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作品名:ルーザーズ ハイ 作者:宮本野熊

第15回   15
 馬券師だけでなく、博徒に必要なものは覚悟と自己責任だとオッチャンは言った。もっともこの覚悟というのはすべての仕事に必要とされるべき筈の心根には違いない。しかし、最近ではこと仕事に関して言うとこの覚悟を求められることも必要とされることがなくなった。そんな環境でいい仕事などできる筈もない。上に立つ者に覚悟がないのだから下に着くものにできのいいのが育つ訳はないとオッチャンは嘆いていた。

「己がやりもせんことをとやかく言うのは本意やあらへん。けどな……」

 こう言ってからオッチャンは、政治や経済の廃退について話し出した。

「ワシは、博打うちやからな。せやけどな、こう見えてもそこらへんのポッと出の政治家よりはものの道理はよう弁えてるで。政治も経営もな博打も同じや。それだけやあらへんで、どんな仕事にも同じことがある。ニイチャンそれが、何かわかるか?」

「覚悟―ですか」

 猛は競馬場で聞いたオッチャンの話を思い出しそう言った。

「そや中々わかってきたな。そやけどな、その覚悟ってどんな覚悟や?」

「どんな覚悟……」

「わからんか。覚悟や」

「……」

「覚悟っちゅうたらな。昔は誰でも知ってたで。わからんか?」

「やり遂げるっていうことですか?」

「まぁ、それもある。それもあるけどな。覚悟っちゅうたら、命を張るっちゅうこっちゃ。一生懸命仕事をするっちゅうことは命を張るっちゅうこっちゃ。これができなんだらその先はないっちゅう気概を持つっちゅうこっちゃ。つまり死ぬ覚悟を持つっちゅうこっちゃ。今時、そんなに真剣にって笑われるかもしれへんがな。それが本当に生きるっちゅうこっちゃと思うで。獲った獲られたで遺恨を買うことなんかなんもあらへん。獲られたら、もう、その先はないんや。死んでしもたら恨みなんかないわ。ぎなぎな生きてるから人間が駄目になるんや。そら失敗もあるやろ、せやけどな。あんたが心底懸命にやって失敗したとしよ。それがホンマにあんたが命張ってやったことやったとしたらきっと誰かが拾うてくれる。それが人やのうても神さんかもしれん。そうならなあかんのや。せやけど、今は、逃げ道が多い。なんせ『止めます』言うたらそれで何でも済むようになってしもとる。覚悟ちゅうもんが軽うなってしもとるんや。ワシはな前にも言うた思うけどこの道に入る前には色んなことをやってきた。おかげで色々な人を見さしてもろた。そんでな、人間っちゅうもんが、なんやショウもないことで悩んで一生終わっていくんかって淋しい気持ちになってん。その内にワシにしかできん、命の張り方はないもんやろか思うようになってな。ちょうどそん時や、小さい頃からの友達がおったんや―」

 オッチャンは猛が買ってきた弁当には手を付けず。ビールだけを飲んだ。一缶を飲み干すとタバコに火を点けた。蛍光灯の明かりに照らされたオッチャンの顔には、皺と笑窪が踊っているようであった。話をしながら時々、天井を見上げる目にはいったい何が映っているのだろうかと猛は思っていた。

「ワシの連れな、そいつは結構な会社をしとったんやけど、景気悪なってもうどうにもならんところまで行ってしもた。飲んでる時にその話聞いたんやけどな。余程、困ってるんやなと思うてな、ワシの持ってる金使うてって言うたったんや。貸すんとちゃうで、『やる』言うたったんや。そいつに対するワシなりの覚悟や。三百程あったかな。ワシには大金やった。せやけど、会社っちゅうもんはそん位の金で立ち直ることはできへんらしかった。ありがたいけど、もらえん言いよってな。そいつどないしたと思う?そや、競馬や。会社にあった現金一千万持って競馬やりおったんや。それを一億にせななんもかも無くなる。無くなったら死ぬだけや言うてな。どうせそれだけあってもなんも無くなるんは一緒や。言いよってな。……ワシか?そら止めたがな、その頃たまに競馬することはあってもお遊びや、まだ、ワシもこの道に入る前のこっちゃ。せやけどな、そいつ見てたらな、もしかしたら勝つんちゃうか思うたんよ。そのことはそいつには言わなんだけどな。そいつの目にはな、なんとか一発当ててなんていう性根は見えんかった。ワシも競馬やる奴らの話聞いて、一発狙うて失敗してどっかおらんようになったっちゅう話はよう聞いた。あいつの場合、もしかしたらなんちゅう甘い考えやない思うたんや。ホンマに勝ちに命張って言うてるって感じてな。あかんかったらわしのこの三百万遣うてお前の葬式はワシが上げたるちゅうて言ってやったんよ。そら、ワシも一緒に行ったがな。そいつ競馬場ではえぇ顔しとった。朝一で、京都まで行ってな。なんも張らんと、なんもしゃべらんと朝からずぅっと席に座ってたんや。もしかしたら、止める気になったんかと思うたくらいや。メインレースまできよった。重賞やGT。荒れる気配のレースやった。いよいよ行くんか思うたら、そいつ、『これは見送りや』ってぼそっと言うてな競馬場へきて初めて口開きよった。それで最終レースや。普通勝負や言うたら重賞に決まっとる思わへんか。そやけどそいつは違うたんや。重賞レースも見送りや。ほんまに止めるんか思うたがな。まぁ、それも普通や。なんせ一千万を放り込むつもりやったんや。並みの神経ではできんことや。もう残り一レースや。そのレースは、一、二着がテッパンの気配やった。一番人気は、単勝で一・五倍。二番人気が二倍ちょっとや、連複で三倍超えたかどうか、連単で行ってやっと九倍ちょいやった。そこに一千万張ったら例え当たったとしてもオッズはちょっと下がるやろう。それでも当たれば、一億はなんとかなるやろっちゅう感じのギリギリのオッズや。にしても、リスク高すぎるわ思うた。後はない、でも、これも止めやろな思うてたら。そいつほな行ってくる言うて、スッと立って馬券買いに行きよったわ。危機迫るっちゅう感じやなかったのが不思議やった。なんやタバコの煙みたいにフワッと立ってスゥ〜っと行きよった。なんせ一千万で馬券買うんや時間かかるやろ思うて心配しながら待っとったんや。もちろんついて行こうとも思うたがな。せやけどな、人の勝負に水を差したらあかん思うて、こらえて待っとったんや。そしたら以外に早う戻ってきてな。ワシにビール差し出すんや。乾杯しよ言うてな。まだ、早いんちゃうか言うたらな。もしあかんかったら、もう飲めんようになるんや。これは、祝い酒っちゃうワシがつきあったことに対する感謝の気持ちや言うてな。それで乾杯したんや。あん時程、ビールが苦い思うたことはなかった。なんや胃薬を舐めてるみたいに苦かったわ。レースが始まるまでのニ十分も長かった。ワシもあいつもなんもしゃべらんとビールをちびちびやって、ターフビジョンに映し出されるパドックの馬を眺めとった。一番、二番人気ともに七枠や。十二頭立て。最終オッズは、九‐十で連単が入れば約十倍や。他の馬は、前走までの走りを見てもまずないやろいうところや。この二頭は降級でもあるし、不安は連単が決まらんといかんっちゅうとこや。枠はゲンのええ七七。勝負には持って来いのゴロや。その日は、ワシは一回も馬券買わなんだけど、ホンマに緊張してな。トイレも一回も行かなんだほどや。こいつの運命はここで決まるんや思うとなんやつろうなってな。最終レースのファンファーレが鳴った時には、目の前が霞んできたほどや。それにいくらテッパンのレースや言うても確実はないのが勝負の世界や。色々考えながらゲートに収められる馬見てたらな、腹がきりきり痛うなってモヨオシテきよった。そんでもここで立ってトイレ行くわけにはいかん思うて我慢してたんよ。ゲートに馬が収まってランプが点いてからは、時間が経つのが早かった。芝の二千四百やから、一旦目の前を馬が通り過ぎるんや。先行馬を先に行かして、本命の二頭とも中段からのええ位置取りやった。向こう上面の坂を上って、下りに入っていよいよ最終コーナーを回るっちゅうときには、九、十が前に立って後続をぐんぐん引き離しにかかって行きよった。後は直線だけや。誰の眼から見ても、もう決まりや。頑張れ、頑張れって心の中で応援しとった。そしたらな、大外から、シンガリ人気の三が猛スピードで追って来よったんや。ゴールの手前で十を交わすかどうかのレースになったんや。九はかろうじて先着を守った。せやけど、問題は十や、写真判定に縺れ込んだんや。結果は、どうなったと思う。……三や。三が鼻差で二着。そん時は、そいつの顔を見られへんかったし、声もかけられへんかった。せやけど、間の悪いことにワシもイッパイ、イッパイや。ウンチャンがもう尻から顔も出かかってる、これ以上は我慢できん状態やった。それでな、ワシが、戻るまで絶対に待っときや言うて肩叩いてな思いっきり走ってトイレに駆け込んだ。急いで用を済まして尻拭くんもそこそこに、もとの席に戻った時にはな、そいつはもうおらなんだ。携帯なんかまだ、珍しい時や連絡も取れん。焦って、探し回ったがな。阪急の駅まで、走って行ってホームも探したけど見つからん。ワシ途方に暮れてしもてな一旦改札出てタバコ吸うとったんよ。三十分くらいどうしよ思うて駅の壁に凭れながらそうしとった。そしたら、そいつがやって来たんよ。どこにおった言うたら。席で待っとったいうやないの。ワシが行った時にはおれへんかったやないの言うたらなトイレ行く言うて走って行ったから、時間かかるやろ思うて用事済ましとった言うてな。用事てなんや言うたら、換金やて。ごっつい鞄広げて、見せるやないの。札がギッシリつまった鞄や。ワシはてっきりテッパンで勝負しとった思うとったら、違うたんや。なんや思う……。そいつはな、直前まで九・十の連単を買うつもりやったんやて。せやけどな券売機の前に行ったときにな、こんなことに全財産張ってもええんか言う声が聞こえたらしい。そん時にな、『ありがとう』言うて誰かが大声を出したらしいわ。ありがとうっか、サンキュウか……。思うたらな、三・九買おう思うたんやて、馬連や。それまで、一千万を一点につぎ込むつもりやったから、百万を入れることになんの躊躇いも持たんかったらしいわ。オッズも見んと三・九の馬連に百万や。そしたら、それが入ってしもうた。ゴール決まって、掲示板見た時には入ったいう嬉しさもなかった言うとった。あぁ入ったんや思うただけでオッズも見んと換金しに行ったんやて。そしたら、部屋の中に通されて手続きしとったら少し時間がかかったらしい。結局オッズは百十五倍や一億一千五百万。そいつ言うとったわ、もし、気ぃ張って勝負、勝負って思うてたらあかんかったんやろなって。覚悟決めて、競馬場まで来たんやけど。結局、勝負はできなんだって言うてた。あの百万は、勝負に行ったんやのうて、勝負を受けた百万やったんやて。わかるかこの違い、ニイチャンに。あいつに言わせるとな、自分から一千万持って出かけた勝負には負けた、でも、券売機の前で何かに勝負するかって言われた時、後の覚悟を決めたんやろな『わかった受けたろ』思うて、そしたら、『ありがとう。サンキュウ』って聞こえてな。それを素直に取ったら、入ってしもうた言うこっちゃ。ワシは、それ聞いて考えたで勝負ってなんやろってな。覚悟っちゅうもんを感じてみとうなった。そしたら、いつの間にかこうなっていったんや。博打うちにな……」

 オッチャンは目を細めながら懐かしそうに話をした。


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