんやない。
ワシもこの歳になるまでいろんなことをしてきたし、色んな人も見てきた。せやけどな誰一人としてワシが納得できるような答えをもって生きとる人には会えんかった。凄いな思う人はそら仰山おったで、でも、それがどう凄いのかっちゅうとようわからんのや。金もったら凄いのかっちゅうとそれは違うと思うた。自分で会社こさえて一生懸命仕事をするっちゅうんもなんか違う。なんでや言うとな、それはみんな他人事やからや。ただ何とのう漠然と凄いなって思うだけでな。やっぱり他人ごとなんや。
ワシもそうやし、どんな人でも人から見たらその他大勢なんや。
金持って、エエ家住んで、エエもん食うても。みんな自分以外その他大勢の存在なんや。
今は、まだ、あんたにはわからんかもしれんけどな。人にとって人はその他大勢の存在なんやと思うでワシは。せやから悩むんや。何のために勉強をするとか、仕事をするとか、生きるとかに悩むんや。
勉強は、できん奴を振り落すためのもんや。国のためになる優秀な人材とそうやない奴を区別するために勉強させるんや。今は、もしかしたら世界のためっていうのかもしれん。それやのに誰もはっきりとそう言わんし、言えんのや。仕事はっちゅうとな、これも一緒や会社にとっては必要な人間がおったらそれでええんや。勉強と同じや、できん奴は振り落さなあかん。なんせ資本主義っちゅうんは最終的には一番強い奴が勝って残るような仕組みになっとるんやさかいにな。
そら誰も悩むはな。ワシもそうやった。あんたと一緒や『なんでなんやろ、なんのために生きとるんやろ』ってな。
競争の中で生きとるんや、金を生きる目標にでける人はええ。そやけど大概の人はそうはなれん。極端に言うと金で命を買えるもんだけが悩みが少ないんかもしれん。
人はな、なんのために生きてる思う?
ワシは、こう思うんや。
人はな、いつか起こるかもしれんなんかの時、誰かのために力を発揮するために生きとるんやってな。つまり有事の時のためや。有事ってなんやってか。有事は、何か事のある時ちゅうしか言いようがないけどな。小さい事からいうとな自分の事やったり、親の事やったり、友達のことやったり、彼女の事やったりと色々や。もう少し言うとな、家庭やら住んでる地域や、会社や、国や、世界まである。どっかでなんかが起こった時にな、差し伸べる手を持つことが大事なんや。なんでもええんよ。畑作れるでもええし、着るもん作れるでもええし、井戸掘って水汲みますでもええんや。勉強教えますでも、料理しますでも、靴磨きますでもホンマになんでもええ。大きな有事もあれば、小さな有事もある。それを解決する手助けのできる自分をつくることが大事なんよ。もしかしたら、誰にでもできることかもしれんけどな、誰にでもできてもそれを実行することのできる人はそうおらんのや。
つまりな、他人事を他人事で済まさんように生きるちゅうことが大事やと思うんや……。いつかなんかの役に立つかもしれん、誰かの役に立つときがくる。そう思うて生きるとなそれだけで悩みは少のうなるんとちゃうかな―。
いかんいかんまたしゃべり過ぎてるわ。
続きは、あんたが目標達成した時や。そしたらまた、話しよか。それまではあんたは仮弟子や。とにかく一生懸命働きや。頑張るんやない。そんなん当たり前のこっちゃ。命張って仕事するんや。当面は金を貯めることが目標や。目的やない目標やで忘れんなや」

 そう言うとオッチャンは、玄関に向かって行った。駅まで送ると言ったが、まだ仮の弟子なだけや変な気使いはいらんからと言ってドアを閉めた。そして、ドア越しに、

「あんたが、ほんまのワシの弟子になったら精々働いてもらうで」
と言って靴音が遠ざかっていった。

 その日を境に、大阪のオッチャンを猛は師匠と呼ぶようになった。


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