「さっきの続きや。ワシはな、その足で競馬場へ向かった。阪神競馬場や。その日は、レースはなかったんやけどな。次の日、土曜日にはレースが開催される。通い慣れた競馬場やったけどな、そいつが今どんな顔してるか無性に見とうなったんや。競馬場の顔をやで―。春先の暖かな日やった。閉まってて中には入られへんかったけどな。花壇に腰掛けて正面の入り口を眺めとった。こん中には何かがおる筈や思うてな。声には出さんかったけど色々と話かけとったんやと思う。もちろん返事もなんにもないんやけどな。『そこにおるんはなんや、なんやっ』て思うてたんは覚えてる。陽が暮れるまでそうして座っとった。春や言うてもな、夜になると寒かったな〜。それでも、必死になって稼いだ種銭を減らす訳にはいかんがな、風の当たらんところ探して体小そうして朝まで寝たわ。不思議なもんや腹も空かんかった。
夜が明けて、入口があくまでの時間が長かった。
ホンマ言うとな、その日だけは絶対に一番で入らなあかん思うてそうしたんや。一世一代の勝負の日やからな。
競馬場へ入るとゴール前の観覧席の一番上に陣取った。レースの結果をこの目でちゃんと確かめるためや。
買うてあった新聞を広げてな。一レースから入念にチェックや。
そんときや。さっきワシの連れの話したやろ。そいつのこと思い出してな。一つのレースに持ってた百万を連でも単でも複でもなんでもええ一点にぶち込んだろ思うたんや。最初はそのつもりやなかった。周りの百円や五百円で馬券買うてる人ら見とってな。この人らと同じ感覚でレースしとったら絶対に負ける思うたんや。遊びでやっとるうちはそれでええんや。せやけどワシには競馬は遊びやない思うとな。これまでとは違った感覚が必要やと思うたんや。一レース目でも、二レース目でもよかった。とにかくこれやと思うもんに一発勝負。こう決めたんや。
そうするとな、それまで競馬場へ来てても馬券買わんとずっと見るだけやったやろ。中々踏み切れんかった。予想したレースは結構当たっとったわ。それでも買えんかった。あんときのあいつの心理と同じなんやろうなと思うた。次のレースはこれとこれやと予想するんや。結果はちゃんと入っとる。せやけど、馬券を買いに行くことはできなんだ。もしかしたら、ビビッてたんかもしれん。持ってる金を増やそうと思うてたんと違うのにやで。どうしても馬券を買うことはできなんだ。そうしてる間にもレースはどんどん進んでいきよる。こうや思うた馬は入りよる。その内、なにしてるんかわからんようになってしもうた。メインレースの締め切り時間が近づいても動けなんだ。昨日から泊まり込みで競馬場におったにも関わらず。結局、ここまで馬券は買えんかった。ほんでメインレースの締め切りや。ここまではあん時のあいつと同じや。泣いても笑うてもあと一レースしかなくなってしもた。ここはと思うて席を立った。そんで予想してた馬を確かめて馬券売り場へ向かったんや」
狙ったのは三―七の馬連。それまでほとんどの予想が当たっていたこともあり自信をもってオッチャンはマークシートに記入し、五十万をマークしたシートを二枚持って発券機に向かった。お金を機械に入れる時、騒がしい筈の周りの音がオッチャンには何にも聞こえなくなっていたらしい。後は、シートを挿入口に入れるだけだった。その時……。
「その時や。『三、七はブタやないか』言うて頭の中で声が聞こえてきたんよ。一瞬考えたがな。カブで言うたら確かにブタや勝ち目はない。もう一枚札引かんかったら負け確定の目や。どうしたらええか言うて考えてしもうたんや。暫く考えたけどな。『そんなこと言うとってもしゃぁない。まぁ、ええやんか』思うた。そんでどないした思う」
「まぁええやろって、思い切って買ったんじゃないんですか」
「そうや。ほんまはそうする筈やった。けどな、気が付いたら精算ボタン押してたんや。なんでかわからんかった。手が動いてしもたんやな勝手に。ほんまになんやわからんかった自分でも―。体の力が全部のうなったみたいに足もダルうなって、戻された札束持って、席に戻ったんや。ほんでレースの結果やがな。あんのじょう予想してた通りや。三―七が、入りよったんや。なんも張ってへんのに血の気が引いたがな。オッズも十二倍はついとった筈や。これが勝負の綾やと思うたわ。 ワシの連れは、声に従うて一億を手にした。ワシは声に従うて一千万を逃した。この違いは何やろってホンマに悩んだで」
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