「俺は……」 と始める時、話す誰もが本当のことを知っていた。将来が嘱望されていたと言ってもそれは、家族・親類からだけのことで、きっと誰にもそうなのだろうということも知っていた。年端もいかない少年の心には、そうした周りの淡い期待が現実の自身の隠れた才能のように感じられる時がある。世間並みに近しい親類縁者のあるかないかの希望を背負いながら人は、学び、成長して行くものなのだ。
大学を卒業すると宮本は、就職も名の知れた地元のメーカーにすることが出来た。二十七の時、結婚をし、子供も直ぐに授かることが出来た。子供は一人であったが、その子も先の春から名古屋で一、二を争う私立大学に通っていた。彼の人生は、順風に任せて進んでいるようにも見えていた。ところが、夏前の人事移動の時、傘下の下請け工場への出向を突然命じられた。そこは、近いうちに潰れると社内でも噂のあった子会社であった。宮本がこれまで取り立ててという功績があったわけではないにしろ、特に目立ったミスもなく上司とも部下とも、取引先の重役ともいい関係を築いていたこともあって「何かの間違いでは?」と上司に相談をしてみた。「私も、そう思って人事に確認したのだが、間違いはないと言われた。辛いだろうが頑張れ」と哀れみの目を向けられ、力なく肩を叩かれた。切捨て。以前早期退職の打診を受けた時、無碍に拒否したために切り捨てられたのだと彼は思った。案の定、彼が赴任して直ぐその会社は倒産してしまった。倒産をした子会社から、本社へは誰も戻ることがなかった。本社に傷がつかないよう手筈を整え、箱まるごと切り捨てられたのだった。彼は、牧場から野に放逐された老牛のように就職口を求めて世間を彷徨ってみたが、結局どうにもならなかった。
『なんとかならないものだろうか……』と悩むのは何とかできるかもしれないという微かな希望のある時だけに限られる。
「やる気になればどんな仕事でもある」
「選びすぎているんじゃないの」 と友人に相談するたびに言われた。
そうには違いない。しかし、彼には、これまで仕事をしてきた経験があり、歳相応のプライドもある。どんな仕事でもよいという訳にはいかない。といって家族の生活を支えていかなくてはならない状況がある。
「まだ、まだ、甘いよ、世の中そんなものじゃないよ」
大抵は、そう言われて憮然となった。
宮本には、自己破産をした友人が何人かいた。その友人に相談をしたこともあった。苦しみを越えて再生した人なら何かいい考えを聞かせてくれるかもしれないと思ったからであった。しかし、その友人らが、口を揃えて言うには、「手続きに踏み切る前までは、身体が震える程に悩みもしたし、死のうと思ったことも何度もある」から始まる半ば自慢話を聞かされただけであった。「いざ、決断するとあっけないもので、これまでの苦悩が嘘のようになくなる。常習自己破産者が多くいる理由もわかる。借りるだけ借りて、後は手を上げればいいんだから……」、「銀行も他の金融機関も慣れたもので、法的手続きが始まれば何も言わない。不良債権が一つ減ったって喜んでいると思うよ。だってあそこには誰も腹の痛む奴はいないんだから。金融機関って言うところは、そうやって人を喰っているところさ」と嘯くものもいる位である。
―世の中は変わった……
話を聞くたびに、宮本は思った。
これも時代の流れなのだろうか、人としての心もプライドも、人の関わる全てが金と置き換えられてしまっているように感じた。
―ゲームオーバー、コイン投入、そして、改めて……
これまでのすべてをなくす覚悟さえすれば、破天荒な生き方が許されるようになったのだと彼には感じられた。破天荒、波乱万丈などという心を揺すぶられる言葉は当てはまらないのかもしれない。むしろ、破廉恥といった方が正しいのだろうとさえ思われる程に人は節操を無くしているに違いないと彼は思った。
なにが原因と一様に言う事はできないにしても、かつて話しに聞いた半世紀前と比べると命も、心も希薄になったのだろうと思わないではいられなかった。
話を聞いた相手とは違って、宮本には破産しなければならない要因は何一つなかった。彼は、ただ、この先どうしたらよいのかを迷っていただけのことである。ただ、何人かのそうした友人の話を聞いている内に、不思議なもので、もう少し早く人生のリセットの仕組みを知っていたらカードでも、ローンでも借りられるだけ借りてどこかへお金を隠し持って置けばよかったと逆に後悔を感じたこともあった。
相談を重ねるに従って宮本は次第に、仕事を探すという意味の中に、お金を得るという以外、限られた自分の人生に与えられた時間を費やしてしなければならないという目的も、目標も、使命も何も見つけることができなくなっていた。そして、彼はこう思うようになった。―自由になりたい。
何からというわけではなく、ただ、彼を束縛する全てから自由になりたいと思うようになっていた。
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