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作品名:ルーザーズ ハイ 作者:宮本野熊

第12回   12
 発券機の前にあるオッズ表を見ると一・二のオッズは連複で一・一倍。一・二、二・一の連単では両方とも一・三倍であった。三の単勝は十二倍。複勝は一・四から二・二倍。一・二・三の三連複は八・五倍の十二番人気と出ていた。

 普通、自分ならこういう時にはどのような買い方になるのだろうかと猛は考えていた。一、二の連複、連単では、三十万を賭けてもリターンは連単が入ってよくて三十パーセント、締め切り前にはまた少しオッズが下がることも考えられる。三十万を張って良くて九万円もしくはそれ以下の配当がつくだけである。それにいくら固いと言われる馬でも、何が起こるかわからないのが競馬。九万円を得るために三十万をつぎ込まなくてはならない。三十パーセントの配当をどうとるか。元金が保証されているものなら躊躇もないだろう。しかし、競馬である。外れればすべてが無くなってしまう。いくら強いと誰もが思ったところで、最悪の場合どちらかが落馬することも考えられる。こんなことは猛も何度も経験をしてきたことであった。オッチャンは、そういう勝負に三十万をつぎ込もうとしているのだ。よくよく考えてみると猛は、これまでに勝負と思った時にでも精々三千円を張ることが精一杯であった。ところが、オッチャンは、三十万。それも、単勝や、複勝、連複の比較的リスクの少ないものではなく三連複にである。馬の力量があるので一概に確率では言えないが、十頭立てのこのレースの場合三連複の来る確率は単純に百二十分の一である。

 猛は、勝負とは、こういうことを言うのだろうかと考えていた。

 オッチャンは余程、自信があってこういう張り方をしているのだろうかという疑念。
『ノッたらええよ』というオッチャンの言葉が思い出された。

 猛は、オッズ表を眺めながら暫く考えた、そして、『やめておこう』と独りごちるとオッチャンから預かった馬券を換金するため払い戻し機に馬券を通した。千円で買われていた馬券であった。画面には、二レース的中三連単七・五・三、“三十七万四千二百円”の文字が浮かんでいた。

 そのレース、猛は三連単、七を頭に五・八に流し外していた。八は一番人気であったが、上りタイムがそれ程早くなく、連には来るだろうが、二着、三着。その点二番人気の七は、上りタイムが三頭の中で一番早かった。五は中央からの転入馬でも人気薄、それでもパドックの雰囲気がよかった。その思惑通り、七が一着、三番人気の五が二着、そして、一番人気の八は五着に終わった。

 オッチャンは、同じレースで高配当の三連単を千円で取っていた。

―この違いはいったいなんなのか?

 画面に映し出される金額と、機械の中でお札の数えられる紙の流れる音を聞きながら、猛は自身の不甲斐なさ勝負弱さが情けなく感じられた。そして、再び自分に言い聞かせるようにオッチャンにのることを『やめておこう』と呟くと、発券機に向かい、言われた馬券を購入した。

 席に、戻るとオッチャンがもう座っていた。

 オッチャンは、猛の顔を見ると優しい微笑みを浮かべた。

「にいちゃんは、ええ、やっちゃな。戻って来たんか」

「えっ」

「またやな、『えっ』や。まぁ、ええわ。座り」

 オッチャンに言われるままに席に座ると猛は、三十万の馬券と、お釣りを手渡した。

「おっ、おおきに。あんたもノッたか?」

 オッチャンは、馬券とお金を受け取ると訊ねた。

「いえ、止めときました」

「そうか……」
と言いながら、オッチャンは缶コーヒーを猛に手渡した。

「まぁ、ええ心がけや。自分で考えて、納得いかんもんに金賭けたらあかん。まずは、合格や」
とコースで慣らしを始めている馬を見つめながら言った。

「えぇか、よう聞いときや。遊びやない博打を打つときは、真剣に考えなあかん。なにせ、遊びやないんやから命を張っとるのと同じや。命は、粗末にしたらあかん。その意味では合格や。せやけどな、人にノルんも大事な時がある。この人や思うたら、思いっきりノルんも必要な時もある。ワシが、あんた初めて見た時と同じや。ワシは、なんも考えんとあんたにノッた。それで勝たせてもろた。まぁ、それもうまいこと行く時も、行かん時もあるけどな。ところでなんで、ノラへんかったんや」
というオッチャンの言葉に猛は正直に答えた。

 三十万という賭け金を見て、勝負というものが、どういうものだかわからなくなったことを話した。これまで、彼自身の勝負というと三千円がせいぜい、それも複勝での三千円である。そうして、振り返ってみるとノルというのも申し訳ない気がして、ただ、オッチャンの勝負を見せてもらおうと思ったことを話した。

「そうか、勝負か。まぁ、勝負やわな。せやけどな、これでなワシが勝負したんは、あんたに対してや、競馬とちゃうで」

「えっ?」

「よう考えてみぃ。あんたもせやろうけど、ワシはあんたのことなんも知らん。何処の誰で、電話番号も、住所も知らん。そんなあんたに、四十万近い勝ち馬券渡して、捨てることになるかもしれん馬券買うて来てって頼むんやで。あんたも相当金には困っとるようやから、そのままトンズラも考えられる。まぁ、それはそれでええやろと思うたんや。世の中にはようある話やしな。それにな、まぁ言われた通り馬券買うたにしてもレース終わるまでどっかにおって当たったら逃げる言うことも考えられる。なんせ三十万を張るんや余程自信がないと打てんからな。そうすると二百万ちょいが手に入ることになる。外れたら馬券持って現れたらええ。『どうでした?』言うて知らん顔してな。いくらええこと言うて気張っても人間余程できてないと大金見たらどうなるかわからんもんや。
まぁそういう意味では、あんたには、もしかしたら素質があるのかもしれん。
ホンマモンの博徒は、義理と人情で成り立つもんや。中には、欲の突っ張った奴もようけおる。せやけど、ワシはそういうモンにはなりとうない思うてやってきた。金が、あろうとなかろうと自分の信じるところへ一点張り。それで負けてもしゃぁない思えるやろ。あの時あそこにああして、手を広げて張っといたらよかったなんちゅうのはホンマの博打やない。筋道立てて張っていくんがワシのやり方や、そうしたらその内神さんも笑うてくれる時がくるやろうと思うてやってきたんや。
あんたがな、弟子になりたいって言うたとき、ワシは考えたんやワシにはあんたを家に入れて養うていく気持ちも器量もないかもしれん。せやけどな、ワシが見てきた博打の奥の深いところを誰かに伝えんならん思うてたんも事実や、あんたが、ホンマのところどこまで考えて弟子にしてくれって言うたのかはわからん。
でもな、あんたが本気やったらやってみるか―。
前にも、言うたことがあると思うけど。魂食われるかも知れへんで。命を縮めることになるかもしれん。それでもええんやったら、ついて来―。
けど言うとくでワシがあんたに教えられることは限られとる。あんたが、勝負の奥を見る器量を持つか持たんかが一番大事や。そのためには、腹を据えるっちゅうことを真剣に考えんといかん。
苦しいで、ほんまに。正味の話、生きるか死ぬかや。それになこの世界は一回足踏み入れたらもう後戻りはきかへんのんや。やくざが堅気になることはできてもほんまモンの博徒になったらもう戻られへん。なんでか、わかるか?
やくざは盃を親と交わすやろ、言うても人間や。
せやけど、ワシらが交わす盃は人とは違うもんと交わさんならん。もう止めます言うても許してもらわれへん。知らん間に魂まで取られることになってるからな。
それでもできるか、にいちゃん、あんた…」

 そう話すオッチャンの眼は、見ているだけで斬られてしまいそうな日本刀のような鈍く冷たい表情をしていた。美術館に飾ってあるような名の通った名刀ではなく、人知れずひっそりと床の間に据えられているかつて何人もの人を斬ったことのある曇りを帯びた刀はこのような彩を放っているに違いない。


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