「なんや急に、弟子って。気でも狂うたんちゃうか。おっきい声出して、止めてんか、恥ずかしいやないか。みんな見てるで、止めぇ、言うに……」
そう言われながらも、猛はオッチャンの手を放すことなく大きく声を上げ続けた。
「お願いします!お願いします!」
猛は、そう言いながら、何度も何度も頭を下げている内に終いには何をお願いしているのかさえわからなくなっていた。オッチャンが、競馬で生計を立てていることは前に聞いたことであった。競馬を学ぶには馬券道場と呼ばれるところはある。しかし、そうした教室的なところでは馬券の種類や、買い方を教えるだけである。当たり前の事であるが、馬券はすべて自己責任で買うものだからである。猛は、今、競馬で勝つために師匠を必要としているという強い思いに駆られていた。すべては勝つためにであった。
「お願いします!お願いします!」
何度も頭を下げ、言葉を繰り返しているうちに、どうかすると気が遠くなるように感じた。
そして、オッチャンが、周りの目を気にしながら 「わかった。わかった。かなんな〜。わかったから、ちょっと落ち着き……」 といった声も聞こえてこない程であった。
猛は 「お願いしますっ」 としつこく繰り返していた。
ようやく、オッチャンが猛の握る手を振りほどき、 「わかったちゅうてんねん」 と肩をドンと叩いた時、猛は我に返った。肩で息をしながら、その眼はオッチャンの目を見つめていた。
「わかった。わかったから、ちょっと落ち着き。あんたが、どう思ってワシの弟子になりたい言うたんかわからんけど。博徒ちゅうんは、ほんまに甘いもんちゃうねんで。命を削ることになるかもしれん。魂をなんかに売り渡さんならんかもしれん。博徒っちゅうんはそういうもんや。それでも、弟子になりたいっちゅうんか」
「ハイ!」
「勢いだけでは、やっていけんで」
「ハイ!」
「まぁ、今、言うたところで冷静には聞けんやろ。残りのレース、なんも張らんとじっと見とき。そんでよう考えるんや。後から、あんじょう話、聞いたるさかい―」
それから二人は、最終レースの前まで一言も口を開くことはなかった。目の前で走る馬を見つめるオッチャンの目は博徒というより親が子を見守るような情を感じさせるものであった。レースが始まる前にタブロイドに目を落とし、レースを目を細めながら観戦する。そして、頷きながらまたタブロイドを眺める。ただ、それの繰り返しであった。馬券を買いに行く様子もなかった。
オッチャンが、一言も話さないことから、猛も黙っているより仕方がなかった。ただ、どうしたら勝つことができるのだろうかと思いながらオッチャンの様子を眺めていた。
こうして九レースが終了した。
他場でのメインレースと重なるため、名古屋での最終、メインレースまでには五十分程時間が空いた。
その時、オッチャンが漸く口を開いた。
「ニイチャン、ちょっと馬券買うて来てくれへんか」
オッチャンはそういうとマークシートに記入を始めた。
「これや。それとこの馬券換金してな。それで買うて来て」
そう言うとオッチャンは、席を立ち、 「今日は、冷えるな。ちょっとウンチャンしてくるさかい。よかったら、あんたもノッたらええ。ほな頼むはな」 と言ってトイレへ向かっていった。
マークシートに記入されている記をみると一、二、三の三連複であった。投票金額は十万円。それも同じ投票券が三枚である。
「三十万……」
猛は、そのシートを見て思わずつぶやいていた。
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