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作品名:ルーザーズ ハイ 作者:宮本野熊

第16回   16
 オッチャンがこの世界に入ってからは連戦連敗だった。新聞で見るデータを重視しすぎたためか、オッズが気になっていたのか、予想は外れるばかりだった。その内、直ぐに生活も儘ならない状況に堕ちて行った。家具、車、時計、指輪と売れるものはすべて売った。もうどうにもならないところへと堕ちるしかなかった。気付くと頼ることのできる知人も親戚も誰もいなくなっていった。それでも競馬を止めようとは思わなかった。正確には何度も止めようと思ったが、金輪際止めるという覚悟もできなかった。タバコを止めるのと同じで、止めようと思いはするがレースが始まる前にどうにか僅かの金を工面するとそのまま競馬場へと足を運んだ。惰性で競馬をしていたことが敗因だと気づくまで、さらに金に振り回されていたとわかるまで勝つことはできなかった。

「ワシはな、どん底まで堕ちて行った。ほんまのどん底や。金どころやあらへん、住むところも、喰い物も、頼ることのでける人も誰もおらんようになっとった。それでも、競馬場へは通い続けた。ただ、馬の走りを見るためや。止めようとは思わんかった。もし、ここで止めたらほんまにワシにはなんも残らんからや。どこまで堕ちようが、ワシはワシの命を賭けたこの道から外れることだけは選ばんかったんや。どうにかして、金を作らなあかんそう思うてな、必死に考えた挙句、日雇いの仕事を探しに西成へ通うようになった。どんな安い仕事でもよかった。競馬以外のことで金を稼ぐのならどんなことでも変わりはない。人が嫌がる仕事でも、汚い仕事でもなんでもやった。その間は一切馬券を買うことはなかった。それがワシの誓いやった。競馬場へは通うてたけどな。ここで、勝負ができるその自信がつくまでは、通うことは通うても馬券は買わん。例え百円であっても買わんのや。しかしな、やってみるとこれが結構辛抱いることなんや。何度も、もうエエやろ思うて買おうと思うたこともあったけど、持ち金百にするまで絶対にやらんと決めたことや。競馬以外の仕事で金を稼いでるけど、これは勝負の場に立つための準備や修行やと思うてなもちろん競馬新聞なんかも買わんかった。ただ、競馬場へ行って、パドックを見て、テレビに映し出されるオッズ表をみて、ただでもらえる発走表を見て頭の中でシュミレーションや。金賭けてへんときはよう当たるもんや。そうするとなもうええやろ、もうええやろってな、どっかから声が聞こえてくるんや。はよ買い、はよ買いいうてな。レースが終わるやろ、するとなまた、声が聞こえるような気がするんや。『あ〜ぁ、あれ買うといたら万シュウやったのに……』言うてな。それでも、ぐっと我慢して、我慢して堪えるんや。己の中のどっかから湧き上がってくる囁きに負けんようにな。半年程かかったかな、金を貯めるまでに。百ちょっとできた時に、西成の日雇いも止めた。ワシの働きぶり見て、正社員にしたる言うてくれたとこもあったけどな、『こんなワシでも夢がありまんねん……』言うてな遠慮さしてもろた。あかんかったら、帰ってこい言うてくれたけどな。『そんときはこの世とおさらばですわ』っちゅうて笑うてな。そしたら『きばってな』言うて送り出してくれた」

 オッチャンがタバコを口に咥えた時、火を付けようとライターをさしだした。すると、オッチャンは、
「いくら弟子や、舎弟や言うてもな。ワシらは、ヤクザヤない。そんなことせんでもええ」
と言ってポケットからライターを取り出して自分で火をつけた。

 オッチャンが吐き出す煙は天井へ向かうに従って大きな丸い塊となっていった。天井にぶつかると吸い込まれるようにして消えて行った。オッチャンが、ビールの缶を軽く振るともう少ししか残ってはいないようであった。

「気ぃ悪ぅせんといてや。礼儀も気ぃつくことも大事や、せやけどな行き過ぎた礼儀や気遣いは却って邪魔になる。楽に自然体でおることが大事なんや。覚えときや」

 そう言うとオッチャンは蛍光灯の明かりに眩しそうに眼を細めながら上を見上げた。


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