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作品名:ルーザーズ ハイ 作者:宮本野熊

第13回   13
 猛は、その眼を見ているだけで息苦しく感じた。喉元に刃物を突きつけられているような感覚であった。

「どや、覚悟できるか」
とオッチャンが次に口を開いた時、猛は息を殺し、軋みを感じる程に奥歯を噛みしめた。

「……ハイ」
と口に出す言葉がこれ程重たく感じられたことはかつてなかった。

 後にオッチャンに聞かされた。かつて、約束を違えることが死を意味する時代がこの国にはあった。

―それは、人の上に立つ者が背負った責任であったという―

 幾世期の時を経て、違約の代償が、命から、金に換えられた時、この国に根付いていたココロが失われたとオッチャンは言った。

「みんなとは言わへんけど、世の中の大概の人は言い訳のために仕事をしとるんや。金を持っとったらどんな言い訳でもできるし、それを作れるんが今の世の中や。ワシのしとることがええっちゅうんと違うで。ただ、ワシにはこれしかできへん。そやから誰がどう思おうと言おうとワシにはこの道しかないんや。あんたどう思うかしらんけどな、ワシは金のために博打打ってるんと違うんやで、大工がエエ家を建てるために鉋削りに精進するように、坊さんが仏の心に近づくために修行をするのと同じように毎日勝負の感を磨いてんのんや。それも命を張ってのことや。中途半端にしとったらただの道楽や、しかし、ワシにはそんな余裕はない。気ぃ抜いたら終わりやさかいな。なんせワシが見なあかんのんは人やないんや。おるんかおらんのんかはっきりせえへん自分、いてるんかいてへんのんかわからん魔を見なあかんのんやさかいにな。けどな、ワシが知ってる限りちゃんと約束守られへんかった奴は皆、可哀そうなことになってしもた。それ思い出すとなえらいところへ足突っ込んでしもた思うたことも昔はあった。せやけどな、命張って、気ぃ張ってできること、ワシになんかあったやろかて考えるとなやっぱり何にもなかった。覚悟や、覚悟をして生きるもんが他には何もなかたんや。そやから、ワシはこの道一筋でやっていく覚悟を決めてこれからあんたが見るかもしれへんもんと契ったんや。その内、あんたにもわかる時が来る。それが、わからへんようやったら、命取られるだけや。そうなったらジタバタせんと潔うくれてやり……」

「わかったな」
とオッチャンが目を尖らせた時、最終レースのファンファーレが場内に鳴り響いた。

 猛は、飲む唾もない程に喉が渇いていた。オッチャンは、猛の決意の籠った頷きを見て厳しい表情を解いた。それまでとはまるで別人のような優しい表情で頷き返すとオッチャンはダートコースに目を向けた。

 場内のターフビジョンに映る直前のオッズ。

『三連複、一、二、三は、三・二倍』

 それでも、当たれば九十万を超える配当になる。

「えぇか、よう見ときや。これは、外れる。ゴール寸前で、八に差される」

「えっ!」

「ゴール寸前で、差される言うたんや」

 レースは、淡々とした流れで、序盤、中盤が過ぎ最終コーナーへと馬群が進んでいった。二番、一番、三番の順で最終コーナーを回った時、大外から四番が先頭を伺う勢いで駆けてきた。

「ちっ、四か」

 表情を崩さず、オッチャンがつぶやいた。

 直線コースへ入ると、二番が大逃げを打った。その後続いて一番が追いすがるようにスパートをかける。三着を、三番、四番がデッドヒートで奪い合っていた。

 その後ろから。八が、シンガリから猛然と伸びてきた。そして、そのレースは―。オッチャンの言った通りの結果に終わった。

「一、二、八。イニヤ……、っか。ほな行こか」

 オッチャンはそう言うと立ち上がりレースが終わったばかりのコースに向かって手を合わせお辞儀をした。

「何してるんや。あんたもちゃんと立って、おおきに言うて手ぇ合わさんかいな」
猛は、オッチャンに言われるまま同じようにして手を合わせた。

「えぇか、ワシらはな。ここが仕事場や。コースに向かってちゃんとこうするんや。『今日も無事、一日が終わりました。ありがとうございます』言うてな」

 オッチャンが話をしていると、レース確定の表示が点いた。

 二、一、八、三、五と五着までの馬番が正面の掲示板に映し出されていた。支払いオッズが、その下を流れては点滅している。

「さぁ、今日も終わりや。行こか」

 オッチャンは、そう言うと階段を降りて行った。猛は、その後ろを黙ってついて行った。

「ちょっと、待っとってや」

 オッチャンは、そう言うと払い戻し機の方へ向かっていった。

「最後のレースで、今日の上り少し減らしてしもたけどな。まぁ、上々やろ。贅沢は言えん。さぁ、行こか」

 オッチャンは、最終レース、一、二、八を三連単で買っていた。八は、七番人気。三連単で二十二倍の配当がついていた。それを一万で、二を軸に一、八の二頭に流していた。配当は、二十二万。猛が頼まれた三十万とオッチャンの投じた二万、取った配当が二十二万。そのレースでは差し引き十万の賭け負けとなった。それでもこの日のオッチャンの稼ぎは十八万を超えたという。猛に頼んだ馬券がなければ五十万弱の稼ぎを得ていたことになる。

「まぁ、勝負は時の運や。色々や、今日もええ勝負を見せてもろた。それにあんたの持ってる流れもぼちぼちわかったしな。えぇもんは持っとる。後は―。まぁ、その内、わかるやろ。今日は、帰ろうと思うたけど、あんたと話、せなあかんやろから泊めてもらうで、えぇか」

そう言うとオッチャンは出口に向かって歩き出した。


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